第4話 「クリスマス」
放課後、屋上に集まった部員達にむかって、仁さんがやや上気した面持ちで言った。
「昨日、顧問の渡辺先生から電話があっての。クリスマスに、近くの幼稚園でお遊戯会がおこなわれるんやけど、それにうちの部が参加して、何かやってくれんかと頼まれたそうじゃ」
部員達はどよめいた。
外からそんな依頼が来るなんて、この部では初めてのことだ。
どよめきが静まるのを待ってから、仁さんはつづけた。
「なんでも幼稚園の園長さんが、文化祭でのおれらの芝居を見て気に入ってくれたそうじゃ。おれはこれを引き受けようと思っとる。でも、一応みんなの意見を聞いておきたい。引き受けることに賛成のやつは手をあげてくれ」
当然のように全員が手をあげた。
仁さんはうれしそうに笑った。
「よし、決まりやな。それじゃあ淵上、来週までに、クリスマスにちなんだ子供向けの芝居をひとつ書いてきてくれ」
来週までなんて難しいのではないかと洋平は思ったが、淵上はあっさりとうなずいてみせた。
「今日が十一月二日やから、クリスマスまで、あと二ヶ月くらいか。台本ができたら、藤沢と話しあって配役を決めておくけん。みんな、気合い入れてきや」
はいっ、という全員の返事が屋上にひびいた。
練習中、部員達の顔つきが、いつもとちがって見えた。誰もが今回の話を、心から喜んでいるのだ。洋平も、なんだか祭を待つ子供のような気分になってきた。
練習が終わり、洋平が帰ろうとすると、校門の前で藤沢に呼び止められた。
「話したいことがあるんやけど、途中まで、いっしょに帰らん?」
「はあ、いいですけど」
ふたりはならんで歩きだした。
「部活にはもう慣れた?」
「ええ、まあそれなりに。でも役者のひと達とちがって、練習しとらんから、部活やってるっていう実感はあんまりないっすね」
「それはわたしも同じ。でもこれからはちがうよ。クリスマスの芝居のために、裏方も忙しくなるんやから、覚悟しといてな」
「はい」
「ところで」藤沢な真剣な表情になった。「麻見君、今回の芝居の舞台設計をやってみる気ない?」
「え?」目を丸くした。「そんな大切な役目をおれが?」
「大丈夫よ。間違いはわたしが直したげるけん」
「いや、ちょっと、自信ないです」
「大丈夫やって。それに、演劇部を三年間やっていくつもりなら、こういうことは早めに経験しといたほうがええと思うで」
藤沢は、何度も大丈夫とくりかえしながら説得をつづけた。それを聞くうちに、洋平の心はゆれてきた。
自信はないが、もしうまくできたら、自分が想像した光景が舞台の上で実体化されることになる。そして、役者達がその中を動きまわり、物語をつむぎだしてゆくのだ。
それはとても魅力的だった。
意を決して、洋平は言った。
「じゃあ、やってみます」
翌週の放課後、淵上の書いてきた台本が、コピーされて部室で全員にくばられた。
題名は「十人のサンタクロース」。
あらすじはこうだ。
クリスマスの夜、ひとりの女の子の部屋に、とつぜんサンタクロースが十人もやってくる。とまどう女の子にむかって、サンタクロース達は、それぞれが、自分が本物だ、他の奴らはみんな偽物だと主張する。女の子は、彼等の主張をひとりずつていねいに聞いて、誰が本物なのかを推理する。はたして、女の子は、本物のサンタクロースを見分けることができるのか。
「これいい」
誰よりも早く台本を読み終わったミツキが、明るい声をあげた。他の部員達も、賛同してうなずく。
「ありがと」
ソファな寝転んで天井を見つめたまま、淵上が礼を言った。たった一週間で書きあげたというのに、疲れた様子がない。
仁さんが台本のページをとじて言った。
「じゃあ配役を決めておくけん、誰がどの役についても大丈夫なように、みんな、台本の中身を頭にたたきこんどけよ。あ、それと麻見」
「え?あ、はい」
いきなり呼ばれて洋平は少しあわてた。
「おまえ、今週の土曜日の昼、空いとるか?」
記憶をさぐってから、洋平はうなずいた。
「藤沢に聞いたで。舞台設計をやるんやったら、その舞台を見とかんとの。幼稚園に行って、お遊戯会で使われる講堂の下見をしてくるけん、おまえもいっしょに来い」
「はい」
下見と聞いて、洋平は身をひきしめた。
舞台設計の、「仕事」をまかされたのだという実感がわいてくる。
土曜日の正午、洋平は仁さんと校門の前で待ちあわせて幼稚園へむかった。
山のふもとに、その幼稚園は建っていた。
園舎内に入ると、やせた老婦人が出迎えてくれた。そのひとが、園長先生だった。
「いらっしゃい、寒かったやろ?中にはいって、お茶でも飲んでいき」
「あ、いえ、おかまいなく。今日は少し講堂を見せてもらったら、すぐに帰るつもりですから」
仁さんはていねいにそう言った。
「あら、そう。あ、送ってもらった台本読んだで。とてもおもしろかったわ。ありがとね。こんなちっこい幼稚園のお遊戯会でお芝居やってくれて」
「いえ、こちらこそ、こんな機会を与えてもらって感謝しています。園児を相手に芝居をするんは初めてですから、いろいろと勉強になると思います」
仁さんと洋平は、講堂に案内された。
講堂は古い木造の建物だった。中は百人くらいひとが入ればひとがいっぱいになるくらいの広さだ。足を踏み入れると、床が小さくきしんだ。
洋平は舞台に目を向けた。
長い間使われていないらしく、舞台の上にはうっすらと埃が積もっていた。
「舞台の形をよく目に焼き付けとき。そして、大道具や小道具をどう配置すれば、観客によく見えるかを、よく考えるんやで」
仁さんの言葉にうなずきながら、洋平は舞台にあがってみた。
舞台は、台形の形をしていた。
洋平は台本の内容を思い浮かべながら、舞台設計の構想をたてはじめた。
下では、仁さんが園長先生に、舞台の照明や音響設備について、いろいろと質問をしていた。
午後二時過ぎに、ふたりは園長先生に礼を言って幼稚園を出た。
帰り道の途中、仁さんがこんなことを聞いてきた。
「なあ、老若男女で、もっとも楽しませるのが難しい年齢は何歳くらいやと思う?赤ちゃんは例外やで」
少し考えてから洋平は首を横にふった。
「わかりません」
「答えは四歳から六歳くらい。つまり幼児よ」
「なんでですか?」
「まだ完全に常識を身につけてないからやな。おれらくらいの年齢になると、こういうものが面白いっちゅう常識が、なんとなく頭ん中にできあがってるもんなんよ。でも幼児には、まだそれがあんまりない。だから、楽しませるのが難しい。絵本作ってるひととかは、そういう面でけっこう苦労しとるらしいで」
仁さんは笑みを浮かべてつづけた。
「今回、うちの部が楽しませないかん相手も幼児じゃ」
「あ」
「そう、幼児を楽しませるんは難しい。淵上が書いた台本は確かにいい。でも、それはおれら高校生の感想であって、幼稚園児が同じように感じるとは限らない。もしかしたら、くそつまらんと思われるかもしれへん」
「仁さん、不安なんですか?」
頭をたたかれた。
「あほ、おれはわくわくしとるんじゃ。難しいからこそ、面白いもんやろが」
仁さんは子供のように笑った。
日曜日、洋平は家に閉じこもって舞台設計の図案を描いた。
昼の間は少しも進まなかったが、夜になると、急に構想が浮かんできて、いっきに描きあげることができた。
何度か手直しを加えて、午後十時頃に、これはというものができあがった。
机の端にたまった消しゴムの滓を見つめながら、心の中で何度も自分をほめた。
次の日の放課後、部室で仁さんによって配役が発表された。
主役の女の子は、ミツキがやることになった。
「わたしなんかでいいんですか?」
不安そうにミツキが聞くと、仁さんは強くうなずいてみせた。
「おう。主人公は、活発な女の子やから、おまえにぴったしじゃ」
「顔もガキっぽいしの」
三田村がからかうと、部員達の間に笑いが起こった。
「何よ」ミツキは頬をふくらませた。「三田村先輩こそ、その役似合ってますよ」
三田村は、サンタクロースの偽者のひとりで、サンタクロースのふりをした泥棒の役だった。
配役がすべて決まり、さっそく練習がはじまった。役者達は全員屋上へあがる。
部室には、洋平と藤沢と淵上だけが残った。淵上はソファの上で眠っていた。六限目の授業が体育だったので疲れているそうだ。
「それじゃあ麻見君」藤沢が洋平を向いた。「舞台設計の図案、見せてくれる?」
「はい」
洋平はディバッグの中からレポート用紙の束を取りだし、藤沢に手渡した。
藤沢は、無言でそれに目を通しはじめた。
洋平は息を呑んで、彼女の視線が紙の上を走るのをながめていた。
淵上の寝息や、時計の秒をきざむ音が、やけに大きく聞こえた。
見終わると、藤沢はレポート用紙の束をテーブルに置いて、はっきりと言った。
「これ全然使えんわ」
洋平は、まばたきをした。
「まず、よけいな小道具が多すぎる。女の子の部屋だってことをあらわすために、かわいい置物を飾るんはええんやけど、この図案の置き方やと、役者が動きにくくなる。ちゃんと台本読んだん?それと、大道具のデザインが派手過ぎる。大道具はあくまでも背景なんやから、こんな役者より目立つ背景を作ったらいかん。あと」
藤沢は次々と欠点をあげていった。
遠慮のない口調だった。
しかも、どれも的確で、正しい意見だった。
なんでそこまで考えがいたらなかったのかと、洋平は自己嫌悪に襲われた。
最初はひとつひとつ丁寧に聞いていたが、あまりにもたくさんの欠点を指摘されるので、
洋平は気が重くなって床を見つめていた。
「描きなおして、と言いたいとこやけど、今回は日程に余裕がないけん。わたしが代わりに描いとくわ」口調をゆるめた。「ごめんね。せっかく描いてもらったのに、こんなこと言って。でも、こういうことは、ちゃんとしとかないかんけん」
洋平は、小さく、はい、と言ってうなずいた。
翌日から、藤沢が描きおろしてきた図案をもとにして、ふたりは作業をはじめた。
女の子の服。サンタクロース十人分の衣装。女の子の部屋を型どる大道具、小道具。BGM、効果音のテープ。
これらのものを残り一ヶ月半の間に、たったふたりで用意しないといけない。
洋平の放課後は、一転して忙しくなった。
役者達にも手伝ってもらおうとしたが、彼等は揃いも揃って不器用だったため、材料の買い出しくらいにしか役に立たなかった。
女の子の服はミツキが私服を用意することになったが、サンタクロースの衣装は一から作らなければならない。
ふたりは毎日放課後、家庭科室を借りて、ミシンを動かしつづけた。
授業中にも机の下に隠しながら、手縫いでサンタクロースの帽子を作ったりした。
帰宅したあとも、藤沢と電話で相談しあいながら作業をつづけた。
洋平が入部する前は、藤沢ひとりでこのような作業をこなしていたのだ。洋平は藤沢に尊敬の念を抱いた。
十二月にはいると、役者達は毎週日曜日に、幼稚園の講堂の舞台を使わせてもらって、そこで練習をするようになった。
洋平と藤沢は、舞台設備の確認をかねて、その様子を見物しに行った。
講堂では、役者達が休憩をとっていた。仲のいい者同士ばらばらになって、昼ごはんを食べている。
「わたしは音響設備をチェックしてくるけん、麻見君はこれで舞台の寸法計っといて」
藤沢は洋平に巻き尺をわたして、舞台裏のほうへ走っていった。
洋平は舞台の上にあがるとまわりを見まわした。役者の誰かに、巻き尺の端を持ってもらおうと思ったのだ。舞台といった大きなものの寸法は、ひとりでは計れない。そのとき後ろから声をかけられた。
「手伝おか?」
ふりむくと、ジャージ姿のミツキが立っていた。タオルを首にかけて、両手に水筒と台本を持っている。
「おう、頼むわ」
洋平は、照れをおさえながら、巻き尺の端をさしだした。
ふたりは協力して舞台の寸法を計った。この寸法は、背景の大道具を作るときの参考にするのだ。横幅の長さをノートに書き記しながら、洋平は聞いた。
「練習は進んでるん?」
「一応ね。わたし、台詞が多いけん、芝居の後半になると、喉が疲れてくるんよ」
「主役やけんな。しゃあないやろ」
「主役かあ」ため息をついた。「正直言って、まだ不安やわ。わたしなんかにできるんやろか?」
「大丈夫やって、仁さんが決めてくれたんやろ」
「せやけど」
うつむくミツキを見て、洋平は話を変えることにした。
「それより、いまはどのシーン練習してるん?」
「え、いま?いまはね、三田村先輩が演じる偽者の泥棒サンタの正体を暴くところ」
「ちょっと、演ってみてくれん?」
「ええよ」
そう言ってうなずくと、ミツキは台本と水筒を下に置いて、舞台の中心に立った。
「いくよ」
「おう」
ミツキは子供のような表情になり、舌足らずな声をはりあげた。
「あなたも偽者ね。だって、ふつうのサンタさんは、白い袋を持っているものよ。それなのに、あなたが背負っているものは何?泥棒さんがよく使うような風呂敷じゃない」
ひととおり演じてみせてから、ミツキは、どう?と聞いた。洋平がほめようとして口をひらいたとき、いらただしげな声が飛んできた。
「麻見君、舞台の寸法は計り終わったん?」
声のした方を向くと、舞台の下に立った藤沢が、こちらをにらんでいた。
「あ、すいません。まだです」
洋平はあわてて巻き尺をふたたびのばす。藤沢はミツキを見上げた。
「川本さん、麻見君の邪魔せんといてや」
いつもの藤沢らしくない棘のある口調に、ミツキは困惑の表情をうかべた。
「ごめんなさい」
「主役に選ばれたからって、あんまり調子に乗らんといて」
ミツキの息をのむ音が聞こえた。
空気が冷たくなった。
巻き尺をのばす手を止めて、洋平はふたりを見た。どちらも、眉間にしわをよせている。
「どういうことですか?」
かすれた声でミツキが聞いた。
藤沢は何も答えない。
「わたし、調子になんてのってません」
なぜか洋平をいちべつしてから、藤沢は口をひらいた。
「どうだか」目を細める。「仁さんに認められたと思って、いい気になってるんやないん?」
なんとなく、藤沢はどこか無理をしているような気がした。
「ちょっと、ふたりとも」
洋平はつぶやいて立ちあがった。顔を赤くしたミツキは、舞台から飛びおり、藤沢の前に立って、押し殺した声で聞いた。
「なんでそんなこと言うん?」
藤沢はまたもや無言を決めこんだ。ただならぬ気配を察して、他の部員達がこちらに注目した。
おれが止めなあかん。
そう思って洋平も床におりた。にらみあうふたりの目は、どんどん鋭くなっていった。
そのとき、
「やめ」
講堂をゆらすかのような恫喝がひびいた。その場にいた全員が同時にびくっと体をふるわせた。顔を向けなくても誰だかわかった。このような声量を持つ人間は、この部にはひとりしかいない。
「やめ」
恫喝の主、仁さんは、講堂の入口からこちらを見つめながら、今度は静かに言った。さっきまで外で食事をしていたのだろう、その手には弁当箱がにぎられていた。
仁さんの姿を見たとたんに、藤沢の表情がくずれた。
「ごめん」
ミツキにむかって低くつぶやいてから、藤沢は早足で講堂から出ていった。
十二月二十五日。クリスマスの昼。
本番の日がやってきた。
幼稚園の講堂の舞台裏で、部員達は待機していた。
衣装を着たミツキは、落ちつきなく歩きまわっていた。手に持った台本を何度も読みかえしては、目をつぶって台詞をつぶやいている。
現在、午後三時半。
本番まで、あと三十分だ。
いま舞台では、幼稚園の先生が手品を披露している最中である。洋平は、舞台袖から講堂内をそっとのぞいた。たくさんの園児達が、床にならんで座っている。ほとんどの子供が、先生の手品には目をくれずに、好き勝手に騒いでいた。舞台の上に立つ女の先生は、その様子を見て、さみしそうな表情をしている。
幼児を楽しませるのは難しい。
仁さんの言葉を思いだして、洋平は不安になってきた。
もし、芝居がはじまっても、園児達が騒ぐのをやめなかったら。
その光景を想像すると、背中にいやなものが走った。
まわりを見ると、他の部員達も不安そうな顔をしていた。平然としているのは、仁さんと三田村だけだ。仁さんは、壁際に座って静かに天井を見つめていた。三田村は、床に寝転がってだらしなく眠っている。ふたりともすでにサンタクロースの衣装を身につけていた。
外へ通じるドアから、藤沢が入ってきた。開かれたドアから、冷たい風が吹きこんでくる。
「みんな、緊張してるみたいやね。大丈夫よ。みんなの演技は完璧やけん。わたしが保証する」
部員達を見渡しながら、藤沢はやさしく笑った。しかし、ミツキのほうにだけは、顔を向けなかった。あの日以来、ミツキと藤沢の関係はどこかぎこちない。
「麻見君、そろそろ準備始めるで」
「あ、はい」
洋平は、他の部員達に手伝ってもらって、外に置いてあった大道具や小道具を運びこんだ。背景の壁の模型は、パーツごとにわけてから運びこんだ。藤沢は、BGMや効果音のテープを整理していた。
先生の手品が終わって、舞台の幕が降りた。幕越しに、まばらな拍手が聞こえてくる。先生は、疲れた面持ちで舞台裏を通りすぎ、部員達におじぎをしてから外に出ていった。
「行くで」
藤沢の掛け声と共に、部員達はいっせいに駆けだした。
本番までの十分の間に、舞台装置を完成させないといけない。洋平も、小道具の枕やぬいぐるみを持って走りまわった。舞台の床に絨毯を敷き、背景の壁の模型を組み立てる。そのまわりに家具を少し置いて、殺風景な舞台を、女の子の部屋に変えてゆく。
七分程でそれはできあがった。
自分が藤沢と作った大道具や小道具が、舞台の上でひとつの別世界をきちんと生みだせたことに、洋平はそっと感動した。
部員達が舞台裏にさがると、仁さんはゆっくりと立ちあがった。三田村もむっくりと起きあがる。ミツキが、深呼吸を一回して、よし、とつぶやいた。他の役者達も、それぞれのやり方で気合いをいれている。
「がんばりや」
洋平がささやくと、ミツキは親指を立ててみせた。
役者達は、舞台に出て、それぞれの配置についた。
「準備できた?」
司会進行の若い男の先生が、舞台裏にやってきて聞いた。藤沢は、舞台の様子を確認してからしっかりとうなずいてみせた。先生はうなずき返すと、すぐに舞台裏から出ていった。それから数秒後、その先生のマイクでしゃべる声が、幕の向こうから聞こえてきた。
「次は、近くの高校から来てくれた、お兄さんお姉さん達による、楽しいお芝居です。タイトルは、『十人のサンタクロース』」
BGMと共に、幕がゆっくりとあがっていった。
園児達はまだ好き勝手に騒ぎつづけていた。けたたましい声が、講堂内の空気をひっかきまわしている。よく見ると、走りまわっている園児が何人かいて、先生がそれを追いかけていた。
さっきよりも、状況がひどくなっている。
「あのガキ共」
洋平は低くうめいた。
これでは芝居なんてとてもできそうにない。
そのときだ。
「今日は楽しいクリスマス」
ミツキのよく通る声が、騒ぎ声の隙間をぬけるようにして講堂中にひびきわたった。
園児達は静まりかえり、目を丸くして舞台に注目した。走りまわっていた園児達も、思わず立ち止まってそれにならう。彼等の視線の先では、ミツキがひょうひょうとした様子で演技を始めていた。
そのあとは、もう大丈夫だった。
ミツキの演技にひきこまれた園児達は、だまって芝居を見るようになった。時折聞こえる笑い声から、園児達が芝居を楽しんでいることがわかった。
洋平は胸をなでおろした。
芝居は順調に進み、終わりが近付いてきた。
いま舞台の上では、サンタクロース役の部員が十人ならんでおり、ミツキが両手を腰にあてて、その前を往復している。確か、十人のサンタクロースの中から、誰が偽者かを暴きだすといったシーンだ。
洋平は舞台裏で、他の部員達と後片付けの段取りを話しあっていた。
すると、舞台袖の方から淵上が歩みよってきた。何か言いたそうな目をしながら、洋平の前に立ってだまりこむ。
洋平は、誰かに話しかけてもらわないとしゃべることができないという彼女の性癖を思い出して、口をひらいた。
「淵上先輩、どうかしたんですか?」
「川本さん、台詞忘れてる」
「え?」
洋平は舞台の方に顔を向けた。
ミツキはまだサンタクロース達の前を無言で往復していた。
さっきから芝居が展開していない。
目があうと、ミツキは一瞬泣きそうな顔になった。
サンタクロース役の部員達も、困った表情で互いに目配せしあっている。
このままでは、芝居がくずれてしまう。
「いま、どのシーンでしたっけ?」
洋平がたずねると、淵上が開いた台本をさしだした。それを受取り、開かれたページを素早く読むと、洋平はとっさにある方法を思いついた。しかしそれは、かなり運にまかせた、無茶な手段であった。
「いちかばちかやけど」
舞台裏に置いてあった、自分の荷物から、あるものを取り出して、舞台袖にあがった。
淵上は、洋平が持ってきたそれを見て、眉間にしわをよせた。
「巻き尺?」
「はい」
「そんなもの、どうするん?」
「ほんまにいちかばちかなんですけど」
洋平は小声でミツキを呼んだ。そしてこちらを向いたミツキにむかって、巻き尺で寸法を計るふりをしてみせた。
最初ミツキはいぶかしげな顔をしたが、すぐに光るような笑みをうかべて声をあげた。
「あなたも偽者ね。だって普通のサンタさんは白い袋を持っているものよ。それなのに、あなたが背負っているものは何?泥棒さんがよく使うような風呂敷じゃない」
台詞を思い出したのだ。
舞台袖に集まった部員達は全員胸をなでおろした。洋平もため息をついて、舞台裏にもどった。
そのあとは何の問題もなく芝居が進み、「十人のサンタクロース」は無事に終了した。
幕が降りてゆくと、はちきれんばかりの拍手がはじけた。
もっとやってや、という園児の声がかすかに聞こえたとき、洋平は、ひとを楽しませるって素晴らしいことやなあ、と素直に思った。
役者達が舞台裏にもどると、部員達は後片付けを始めた。
洋平が、男子部員といっしょに背景の壁の模型を解体していると、制服に着替えたミツキがそばにやってきた。
「さっきはありがとう。ほんまに助かったわ」
「おう、お疲れさん。どやった、初主演の感想は?」
「なんか、あっという間やったわ。本番前はめっちゃ怖かったけど、演りはじめたら急に気が軽くなって、それでするする演じてるうちに、すぐ終わっちゃったって感じ」
「なあ、麻見」同じく制服に着替えた三田村が、横から声をかけてきた。「川本が台詞を思い出せたとき、おまえ巻き尺をいじくっとったよな。あれは一体何やったんぞ?」
「ああ、あれはですね」
洋平は説明をした。
ミツキが台詞を忘れたシーンは、三田村が演じるサンタクロースのふりをした泥棒の正体を暴くシーンだった。
淵上がさしだした台本を読んでそれを知った洋平は、前に藤沢といっしょに舞台の寸法を計りに行った日に、ミツキが目の前でそのシーンを演じてみせてくれたことを思い出した。
そのとき、洋平は巻き尺を持っていた。
もしかしたら、巻き尺を見せたら、ミツキはそのときのことを思い出すかもしれない。そう考えた洋平は、ミツキにむかって、巻き尺で寸法を計るふりをしてみせた。あまり自信はなかったが、ミツキはなんとか台詞を思い出してくれた。
三田村は、感心したようにミツキを見た。
「そんなんでよう思い出せたの」
「あのときは、ちょっといやなことがあったけん、よく覚えとったんです」
ミツキの表情が少し暗くなった。
「三田村先輩、後片付けが終わったら、もう解散ですか?」
洋平はわざと話を変えた。
「いや、このあとは、お好み焼き屋で、クリスマスパーティーをかねた打ち上げをやることになっとる」
それを聞くと、ミツキの表情が一転して明るくなった。
「打ち上げ?やった」
幼稚園のお遊戯会は、夕方頃に終わった。
先生達にあいさつしてから幼稚園を出ると、部員達は打ち上げ及びクリスマスパーティーのために、商店街のお好み焼き屋へむかった。行列になって、薄暗い田んぼ道を進む。
「お好み焼きかあ」
洋平は歩きながらぼんやりとつぶやいた。
「麻見君、お好み焼きが嫌いなん?」
前を歩いていたミツキがふりむいて聞く。
「いや、そういうわけじゃないんやけど、クリスマスにお好み焼きを食べるってなんか変やな、と思って」
「ああ、それはね、仁さんのせい」
「仁さんのせい?」
「うん、仁さんはね、洋食全般が嫌いなんよ。それで、こういう打ち上げのときは、絶対に和食の店に連れていかれるんよ」
「そうなんや、でも、クリスマスにお好み焼き屋なんて開いとるんかな」
「予約してるって言うとったけん、大丈夫やろ」
そのとき、後ろから、低い声が聞こえてきた。
「ふたり共、楽しそうやね」
ミツキの顔がこわばった。
ふたりがふりむくと、すぐ後ろを藤沢が歩いていた。
藤沢はミツキをにらみつけて言葉をつづけた。
「川本さん。あなた、今日の芝居を台無しにしかけたくせに、ようそんなに楽しそうにしとれるわね」
むっとした洋平が何か言い返そうとすると、ミツキが手でそれを止めた。そして、神妙な顔になって藤沢に頭をさげた。
「すいませんでした」
「あなたが台詞を忘れたせいで、あのシーンだけぎこちない雰囲気になってしもうたんよ。そのへん、自覚してるの?」
「はい」
藤沢の説教は長くなりそうだった。ミツキはおとなしく聞いていた。まわりの部員達は不安そうにそれを見つめていた。
「もういいでしょう」
洋平が言葉をはさむと、ミツキが首を横にふった。
「麻見君、悪いのはわたしなんやけん」
「でも」
「わたし、いま叱られたいんよ。台詞を忘れた自分が許せんけん」
それを聞いて、洋平はしぶしぶだまりこんだ。
洋平に止められかけたことが気に触ったらしく、藤沢の説教は、いっそう厳しくなった。洋平は口出ししたことを後悔した。
「だいたい台詞を覚えるなんて、役者の初歩中の初歩やで。そんなんもろくにできんなんて、あんた演劇部やめたほうがいいんやない?」
「はい、そこまで」
先頭を歩いていた仁さんが、ふたりの間に割り込んできた。
「ちょっと、仁さん」
藤沢が唇をとがらせる。それを無視して、仁さんはミツキに聞いた。
「川本、もしおまえが台詞を思い出せんかったら、あのときどうなっとったと思う?」
「え?」
「想像して、言うてみ」
「あ、はい」少し考えてから、答える。「まず、芝居の展開が止まります」
「それで?」
「たぶん、誰かが小声で台詞を教えてくれただろうと思います。そして、一応芝居は続けられます」
「それで?」
「園児達は、さっきまで芝居にひきこまれていたのに、わたしの失敗のせいで、しらけてしまうでしょう」
「それで?」
「幼稚園の先生方も、うちの部への期待を裏切られて、いやな気分になるでしょう」
「それがわかってるんなら、ええわ」仁さんは藤沢を向いた。「説教はもう終わり。ええな?」
「でも」
「なあ、藤沢。部員を叱るんはええんやけどな、タイミングをわきまえてくれや。いまはみんなで打ち上げに行こうってときなんやで」
そこで藤沢は、部員達の不安気な視線に気付いたようだ。顔を赤くして、わかったとつぶやき、ミツキからはなれた。
仁さんはため息をついて列の先頭にもどった。その背中を見つめながら、洋平は、藤沢を止められなかった自分を恥じて歯をくいしばった。