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第3話「相談」


「洋平、お客さん」



夜の七時頃、自宅の部屋で雑誌を読んでいると、玄関のほうから母親の声が聞こえてきた。



「誰?」



と大声で聞くと、



「女のひと」



という返事がかえってきた。



洋平は首をかしげた。




夜中に家をたずねてくるような女性の知り合いなど、自分にはいないはずだ。



部屋を出て玄関へ行くと、見覚えのある無表情が目にはいってきた。



「淵上先輩」



「こんばんわ」



玄関に立つ淵上は、黒いセーターにスカートといった服装だった。



「話があるんやけど、あがってもいい?」



淵上は、ゆっくりと聞いた。洋平はぎこちなくうなずいた。



淵上を自分の部屋に案内した。母親が好奇心を目にうかべながら、さりげないふりをして側を横切った。淵上を部屋に入れると、急に尿意を感じた。



「すいません、ちょっとトイレに行ってきますんで、ここで待っててください」



そう言って洋平は便所へ向かった。

用を足している間、洋平は大きくため息をついた。淵上が目の前にいると、いつも体がこわばってしまう。



入部した日に出会って以来、洋平は淵上のことが苦手になっていた。



彼女は毎日放課後、誰よりも早く部室に来て、ソファに寝転がり、そのままじっと動かなくなる。その間、部室に誰がはいってきても、ほとんど反応しない。声をかければ返事はするが、彼女のほうから何かを話したりすることはまったくなかった。

そんな無愛想な態度のせいで、淵上は他の部員からもさけられていた。

彼女に平然と接することができるのは、仁さんと藤沢と三田村の三人だけだった。



そんな淵上が、わざわざ家にまで来て洋平に会いにくるとは。



「いったい何の用なんやろ?」



洗面所で手を洗いながら、洋平は不安げにつぶやいた。

部屋にもどると、淵上は畳の上に正座をして待っていた。洋平もつられて、その場に正座をした。



「えっと、話って何です?」



「三田村順次に惚れた。どうしよ?」



間を置かずに即答されたので、うっかり聞きのがしてしまった。






「すいません、もう一度言ってください」



「三田村順次に惚れた。どうしよ?」



頭の中で、その言葉をくりかえしてから、洋平はおどろきの声をあげた。



「まじですか?」



淵上は無言でうなずいた。



「はあ」洋平は頭をかいた。「そうなんですか」



「こういう場合、どうすればええんやろ?」



畳を見つめながら、淵上は無表情で聞いた。



「そりゃあ、やっぱり告白でしょうかね」



「できん」淵上は肩をふるわせた。「わたしにはできん」



「そんなん言われても」



「できん」



そこでふたりはだまりこんだ。



洋平はいったん話を変えることにした。



「なんでおれに話そうと思ったんですか?」



「君は三田村と親しいけん」



「はあ」



そこでまた会話が止まる。気まずい沈黙がおとずれる。やはりこのひとは苦手だと、あらためて思う。

居間のほうからテレビの音が聞こえてきた。両親が音楽番組を見ているのだろう。

淵上は、まっすぐにこちらを見つめていた。洋平とちがって、沈黙には慣れているようだ。



「えっと」洋平は何とか口をひらいた。「三田村先輩のどこに惚れたんですか?」



ぶしつけな質問だったかと、一瞬後悔したが、淵上は気にしない様子で答えた。



「三田村はね、わたしをたたいてくれたんよ」



「たたいてくれた?」



「うん、今年の三月にあった、卒業生送迎会でのことなんやけどね。わたしその会での、演劇部の舞台発表用の台本原稿をなくしてしまったことがあったんよ。急いでまた書き直したんやけど、本番には間に合わなくて、演劇部の発表は中止になってしもた。わたしは部員のみんなにあやまろうと思った」淵上は目をふせた。「でも、あやまれんかった」



「え?」洋平は眉をひそめた。「なんでですか?」



淵上はため息をついた。



「信じてくれへんかもしれんけど言うわ。わたしね、自分からひとに話かけることができん人間なんよ。相手から先に何か言ってくれんと、一言もしゃべれんのよ」



「そんなことって」



「あるんよ」指で畳目をなぞる。「いつから自分がそうなったんかはわからん。誰かに話かけようと思うと、急に怖くなるんよ。相手とうまく会話できる自信がなくなってしまうんよ」



おかげでこんなかわいくない女になってしもた。そう言いながら、淵上は自分の顔を指さした。そこには、あいかわらずの無表情がはりついていた。



「それじゃあ、あやまれんかったっていうのは」



「そう。この妙な性格のせいで、わたしはすまないと思っても、それを口に出すことができんかったんよ。誰かが叱りつけてくれたらあやまれたんやけど、その頃からわたし無愛想で、気軽に声をかけてくれる部員なんてほとんどおらんかったけん、誰も何も言ってくれんかった。仁さんや藤沢さんはやさしいけん怒らんかったけど、他の部員はずっとわたしをにらんどった。なんでこいつはごめんの一言もないんやって、全員が目で責めとったわ。それでも、わたしは、あやまれんかった」下を向く。「あのときは、ほんまに泣きそうやったわ」



ふと時計を見上げて、七時半か、とつぶやいてから、淵上はつづけた。



「そしたらね、急に三田村がわたしをたたいたんよ。小道具のスリッパで。そして、あほって言ってくれた。わたしはそこでやっと、ごめんなさいって、あやまることができた。三田村は、次にこんなことがあったら、おれの臭い上履きでどついたるけんな。臭いがつくのが嫌やったら、今度から気をつけるんやでって言いながら笑ってくれた。すると、空気がなごんで、部員達の顔からも怒りがなくなっていった」目付きがやさしくなった。「その瞬間、わたしはこのひと好きになったって思った」



そのあと、洋平と淵上は、会話を再開した。会話のリズムはあいかわらずぎこちなかったが、それでも、洋平の淵上に対する苦手意識はさっきよりも減っていた。

とりあえず、洋平がなるべく淵上と三田村が話す機会を作るように努力する、ということで話はまとまった。



「ごめん、こんな夜おそくに。とにかく誰かに相談したくてたまらんかったんよ」



「いいですよ。いつでも相談してください」



部屋を出ようとしたとき、淵上はふと本棚に目をやった。



「これは」



「え?」



彼女の視線をたどって本棚を見ると、そこには、「恋愛上手になる本」という題の文庫本があった。淵上は、興味深そうな顔で、それを取り出した。



洋平は首をひねった。こんな本を買った記憶がないのだ。



「この本、貸してくれへん?」背表紙を見ながら淵上が聞いた。「参考になるかもしれんけん」



「はあ、いいですけど」



「ありがと。読んだらすぐに返すけん」



洋平の両親にていねいなおじぎをしてから、淵上は家を出ていった。







深夜、布団にはいっていた洋平は、いきなり大声をあげて飛び起きた。そして両手で顔をおおいながら、



「しまった」



とつぶやいた。



あの「恋愛上手になる本」を、いつ、どのようにして手にいれたのかを、思いだしたのである。



「おれのばか」



洋平は、掛け布団をはげしくたたいた。



淵上に貸したあの文庫本は、「恋愛上手になる本」ではない。「恋愛上手になる本」のカバーをかぶせたエッチな小説なのである。題名は確か「いけない女学生」だった。



中学一年生の頃に、父親の本棚からこっそりぱくったものだ。本物のカバーには、とてもいやらしい挿絵がのせられていたので、カモフラージュのために、同じ父親の本棚にあった「恋愛上手になる本」と、カバーをこっそり取りかえてから自分の部屋の本棚にしまったのだ。



淵上は、もうあの本を読んでしまったのだろうか。



そう考えると、洋平の顔は赤くなり、それから青くなった。



明日、淵上に怒られるかもしれない。



淵上の無表情が、静かにせまってくる様子を想像し、洋平は、布団をかぶって小さく悲鳴をあげた。








翌日の朝、洋平のクラスに、怒りを顔に浮かべた三田村が駆けこんできた。



「麻見、こらぁ」



叫びながら洋平の胸ぐらを荒々しくつかみ、顔を近付けながら低い声で聞いた。



「おまえ、淵上に何やらそうとしたんぞ?」



「は?何のことですか?」



洋平はうわずった声で聞きかえした。



「とぼけんな」



どなりながら、三田村は洋平の体を壁に押しつけた。



「ちょっと待ってくださいよ」胸ぐらをつかむ手をはねのける。「何を言ってんのか、よくわかりません。ちゃんと説明してください」



「ほんまか?」三田村の表情が少しゆるんだ。「淵上はおまえの名前を口にしとったんぞ」

「え?」





三田村の話によると、こうだ。



昨晩の深夜一時頃、部屋の窓をたたく音がして、三田村はぼんやりと目をさました。ゆっくりと起き上がり、窓の方を見た。



誰かが窓の外にいた。人影が、屋根の上にしゃがみこんでこちらを見つめていた。暗闇のせいで顔つきはわからない。見覚えがあるような気がしたが、誰なのかは思いだせない。



人影は、窓の鍵をしきりに指さしていた。どうやら開けてほしいらしい。



そのとき三田村は寝惚けていた。ものすごく寝惚けていた。だから、はいはい、いらっしゃい、と訳のわからないことをつぶやきながら、窓の鍵をはずしてしまった。



即座に窓がひらかれ、人影はいきおいよく飛びこんできた。そしてそいつは畳に着地するなり、三田村を押したおした。



ちらかした漫画が背中でひしゃげる感触を感じて、三田村は完全に目をさました。

強盗か、と思って背筋が寒くなった。



人影は、三田村の上に乗っかったまま、動かずにふるえていた。

だんだんと目が慣れてきて、三田村は人影の顔が見えるようになった。



「淵上?」



人影が固くなった。



間違いない、淵上恭子だ。



「何やっとんで、おまえ?」



返答はない。



しばらくの間、互いにだまりこんだ。奇妙な沈黙が、ふたりの間を流れた。

三田村は、混乱する頭を落ち着かせて、なんとか口をひらいた。



「とりあえず、どけ」



淵上は、あわてて三田村からはなれた。部屋の電灯をつけると、ふたりは向かいあって座った。三田村は聞いた。



「何しに来たん?」



淵上は口をとざしたまま、うつむいていた。三田村と、目をあわそうとしない。



「何しに来たんで?」



いらついた口調でくりかえすと、淵上はぽつぽつとしゃべりはじめた。しかし声が小さくて、何と言っているのかがよくわからない。三田村は胸の中で舌打ちをもらした。しかし、もっと大きな声で話せなんて言うと、また口をとざしかねない様子なので、だまって耳をすますことにした。



「麻見君が」と「そのとおりにした」という言葉だけなんとか聞きとれたが、それ以外はまったく耳に届かなかった。



話終えると、淵上は、はっきりとした声で、



「ごめん」

と言って頭をさげた。



すまんけど、それくらいの声で、もう一度最初から話してくれ。



三田村が、できるだけやさしい声でそう言おうとしたとき、淵上は突然立ち上がった。そしてもう一度頭をさげてから、窓にむかって走りだした。



「おい、ちょっと待て」



あわてて呼び止めたが、淵上はそれを無視して窓から飛びおりた。



「ここ二階やぞ」



三田村が窓に駆けより、外に顔だけ出すと、塀を乗り越える淵上の姿が目にはいった。道路に着地すると、淵上はすごいいきおいで走り去っていった。三田村は、ぼうぜんとしながらそれを見送った。



「何だったんで、いったい?」



ベッドの上にもどると、三田村は腕を組んでうなった。



淵上は、さっき何を話していたのだろうか。



「麻見君が」と「そのとおりにした」。



聞こえたのは、このふたつだけだ。



三田村はこう考えた。



「麻見君が」何か指図をして、淵上は「そのとおりにした」のではないか。



あの淵上が麻見なんかの指図に従うとは思えないが、そのあたりは何か事情があるにちがいない。だとしたら、その指図とは、いったいどんなものだったのか。女性を窓から忍びこませるような指図だ。いずれにせよ、ろくなものではあるまい。憤った三田村は、明日麻見に直接問いただしてみることにした。





話を聞いても、洋平には何がなんだかさっぱりわからなかった。



「ほんまに何も知らんのやな?」



三田村が念を押す。



名前を言われただけで、普通そこまで早とちりするだろうか。

洋平はあきれながらうなずいた。



「ほうか。だったらなんで淵上はおまえのことを話とったんやろの」



「さあ」



洋平は昨晩の淵上との会話を回想した。三田村の部屋に窓から侵入してみろなんて言った覚えはまったくない。なぜ淵上はそんなことをしたのか。

三田村が首をかしげながらつぶやいた。



「しかし、淵上のやつ、おれを押したおして何するつもりやったんやろ?」



それを聞いて、洋平はまぬけな声をあげた。



思いだしたのだ。

そういえば、淵上に間違えて貸した、あのエッチな小説のあらすじは、確か主人公の部屋にヒロインが窓から侵入してきて、夜這いを仕掛ける、といった内容だった。



「まさかの」



頭に浮かんだ考えの、あまりのこっけいさに、洋平はひきつった笑みをもらした。





そして放課後、淵上本人からその考えが当たっていたことを聞いて、洋平は飛びあがるほどおどろいた。



なんと彼女はあの小説「いけない女学生」に影響を受けて、あんな行動をとったというのだ。



洋平と三田村は、人気のない階段の踊り場で、淵上が途切れ途切れに話すのを聞いた。



昨晩、洋平の家から帰宅した淵上は、すぐにあの本を読みはじめた。そしてすぐに内容が、「恋愛上手になる本」ではないことがわかって、赤面しながらページをとじた。しかし思春期特有の性への興味が働いて、またページをひらいてしまい、胸を高鳴らせながら読了してしまった。男のひとはこういうことをされるとよろこぶのか、と思って淵上は妙な気分になった。



そこでふと考えた。



三田村もこういうことをされるとよろこぶのだろうかと。



そのとき、淵上は異様に興奮していた。生まれて始めてえっちな本を読んだからだ。いままで潔癖だったぶん、その衝撃は大きかったようだ。



「それで、つい、あんなことしちゃったんよ」耳まで赤くしながら淵上はうつむいた。「三田村、ごめん」



昨晩彼女は、「麻見君が」貸してくれた本を読んで、「そのとおりにした」と言っていたわけだ。



告白はできないのに、夜這いは実行できるというその神経が、洋平には理解できなかった。



三田村は、眉をひそめて、ふむ、とうなった。



「要するに、淵上に間違えてそういう本を渡した麻見が一番悪いってことやな」



「え、そんな」



洋平が反論しようとすると、三田村は淵上に聞こえないよう、素早くささやいた。



「そういうことにしとけ。これ以上、淵上を責めたらかわいそうやろ」



洋平は、しぶしぶ反論をひっこめた。








この奇妙な出来事がきっかけとなって、その後、三田村と淵上はつきあうようになった。部員達は、この対称的なふたりがくっついたことにおどろいていた。淵上は、相変わらず無表情だったが、その目の色は、前よりも少し明るくなっていた。






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