プロローグ「文化祭」
校門のほうから、王様が走ってきた。
見間違いではない。立派な冠をかぶり、見事なひげを生やし、豪華な服を着た王様が、背にまとうマントをはためかせながら、こちらへ向かってくるのだ。
麻見洋平は、口にふくんでいたコーヒーを思わずふきだしそうになった。
ここは西洋のお城ではない。
日本の田舎の高校である。
そんなところに、なぜ王様なんてものがあらわれるのか?
洋平は混乱した。
その日は、秋の文化祭の当日だった。
校舎全体がにぎやかに飾りつけられ、壁という壁に、クラスの出店や部活動の出し物のポスターが貼られている。
洋平のクラスである一年二組では、お化け屋敷をひらいていた。
午前中、洋平は客を驚かす役をやっていた。
顔をケチャップで血まみれにし、ビリビリに破いた古着を身につけ、壁にはりついたゾンビを演じた。
うめき声をあげ、体を震わせながら客を驚かそうとしたが、どの客も怖がらずに、バカにした目をしながら洋平の前を通り過ぎていった。
中には、蹴りをいれてくる不良や、股間にパンチしてくる小学生といったひどい客もいたので、交代の時間になる頃には、ひどく疲れていた。
屋台の焼きそばで昼食をとったあと、人気の少ない校舎の玄関前へ向かった。
そこに設置されている自動販売機で缶コーヒーを買い、それをゆっくりと飲んでいると・・・
前述の王様があらわれたというわけだ。
王様は、洋平の前まで来ると、その場にぺたんと座りこんだ。かなり長時間、走り続けていたらしく、呼吸が荒い。
ぼうぜんとする洋平を見上げて、王様は言った。
「ちょうだい」
女性の声だった。
「え?」
「そのコーヒー、ちょっとだけちょうだいや」
「あ、はい」
洋平は素直に缶コーヒーをさしだした。
それを受け取ると、王様は乱暴な手つきでひげをはぎとった。どうやら、付けひげだったようだ。
下から、十六歳くらいの少女の顔がのぞいた。顔中が汗で濡れている。
この王様は、本物ではなく、少女の変装だったわけだ。しかしなぜ、そんな格好をしているのか?
少女は缶コーヒーを素早く一口飲むと、ありがと、とつぶやいて洋平に返した。
「もっと飲んでもええよ」
洋平が言うと、少女は首を横にふった。
「やめとくわ。あんまり飲むと、本番中におなか壊すかもしれんけん」
「本番中?」
「そう、本番中・・・・・・」
急に少女は黙りこんだ。
そして突然大声をあげるて立ち上がり、洋平に飛びつくと、あわてた口調で聞いた。
「いま何時!?いま何時いま何時いま何時いま何時いま何時っ!?」
「な、何ぞ、いきなり?」
「ええから教えてや!いま何時っ!?」
洋平は腕時計を見た。
「十二時半」
少女は再びぺたんと座りこんだ。そして、ゆっくとため息をつく。
「間に合ったあ・・・・・・」
「間に合ったって何が?」
「いやね、わたし、演劇部の部員なんやけどね、今日の舞台発表で、王様の役で出演するんよ」
だからそんな格好をしていたのか。
洋平は納得した。
「女子が王様をやるんか」
「男子部員が少ししかおらんけん、足りない男役が女子部員にまわってくるんよ」
「へえ」
「わたしね、今回が初めての舞台出演やったけん、昨日緊張してて、なかなか眠れんかったんよ」
「もしかして、寝坊したん?」
「うん」少女はうつむいた。「朝起きて、時計見た瞬間、心臓が止まったわ。それであわてて衣装に着替えて、学校まで全力で走ってきたんよ」
「・・・・・・こっちについてから着替えればええのに」
「・・・・・・混乱しとったんよ」
「それじゃあ、家から学校まで、ずっと王様の格好で走ってきたんか」
「うん、必死だったから、あんまり恥ずかしくなかった」
洋平は、田んぼ道を全力疾走する王様の姿を想像してみた。
シュールやな、と思った。
「衣装が重くて走りにくかったけど、まあ、なんとか間に合ったけんよかったわ。それにしても熱いなあ」
そう言って、少女は冠と白髪頭のカツラをとった。活発そうな黒髪のショートカットが、下からあらわれる。
ああ涼しい、とつぶやいて、少女は目をつぶった。風がふき、前髪が少しゆれる。
こうして見ると、結構かわいかった。
洋平の胸が、とくんと鳴った。
「じゃあ、そろそろ行くわ。コーヒー、ありがとね。あ、それともしよかったら、舞台発表ぜひ見に来てな」
それじゃ、と言って、少女は体育館の方へむかって元気よく走り去っていった。
洋平は、缶コーヒーを大事そうに持ち直しながらそれを見送った。
午後一時になり、洋平は演劇部の舞台発表を見に行った。
舞台発表は、体育館で行われていた。
劇の内容は、ファンタジー風のコメディで、結構おもしろかった。
王様役の少女の出番は少ししかなかったが、声をはって、一生懸命に演じる姿には好感がもてた。
劇が終わると、降ろされた幕の前に出演した部員が並び、部長がひとりずつ配役紹介をしていった。
部員達は紹介されるたびに、それぞれおどけたポーズをとったり、恥ずかしそうにはにかんだりと、様々なリアクションを見せた。
そして、あの少女が紹介された。
「王様役をやったんは、今年の新入部員、一年四組、川本ミツキです」
その少女、ミツキは、観客にむかって大きく手をふった。
洋平は、彼女の名前とクラスを、頭の中にしっかりと刻みこんだ。