乙女チック・ルネッサンス
乙女→かわいい女の子
チック→コスメティックの略
ルネッサンス→再生とか復興とか
なんとなく
『可愛い女子になるため、要努力!』
みたいなニュアンスです。
秋ももう終わりに近い、十一月の放課後のグラウンド。
今日の練習メニューをこなした陸上部の生徒たちは、冷たい風に身体を震わせながら、顧問の長い挨拶が終わるのを待っていた。
「じゃあ今日は解散、再来週の駅伝は全員補助員があるから忘れないように」
「「「ありがとうございました、失礼します!!」」」
十一月から短距離とフィールド競技はシーズンオフ。来年の春に向けての調整に入っていた。
走高跳を専門にしている私にとっては、筋トレとダイエットに励まなければならないつらい季節である。
「……寒くなってきたね、。明日からウィンドブレーカー着てやろうよ」
女子部長の井村仁美が私にそう言うと、周囲の皆が同意した。
「え、明日から皆着るの?まだ、早くない?……あれ目立つから嫌だなぁ」
うちの部のジャージは黒に赤ラインだが、ウインドブレーカーは赤に黒ラインの上下だった。しかも昨年から放映中の特撮の服に非常に似ている。
「大丈夫、梨子は誰より似合うから!」
「そうそう!格好いいから」
「むしろ商品のイメージモデルだから!」
「……あの、そうじゃなくてさ」
私が言いたいのは、似合う似合わないの問題ではない。いや、妙にしっくりくるのが問題だ。去年、初めて着た時は、「ぷっ、レッド(笑)」と自分でも妙な笑いが出たほどだ。
父親そっくりの男顔に、女子にしては少し高めの身長。競技の邪魔になるからと短く切った髪。……うん、まあ可愛い系じゃないのはわかるが、さすがに思春期真っ盛り高二女子としては「特撮系男子」っぽくなるのはちょっと困る。
理由は……、ありきたりだが「恋をしている」から。
私は、ようやく来たシーズンオフを使って女子力を上げ、ずっと好きだった先輩へバレンタインに告白をするのだ。
「あれ着ると、女子力が下がる……」
私がそう呟くと、後輩女子は言った。
「先輩の女子力って、下がるほどありましたっけ?戦闘力なら五万くらいありそうですけど」
沙菜ちゃん……可愛いのに、相変わらずひどい毒舌少女だよ。
「……ふっふっふ、私を本気で怒らせたね。おちびちゃん」
私が捕まえようとすると、彼女はひらりとそれをかわした。その上、
「きゃー、襲われるぅ」
などと人聞きの悪いことを言って逃げだした。くっ、短距離は普通なのに……でも沙菜ちゃんは長距離だから追い付ける!
「つーかまえた……逃がさないよ」
グラウンドに隣接されている部室の前でようやく捕まえた。
逃げられないように壁に押しつけて、退路を塞ぐ。
「お、リコが『壁ドン』してる(笑)」
「遊んでないで早く帰れよ、山崎ー」
男子、うるさい。
「……先輩、こんなことをやっちゃうからダメなんですよ?」
腕の中の沙菜ちゃんが、にやにやしながら言うので、オデコを指でぐりぐりしてやった。
「痛い、ひどい、暴力反対!」
「コレは暴力ではない、躾ですー」
「じゃあこれもセクハラにはなりませんね」
「!?」
沙菜ちゃんは、がしっと私の脇腹を掴みくすぐり始める。
「ぎぃゃあぁっ!ボディへの攻撃は卑怯だろう!」
「おでこもボディです!くらえっ!」
沙菜ちゃんの攻撃に私は負けてしまった。ちびっこ恐るべし。
「……お前ら、なにやってんだ?」
脇腹攻撃の悶絶に耐え、沙菜ちゃんと押し相撲に発展しそうになっていた時、背後から聞き覚えのある声が降ってきた。
「え、カケル先輩!?どうしたんですか?」
私は背後をあわてて振り向く。その隙に沙菜ちゃんが逃げたが、そんな些細なことはどうでもよかった。
そこにいたのは、三年生の藤井翔先輩。
私の、片思いの相手だった。
何で先輩がグラウンドにいるんだろう。
ほとんどの三年生はすでに夏で引退して、まだ残っているのは駅伝に出る予定の長距離の人たちだけだ。先輩は……誰かを待っているのだろうか?
鞄を持っているけれど、ジャージは入ってなさそうだし、いつも通り眼鏡だし。……部活をしに来たわけではなさそうだ。
「先輩、どうしたんですか?今日はもう部活終わっちゃいましたよ?」
平常心平常心。
どきどきと高鳴る胸の鼓動が、無駄に緊張をよんでしまう。ああ、頑張れ私!いつも通りに話さないと先輩に不審に思われてしまう。
「ああ、合格報告を顧問にしにきた。ついでにアホな後輩を見に来た」
「え、大学受かったんですか!おめでとうございます!!でも早いですね」
私がそう言うと、先輩はちょっと目を細めて笑った。
かっこいいなあ。私がもしも犬だったら、しっぽがちぎれちゃうほど振ってしまっているだろう。
……人間でよかった。犬のように好意が丸見えだったら、恥ずかしくて死んでしまう。
ああ、早く先輩の隣にいてもおかしくない可愛らしさを手に入れなくては!
先輩と一緒に遊びに行ったり、図書館で勉強したり、一緒に帰ったりしたい!
……そのために必要なものは『女子力』ですよ。神様、クリスマスにはまだ早いけれど『女子力』をください!!
そんな私の切実な願いが私の脳内で叫ばれていることは、超能力者ではない先輩にはわからない。したがって、先輩は普通に会話を続けてくれる。……眼鏡と学ランって最高だと思う。
「私立の推薦だからな。まあ、陸上ができるならどこでもよかったし」
そんなふうに先輩は笑うが、体育学科のあるその大学に進むために、特待生になるためにずっと努力していたことを私たち陸上部員は皆、知っている。
「これからも先輩が跳ぶところが見られるんですね?」
翔先輩は高跳びとハードルの選手で、私もよく一緒に練習していた。
しなやかな肢体がバーをクリアする瞬間や、ハードルを越えていく力強さ。翔先輩の跳んでいる姿は、普段の五割り増しで格好良いい。
「そのうち、また練習に参加するよ」
「絶対ですよ?約束ですからね」
そんなことを部室棟の横で話していると、帰り支度をした部員が何人かやってきた。 皆は先輩の姿に気がつくと、手を振ったり抱きついたり叫んだりして、騒ぎ始める。
「先輩!久し振り!」
「かっけちゃーん!駅伝一緒に出よーよ」
「スパイクチョーダイ」
「明日の練習はウェイトだよ!」
……などなど、あっという間に先輩の周りは賑やかになってしまう。
私もまだ話し足りないのだが、さすがにあの男子の群れには入っていけない。
一人ずつなら、別に変な気負いもなく話ができる。だが、男子の群れは……苦手だ。
私は、諦めて部室に着替えにいく。もう少し話がしたかったが仕方がない。むしろ今日会えたことをラッキーと思おう。
私が着替えて部室の外に出ると、周囲にはほとんど人がいなくなっていた。
どうやら先輩は、すでにさっきの男子たちと帰ってしまったようだ。
「あーあ……、残念」
しかも部室から出たのが最後だから、体育教官室に鍵を返しに行かなければならない。
普段は一年生に戸締まり消灯と鍵の返却を任せているのだが、私が先輩と話している間に皆はとっとと帰ってしまっていた。
「……帰ろ」
十一月になると、五時過ぎにはもう薄暗くなってしまう。部活が終わって帰宅する頃には、すでに真っ暗。
部室の電気を消して女子部室の鍵を閉めると、部室棟は真っ暗になってしまう……はずだった。
「あれ、器具庫の電気消し忘れた?」
真っ暗になるはずの部室棟の、端にある器具庫付近がぼんやりと明るい。
近付いてみると、野球部の器具庫ではなく陸上部の器具庫の電気が付いているのがわかった。
「おっかしいなあ、今日は跳躍組も短距離メニューだったのに……」
器具庫の扉は金属製で古くて重い。
女子の細腕で開けるのは結構大変だ。……こういうとき、可愛い女の子なら『誰か開けてー』とか言うんだろうな……いや、まて、女子力のある可愛い女の子はまず陸上部には入らない。がっつりスポーツをして筋肉を付けたりしないよ!せいぜいマネージャーだよ!で、練習にでかいシュシュとかリボンバレッタとか付けてきて可愛い私を演出しつつ、キャッキャッウフフと応援して、部員の誰かを彼氏にするんだよ……今思い出しても腹が立つわ!他県のマネの分際で私の翔先輩に声を掛けていた女マネ達め
「ッ陸上舐めんな!!」
バーンッ!!!
「うわっ!脅かすなよ山崎!」
「え!?わ、え?か、翔先輩っ?」
思い出し怒りで思いっきり開けてしまった器具庫の中には、帰ってしまったとばかり思っていた翔先輩がいた。
高跳びのマットに座り、なにやらスマホを操作している。
「……こんなとこで、何してるんですか……?」
「ん、調べものだよ……疑問に思ったらすぐに調べたくなるだろ」
「え、勉強熱心ですね!すごい」
「いや、くだらないよ」
そう言って翔先輩はスマホを見せてくれた。素敵な笑顔が付いてきた。
画面に映し出される、内容は私の想像と結構違っていた。
「……『壁ドン』?」
「うん、俺が受験生してる間に世の中で流行りだしたらしいから、気になって。さっき山崎もしてただろ?」
……わお、今その話題ッスか。出来れば忘れて欲しかった……。
ここはなんとかして誤魔化さねばなるまい。
「してましたけど、うちのクラスの女子の中で『壁ドン』ごっこ流行ってるから、別に好きでやってるわけじゃ」
ごにょごにょと言葉を濁し、翔先輩を見る。先輩はスマホに視線を戻し、どこかのサイトを閲覧していた。
「まあ、そうだろうな。好きな男性にされたい憧れのシチュエーションらしいし」
「その通りです、決してしたいわけではありません」
私がジェスチャー等で必死に否定をしているのに、先輩はスマホを操作していて見てくれない。……悲しいよ先輩、こっち見て。とか思っていたら、顔を上げた先輩と視線が交わる。
「……でもさ、これって簡単に逃げられるよね」
「え?」
「ちょっと俺を『壁ドン』してみてよ」
……待って先輩、何を言っているのかな。全然わからないんですが?
「早く」
「は、い」
ドキドキしながら壁に背を向ける先輩の前に立つ。息が掛かるくらいの至近距離で先輩の顔を見上げてしまい、とても恥ずかしくなる。
あ、見上げちゃ駄目だわ。
「……先輩、ちょっと中腰になってください。身長合わせるんで……ああ、空気イスしててください」
「……お前な」
「で、しましたけど?」
壁に手をつき、壁と自分の体で逃げ道を塞ぐ基本の『壁ドン』体勢は実践した。
先輩に密着できてとても役得なのだが、大変恥ずかしい。眼鏡が私の呼吸でくもってしまいそうで、更に恥ずかしい。出来れば逆がよかった。
「……ああっ、この、体勢なら……男の股を、くぐれば、脱出っできると、思ってっ!」
あ、先輩空気イス辛そう。受験で身体なまってたのかな。私の好きな腹筋は大丈夫かしら。
私は苦しむ先輩の耳元に唇を近付ける。ふっ、と息を吹き掛けたら怒られるかな?
「ああ、それはですね。こうするんですよー」
ガッと右足を、空気イスで震える先輩の足の間に入れた。
「『股ドン』とかテレビでは言ってましたけど、こうして相手が逃げないようにするみたいです」
「……なるほ、ど、な」
先輩から離れて一息吐く。
ふう、役得役得。途中で悪戯したくなったけど我慢できた!偉い、私。
「つまり、こういうことか?」
「は?」
気が付けば、私は先輩に両手首を掴まれて壁に押しつけられていた。
先輩の足はしっかりと私の両足の間に入っている。
「……合ってる?」
ふっと耳に息を吹き掛けられた。鳥肌が立って、背筋がぞくぞくする。
なにこれなにこれどういうこと。心臓が壊れちゃいそうなくらい、鼓動が速くなっているのを感じた。
「あってます、あってますから!もう離れてください」
翔先輩に、壁ドンされているなんて、信じられない……。どうしよう、格好良すぎて直視できない。 あ、先輩眼鏡外してる。そのうち、口から心臓飛び出しちゃうんじゃないかな、私。
「……せっかくだから、合格祝いを貰おうかと思って」
「へ?」
「……俺、欲しいものは予約して、早く確実に手に入れたい派なんだよね」
ふいに目の前が暗くなって、先輩の顔が私の顔のすぐ近くまで寄って。
「好きだよ」
「!」
……何が起こったのか。天変地異か?なんで、どうしてどうなっちゃってるの!?
耳元に伝わる吐息が熱くて、息が苦しくなって、ドキドキがとまらなくて……泣きたくなった。
「……好きだよ、リコ」
私は、自分の身に起こったことが信じられないでいた。
翔先輩に、好きだと言われた。 ――夢かな。夢なら覚めないで欲しいな。
先輩の髪が、私の顔にかかる。至近距離で見つめられて、私はまた顔を逸らしてしまった。
恥ずかしくて、びっくりして、嬉しくて。きっと私の顔は真っ赤になっているだろう。気を抜くと涙が出てしまいそうだ。
でも、震える声で私は先輩に問う。
「……欲しいもの、なんですか?私は」
「そうだよ」
うなじに何か温かいものが触れて、どきりとした。
「リコが欲しい」
先輩が話すたび、首筋に息が掛かってぞくぞくする。
「……私、でいいんですか?わ、私、可愛くないし身長高いし男顔だし……先輩につりあわない……」
自分で言っていて、情けなくて涙が出そうだった。
先輩が私を好きだなんて、信じられない――。
「つりあうとかつりあわないとか、何をもってそう言ってるんだ?俺自身が、お前がいいと言っているんだから、いいんだよ。……リコは俺と付き合うのが嫌なのか?」
先輩の言葉に、私は顔を上げる。
「違います!わ、私も先輩が好きです!!……でもっ、私……先輩の彼女になる自信がないんです」
「試合では『優勝して当然』って自信満々なのに、お前は変なところで臆病なんだな」
「な、私そんなこと……思ってますけど、……それは私の練習の成果とか努力の結果であって……『私はこの高さを跳べて当たり前』って思っていないと、それ以上高く跳べないから」
私がそう言うと、先輩が私の頭に軽く手を置いた。
「だったら、俺とのこともそう思っていればいいだろう。これから、お前がそれだけ努力していけばいい」
そうして、先輩は私から身体を離す。
緊張がゆるみ、ほっとする気持ちと、先輩の熱が離れていくことへの名残惜しさとがごちゃまぜになって……なんだか悲しくなってしまう。
私は勇気を振り絞って、先輩の袖をきゅっと引っ張った。
「……翔先輩、練習につきあってくれますか?」
そう言って先輩を見上げると、先輩は私の手をとり、自分の手の中にきゅっと握り込んでくれる。
「……俺が、これからリコを可愛くして行けばいいだろう?何のために受験頑張ったと思ってるんだ」
先輩が私の前髪をそっとよける。
「部活のシーズンオフを狙って、少しでも長くリコと一緒にいたいんだ。冬休みやクリスマス……俺の卒業まで、いや……その後も、できるだけ一緒に過ごしたい。――リコは?」
見上げる視線の先には、ずっと憧れていた先輩の顔がある。
「私、も――」
勇気を出して答えた私の返事は、先輩の耳に届く前に
――先輩自身に奪われてしまった。
「……ん、確かに『合格祝い』いただきました」
唇が離れたあと、あまりの衝撃的な出来事にしゃがみこんでしまった私を見て、先輩は言ったのだった。
「さあ、腹を括ってもらうよ、リコ。これからたくさん俺と『練習』しような」
先輩の提示する練習メニューは、私の想像していた練習メニューよりも、随分とスパルタだった。