023-2
「んじゃチーフ、ちょっと出かけてくるけ、あとよろしく」
四つ隔てた部屋で仕事をしているチーフに一言告げる。チーフは相変わらずノートパソコンに向かって作業をしていた。
「はい、気をつけて。なにかあったらメールしてください」モニターから顔を上げて一言そういう。
街中を着ぐるみを着て散策するのに抵抗があったのは最初の五分くらいだけで、りおなは市場や商店を賑やかすのを大いに楽しんだ。
――バスの中でチーフから説明があった通りじゃな。
洞窟とか探索しとるんじゃろな、ごつい武器の店とか雑貨屋さん。
……これは、子供のころ社会科のマンガ本で見たわ。鎌とか鍬に……これは鍬? 農具とか工具のお店もある。
――おおっ、こっちは市場街じゃな。
果物とか麦みたいな穀物とかが、袋詰めじゃなくてバラで売ってる。
そんでサラダ油?、塩に砂糖、卵に……ガラス瓶に入った何か動物のミルクと……肉や魚はないか。ちょっと残念じゃな。
んでもさすがは異世界、市場も活気があるっちゃ。
そんでも、りおなが目当てにしてるのんがないのう。すぐ食べられる食べ物屋の屋台が見つからん。
りおなは自分の勘と嗅覚を頼りに市場を捜し歩いた。
そしてようやく目当ての屋台にりおなはたどり着いた。
看板こそないが甘い香りが辺りに漂う。屋台の中をのぞき込むと粉物とも何ともつかない丸いものがいくつもあった。
――おおーー、あった。これじゃこれ。トランペット欲しがる少年の気持ちがよーくわかるわ。
店番をしている恰幅のいいクマのぬいぐるみに尋ねると『はんじゅくカスタード』という答えが返ってきた。
見た目と匂いにつられて一皿頼み中銀貨一枚、500円相当を支払うと、木の皿に乗った食べ物が渡される。
直径4cm程のまんまるいカステラにプリン生地を浸して冷やし固めたような食べ物だ。
うん、日本にありそうでなさそうな食べ物、さすがは異世界。
んーー、おいしい。不思議な食感じゃーー。
……あーーいけん。もう一皿食べてもうた。
もう一皿食べたいけど、チーフに小言言われるさけなあ、がまんしよ。
木の皿とフォークを店主のクマに返し、りおなは屋台を後にした。
今いる街『ノービスタウン』を散策したりおなは様々なことが分かった。
――街のヒトの9割くらいは『スタフ族』……ぬいぐるみで、体の大きさは大きく分けて3種類くらいか。
身長170cm位のサイズが全体の三割くらい、150cmサイズが5割で残りは100cmサイズ。んでちっちゃいのんは子供みたいじゃな。
ぬいぐるみ以外のヒトら、ブリキ製のティング族、木製のウディ族は数はそんな多くないけど建物を建てたり、補修しとるのう、出稼ぎじゃろか。
んで開いてるお店もあるけど、空き家なんか住人がいる気配がしない建物もちらほらある。過疎ってるんか?
何の気なしに生きたおもちゃたちが建物を補修しているのをながめていた。
すると、細い丸太と麻縄で工事の足場を組んでいたぬいぐるみの中にりおなは見慣れた姿を見つけた。
「ながクマ?」
紺色の背が高くて細長いぬいぐるみが丸太を立て、器用に麻紐で丸太同士を組んでいる。
「あんた、ここでなにやっとうと?」りおなはながクマに近づき見上げながら彼に尋ねる。
フゥム、建物を改修工事するのを手伝っている。タダでいいと言ったんだがハチミツが入ったつぼをもらった。ハチミツは大好物だ。
――絵本の中のながクマは身体は薄くて細長いけんど、人望はめちゃくちゃ」分厚いっていうんは解ってたけど、まさか異世界に来てすぐ現地になじむとは、創ったりおなも想像できんかったわ。
りおなはしばらく彼らの作業を眺めていた。
「ながクマ、んじゃがんばって」
フゥム、ありがとう。夕食までには戻るよ。
ながクマは積んだ煉瓦に小手を使って漆喰を塗り、さらに煉瓦を積み足す。
働くのが楽しくて仕方がないらしい。りおなの方を向きもせず、挨拶だけして作業に没頭している。
街の中央広場に出ると中央に時計台があった。りおなは時計の文字盤を下から見上げる。
二本の針は四時半を示していた。日は傾きかけてはいるが暗くなるほどではない。
不意にフードのネコ耳が大きく揺れた。りおなはとっさに時計台を背にして身構える。
今のネコ耳の動きは風になびいた時の動きとは明らかに違う。
本物のネコが異物を避けるように拒絶するような動き、『悪意』を忌避する本能に近い反応だ。
りおなは顔を動かさず視線だけ左右に向け警戒する。怪しい動きをする者はいない。
上の方か? とりおなが見上げると薄曇りの空が広がっているだけだ。
視線を元に戻すと視界の右端に違和感を覚えた。
街のぬいぐるみたちに警戒されないように気をつけ、足音を殺して違和感を覚えたほうに進む。
程なくりおなは薄いピンク色で筋骨隆々の背中を捉える。
――ヴァイスフィギュアか? でもこんな平和な街中にいきなり出るもんか?
りおなは少し迷ったが、相手の背後から前面に回り込む。
――チーフからは目立つ行動は避けろとか言われてたけど状況次第じゃ。ソーイングレイピアは最後の手段じゃが、警戒しとくに越したことないし。
顔を隠せるネコ耳フードをかぶったまま相手を見上げると、りおなが見つけたのはヴァイスフィギュアとは似ても似つかない存在だった。
――ああーー、りおな一回だけテレビで見たことあるわ。
40歳代の冴えない男が何百体と集めて、ガラスの棚にディスプレイしていた、プロレスを題材にした少年漫画の主人公や敵キャラのゴム製人形、それが今『生きて』この世界にいる。
チーフからの説明がなかったので分からなかったが、りおながヴァイスフィギュアと勘違いしたのはRudibliumで『ラーバ族』と呼ばれる存在だった。
勘違いと分かった途端、りおなは急に緊張から解放される。
――ああーー攻撃せんでよかった。にしても紛らわしいのう。
心の中でつぶやき胸をなでおろす。
――ソーイングレイピアでなくても、後ろからネコキック食らわした日には、街のぬいぐるみ全員からつるし上げ喰らって襟首掴まれて放り出されるところやった。
そうなると、異世界ライフ初日で野原でテント生活じゃな。りおな、まだ異世界の宿屋泊まっとらんのに。
安堵するりおなに、巨漢のラーバ族は大きな手をりおなの頭に乗せ、ぽんぽんと軽くなぜる。『気にするな』という意味合いらしい。彼は用事があるのだろう、そのまま立ち去った。
りおなは先走ってしまったのをごまかすように辺りを見回す。
ぬいぐるみ、スタフ族の、こどものように小さなネズミのふたりぐみが不思議そうにりおなを見ている。
――勘違いなんかしとらんもんねーーーー。
りおなは何事もなかったように口笛を吹きながらその場を後にした。
しかし、りおなの勘とネコ耳フードは確実にりおなに向けられていた『悪意』に反応していた。
この街の住人は全く気づいていなかったが、この街の中には胸の内に『悪意』を秘め、りおなの死角から彼女を凝視する存在が確かにいたのである。




