021-1 購 入 buying
「りおなさんはどうしました」
「食べ終わってリビングで寝てるわ」
課長が視線で示した先には、カーペットの上で毛布をかけて眠っているりおなの姿があった。
いつの間にかエムクマとはりこグマも一緒になって毛布をかぶりすうすうと寝息を立てている。
「りおなさんには少々無理をさせすぎました」
「大丈夫よ、芯は強い子だから食べて少し休めばすぐに回復するわ」
「だといいのですが。話は変わりますが部長は?」
「『種』の誘導装置と混乱させるジャミング装置、両方とも完成したそうよ。
それにマイクロバスもメンテナンス終わったみたい、さっきメールで連絡あったわ。
……どうしたの? 富樫君、大分考え込んでるみたいだけど」
細いあごに手を添えて考え込んでいるチーフに課長は心配そうに尋ねる。
「りおなさんは我々の頼みを聞いてくれるでしょうか。
こちら、人間界にいる限りはヴァイスフィギュアを倒していくだけで、それほどの脅威や不確定要素はありません。
『種』の対策も現時点では万全と言い切れませんが、それなりに整いました。ですが……」
「悩んでても仕方ないわよ、正直に状況を説明してそのうえで頼めば私たちの力になってくれると思うわ。
昨日捨てられてたぬいぐるみをきれいに治してたんでしょ、そうそう出来る事じゃないわ」
「ええ」
「もっとも引き受けたあと照れ隠しで『何かおごって』とか言うでしょうけど、それが私たちに対してのあの子の気遣いだと思うわ。
もし言いにくいのなら、私からりおなちゃんに言おうか?」
「いえ、やはりりおなさんには私から話します」
「そう、じゃあお願いするわ」
こうして二人の業務用ぬいぐるみはまた自分たちの職務に戻った。
「あれ、チーフは?」
小一時間ほど昼寝をしていたりおなが起きだしてきた。
課長に一言断ってからキッチンの冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターのペットボトルを取り出し一口飲む。
「富樫君なら外に出かけたわ。あ、そうだりおなちゃん、午前中やってたゲーム機あるかしら、ほかのゲームもダウンロードしとくわ」
ダイニングテーブルでノートパソコンに向かっていた課長がりおな提案する。
「あー、うん頼むわ」
ひと眠りしてワッフル工房の事はすっかり忘れていた。ゲーム機を課長に渡すと課長はキーボードを覆うような大きな手で素早くタイピングしていく。
「なー課長、聞きたいことあるんじゃけど」
「いいわよ、何でも聞いて」
「ソーイングフェンサーの装備の服じゃけど、デザインってあれ課長がしようと?」
「ええそうよ、趣味で洋服のデザインをしてみたり、実際によく作ってたからそれが役に立ったわ。
でもソーイングレイピアで作らないと普通の服と同じになっちゃうから、面倒でもりおなちゃんが創らないとだめよ」
「いや、そーでなくて、なんで全部の装備の頭がネコ耳になっとうと?」
りおなの初期装備、『ファーストイシュー』の頭に付いたネコ耳バレッタはヴァイスフィギュアの放つ悪意や距離、攻撃の際のモーションに反応する実利的なものだが、ヒーラーや、お菓子職人ことコンフェクショナーにも当たり前のようにネコ耳がもれなくついてくる。
――最初はネタかギャグかと思うとったがそうじゃないみたいじゃし。
「ネコ耳は大事な要素よ、というよりもほかの何を差し置いてもネコ耳だけはつけておかなくっちゃ」
「そうなん?」
課長は妙なところを力説してくる。おかげでりおなは肝心な部分、なぜ必要かまでは聞き出せずに引き下がらずを得なかった。
「あと、課長と部長は何でこっちの世界に来たと? なんかチーフに聞いたら、窓際部署にいて飛ばされてこっちに来たとか言いよったけんど」
「富樫君が? まあ彼ならそう言うでしょうね」
「え? 違うと?」
「まあ、言葉どおりの意味じゃないけどね。りおなちゃんも見て分かる通り、彼は仕事が出来なくて窓際に来たわけじゃないからね」
「まあ、そうじゃろうけど。んじゃあ、課長と部長は? 前からその部署におったと?」
「順番としては富樫君、私、最後に部長ね。
役職はお互いに呼び合っているだけだから実質立場上は一緒なんだけど、富樫君はほら、真面目だから線引きはきっちりしましょうですって。
今の部署に入った理由は三人ともさまざまね。訳あって今ここにいるけど全然後悔してないわ。
それどころか毎日楽しいし今の仕事が天職だって言えるわ。
あと何か聞きたいことある?」
「んー、もうは無いと思う」
「そう、また何かあったら何でも聞いてね」
言いながら課長はまたパソコンに向かう。
りおなは小さくあくびをしながらゲーム機を手に取る。
コンテンツの項目を見ると種類がやたらと増えていたが、迷わず『エムクマとはりこグマのワッフル工房』を選択する。
チーフに教わった通りはりこグマの動きを予測しつつ、ワッフル生地が焼きあがる時間を調整できるよう誘導する。
生地の種類が増えてもあわてず金型の位置を交換し、自分が焼き上がりを把握できるように金型の並びを変更していく。
30分ほどのプレイののち、りおなは自己ベストを着実に更新し、最終的にハイスコア17800点を叩きだした。
りおなは小さくガッツポーズをして課長に会心の笑みを見せると課長はタイピングの手を休めずりおなに顔だけ向け「おめでとう」とりおなを祝福した。
ハイスコアを出した余韻をかみしめつつ、ぬいぐるみ達の住処になっている子供部屋に行くと、中の様子は託児所のように雑然としていた。
部屋のあちこちに出来立ての木製家具や遊具が置いてあり、ぬいぐるみ達が思い思いに遊んだりくつろいだりしている。
今の今まで携帯ゲームで遊んでいたりおなは現実感が全くない室内を見て少し足を止めていたが、眉をしかめて一言漏らす。
「シンナーくさ」
ドアを開けつつ換気のため室内に入り、アルミサッシを少しだけ開けて換気する。
溶剤の揮発臭が苦手なりおなは顔の近くを手であおいだ。
部屋の隅を見ると、ネコの老婆のぬいぐるみメイプルグランマが木の揺り椅子に腰かけて本を読んでいた。
その様子を少し眺めていたら、りおなに気付いたエムクマとはりこグマがロフトから取り付けられた木製の支柱にしがみついて降りてきた。
これも縦に細長いながクマのお手製なのだろうが、創ったりおな自身も舌を巻くほどの腕前だった。
ふたりのクマはりおなの手を引く。
りおな えほんよんで。
りおな おはなしきかせて。
クマたちはりおなを木箱を組み合わせて作った本棚の前に連れていき、大量に置かれた絵本の中から一冊を取り出す。
りおなはカーペットの上に腰かけ、はりこグマを膝に乗せてクマたちに絵本を読みだす。
読み進めるうちにりおな自身も小さい頃母親に読み聞かせてもらっていたのと同じ絵本というのに気付く。
――まさかぬいぐるみに読み聞かせするとは思わんかった。
一冊読み終えたあと、ロフトから何かをはさみで切る音が聞こえてきた。気になったりおなが梯子を登り上の様子を見て、りおなは少し驚いた。
今さっき創ったばかりの犬型のぬいぐるみ、とこやのトリマーが、同じく創ったばかりのリバーシープの羊毛を刈っている。
正確にはリバーシープの着ている薄手のフェルトの着ぐるみ、その表面から、もこもこの羊毛が生えてきていた。
それをはさみで刈りそろえていたのだ。
絵本の登場人物が人間と同じようにそれぞれの考えで行動している―――りおなは少しくらくらしてきた。
不意に後ろからノックの音が聞こえてきた。梯子の上からりおなが振り向くと、チーフが換気のために開けていたドアに手を添えていた。
りおなは梯子を下り自分より20cm以上背の高い業務用ぬいぐるみに向き直る。
「どうしたと? チーフ」
チーフは少し逡巡した様子を見せたが意を決したように話し出す。
「今日は折り入ってりおなさんにお話があります」
それを聞いたりおなは後頭部を手でかき、チーフの話を先回りする。
「あー、そろそろいってくる頃じゃと思っとったわ。
あれじゃろ、あんた方の国、ルディブリウムじゃったっけ? そこへ来てくれってことじゃろ」




