008-1 猛 獣 predator
すぐにりおなは違和感の正体に気付いた。
公園の木立の上、地面から5m位のところに、何か見た事も無い奇妙な物体が浮かんでいる。
最初は緑色のコウモリのようだと最初は思ったが、目を凝らしてみるとコウモリの羽のように見えたものは植物の葉のようだった。
その葉の付け根には種子のような塊があり、塊の先にはペン先のような針が付いている。
翼のような葉のある物体は、遠目で見て横幅が15cm位の大きさだろうか。
羽ばたくわけでもなく、風に乗ってひらひらと舞っている。
そのうちにりおなが違和感を覚えた謎の物体は意思を持ったように空中を滑るように飛ぶ。
向かった先は―――
公園で遊んでいる女の子、慧ちゃんが持っている小さなウサギのぬいぐるみだった。
音もなくふわりと舞い降り、ぬいぐるみの首元に塊の先の針を突き刺す。
次の瞬間、劇的な変化が起きた。
ぬいぐるみの身体が、内側からみるみるうちに膨れ上がった。
頭身が低く丸みを帯びた体形の足が伸び、丸太のように太くなる。
今まで遊んでいた空想の縁の小さな友達が、あり得ない姿に変貌を遂げていく。
それを目の当たりにして、慧ちゃんはしりもちをついた。
驚愕で歯の根が合わない。
「りおなさん」チーフが麻袋の口を開けりおなに声をかける。
「ああ、わかっちょる」りおなはチーフを手で制する。しおりとルミを巻き込むわけにはいかない。
「何、あれ!?」
「やだ、怖い!」
しおりとルミは口々に悲鳴を上げる。もはやゲームどころではない。
「二人とも先逃げちょって、あとからすぐ追いつくけ」りおなは二人に逃げるように促す。
「りおなはどうするの?」怯えたようにルミは尋ねる。
「りおなは慧ちゃんと一緒に逃げるけ、心配せんて」
「わかった。気を付けてね!」しおりとルミは脱兎のごとく駆け出す。
そんなやり取りの中でも、謎の物体に刺されたぬいぐるみは張り裂けんばかりの筋肉が隆起しだした。
愛らしく垂れ下がった耳は、鍛え上げられた剣のように後頭部から張り出した。
鼻筋は太く伸び、真っ赤な瞳の中には縦に細い瞳孔が敵意に満ちた視線を辺りに投げつける。
鼻筋に皺を寄せて低い唸り声をあげた。
めくれあがった口の端には、とがった牙が並んでいる。
子供の手のひらに収まるほどのぬいぐるみは、体長2mを超す狂暴な獣に姿を変えた。
りおなは右手にトランスフォン、左手にチーフを持ち動けないでいる小さな子供に向かって走り出した。
慧ちゃんの後ろから腕を回し抱き上げる。
次の瞬間、獣の腕が一閃しりおな達めがけて振り下ろした。
ナイフのように鋭い爪が、りおなの腕を掠める。
「きゃっ!」
左肘を浅く傷つけられたが、腕の中の子供は無傷だ。
りおなは目前の獣に注意を向けつつ、慧ちゃんに声をかける。
「りおながぬいぐるみと話しつけるけん、慧ちゃんはこっから離れて」
「ツトム君、おこっちゃったの?」
「さあ、それは解らん。早く行って」悠長に話をしてる時間が惜しい。
りおなは慧ちゃんが公園から離れるのを確認し、トランスフォンを耳に当て叫ぶ。
「ファーストイシューイクイップ・ドレスアップ!」
瞬時に身体が光に包まれた。
中学校の制服から、身体能力を極限以上に跳ね上げる装束へ着衣が変わった。右手には稀代の突剣、ソーイングレイピアが現れる。
間髪を入れず巨大な獣はりおなに跳びかかった。
剛腕を横なぎに振るうが、りおなは先を見越し後ろへ跳んでかわす。
チーフをいつもの指定席、ネコ耳フードの中に入れ戦術指南を請う。
「新手が来よったけど、あれはどういうタイプ? 弱点は?」
「あのモデルは兎型肉食獣、プレデターラビットです。ですが……」
普段は流暢に説明するチーフが、今はなぜか言いよどむ。
「プレデターって? あの透明になるやつ?」
りおなはわざと混ぜっ返すように聞いて、話の続きを促す。
「いえ、プレデターは本来、肉食動物という意味で、透明になって人間を襲うというのは映画で定着したイメージです。
ぬいぐるみがヴァイスフィギュアに変身するとは珍しい、というよりあり得ません。
あのプレデターラビットは、今現在私が知っているのとは違うアプローチで変身させられたのでしょう」
チーフの話を聞いている間、件のフィギュアも話が終わるまで待ってくれるわけもない。
りおなはヴァイスを警戒しつつ、作戦会議に参加するのを余儀なくされる。
――普通に考えたら、さっき宙に浮いてた緑色の気持ち悪いやつが直接原因じゃろ。
例の物体は獣の首の付け根に、へばりつくように融合していた。
広げても15cm程だった緑色の羽は、ぬいぐるみが膨れ上がったのと同様に50cm位に大きくなっていた。
不気味な翼が小さく羽ばたくと、ネコ耳バレッタがチリチリと不快な振動をりおなに伝える。
――どう考えても、あれが『悪意』を注入しているやつじゃろ。
「あの緑色の物体を除去すれば、フィギュア化を解除し元のぬいぐるみに戻せると思います」
チーフが今わかる範囲での解決策を述べる。
――そこはりおなも同意見じゃ。問題はどうやってやるか、なんじゃが。
「スロウショットやディレイショットなどでの足止めは、あの強靭な四肢には効果が薄いようです」
――チーフの言うとおりやけん、困ってるんじゃが。
今までのヴァイスと元々の地力が違うのか、りおなが何回も足を地面に縫い付けようとしても、途中で意にも介さず糸の戒めから逃れる。
おかげで何度も反撃を食らいかけた。
目前の相手、プレデターラビットも決め手を欠いて攻めあぐねているのか先程までとは違い警戒しだした。
りおなに対して一定の距離を保ちだす。その様子を見てチーフがりおなに提案する。
「元のぬいぐるみの事を思うと気が引けますが、魔法で直接ダメージを与えるのが有効です」
「魔法……」
――確か、トランスフォンのチュートリアルにもそんなんあったにゃあ。
「魔法って手から火の玉とか出るの? ツトム君焦げたりせんじゃろか」
――慧ちゃんのこと考えると、ぬいぐるみは無傷で渡さにゃいけんし。
チーフは、ネコ耳フードの中からりおなに耳打ちする。
「―――と唱えると、剣針に魔法の力が宿ります」
――そんな呪文、口に出して唱えにゃいけんのか。
りおなは内心思ったが、背に腹は代えられない。
ソーイングレイピアの柄を両手で握り、意を決して叫ぶ。
「トリッキー・トリート!」
りおなが剣を構えて唱えた瞬間、レイピアの剣針が明るい紫色に輝きだした。
パリパリと帯電したように剣針が稲妻をまとう。
レイピアのただならぬ気配を感じたのか、プレデターラビットの唸り声に怯えの色が混じる。
構える姿勢が攻撃に移るものから防御、あるいは回避に転じる。
りおなは相手に一撃を与えるべくプレデターラビットめがけて駆け出した。
――レイピアから出る魔法が、どんなんか解らんけど。
チーフが言ってることがほんとなら、あのデカいウサギも足止めできるはずじゃ。
「反動が大きいですから、撃ち出すときにはレイピアを両手で構えて両腕を伸ばして下さい」
――反動? 雷か何かじゃないんけ?
疑問が脳裏をよぎるが尋ねている間は無い。
「唱える呪文は―――です」
首元にいる参謀から指示が入る。
――追いかけっこをしてても埒が明かんわ。
試し打ちの意味も込めて、相手の眉間に狙いを定め両足を肩幅に開いて踏ん張り呪文を唱える。
「グミ・ショット!!!」
次の瞬間、レイピア自体が激しく振動した。
大砲のような轟音と共に、直径25cm程のハート形をした紫色で半透明の物体、グミが撃ち出された。
りおなの周囲に、ブドウのような甘い香りが漂う。
ソーイングレイピアの剣針の先から射出された高速のグミは、目標のプレデターラビットの眉間を完全に捉えていた。
だが相手は瞬時に上体を横に逸らし、グミ弾をかわす。
りおなの顔ほどもある巨大なグミは、ウサギの大きな耳をかするだけに終わった。
一方の魔法の弾丸を撃ち出した当のりおなは、両腕の痺れもさることながら、目をいっぱいに見開く。
表情が驚愕のまま凍りついた。
耳元でチーフが我が事を誇るように説明を始める。
「これがお菓子魔法こと、トリッキー・トリートです。
今撃ち出したのは威力が一番低いグミショット・グレープですが、相手を一時的に足止めする分には十分な威力を発揮します」
「なん……で、魔法って言ってグミが出て……来んの?」りおなは声を絞り出してチーフに尋ねる。
「何故ってトリッキー・トリート、お菓子魔法ですから、この場合はグミが出ます」
さも当然のようにチーフが返す。
――ついおとついに『ミシンを剣にした物ですね』とか説明された剣から今度は攻撃力のあるグミが出てきおった。
14年生きてきてこんなのに出くわしたのはただの一回もないわ。
「グミが出るなら出るって……」りおなの感情が爆発する。
「先に言えーーーー!!!」耳元にいるチーフを怒鳴りつけた。
りおなの一喝で我に返ったわけでは無いだろうが、眼前の相手プレデターラビットが再び攻撃姿勢に転じた。
おそらく今の魔法を見て距離を保つのが自分に不利だと察したのか、威嚇の咆哮を上げ、りおなに襲いかかる。
だが、りおなはネコ耳バレッタの振動で攻撃のタイミングを把握していた。
絶妙の間合いで前足の振り下ろしをかわし、チーフに指示を仰ぐ。
「目の前から撃ったら避けられるけ、何か作戦、無かと?」
「はい、相手の虚を衝いて確実に当てるためには―――」
「解った」りおなは意を決し、再びレイピアの柄を握りなおし、一言唱える。
「トリッキー・トリート!」剣針が今度は淡いピンク色に輝く。
異形の猛獣は、りおなの魔法の弾丸をかわせるだけの距離を置きだす。
その機を逃さず、りおなは自分から相手に一気に距離を詰め相手の腕の届く少し手前、右肩の斜め前で止まりバレーボールのレシーブを受けるような体勢を取り、右腕に狙いを定め呪文を唱える。
「グミ・ショット!」
ピンク色をしたハート形の魔法弾が相手を捉えた。かに見えたが猛獣は左に跳んでかわす。
それを確認したりおなは、ステップで三歩ほど後ろへさがる。
相手の手の内をすべて読み切ったかのように、余裕を見せるプレデターラビット。
それに対してりおなは、緊張した面持ちで目の前の相手ではなくその奥を見遣る。
次の瞬間、プレデターラビットはりおなに跳びかかった。
唐突に、先程りおなが打ったピンクの魔法弾が、プレデターラビットの斜め後方から右わき腹に命中した。
辺りに桃のようないい香りが漂うが、不意打ちに猛獣の表情が凍りついた。
放心したかのように身体が傾きだす。
その瞬間りおなは相手の右肩を踏み台にして、そのまま跳躍する。
首筋にへばりついた緑色の物体めがけて、全体重を乗せレイピアを突き刺した。
オレンジ色の光が、レイピアを突き刺した部分から舞い上がる。
その最中、りおなはこちらを見上げる獣の瞳が一瞬だけ安堵の色を浮かべたように見えた。
戦いを終えた後には、ウサギのぬいぐるみが一つと、レイピアにで穴を開けられて茶色く干からびた大きめの種子のような物体が残った。
緊張から解放され、りおなは天を仰いで大きく息をついた。
戦いはひとまず終わったが、いくつか疑問が残る。
「グミって反射できんの?」思いつくままチーフに尋ねる。