055-3
パソコンの画面の中で芹沢は淡々と告げる。
「この動画をまだRudibliumにいる前提で話をする。もし人間世界に帰っていた場合はお手数だがこちらへ来てくれ。
悪いニュースだ、こちらを先に言った方がお互いの精神衛生上ためになるからな。
………ぬいぐるみをヴァイスフィギュアに変貌させるテクノロジーを持っている人間、そいつの下に天野がついた。やつはRudiblium本社を辞めるらし――――」
りおなはそこで動画を一時停止した。様々な感情がこみ上げてくる。急に立ち上がって酒場の中を動物園の熊のようにぐるぐると歩き出す。
そして意を決したように席に戻り、トランスフォンを操作し耳に当てた。コール音が数回鳴る。
【はい、芹沢です。ああ、よかった。そろそろかかってくると思ってました。地球に帰ってたらお互い二度手間ですからね】
【あいさつはいいけん、なんで んなことになっとんの? 部下の不始末は上司の責任じゃろ】
【いや、耳が痛い、と言いたいところだがこちらとしても今朝解ったことなんでね、対処に困ってるところだ。
わかっているのは、あいつの性格からしておとなしく『種』の持ち主に従うわけがない。おそらく面従腹背だろうな】
【なんじゃって?】
【いや、なんでもない。それと、だ。試作品の『チェインジ・リング』を持って行った】
【……何かわかるように説明して】
【伊澤が生前俺たちに研究開発を任せていたものだ。
機能は二種類の生命体の精神や魂を、身体と切り離し入れ替える。
例えば、だが、我々グランスタフと人間の受精卵の魂、精神を入れ替える、なんてこともできる。理論上はな。
試作品だが、野生の生き物、そう魚と鳥の精神を入れ替える実験を伊澤は行っていた】
【それがもし悪用されたら……】
【まあ善行には使われないだろうな。
そこで電話で申し訳ないが、正式に依頼したい。手遅れになる前に『チェインジリング』を奪還、もしくは破壊してほしい。
本来与えられた生を全うしないで、来世に下駄を預ける。なんていうのはあらゆる生命に対する侮辱と冒瀆だ。
生きたくても生きられない、不遇な扱いを受けている生命は大勢いる。
それを差し置いて浮かれるなんてのは、選民思考どころじゃない、思い上がりも甚だしい。
話が逸れたな。電話でする依頼、用件は以上だ、健闘を祈る】
【あーー、ちょい待ち、トランスフォンの機能拡張ってどんなんがあんの?】
【ソーイングフェンサーに変身した時、認識阻害が発生するが、その強化版というより発想や機構自体を変えたものだ。
ヴァイスフィギュアと戦う際、一般人に悟られず倒すことができる】
【日本でも戦わす前提かい】
【他はDVDを見てもらえばわかる。まだ途中だろう?
ああ、それとだ、富樫や寺田課長に頼まれたものをすでに渡してある。
他には何か聞きたいことはあるか?】
【んや、今んとこない。聞きたいことあったら夜中電話するわ】
するとりおなの返事を待たずに芹沢は通話を切った。
「ふーー、キュクロプスと戦った後じゃからか忘れとったわー。あんにゃろめ、やっぱし顔面ネコキック食らわすべきじゃったわ。
まあいいや、チーフDVDの続き再生して、新機能見ておきたいけ」
「はい、わかりました」
チーフはDVDを再生した。説明の動画が流れる。
りおなはカウンターにほおづえをつきながら見ていたが、やがてあごをカウンターに乗せて頭を左右に揺らしだした。
「そういや芹沢になんか頼んだってゆってたけど、何頼んだん?」
「イシューイクイップのアレンジバージョンですね。まずはこちらのディスクをインストールしてからにします。
りおなさんも一緒に見ますか?」
「んー、できたら教えて。りおなやっぱし散歩してくるけん」
りおなはトランスフォンを操作しだす。
イシューイクイップではない、ただのキジトラ猫の着ぐるみ寝間着に服を着替えると、トランスフォンをチーフに手渡した。
冒険者ギルドを出ると、街は夕餉の匂いがあたりに漂い、街全体が活気に満ちていた。
「せっかくじゃから、なんかお菓子でも買おうかのう」
りおなはしばらく歩いてから、自分が無一文なのに気づく。
「あ、財布忘れた。どーしよーー」
りおなは比較的閑静な場所に建っている、チョコレート屋の前で立ち止まる。
出窓の向こうのディスプレイの棚には、女子が愛してやまない一口サイズのチョコレートがたくさん整列していた。
「人間、お金がないと色々欲しくなるもんじゃのう。異世界じゃからこそか、おしゃれでおいしそうじゃし」
りおながトランペットを欲しがる少年よろしく、窓に張りついていると後ろから声がした。
「あれ? りおなさんどうしたの?」
「あ、あんたは……ロップ?」
声をかけてきたのは、耳が肩までたれさがったウサギの女の子ロップだった。
『エムクマとはりこグマ』の登場人物のひとりで、家庭的振る舞いが印象的だ。
ここノービスタウンに腰を落ち着けるらしい。手には籐のかごを提げている。
「うん、テオブロマのお菓子買いに来たの。ここのお菓子すごくおいしいのよ」
店内に入ると、きれいに鬣を梳かして白い帽子とエプロンを着けたバーバリアンライオンのぬいぐるみがいた。
絵本の話と同じように、この街でチョコレートを主体にしたお菓子屋を開いたらしい。
店内で鼻から息を吸うとカカオの香りが鼻腔をくすぐる。
店内の棚にはおもちゃの国らしく、車や飛行機、あるいは動物の形をしたチョコが並んでいた。
カウンターには大きなライオンがいてぎこちない笑顔をりおなに向けてくる。
「ああ、、りおなさん。よかったら食べますか?」
「あーーテオブロマ、食べたいけどさー、いま手持ちがないけん……」
「お金? 別にいいですよ。好きなだけ持っていって下さい」
そういうとテオブロマは紙の箱を組み立て、手際よくチョコレートを詰めていく。
「気持ちは嬉しいんじゃけど、りおな今日家に帰るけ」
「そうですか、だったらなおさらだ。おみやげにもっとどうぞ」
結局りおなは、チョコレートを十箱テオブロマに押しつけられるように渡された。
両手に紙袋を提げロップと街を歩く。
「りおなさん、エムクマとはりこグマは元気ですか?」
「うん、今夜うちに帰るんじゃけど一緒につれてく。ロップはこの街に住むと?」
「はい、リバーシープとトリマーと一緒の家に住んでます。
トリマーは、リバーシープとか家畜の毛を刈って、私とリバーシープが糸を紡いで布にしています。
この今着てるボレロも自分で作ったんですよ」
「作ったって、手縫い? 針は?」
「ローグ商店のラーウスさんに鑑定してもらったら、Lv3になってるって教えてもらって。すごいうれしくてドキドキしました。
縫い針はすごく貴重なものらしくて、『白銀の縫い針』っていう名前ですって」
りおなは記憶の糸をたどる。
――確かこの街にきてすぐチーフが話ししとったな。
「ひょっとしてロップって今『裁縫士』? その針どこで手に入れたと?」
「そうなんですよ、冒険者ギルドでアーテルさんに観てもらったら、『裁縫士』になってるって言われました。
で、縫い針は、はりこグマが持ってた針を譲ってもらいました。私の他にもなんにんか持ってますよ」
りおなは言葉を失う。
――さすがにそれはわからんかった。はりこグマは自分で縫い針錬成できるんか?
「これから、おじいちゃんクマの肩を縫いに行くんですよ。
何日か前から肩がほつれて痛むからって。これもギルドの紹介のお仕事なんですよ」
「なるほどのう」
「そうだ、さっきお客さんからこれもらったんだ、りおなさんに半分あげますね」
「いいけど、なんじゃこれ?」
「メイプルグランマが作ったかえでスコーンとシロップです。私はまたもらえるますから」
「…………ありがとう(棒読み)。」
と、りおなは包みを渡され、両手に荷物を持ったまま雑踏を歩いた。
「あありおなさん、探していました。なんでも今夜Rudibliumから発たれるとか」
街の中央の時計塔の前に来ると、スタフ族に呼び止められた。
遠目に見ても分かる、大きな角を持ったウシ、ノービスタウンの町長、ムフロンだ。
「あ、町長さん。うん準備整い次第帰る。んでもまたすぐ戻って来るけ」
「そうですか、先だってはお世話になりました。
そうだ、この間時計塔の鐘を鳴らした時に、こんなものを見つけました。
これはあなたの役に立つものでしょう」
「ん、ありがとう。受け取っとくわ」
りおなは、ムフロンから手渡された物をしげしげと見る。
――やれやれ、また荷物増えた。
「りおなさん、トランスフォンのインストール終わりました。
……が、また買い食いですか?」
「そう見えるんけ? うちに帰るっていっただけでみんなが色々よこしただけじゃ。
宿屋とかにあいさつ言ったら、みんな寄ってたかって色々渡すんじゃもん。こんなんじゃったらわざわざ言うんじゃなかった。
あーー、重たい」
りおなはギルドのカウンターに戦利品をどさりと置く。
内訳はミーアキャット一家のパン屋で作られたバゲットにバターロール、菓子パンに調理パン。
それに「餞別代わりに」とノービスタウンの住人がくれたバームクーヘンの両端の切り落とし、はんじゅくカスタード、フライドペンネ、謎材料のフライドチキン(?)。
冒険者御用達の髪留め、銀細工の腕輪、ネイティブアメリカンの作るような民芸品やフォーチュンホイールと多種多彩だ。
りおなの様子を見かねたカンガルーのスタフ族が、荷物持ちを買って出てくれた。
りおなが礼を言うと、妙にリアリティがあるカンガルーのぬいぐるみは、ボディビルダーがよくする、サイドチェストやモストマスキュラーのポーズをとった。
『どういたしまして』という意味合いらしい。
「何のために散歩に出たか全然わからん、嬉しいけど。
これだとメーカー日本のじゃないから、パパママにあげたりだとか近所にも配れんし」
「りおなさんが好きなのを選んでください。余ったら我々で食べます。それでトランスフォンの新機能ですが……」
「んや、いい、疲れた。日本帰ってからゆっくり聞く。
それより帰りのバスってまだ来んの?」
「部長が最終メンテナンスをしていますからその連絡待ちですね。りおなさん、忘れ物はないですか?」
「たぶんない、っちゅうかまた戻ってくるけん、あっても心配いらん。
まったく、行って戻ってだとどっちが実家かわからんにゃーー」
と、チーフの携帯電話が鳴った。
「はい。ええ、わかりました。ではそちらに向かいます」
「部長からけ?」
「はい、街の外で待ってるそうです」
りおなたちはノービスタウンのはずれに来た。メンバーは課長にながクマだけだ。
地平線に異世界の太陽がゆっくりと飲み込まれていく。
りおなは思わず夕陽に対して合掌した。
「戻るのはそんないないのう。そういや、クマたちおらんけど」
「陽子さんに連絡しました。もう10分ほどでノービスタウンに着くようです」
「まだあちこち飛び回ってんのか、はしゃぎ過ぎじゃろ」
りおながキャリートランクに腰かけて、プリッツェルをかじりながらつぶやく。そうこうしていると遠くからクラクションが聞こえてきた。
薄闇が漂う街道にヘッドライトの光が近づいてくる。モスグリーンのボンネットバスだ。
「よう、待たせたな。メンテナンスはばっちりだぞ」
部長は、サイドウインドウ越しに白い歯を出してにかっと笑う。なにやら思惑がありそうでりおなは薄気味悪かった。
「ふう、ようやく帰れると思うとなんか感慨深いのう。
ん……? あんたがたも日本行くんけ?」
「はい、ついていきます」
「りおなさん、よろしくお願いします」
バスの奥には部長の孫の双子、このはともみじがちょこんと座っていた。
「んや、りおなは別に構わんけど、にんげん住んでる所ってあんまし空気きれいじゃないよ。
それにあんたがた日本じゃ目立つけ、外に出るときどうすると?」
双子は顔を見合わせると嬉しそうに笑った。そして二人同時にスマートフォンを取り出す。
二人同時に画面をタップすると双子の顔が瞬時に変わった。
ヨークシャーテリアの子犬の顔から、可愛らしい人間の女の子の顔になる。
――おお、顔は鏡で映したようにそっくりじゃが、このはちゃんは肩までのショートボブの金髪、もみじちゃんは金髪は同じじゃけど、くるくるの巻き毛になっちょる。
そのくりくりとした目や、うぶげの生えた柔らかい頬はどこからどうみても4~5歳の幼児そのままだ。
りおなは思わず双子の髪をなぜると、ふたりからは笑顔がこぼれた。
「おじいちゃんから、日本にいるときはこのすがたでいるよう言われました」
「これって偽装機能っていうんですよね。これさえあれば日本でもおそとにでられます」
「うん、それなら大丈夫じゃわ」
――その顔ときれいな髪じゃとかえって目立つかもしれんのう。ほんと、おじいちゃんと似とらんわ。
りおなは、双子と部長を交互に見比べて出かかった言葉を飲み込む。
「そうだ、りおなさんにおねがいがあります」
「わたしたちの――――」
りおなは双子の申し出を引き受ける。
「うん、わかった。ただバスの中だとせまいけ、日本についてからでいい?」
それを聞いた双子は、お互いにハイタッチして喜んだ。
りおな、このはちゃん、もみじちゃん、きたよ。
みんなでぬいはま市にもどろう。
「りおなさん、お預かりのクマさんたちを届けに来ました」
陽子とエムクマとはりこグマがバスに乗り込む。
「確かに受け取りました。あれ? 一緒に乗って帰ると?」
「うん、それも考えたんだけどね、もうちょっとこの世界のこと調べてみようかなって。
最初にお世話になった、村のヒトたちにもあいさつしたいしさ。縫浜市にはまた行くから。
あ、そういやお互い電話番号もアドレスも知らないんじゃん。向こう着いたら連絡するから教えてくれる?」
二人は携帯電話を取り出し赤外線送信する。
「うん無事届いた。じゃあね、また今度。チーフさんたちも元気でね」
「陽子ちゃん、気をつけてね」
「陽子さん、今回はお世話になりました。またお会いしましょう」
陽子は手をひらひらと振るとバスから降りた。タイヨウフェネックのソルも別れを惜しむようにキイキイと鳴く。
そのまま空飛ぶイルカヒルンドに乗り込み、その姿はすぐに見えなくなった。
【みんな揃ったな。じゃあ、出発するぞ。
このは、もみじ、クマたちを抱えておいてくれ、揺れるからな】
このははエムクマ、もみじははりこグマを抱えて後部座席に座った。ながクマもひょろりとした身体を二人掛けのシートに納める。
バスはノービスタウンを離れ、Boisterous,V、Cに向かって走り出した。
「なあ、行きは高速に入ったけど帰りはどうすると? この馬車とか通る道じゃと、あんましスピード出せんじゃろ」
りおなの質問を耳ざとく聞きつけた部長が、待ってましたとばかりにアナウンスする。
【なんだそんなことか、今から秘密兵器を出すからな!】
部長はハンドルわきのパネルを操作しだした。不意にタイヤから伝わる振動が消え、奇妙な浮遊感がバス全体を包む。
「な、なんじゃ!?」
【バスの外、タイヤを見て見ろ】
りおなたちは言われるまま窓越しにタイヤを見てみる。すると四つののタイヤ全てががアスファルトに対して平行になっていた。
路面からほんの数十cm程だが浮遊したまま直進している。双子やクマたちは歓声を上げた。
「「すごーーい! ういてるーーーー!!!」」
【どうだ!? 反重力装置を搭載して短時間だけなら飛べるようにした!
認識阻害装置も付けたから、これからどんな悪路でも問題なく異世界航行できるぞ!
そろそろ渡航する! 全員シートに座れ!!】
部長はハンドルを右に切り、アクセルを勢い良く踏み込んだ。地面に対して平行になったタイヤは高速回転し光を放つ。
ボンネットバスは高度を上げ海上を飛んだ。暗闇の中でさらに速度を増す。
【よし、頃合いだ! 『飛ぶ』ぞ!】
バスの周囲が色とりどりの靄に包まれたかと思うと、その靄が後方に一気に流れる。
タイヤが通った軌道には、車型タイムマシンよろしく火柱が立つ。
りおなは軽いめまいを感じて思わず目を閉じた。
「りおなさん、もういいですよ」
チーフの声に反応してりおなはこわごわ目を開けた。立ち上がって辺りを見回すとそこは薄暗く見慣れない光景が広がっている。
「ここ、どこ?」
【家から一番近い森林公園だ。音が響くから家の近くだと目立つからな】
「……帰って……きたと?」
「りおなさん、まだ問題は山積みですがひとまず」
チーフは立ち上がり咳ばらいをひとつした。
「お帰りなさい、お疲れ様です」
それを聞いたりおなは、全身の力が抜けすとんと腰を下ろした。
目の奥が熱くなり視界がゆっくりとぼやける。そして目をこすった後チーフに答えた。
「……ただいま」