054-3
「……竹内さん……!」
チーフが感極まった声をあげる。
視線の先のグランスタフ、いや業務用ぬいぐるみは、りおなから見てだいぶ年老いた感じだった。
顔はどこにでもいる雑種犬だが、鼻が大きく眼鏡をかけていて柔和な印象を受ける。
服装は着古したジャケットに作業ズボン。
そのたたずまいは痩せてはいるが頑健そうに見える。
りおなが声をかける間もなくチーフは駆け出した。壮年のグランスタフまで駆け寄る。
「おお、富樫ちゃん久しぶり。どうしたの? こんな辺鄙なとこまで来て。
仕事忙しいんじゃないの?」
「竹内さん、長い間ご無沙汰してます、お久しぶりです」
「風のうわさで人間世界に行ったって聞いてたけど、仕事は一段落したの?」
「ええ、はいおかげさまで。……あの……」
チーフは感極まって声が上ずっていた。それでもなんとか言葉の接ぎ穂を探す。
「まあまあ、立ってるとこっちがしんどいから家に上がんなよ、お茶ぐらいは出すからさ。
それに――――
あの子が探してた変身アイドルの子だろ? あんなとこに待たしちゃダメだよ」
年老いたグランスタフは、りおなに向かって手を振った。
「焼き菓子があるんだ、一緒に食べよう」
「いやーー、長生きはするもんだね。
富樫ちゃんたちがアイディア出して完成させた、トランスフォンとかソーイングレイピアを使いこなしてくれるなんてねえ。
それがこんなかわいい女の子が変身してくれるなんて、こんな嬉しいことはないよ。
ああ、自己紹介が遅れました、私は竹内。元Rudiblium本社勤務で、今は畑とかをやって細々と暮らしてます」
「初めまして、大江りおなといいます。チー……いえ富樫さんから依頼されてソーイングフェンサーをやってます」
その様子に同席していた陽子がくすくす笑い出す。
チーフは少し落ち着かない様子で、クマたちは席に着いたまま行儀よく待っている。
タイヨウフェネックのソルはテーブルの上で焼き菓子を目の前にして、よだれを垂らしたまま悲しげに陽子を見詰めていた。
「ああ、そこのキツネさん? リスさん? 待たせて悪いね、遠慮なく食べていいよ」
その声を聞くか聞かないうちにソルは焼き菓子にかぶりついた。それに合わせてクマふたりやりおなも菓子をほおばる。
素朴だがしっとりしていて木の実とラム酒のような風味がする。続いてお茶を一口飲んだ。紅茶というよりほうじ茶に近い味わいだ。
人心地ついたあとりおなは竹内に話し出す。
「今晩人間世界に帰るんですけど、その前にお聞きしたいことがあってここまで来ました」
「聞きたい事? 僕に答えられるかな?」
「はい、たぶん竹内さんが一番よく知ってると思いますんで。
できれば、あの、二人きりでお願いします」
「え? りおなデートってこのことだったの?」
りおなは無言でうなずく。
「お願いします。ああ、あとチーフ……さん?」
「ええ、これですね」チーフは大きなバスケットを取り出した。
「うん、見晴らしいいですね」
「だろう? 今日は用事で出かけてるけど、よく奥さんと登りに来るんだ。
やっぱり、変身アイドルは体力が違うねえ、おじさんは登るだけで精いっぱいだよ」
ソーイングフェンサーになった時、りおなに加わる基礎体力の補正は通常時でもかなり大きい。
筋力、瞬発力、持久力、それぞれ一流アスリートのそれに匹敵するほどだ。
りおなはバスケットを片手で持ったまま竹内の手を引く。一方の竹内は深く大きく息をしていた。
小高い丘の中腹でりおなは深呼吸する。
――朝は晴れてたから少し肌寒かったけど、今は日差しとか風があったかいわ。
「んじゃ食べましょう、いただきまーす」
りおなはシートに正座して合掌した。竹内もそれに倣う。バスケットの仲は色とりどりの行楽弁当が詰めっている。
おかずは鶏の骨付きフライに厚切りハムのソテー、カボチャのサラダ、ブロッコリーのおかか和え、ひじきのトマトにんにく煮、マンゴープリンと多種多彩だ。
「うん、やっぱり外で食べるお弁当はおいしいね。コメを丸くした……おにぎりっていうんだよね。
このピリッとしたのはなんだろう、魚の卵?」
「そうです、りお……私が好きな明太子っていいます。で、こっちのが筋子。こっちがサケ、そっちのがタラっていう魚の卵です」
「ふうんそうなんだ、これ全部りおなちゃんが作ったの?」
「あ、いや……卵焼きだけです。あとはチーフ、いえ富樫さんが……」
「ああ、富樫ちゃんか。確かに彼は自分でお弁当持参するくらい料理得意だったからねえ。
聞きたい事って富樫ちゃんのことだろ? うん、君が僕に聞きたいことったらそれくらいしかないからね。
それと僕に無理して敬語使わなくていいよ。富樫ちゃん、チーフって呼んでるんだろ? 彼と同じでいい。
まずは全部食べてしまおう」
「えーと、なにから聞いたらいいのか……チーフは昔、落ちこぼれっていうかダメ社員だったって――――」
「ああ、どういったらいいのかな。頭の回転は速いし素直だし、飲み込みも速いんだけどね。
なんていうかな、あれもこれも、ってやって、一つ一つの詰めが甘くなるのが悪い癖だったね」
「…………」
「だから言ったんだ。『遅くてもいいからひとつずつ丁寧に対処しろ』って」
「はい」
「あとは煮詰まった時には深呼吸。視野が狭くなるからね」
「はい」
「あとはねえ、いま言ったのと重なるけど視野が狭くなると、どうしても周りに相談しないで一人で進めちゃうから、抱え込まないで周りに相談して判断を仰ぐ。
会社とか仕事は、自分一人でできるもんじゃないからさ」
「はい」
「……あれ? 今言ったのは全部僕が昔富樫ちゃんに言ったことなんだけど」
「いえ、私、いやりおなも今ちょっと色々抱え込んでて。でもなんかわかります。
あとそうだ、聞いたんですけど昔チーフを叱ったことがあるって」
「うん、彼はねえいい子なんだけど、周りだけでなく自分にも甘かったからね、寝坊で遅刻が多かったんだ。
当時の部長は、結構おおらかだったんだけど僕が我慢できなくてね、つい言っちゃった」
「なんてです?」
「えっとね……5回目に遅刻した時にかな、『部長は大目に見てくれてるみたいだけど、俺はそういうの大っキライだから』。
えらいもんでねえ、それからは一回も遅刻がなくなった。
彼はちゃんとやってるかな?」
「……ええ、はい。なんていうか……過ぎるくらい……」
りおなは普段のチーフを思い返す。
――んな過去があったなんて思えんほどりおなには厳しいっちゃ。今のりおながここにいる原因は間違いなくチーフじゃからな。
ただ、現状がチーフのせい、責任だとは思わんけんど。
「そうだ、伊澤って……前の社長なんですけど」
「うん、退陣したってね。昨日の今日だけど、こんな所でも情報は入ってくるよ」
「チーフが前の社長に竹内さんのことで怒ったんですよ、普段は飄々としてるのに。何があったんですか?」
話したくなければいいですけど、とりおなは質問を締めくくった。
竹内は数秒の沈黙したあと言葉を紡ぐ。
「うん、昔の話だけどね。グランスタフはスタフ族に『悪意』を吹き込む、これは知ってるね。
伊澤社長はその考えを推し進めてグランスタフにさらに『悪意』を注入すればもっと飛躍的に能力が高まる、そう考えて実行した。
検体、というか対象は富樫ちゃん含めた入社間もない新人にってことだったんだけど、僕が反対してね。
代わりに僕が選ばれた。
その時『悪意』の量がちょっとだけ多くてね、仕事をするには身体がもたなくなって。
まあ、いい機会だからって退社させてもらった。昔の話だよ」
竹内は空を見上げながら他人事のように話す。
「それからかな、富樫ちゃんが変わったのは。いや、元からそうだったのかもしれない。
彼は自分のことあんまり話さないからねえ。極東支部なんて離れ小島部署を自分から作って、出世コースから自分から離れて。
それでもRudibliumのこと、人間世界のことを第一に考えてる」
りおなは無言で小さくうなずいた。
「たぶん僕の一件を自分に責任がある、そう考えてるんじゃないかな、そんなことないのに。
りおなちゃんの事は僕なんかとはくらべものにならないくらい大事に思ってるよ」
――――えーーーー。
りおなは心の中で竹内に反論したくなった。
――りおなが今いる状況、作業している時間、仕事内容をいつだったかテレビでやってた労働基準監督署に見したらその場にいる職員全員がりおなに対して同情の涙を禁じ得ないじゃろな。
少なくともりおな自分のことはそう思っとる。
「でもさ、僕たちは言ってもぬいぐるみなんだ。
極論、例えばだけど、りおなちゃんの大事な人と富樫君を天秤にかけるようなことがもしもあったら、迷わず大事な人を選んでほしい。僕ならそうして欲しいし、彼もそう望んでいるだろう。
大人になるにつれて大事なものはどんどん増える。でも全部は選べないんだ」
りおなは曖昧にうなずく。考えたこともない話だ。
――りおなが、自分にとって大事な人って誰じゃろうにゃ。パパ、ママ、おばあちゃん。それから――――
思いは神奈川県の縫浜市に巡る。平穏だが大事な日常。最後に寄った場所がどこだったか、りおなは記憶をたどった。
不意に赤紫色のラベルの炭酸飲料を思い出した。さらに遡るとりおなより頭一つ分以上身長が高い男子の顔を思い出す。
「あー、大門」
普段、本来の苗字から連想されるあだ名で呼んでいる少年だ。
――チョコバー一本で買収したけど、報酬はまだ渡してらんかった。
今夜にはには日本に帰られるけんね。来た時と時間は同じらしいから、明日は休みじゃな。適当に理由をつけて会ってから渡すか。
「んーー、でも大事な人か?」
改めて異性として考えてみる。
――背は高い(憎たらしい)、顔は美男子っちゅうほどでもないけんどまずまず整ってはいる、スポーツは確かバスケ部……だったか。
「んや、ないない」
頭の上で手をひらひらと振る。が、竹内の「りおなちゃん?」という声で我に返った。
――大門を異性として意識することよっか、竹内さんいるってこと忘れてたわ。
りおなは顔が赤く火照るのが自分でもよく分かった。
「そろそろ戻ろうか、りおなちゃんが創ったクマさんたちともお話ししたいしね」
「はい、片付けますね」
りおなが立ち上がって伸びをすると頭上を黒い影が横切った。
「あれ……は、ヒルンド!?」
おそらく陽子が呼び寄せたのだろう。
彼女が騎乗するオーバーテクノロジー遺伝子工学の産物、ヨツバイイルカのヒルンドがりおなたちの上を旋回飛行している。その上には――――
「なんでエムクマとはりこグマが乗っとんの!?」
りおなは声を張り上げる。ヒルンドの主人陽子がクマふたりを小脇に抱えていた。
「おーーい、りおなーーーー! 私もデートだよーー!
へっへっへ――――! 両手に花だ――!」
りおなは額に手を当てる。
「んなとこで張り合ったって誰も得せんじゃろ、心配してチーフ来よるぞ」
ほどなくチーフが丘に駆け上がってきた。
「りおなさん、陽子さんにエムクマたちを下ろすよう言ってください。このままでは危険です」
「そうしたいけどにゃーー、言うこと聞かんじゃろ。ふたりとも楽しそうじゃし」
りおなが手を振ると、抱き抱えられたクマたちもりおなに手を振る。
りおなーーーー。
そらってすごくきもちいいよーーーー。
クマたちが喜んでいるのに気を良くしたヒルンドが、前触れなくきりもみ飛行しだした。胴体ほどもある長いひれがプロペラのように回りだす。
「きゃっ!」
急な動きに陽子が悲鳴を上げた。
その拍子に片腕が緩み、きれいな放物線を描いてエムクマが空中に放り出された。
「あーもう、言わんこっちゃない」
りおなが向かうより先にチーフが走り出した。エムクマが落ちる地点に猛ダッシュする。
ほぼ全速力の状態でエムクマをキャッチした。
それで立ち止まれば事なきを得たが、運悪くチーフが止まる先には大きめの石があった。急ブレーキをかけられずチーフはつんのめる。
転倒する直前、チーフは振り向いてりおなに視線で合図を送り、エムクマを再度空中に放り投げた。
りおながオレンジ色のクマを無事に抱き止めたのとほぼ同時に、スーツ姿のぬいぐるみはりおなの視界から消える。
チーフは、丘にある切り立った崖の上から、声もなく転落した。




