051-3
「りおなさん、その身体は綿が十分に入り切っていないため活動できる限界はもって数分です!」
それを聞いたキュクロプスは大げさに両腕を広げた。
【おい、なんだ? そんな欠陥品でこの俺と戦おうってのか? とんだお笑い草だな!】
キュクロプスは中腰の『りおな』に向かって突進してきた。拳を打ち込む瞬間、『りおな』は左足を前に強く踏み込んだ。
重心の高さをそのまま活かし胴体に頭突きを見舞う。直撃を受けたキュクロプスは後方に吹っ飛んだ。
追撃しようとしたが、不穏な気配を感じて『りおな』が振り向いた。
Boisterous,V,Cの向こう、Rudiblium Capsa本社ビルの真上に黒い霧が意思を持ったように螺旋に渦巻いている。
それに呼応してキュクロプスに憑りついた『種』が合計三つ、緑色の双葉を羽ばたかせる。目に見えて活性化しているのが解った。
『あれを引っこ抜けばあの金ピカロボもおとなしくなるじゃろ。』
『りおな』がキュクロプスに駆け寄ると鋼鉄製の機体は弾かれるように起き上がった。再び『りおな』に正対する。
頭部が痙攣するように動いていたが、また突進して一気に距離を詰めてきた。
草食動物のような細い脚でハイキックを見舞ってきた。
『りおな』は両腕でガードする。
――衝撃はあるけど、耐えられんほどではないっちゃ。
キュクロプスは両腕で突きの連打を見舞ってくるが『りおな』はしゃがみ込み、両手で身体を支え足払いでキュクロプスの両足を刈った。
バランスを崩したキュクロプスは覆いかぶさるように倒れこんできた。
ダンッ!!!
『りおな』は両足でアスファルトを強く踏み込んだ。
そのままその踏ん張った力を右腕に伝え掌底(?)でキュクロプスの胸部、大叢が乗っている搭乗口のハッチを打ち抜いた。
鈍く重い音がビル街に響く。キュクロプスはあおむけに倒れ、その胸部外装は弾け飛んだ。
両腕を下ろし静かに呼吸を整えている『りおな』に陽子が尋ねる。
「……ねえ、りおな。……今使った技って……なに?」
『りおな』は呼吸を整えながら陽子に返す。
『んーーーーと、Rudiblium来る前、ラノベとかマンガ読んで覚えた八極拳。
技の名前は――『すんけい』――じゃったかな?
『大地を踏みしめたエネルギーを乗せて打ち抜くとリーチゼロでも破壊力は絶大になる』とかなんとか書いちょった。
見よう見まねじゃったけどなんとかいくもんじゃのう。』
『りおな』は深くゆっくり息を吸いながら目を閉じてギガはりこグマの内面に意識を集中する。
自分自身がぬいぐるみになってその内側を視認するのは奇妙な感覚だったが、さらに内面を探る。
ギガはりこグマの中は綿が入っていない代わりにソーイングレイピアから出るのと同じ暖色系の光の糸が縦横無尽に張り巡らされていた。
その中でも体の中央、正中軸に蚕の繭をいくつも縦に連ねたように光の糸が束ねられている。
繭の中の一つ、ギガはりこグマの眉間の奥部分の糸の塊の中にりおな本人がいるのが解った。りおなは光の繭の中で眠っている。
――自分で眠ってる自分を見んのは変な感じじゃのう。
『りおな』はりおなの顔を改めて確認する。
鏡越しではない自分の寝顔は淡いオレンジ色に照らされているのも加わって、なんとなく可愛らしく見えた。
――おお、いかんいかん。息を吸って吐くみたいに『今日も可愛い』って自己確認を連呼するしおりみたいじゃ、控えよう。
『りおな』は小さくかぶりを振った。
改めて意識を集中させ自分の外に向けてみる。
物陰に隠れて様子をうかがっているメガはりこグマの中身には、りおな自身が創ったもの。
それにこの街で新たに作られたはりこグマの着ぐるみを着た街の住人たちが中で休眠している。
――んでも、ただ眠ってるわけではないみたいじゃ、全員メガはりこグマと意識を共有してるようじゃな、『心の光』がお互い連動してるのがわかるわ。
そして、街のビル街や地下にも意識を巡らせてみる。
――『りおな』とあの金ピカロボが戦ってる場所にはひとはいないにゃ。
んでもビルの中とかにはこっちの様子を見てるスタフ族とかティング族、それにフィギ族がいっぱいおる。
種族ごとに『心の光』の感じが全然違うわ。スタフ族がやらかくて、ティング族はカタい感じじゃ。
『りおな』が圧しているいるのがわかると安堵の感情が伝播してくるのが幽かに伝わってくる。
改めて『りおな』はキュクロプスに目をやる。弾け飛んだ胸部ハッチの内部には犬歯をむき出しにして唸る大叢の姿があった。
◆
「ふう、結局ソーイングフェンサーは捕まえられなかったわけね。……まあいいわ、どうせぬいぐるみや人形たちに彼女が捕らえられるとは思ってなかったし」
誰に言うともなく彼女はつぶやく。ホテルの一室で窓の外を見ながら彼女は紅茶を飲んでいた。気だるそうに髪をかき上げる彼女の後ろ姿を天野は苦々しく見ている。
年齢は高校生くらい、透き通るような白い肌に栗色の緩いウェーブがかかった髪を肩まで伸ばしている。
服装は白いブラウスにカーディガン。シンプルだが育ちの良さが見えている。左手でテーブルの上にある花瓶のバラを取り、いろんな角度から退屈そうに眺めている。
「それで? 私の『ミュータブル・シード』を置いてここに戻ってきたの?」
彼女が振り向いたのと同時に天野は精いっぱいの作り笑顔で答えた。
「はい、全部使いきっちゃいました。ソーイング・メンターが『ミュータブル・シード』をキュクロプスの、巨大ロボットに寄生させる端から切り落としていって――」
不意に高い音がして天野は次の言葉を失った。目の前の彼女がティーカップを床に故意に落としたのだ。
幸いにカップは割れなかったが、天野はカップを拾うこともできずに身体を小さくする。
その怯えた様子は大叢にも、ましてRudibliumの経営者、伊澤を相手にしても取ったことのない態度だった。
「へたな言い訳はかえって立場を悪くするだけよ、天野さん。
私が何も知らないと思っていたの? 『ミュータブル・シード』はただぬいぐるみや機械に他の生物や物質の特性を付与させるだけじゃない。
一つ一つが私の五感の延長として機能して、私が特に移動しなくても周囲の状況をその場にいるのと同じように教えてくれるの。
まだ『ミュータブル・シード』はアタッシュケースの中に入っていてソーイングレイピアと鉄巨人のそばにいるわね。
じゃあ、その決着を早く終わらせてあげましょうか。天野さん、あなたももちろん向かうわよね」
口調こそ穏やかだが、その実有無を言わせぬ迫力を感じ天野は小さく首肯する。
彼女は立ち上がりドアに近づく。天野はいち早くドアに駆け寄り頭を下げてドアを開けた。
ぬいぐるみの世界で特に姿を変えることもなく悠然と廊下を歩く後姿を天野は黙って見送る。
天野が何気なく窓に目をやると少女が手に持っていた一輪のバラは先ほどと全く様子が変わっていた。長さ20cmほどの長さの茎が丸く伸び、直径30cmほどのバラのリースになっている。
天野が手に取ろうと近づいた瞬間、リースは生気を失ったように枯れ、朽ち果てた。
◆
「何故だ……!? 何故こうも上手くいかない? 何故俺の周りには俺の足を引っ張るヤツしかいないんだ!」
鼻筋にしわを寄せて操縦桿を殴りつけるが、答えを返してくれる者は誰もいない。
キュクロプスの内側はモーターの駆動音や各計器の作動音が聞こえるばかりだ。
大叢はさらに怒りを募らせ計器を何度も殴りつける。
「ちくしょう! 芹沢のヤツ! このヒュージティングはソーイングフェンサーにも引けを取らないんじゃなかったのか!?」
『おとなしくその金ピカロボから降りてみんなに謝って。
ほしたら無罪放免とまではいかんけど、話し合いの場くらいは作っちゃるわ。
どうする? こっから先はアンタしだいじゃけど。』
『りおな』の申し出に対し大叢は無言で操縦桿を動かし、キュクロプスを立たせた。
胸部外装を兼ねた搭乗用ハッチを掌底ではがされた今、大叢は無防備も同然だった。
再び投降させるべく話を続けようとした『りおな』の言葉はスピーカーも割れんばかりの罵声に遮られた。
【ソーイングフェンサー! お前さえ来なければ何もかも安泰だったんだ!
俺が街を壊さずに済んだし、わざわざ『荒れ果てた大地』くんだりまで行って『開拓村』を潰すこともしなくていい! 次期社長には間違いなく俺がなるんだ! それを……それを……!
それにな、今日は俺と奥さんの結婚記念日なんだよ!!! そんな大事な日に俺の手を煩わせるんじゃねえ!!!】
キュクロプスの、いや大叢の叫びは損壊が激しいBoisterous,V,Cに響き渡った。
『りおな』がキュクロプスに近づくと不意に今まで感じたことのない鋭い『悪意』を感じた。
――これは……ヴァイスフィギュアとか『種』から発生するやつ、それにりおなが『開拓村』でイザワから受けた『縛られた棺』とも違う、身体っちゅうか心を直接刺してくるみたいな鋭い『悪意』じゃ。
『りおな』は警戒して辺りを見回すが圧迫感のある『悪意』を感じるが出処がわからない。というより、同一の『悪意』を四方八方から感じるのだ。
「ソル、何か来てるんでしょ? どこか分かる?」
陽子は自分の肩に乗ったソルに尋ねるが一方のソルは全身の毛を逆立て低く唸るだけだ。
『ソーイングフェンサー大江りおなさん。こんな異世界まで来てほんとうにお疲れ様。
あなたのことをもっとよく知りたいから少し試させてもらうわ』
『悪意』と同様にどこからともなく声が鳴り響く。出処は分からないが若い女性の声だ。
「りおなさん! 気をつけてください!」
チーフが『りおな』に向かって叫ぶ。
ひときわ強い『悪意』を感じた『りおな』が向いた方向には天野が置いていった『種』が入ったアタッシュケースがあった。
アタッシュケースに『悪意』が凝ったかと思うと内側から急激に破裂した。上空にはコールタールのようにどす黒い『種』がいくつも浮かんでいたが、コウモリのように羽ばたいていたが一斉に急降下してきた。
『りおな』は一瞬身構えたが『種』はギガはりこグマではなくキュクロプスに憑りついた。
機体の各所にしがみつき、鋼鉄製の装甲に難なく下部の鋭い針を刺す。
「なっ! なんだっ!? 何が起こっている!?」
大叢は操縦桿を握って問いを投げかけるが答える者は誰もいない。
『――――グ……グォォォォォォォ……!』
不意に地の底から聞こえてくるような唸り声がして、『りおな』は身構えた。
身体の各所に『種』を寄生されたキュクロプスは鋼鉄製とは思えないほど全身が激しく蠕動しだした。
それが止むと華美に塗装された金色の外装が煤を吹き付けたようにどす黒く染まり、キュクロプス自身が低く唸りだした。
『……グッ、グァァァァァァ……!』
両手で頭を抱えてキュクロプスは苦しみだした。その様子は明らかに大叢の操縦や制御を離れている。
「おい! 何やってるこのポンコツ!! 早く目の前のでかいぬいぐるみを叩き伏せろ!
聞こえないのか、このガラクタ!!!」
苛立ちを隠すこともなく大叢は操縦桿を蹴りつける。と、キュクロプスは苦しむ素振りをいったん止めた。自分の胸部に手を伸ばす。
「なんだ!? おい、やめろ!」
キュクロプスは大叢を胸部のコックピット部分から造作もなくつまみだした。左腕で胴体を握りしめる。
一切動く事ができない大叢は唯一自由が利く首を左右に振った。だがさらに締めつける力が強くなる。
「おい! お前は俺に操縦されてないと動けないただのヒュージティングだろ!? さっさと離せ!!」
キュクロプスは返事をする代わりに右手を大叢の顔に伸ばす。
大叢は自分の視界が急に暗くなり、顔が圧迫されるのを感じた。
身をよじって逃れようとすると今度は首から下が不意に解放される。大叢の身体をつかんでいた左手を離したのだ。その代わりに、今度は首から上の自由が全く利かない。
腕を伸ばして首を抜こう――そう思った次の瞬間、Rudiblium Capsa本社勤務大叢の意識はなんの前触れもなく、急に途切れた。




