049-1 囮 罠 decoy
その日の午後、Boisterous,V,Cの街中は、午前中とはまた違った意味で騒然としていた。
街のどこからか、片田舎の『ノービスタウン』に突如人間界から、ソーイングフェンサーが現れたといううわさがまことしやかに流れた。
装備品に『心の光』を与えて強化するだけでなく、転生以外の方法でスタフ族と同様の生きたぬいぐるみを創り出せるという人間。
変身アイドルことソーイングフェンサーがこの街にも来たらしい。
そしてその噂は確かな形で証明される。
彼女が創り出したとされる前掛けをつけて縫い物ができる、アイボリー色のクマことはりこグマ。
その着ぐるみがうらぶれた防具屋から、ほぼタダ同然に売り出されたのだ。
ただの着ぐるみというなら、一過性のうわさで立ち消える。
だが、その着ぐるみは紛れもなく『心の光』で強化されていた。
そして着る者の体格が多少着ぐるみより小さいだけでなく、大きい場合でも誤差などものともせずに、着ただけで身長60cmほどの可愛らしいクマになりきれるアイテムらしい。
さらに『心の光』の影響もあって、〈冒険者〉たちが自分たちで入手した物より、はるかに高い守備力や能力強化補正がかけられる。
そんな情報が瞬く間に伝わり、ソーイングフェンサー謹製のはりこグマ着ぐるみはあっという間に完売した。
これが人間世界なら一着買った者は、さらに買い占めて購入額の何十倍も高い値をかけて転売しそうなものだ。
が、しかし、善良なRudibliumの住人たちはそんなことは考えもしなかった。
加えてチーフや課長が購入時に転売や譲渡を不可能にするため、ステータス補正も兼ねた通しのシリアルナンバーを付けていた。
これがソーイングフェンサー、りおなさんが創った、はりこグマの着ぐるみだ。
すごい! てざわりもいいし、すごくかわいい!
そのために、はりこグマ着ぐるみを購入した幸運なごく一部の住人たちは尊敬と羨望の念で他の住人に扱われる。
その中で商売に長けた一部の服飾業者は気分だけでもと、大小さまざまなサイズのアイボリーのクマの着ぐるみを大量に生産した。
午後2時を回るくらいには商業都市Boisterous,V,Cはあちこちで大小さまざまのはりこグマを見かけることになる。
そんな中に、Rudiblium本社から燃料コンビナートを通って搬入された巨大ロボット。黄金色に輝くヒュージティングを見た時、住人たちは一瞬歓喜に沸いた。
見てみろ、見たこともない大きさのティング族だ。
本当だ、この街に住むのかな?
街の中央を縦断するメインストリートを巨大トレーラーが通過する時、誰もが新たな機体を見ようとトレーラーに駆け寄った。
だが、その期待は即座に覆された。
一方のキュクロプスの搭乗者大叢は、これ以上ないほど怒りに満ちていた。
一度は自分の手に渡ったと思っていた、『縫神の主』になる可能性があるぬいぐるみ、はりこグマが実は真っ赤な偽物だった。
そのうえ、本物はどこにいるかという情報もつかめていない。
完全にソーイングフェンサーに(実際に作戦を立てたのはチーフだったが)一杯食わされた大叢は、その報復とばかりに、彼らが創りかけている開拓村を破壊するつもりでキュクロプスを搬送していた。
だが、今こうして街のそこかしこでアイボリーのクマを見ると、本社前でだまされたことを思い出し、また怒りがぶり返す。
トレーラーが街中を徐行しているさなかに、大叢が操縦するキュクロプスは歩道に手を伸ばし小さなスタフ族、なりきりグッズの着ぐるみを着ていたこどもを掴もうとした。
が、幸か不幸かマニピュレーターがこどもの襟首を掴もうとした瞬間に、こどもはつまづいて転んでしまった。
巨大な腕は空振りしてしまう。
そのかわりに、歩道の整然と貼られたタイルを薄紙をはがすように砕きながらえぐり取った。
それを見たスタフ族のこどもは大声で泣き出した。
子供が泣きだしたのをきっかけに、トレーラーに集まっていた住人たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
大叢は苛立ちを抑えることもなく、外部スピーカーで大声を上げた。
【お前たち! その着ぐるみのオリジナル、はりこグマはどこだ!? もし知っていたら教えろ!】
当然のようにその声に応じる者はいない。それどころかさらにパニックになり逃げ惑う。
そこで大叢は、キュクロプスを荷台に固定しているワイヤーを乱暴に引きちぎった。トレーラーから降りて立ち上がる。
恐慌状態になった街中をキュクロプスは大股に歩く。表を走る車両もわれさきに逃げ出した。
これ幸いとばかりにトレーラーの運転手も、アクセルを吹かしてその場を離れようとしたが――――
【おい! 予定変更だ。俺はこの街ではりこグマを探す。
おそらくは着ぐるみの群れに紛れてこの中にいるはずだ! やつを捕獲したあと改めてやつらの開拓村を叩く!
それまでこの街の入り口で待っていろ!】
キュクロプスに、トレーラーのルーフ部分をつかまれながらがなられた運転手は、震えながら何度もうなずきその場を後にした。
鋼鉄の巨人が街のほぼ中央に来た時、前方に大きな影が上空から舞い降りてきた。
身体を黒い装甲で覆ったヒレの長いイルカが、キュクロプスの前にふわふわと浮いていた。上には人間が乗っている。
【何者だ! 貴様!?】
キュクロプスが大声で誰何すると大きな影に乗った人間、陽子は腕を組んだまま答える。
「あんまし言いたくないけど言っとくわ。
私はトレジャーハンターの陽子。で、こっちはタイヨウフェネックのソルにヨツバイイルカのヒルンド。
あんた、はりこグマを探してるみたいだけど見つけたらどうするの?」
【知れたことだ、『縫神の縫い針』を生み出すぬいぐるみなど、今のRudibliumにとっては百害あって一利なしだ。
だからといって我々では生きたぬいぐるみを葬ることはできん、捕獲したら手厚く保護するさ。
そうだ、お前は何か知ってそうだな、教えろ!】
キュクロプスは陽子を捕まえるべく駆け出すが、ヒルンドは身をひるがえしヒレを大きく羽ばたかせた。
「そんな決まり文句言う相手に、教えるわけないでしょーが!
やっぱりチーフさんの予想通り、ここで戦うしかないのか。どーしよー」
ヒルンドは、キュクロプスの視界からあえてはずれないよう小回りを利かせて飛び回っていた。
【ふん、飛び回るだけしか能のないツバメが! グランスタフの英知を見せてやる!】
業を煮やしたキュクロプスは右腕を足の上にかざすと、太もも部分の外装が開き中から大振りの機銃が出てきた。
ヒルンドに対して照準を合わせ発砲すると、狙いは大きく外れた。
ショッピングモールのガラスが割れ地面にばらばらと落ちる。
【どうだ!? この破壊力は! なに、暴徒鎮圧用のゴムグレネードだ。なに、死にはせん。当たり所が良ければな!】
巨大な機銃をおもちゃのように乱射するキュクロプスに対し、ヒルンドは重そうな外見とは違い適度な距離を保ちつつゴムグレネードを回避する。
【ええい! ちょこまかと!】
キュクロプスは左手を下に向け、手首をヒルンドに向ける。
それを見たソルは陽子の腰のポーチから顔を出し、歯をむき出して唸り声を上げた。
自分に向けられた銃口を見た陽子は、腰のホルスターに提げていたグラスクリスタライザーを取り出した。
柄を眉間に当て念じると、柄の先に真っ白い太い砲身が出現する。
ものの数秒で、グラスクリスタライザーを銃把にしたグレネードピストルが出現した。陽子は中折れ式の銃身に砲弾を込める。
キュクロプスが砲弾を射出した。陽子はかわさず銃口をを砲弾に向ける。
次の瞬間、砲弾の先端が破裂し陽子の目の前に大きな網が一気に広がる。陽子はグレネードピストルを構え砲弾を撃ち込んだ。
ヒルンドとキュクロプスの間に真っ白い煙が噴出した。捕獲用ネットは大きな塊を捕らえアスファルトに落下する。
キュクロプスは捕獲用ネットを無造作につかんで持ち上げた。
【どうだ? これがグランスタフの、Rudiblium Capsaの実力だ!】
そう叫んだが、返事どころか身動きすら取らない捕獲用ネットの中身を訝ったキュクロプスは、ネットを上下に揺さぶる。
だが、やはり反応はない。
今ので気絶したのか? と思っていると視界に巨大な影が迫ってきた。
気付いた時には、キュクロプスの腕に衝撃が走りネットを落とすと、中に入っていたイルカに見えた塊は白い砂になって崩れ去った。
キュクロプスがのけぞると、その視界には捕縛したはずの陽子とヒルンドがふわふわと浮いていた。
「見たか! これがグラスクリスタライザーの特殊能力、『デコイショット』だ!」
この陽子の言うデコイショットは、グラスクリスタライザーの特殊能力で生成したガラスの塊にイメージを投影し、任意の形を成形するテクノロジーの応用だ。
事前の情報など何もない異世界にあって最も重要なのは、情報など成果を持ち帰るより、生き残って無事に地球に帰ることにある。
そのための準備や訓練として、陽子は可能な限りの自己啓発や能力開発、異世界の知識の叩き台としてさまざまな生物や科学、古今東西の狩りやサバイバルなどの知識を収集した。
――その中のひとつが、カモ狩りとかで使われる、獲物と全く同じ見た目に作られた木の彫刻『囮』ね。
獲物のカモを安心させるために、静かに泳いでいるカモの木彫りの彫刻を池に浮かべて、そこにカモをおびき寄せる。
まあ、人間のずる賢いというか、お金持ちの道楽っていうのか。まあ、残酷な趣味だよねーー。
それまでかつかつの生活してきた私にはよくわかんない世界だけど、そこは持つべきものの特権と優越なんだろうし。
それだけじゃなく異世界に出向くまで、情報収集と訓練はたっぷりしたからね。
「ま、なんでもやっておくもんだわね」
陽子は腕を組んで意識して挑発的に振る舞う。
――ここのショッピングモールが被害に遭うのは正直心苦しいんだけど、ここが戦場になったからには、被害は最小限に留めるべきね。
ここの住人さんたちが安全な場所に避難して、『作戦その二』を持っているりおなが来るまで無傷でこの巨大ロボの牽制を続ける。それが今私がやる事。
陽子は自分の役割りを再度確認すると、再びキュクロプスの周囲を旋回飛行しだした。
キュクロプスはまた機銃を乱射しヒルンドを狙うが、緩急をつけて錐もみ飛行するイルカには容易に命中しない。
「このままりおなが来てくれるまで、いたちごっこを続けられればいいんだけど」
その淡い期待はあっさり砕かれる。
不意に奇妙な気配を感じた陽子が、ショッピングモールの屋上に目をやると、そこには場違いな調子で、屋上の端に腰かけ両足をぶらぶらさせている者がいた。
変身アイドルのような姿をしたその相手、天野は陽子と目が合うとむしろ不敵な感じでにっこり笑い、その場からふわりと舞い降りた。
羽毛のように難なく着地するとアタッシュケースを持ってキュクロプスに近づく。
それに気づいたキュクロプスは狙撃をやめた。
「苦戦してますねー、ぶちょー。あの『イルカにのった少年』はただの時間稼ぎですよ?
ソーイングチェイサーが来るまで、ああやって飛び回ってるだけですから。
それだと肝心のはりこグマも逃げちゃいますよーー。
せっかくこの街にいるんだから、富樫主任とかと合流する前に確保しておかないと」
はりこグマ、という単語にキュクロプスが反応した。
【それは本当か!? だとしたらどこにいる?】




