037-2
りおなは言葉に詰まる。
――今、こいつに『部長がいないと元の世界に帰れなくなるから』とは言いたくないにゃあ。なんか足元見られんのが目に見えるようじゃ。
っちゅうより絶対りおなの事情わかって聞いてきてるじゃろ。頭は回るみたいやけど、嫌なやつじゃな。
少し考えたあとりおなは芹沢に告げる。
【えーーっとね、部長には、あの、貸しがあってね? そんで一回ごはんとかおごってもらわんといけんから……】
【……っはは、はははははははははは!】
りおなが言い終わるよりも先に、芹沢が大声で笑いだした。
【なんじゃ、なにがおかしい!? もういい! 部長には歩いて帰るように言っちょけ!】
りおなは声を荒げるが、芹沢は電話の向こうでくつくつと笑ったままだ。
【もう電話切るぞ!】
【ああ、申し訳ない、何か面白かったもので。そうだ、皆川部長ならここにいますが、声だけでも聴きますか?】
【あー、頼む】
【……おう】
【歌い終わってからどこ行っとんの、早く帰って来て。このはちゃんともみじちゃんも待っとるわ】
【このはともみじには俺の事はなんて言ってある?】
【まだ何も言っとらん。急に出張入ったから朝早く出かけたとかごまかしとくわ。迎えに行くからそこで待っちょれ】
【ああ、頼む。気をつけてな】
【もういいようですね】
芹沢が間に入る。
【それじゃあ、お待ちしてます。念を押すようですがぬいぐるみを連れてくるのをお忘れなく】
【わかった、んじゃ切るけん】
りおなは通話を切り携帯電話をチーフに返す。
「明日は何時くらいに出発すると?」
「そうですね、一日がかりになりますから朝6時にはここを出発しましょう」
「開拓村は危なくならんと?」
「絶対、とは言い切れませんが、向こうもわざわざ開拓村自体を襲ったりはしないでしょう」
「それもそうか。んじゃチーフ、さっきゆっとったラーメン作って。食べたら寝るわ」
りおなは大きく伸びをする。
――病み上がりの頭で考えてもしゃあない。気持ち切り替えて体調をフル回復さすのが先決じゃな。ゲームみたいに何秒かでは回復せんし。
ちゃーらーらーらーちゃっちゃっちゃーーん。
「そうですね、協力してもらった陽子さんやヒルンドさんたちにもなにかご馳走しないと」
「そうね、表でエムクマとはりこグマが待ってるわ。りおなちゃん表で食べましょう」
課長に言われりおながプレハブのドアを開けると、クマふたりがりおなを待っていた。陽子と部長の孫ふたりも表に出ている。
「話は終わった?」
陽子はりおな達に尋ねる。
「んーとりあえず『夜明けのラーメン』みんなで食べて寝ようってことでひとつ」
「あー、さんせー」
チーフはコンテナを収納した後、ラーメンの屋台のワゴンバスと木製のテーブル、椅子を何脚かと簡易型のテントを出した。
「メニューは酒田のトビウオラーメン、山形市のげそ天ラーメン、鶴岡市の琴平荘の冬季限定ラーメン、それから新庄の牛骨ラーメンに米沢の鶏ガラ縮れラーメン、冷やしラーメンとありますがどれがいいですか?」
チーフは“Long Puppy”のエプロンに耳を覆う三角巾といういでたちでりおなと陽子に尋ねる。
「……冷やしラーメン」
「私もーー。っていうか、冷やし中華とどう違うのーー?」
陽子がチーフに尋ねる。緊張が解けたためかだれ気味だ。
「冷やし中華は発祥が昭和8年に神田神保町で原形が創られたのに対して、冷やしラーメンは山形市が始まりだとされています。
冷やし中華はタレに酢を加えるのに対し、冷やしラーメンはスープを冷やしたあと凝固した脂を取り除き、かわりに植物性の油脂を少量かけます。夏に限らずさっぱりと食べられますね」
言いながらチーフは淀みの無い動きで麺を茹で、どんぶりに醤油だれを均等に移し、冷えたスープを注いでいく。
その様子をテーブルに頬杖をついて眺めていた陽子が口を開き、りおなに耳打ちする。
「ねえ、チーフさんていっつもああなの?」
少し考えてりおなが答える。
「んや、普段より口数少ない方。普段だったら『冷やし中華の各地の呼び方』とかしゃべりよるけ。まあ迷惑ではないから聞き流しちょるけど」
「あー、そーなんだー」
言いながら陽子はテーブルに突っ伏す。
タイヨウフェネックのソルは食事が待ちきれないのか、木製の丸いテーブルに乗りあちこちせわしなく歩き回る。このはともみじは嬉しそうにソルと遊んでいた。
ヨツバイイルカのヒルンドは外装を外され、ガラス製のため池の中でゆったりと泳いでいる。
りおなは昨晩自分の中に吹き荒れていた悪意の渦が遠い昔の出来事のように感じる。
りおなの右隣にはエムクマとはりこグマが脚の長い椅子に腰かけて初めて食べる冷やしラーメンを今か今かと心待ちにしている。
――ついさっきまでりおなと一緒に『闇』の攻撃受けてたから心配してたけど、この様子やと大丈夫じゃな。
りおなはとなりに座っているはりこグマの頭に顔を近づけて、匂いをすんすんと嗅いでみる。
――いつもはクマたちって、ワッフルとかはちみつの匂いがするんじゃけど。
今朝は焚き火の煤けたのとか、ソースやらタレの焦げた匂いじゃな。
◆
「なるほど、思った以上にソーイングレイピアの使い手ってのは面白いな。
あんたや富樫、寺田課長が気に入るわけだ。あんたのことを抜きにしても会いたくなった」
最初の時と違い、口調が妙に砕けた感じになった芹沢を部長は眉間にしわを寄せて見つめる。同僚のいつもと違う態度に天野は気色ばんだ。
「ちょっと、芹沢君。まさかあなた本当にそのまま皆川部長をそのまま返すつもり?」
「まさか、当初の予定通りにやるさ。天野がミスしたのが悪いって切り捨てるのは簡単だがな。
部下のミスを帳消しにするのは上司の務めだろ?」
「わあ! 素敵! 芹沢先輩かっこいいです!」
今まで椅子に座ってつまらなそうに話を聞いていた天野が急に立ち上がってわざとらしく両手を顔の前で組む。だが、当の芹沢は相手にせず話を進める。
「まずはそいつらが本社近辺に来ること、話はそれからだな。
あーーっと、天野まだいたのか。自分の部署にもどっていいぞ」
「あっ、はーい、わかりました。失礼しまーす」
事の原因が自分だという自覚も何も無さそうな能天気な声を上げ、天野は会議室を出る。
「人質交換だなんて汚れ仕事わざわざやるんだ。少しは楽しみが無いとな。
安野、皆川部長を個室にお連れしてくれ。くれぐれも丁重にな」
「いいの?」
「ああ、構わない。『腕輪』を着けてもらえば行動は制限できる」
安野に連れられ後ろ手に縛られた部長は立ち上がった。会議室を出る時振り向いて芹沢に問い質す。
「お前、何考えてるんだ?」
「さて、ね。まあ小細工を弄するつもりは無いし、ここであれこれ画策しても意味はない。
粛々と業務をこなすだけですよ」
部長は芹沢の言葉には何も返さず無言のまま会議室を出た。芹沢は無言で窓際に戻り下を見下ろす。
「俺が関わるのは人質交換までだ。その後は……」




