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036-2

「いえ、陽子さんを、そしてりおなさんを信じて待ちましょう。我々は我々ができることをしましょう」


「ええ、解ったわ。でも富樫君はりおなちゃんについていてちょうだい。私たちは儀式をしやすいように祭壇を作ってみんなを集めておくわ」


「お願いします」


 チーフはりおなの額や首筋をタオルで拭く。苦しそうなりおなの顔から目をそらさずに見つめたままだ。

 目を閉じたまま迫りくる闇と戦っているりおなの手を、チーフは両手で包むようにつかんだ。




 無限とも思える苦痛の時間をすごしたりおなは、遠くで「ケルルルルルルルルル」というイルカの鳴き声を聞いた。


 ――イルカを間近で見たのはいつだったっけ? 

 あれは小学生のころ、遠足に言った時だ。よその学校の生徒に、どうしてだかからかわれてそのあと泣きだして――――


 楽しいことを考えよう、考えようとするたびに嫌なイメージがそれを覆い隠してくる。

 そのたびに吐き気がりおなを襲いその後で冷汗が流れる。もう終わりにしたい。イヤだ、まだ死にたくない。誰か助けて欲しい。ダメだ、こんな姿誰にも見せたくない。


 相反する感情で心がバラバラになりそうなりおなのもとに訪れたのは陽子だった。

 急ぎながらも細心の注意を払ってドアを開けポータブルシェルターを無言でチーフに差し出す。

 無言で大きくうなずいたチーフは、携帯電話を操作しメールを送信した。

 間もなく、課長とながクマが現れりおなを慎重に外に運び出す。

 開拓村の広場中央には杉のような板で作られた、簡素な祭壇が組み上げられていた。周りには開拓村の住人がりおなと同じように苦しみながらも祭壇に集まっている。

 

 陽子が目にしているのは、最初に見た時の溌溂(はつらつ)さなど欠片もない異様な表情をした少女だった。

 苦痛に耐えかねて起き上がった。辺りをおびえた目つきでぎょろぎょろと辺りを見回し、肌もかさかさになっている。

 荒い息をしながら、また横になったかと思うと、頭をかきむしり絶叫する。

 祭壇の上にあげられたりおなを見ながら、陽子はチーフに尋ねた。


「ねえ、これだけ人数集めてどうするの? みんなで祈りを捧げるとか?」

 事前に何も聞かされていないためか詰問口調になる。


「無論、住人の皆さんにはりおなさんに元に戻ってもらうように祈ってもらいますが、それだけではりおなさんに巣食う心の闇は取り除けません」


「だったらどうするの? 心の闇なんて掃除機で吸い取れるようなものじゃないでしょ」


「その『吸い取る』という所だけ正解です。

 今から私がソーイングレイピアを使ってりおなさんの心の闇を吸引、除去します」


 チーフは広場から少し離れた場所にポータブルシェルターを置いた。

 上にあるボタンを押すと閃光が走り、瞬時にノービスタウンの住人が現れた。

 みな苦しそうにしていたが、チーフの指示で祭壇の周りに移動する。


 祭壇の上には白い布が敷かれ、苦しむりおなが上に寝かせられる。陽子は落ち着かない様子でチーフの隣に行って尋ねる。

「ねえ、あなたがその、ソーイングレイピアだっけ? 使えるの? あなた生きてるけどぬいぐるみなんでしょ?」


 りおなが普段持っている変身アイテム、トランスフォンを感慨深げに眺めながらチーフはつぶやく。

「今にして思えば、りおなさんに会う前にあの猫に引っ掻かれたのは幸運でしたね」


「……何の話?」


 返事をする代わりにチーフはスーツのボタンを外した。そのまま深呼吸すると左肩から右わき腹にかけて縫い目のような模様が光り輝いた。

 無言で驚く陽子にチーフが説明する。


「この縫い目は私が人間界に初めて行った時、猫に襲われて胴体を裂かれて動けなくなった際、りおなさんが見かねて私を修復してもらった。その時の縫い目です。

 ソーイングレイピアを介在していませんし、補修のために縫製されたものです。 ですが、確かにこの縫い目には『心の光』が込められています。

 ただし、あくまでイレギュラーな事態ですから、私に対するフィードバックが大きいはずです。長時間は出来ないでしょうからね、短期決戦で挑みます」


「え? どうやって――――」

 陽子の問いに対してチーフは手で制する。

「もう時間がありません。説明は後ほどします。もっとも私が無事だったらですが」


 トランスフォンと自分の携帯電話をかまえるチーフに対して課長が曇った顔で言う。

「止める理由はないけど、りおなちゃんがもとに戻ったらあなたのことただじゃ済まないでしょうね。それだけは言っておくわ」


 チーフは深くうなずく。

「それも含めて、私の仕事ですから」



 チーフはトランスフォンを開いて携帯電話を操作するとトランスフォンの上部に棒状の光が現れた。

 チーフが光に触れようとすると、大きな衝撃音がしてチーフの手が弾かれる。  だが、臆することなく光の中からソーイングレイピアを取り出す。


 そこで陽子が目にしたのはりおなが持っている時とは違い、レイピアの光が明滅し稲妻が(ほとばし)っていた。どう見ても安定した状態とは言えない。

 現にチーフの手の毛が全部逆立っている。


「これは……予想以上ですね、早く済ませないと」


 言いながらチーフはソーイングレイピアの切っ先でりおなを指し示すと、苦しむりおなが横になったままふわりと宙に浮かび上がった。

 続けてチーフは祭壇の周りに集まっている住人たちをレイピアでひとりずつ指し示していく。


 するとぬいぐるみの首筋や住人が持っている道具から光る糸が現れりおなの心臓の位置まで伸びてつながる。

 チーフが再びレイピアでりおなを指すとレイピアの切っ先とりおなの心臓部分が糸でつながった。


「ここからが本番です」

 チーフが深くゆっくり呼吸するとソーイングレイピアの光の奔流がさらに激しさを増した。

 住人たちから伸びる糸も輝きを増す。それと同時にりおなとレイピアをつなぐ糸がどす黒く変色しだした。


「りおなちゃんの心の闇がレイピアの力で移動しだしたのよ。このまま何も起こらなければいいけど」


 課長が陽子に耳打ちしている時異変は起こった。

 布地を無理に引き裂くような音と共に、チーフの右腕に裂け目が入った。裂け目は何か所も同時に広がり中からは白い綿が現れる。

 それと同時にチーフの左腕が茶色からこげ茶色、漆黒に変色すると同時に手の先から膨れだした。

 何とも言えない悪臭が左腕から漂ってきて陽子は顔をしかめたが、そのまま目をそらさずに成り行きを見守る。


 不意に破裂音がしてチーフの右肩が裂け綿がはじけ飛んだ。左腕はさらに醜く肥大して焼け焦げているかのように煙が立ち昇る。

 両腕がそれぞれ違う形で破壊されているにもかかわらず、チーフはおのれを顧みることはない。

 住人たちに吹き込まれた『心の光』をりおなに還元し、『心の闇』をソーイングレイピアで吸引して自分の腕に蓄積していく。

 愚行とも取れる儀式だったがぬいぐるみであるチーフにとって傷つくりおなを見るのは自身が壊れるよりも耐え難い事実だった。


 ――何があってもりおなさんだけは無事に帰します。たとえそれでこのRudibliumが――――



   ◆



 平田真那(ひらたまな)は自分の部屋で宿題をしていた。

 病院の屋上で出会った少女に骨折した脚を治療してもらった後、真那はギブスがはまった足で看護士や患者たちの前で普通に歩いて見せた。


 みんなからは驚かれたが念のためにとレントゲンを撮ってもらったら、骨折以前の強度になって完治していた。

 医師からも驚かれたが念のためにと一日だけ入院した後、真那は慌ただしく退院できた。

 学校とも電話相談して2~3日自宅療養してから学校に通えるとわかり、ギブスが取れた時以上の解放感が真那の心に満ちていった。


 宿題を終えた真那はベッドに入り入院中にもらった絵本『エムクマとはりこグマ』を読み返していた。


 ――初めて読んだ時みたいに泣いたりはしないけど、やっぱり――――

 ママの話しだと事故を起こした人から謝罪の手紙が来てるらしいけど、今は読む気にはなれないな。読むのはもうちょっとあと、本当に落ち着いてから。


 絵本を閉じて照明を落とすと、机の上のクラゲのぬいぐるみが触手を揺らし輝きだした。

 真那はしばらくそのオレンジ色の輝きを眺めていたが、やがてゆっくりと灯火(ともしび)のような明かりは消えた。

 その余韻をしばらく心の中で反芻(はんすう)していたが、真那は深呼吸した後眠りについた。



   ◆



 (けい)ちゃんのおばあちゃんは夜中不意に目を覚ました。

 ふすまを開けてトイレで用を足しまた自室へ戻ろうとした。

 すると子供部屋から何か灯りが漏れている。気になってドアを開けると孫の慧が抱いて寝ているウサギのぬいぐるみがオレンジ色に輝いている。


 おばあちゃんは思わず声を上げそうになったが、その懐かしい気分になる光がゆっくりと消えるまで黙って見ていた。

 思えばここ何日か孫はウサギに『ツトムくん』と名付けて可愛がっていて、時折『ツトムくん』がしゃべったとか、カマキリ拳法を披露したとかごっこ遊びに興じていた。

 だがその話はあながち作り話ではないのかもしれない。

 孫の安らかな寝顔を見ておばあちゃんは部屋に戻った。



   ◆



 小池さんは古びた昭和風のアパートの一室でガスコンロにやかんをかけお湯を沸かしていた。

 本日一日の締めくくり『()ラーメン』を味わうためだ。

 お湯が沸騰したのを確認すると、畳敷きの六畳間の真ん中に据えられた丸ちゃぶ台の上、すでに生卵を落とした乾麺の周りから細心の注意を払ってどんぶりにお湯を注ぎ回す。


 注ぎ終わったらどんぶりに蓋をするのと同時に砂時計をひっくり返し、やかんをガス台に戻したあと、(おごそ)かな気持ちで座布団に座り、『その時』を待つ。もちろん一連の流れの間はTVなどつけない。

 砂時計の砂が落ち切った瞬間にふたを開け顔を包み込む湯気に酔いしれる。

 この時彼の宇宙は再度開闢(かいびゃく)を迎えるのだ。


 半熟卵の黄身を割らないように慎重に麺とスープを割りばしでかき混ぜ、どんぶりを両手で持ちスープを一口。麺はその後だ。

 数十年の間、数え切れないほどラーメンを食べてきたがこの手順だけは変えられない。

 ――これを変えてしまった時、ぼく自身のラーメン人生は終わる。

 

 そんなふうに小池さんは考えていた。

 風味を変えるために胡椒を三振りしさらに麺を食べ進めていたが、小池さんは麺を口に運ぶ箸を止め誰に言うでもなく部屋で一人つぶやく。


「りおなちゃん、ここ何日か見てないけど元気にしてるかな……」

 蛍光灯の明かりの元、少しぼんやりしていた小池さんだったが、すぐに我に返りまたラーメンを食べだした。



   ◆



「――なんだろ、今なんだかすごいラーメン食べたい」


 今まで祈るように両手を組んで下を向いていた陽子だったが、緊張感のない声を聞いて顔を上にあげる。

 そこには木製の祭壇で上体を起こし頭をポリポリとかいているりおなの姿があった。

 陽子はりおなのその姿を見た途端急に足から力が抜けその場にへたり込むように座った。慌てて課長が両肩を抱く。


「りおなちゃん、大丈夫? まだ気分悪くない?」

 課長の問いに対してりおなは答える。


「うん、だいたいは覚えちょる。あの針をなんとかせんとみんながえらいめ遭うわ。

 ……っちゅうかチーフ、その腕はなんじゃの?」


 りおなは改めてチーフの惨状に目を奪われる。

 ソーイングレイピアを持つ右手は綿が内側からはみ出てかろうじてスーツの布地一枚で胴体とつながっていた。

 対して左腕は球状に膨らみ切って、どす黒い汚穢(おわい)の塊からは粘つく腐汁(ふじゅう)がたらたらと流れ落ちる。

 りおなの心に巣食っていた闇が物質化した物だという事は誰が見ても明らかだった。

 ほぼ同時にチーフの両腕がちぎれ落ちた。にもかかわらず、チーフは普段通り柔和な態度でりおなに話す。


「りおなさん、お疲れさまです。よく頑張りましたね」

 何とも緊張感のないその言葉に対しりおなは祭壇からつかつかと降りた。

 チーフの正面に立ち、おもむろにボディブローを見舞う。が、チーフはよけもせずその場に立ち尽くす。

 二発、三発と交互に拳を入れたあと、りおなはチーフの腹部めがけて頭突きをしてしばらくその状態のまま固まった。


「あんた、なにやっとうと?」

 自然に涙声になるのをなんとかこらえて声を絞り出す。


「我々はぬいぐるみです。ぬいぐるみの役割とは子供や女性を癒すことです。決して傷つけたりするものではありません。

 泣いている暇はないです、開拓村、それにノービスタウンの住人もりおなさんの危機に対して駆けつけてくれました。

 彼らの『心の光』がなければりおなさんは未だに闇にとらわれていたままだったでしょう。

 それから、彼らを運んでくれた陽子さんたちにもお礼を言わなければいけません。

 病み上がりに申し訳ないですが、やってもらう事は多いですよ」


「ああ、わかった」

 りおなは祭壇に転がっているトランスフォンを手に取る。


 ――もうだいぶ長い間触ってない感じもするにゃあ。なんだか懐かしいくらいじゃわ。

 が、すぐに気持ちを切り替える。


「ファーストイシュー、イクイップ・ドレス・アップ!!」



 トランスフォンを耳に当て変身の文言を唱えると、汗だくの部屋着からファーストイシューに装備が切り替わる。汗でべたついていた身体が一瞬で清潔な状態になった。

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