第三章‐1
クロアルチド・ヲル・ベレトン・レイズフォーラト・ソ・ディーダ・ギルガルと名乗るその武装集団は、銃で脅すことで、セントラルピラー展望台内部にいた観光客や従業員を一箇所に集めた。展望台内部に侵入してきたその武装集団のメンバーは三十人程度。対して、観光客や従業員は、合わせて二百人ほどいるだろうか。平日の昼下がりという時間帯のおかげで、人質の数はそれほど多くはなかった。これが週末の夜ともなれば、人質の数はこんなものでは済まなかったはずだ。人質の中には展望台の警備員も含まれていたが、彼らはあくまで酔漢や泥棒等に対処する程度がその仕事であって、銃を持った集団に脅されては、なす術もなかった。展望台でこんな騒ぎが起こっているにも関わらず、警官隊が急行してこないところを見ると、セントラルピラー基部のエレベーターホールも、おそらくこの武装集団の別働隊に占拠されているのだろう。
「どうする、エリカ?」
人質の中に混じっていたアッシュは、ここは戦う力を持っている自分たちがなんとかすべきだろう、などということを考えてしまい、隣のエリカ=デ・ラ・メア=ブラウスパーダ少尉に小声で声を掛ける。
「どうする、と言われましても……。銃を持った人間がこれだけいて、人質もこんなにいるんです。迂闊に動くことは出来ません。今は様子を見ましょう」
エリカは、意外なほどに冷静だった。そう小声で、アッシュに言葉を返す。彼女の正論に、アッシュもおとなしく頷くしかなかった。本来、彼は決して好戦的な性質ではなかったが、魔法という力を手に入れたことによって、気が大きくなっているようなところがあったのかもしれない。アッシュはそれを自覚して、少し自重しようと反省する。だが、いざなにかあったときには、遠慮するつもりはなかった。アッシュは、なにかあったらいつでも動けるように、周囲に気を配ることにする。
その間に、武装集団のメンバーが銃を突き付けることで人質を移動させ、エレベーターから展望台をちょうど四分の一周した辺りに集めて座らせた。五人ほどのメンバーが、人質を取り囲んで監視するようだ。人波が皆、座ったことで、視界が開けた。すると、エレベーターの前に、一人の警備員が仰向けに倒れているのが目に入る。その頭からは血が流れ出しており、床に血溜まりを作っていた。
「く……っ」
それを見て、エリカが悔しげに唇を噛む。一方、アッシュには、いま一つ事態が飲み込めていない。
「あれ、血が……? え? セイフティ掛けてないのか!?」
「いいえ、あれは魔力弾ではありません。貴方の星のものと同じ、実弾を発射する実銃によるものです」
悔しげな表情のまま、エリカが小声で言った。アッシュは驚く。なんとか自制して、小声でエリカに尋ね返した。
「なんで、魔法があるのに――!?」
「アッシュ。先日の夕食の席での雑談で出た話題を覚えていますか? 魔法使いとしてやっていけるほどの高い魔力値を持つ人は、全人口の内でもごく一握りしかいないという話です。では、魔力値が低い者が戦う力を求めるときは、どうすればいいのでしょうか? 答えは簡単です。貴方の星の人々と同じように、銃を手に取るのです」
「そんな……!」
そのエリカの説明に、アッシュは強い衝撃を受ける。戦いそれ自体はなくなってはいないものの、使用される武器が安全装置を掛けた魔法という手段になることで、相手を傷付けずに済むクリーンな戦いに進化した世界が、このセレストラル星系の文明の有り様だと、単純に疑いもせずに思っていたのだ。しかし、そう思う一方で、それはそうか、そんな都合のいい世界が簡単に実現するはずもないよな、という冷笑的な感想が、衝撃を受けているはずなのに頭の片隅に浮かんでくる。最近のアッシュは、時にこのような全く違うことを自然と並列思考で考えられるようになってきていた。魔法を使うようになって、多重処理を頻繁に行うようになった影響かもしれない。彼は、自分の中のその冷静な思考を引き金として、無意識に頭全体を速やかに衝撃から回復させた。
「……そうだ。それより、あの人を早く手当てしないと……!」
アッシュは衝撃から立ち直ると、動転している場合ではないことに気付いて、立ち上がりかける。しかし、エリカはその動きを制止すると、硬い表情を浮かべて、彼の言葉に静かに首を振った。
「手の施しようがありません。即死だったでしょう」
「……え?」
アッシュは改めて、倒れた警備員を見る。額に穴が開いており、血が溢れ出していた。そうだ。あんなところを銃で撃ち抜かれて、生きていられるはずがない。銃殺された死体など、ドラマや映画でしか見たことがなかった。それが、今、現実に、目の前にある。アッシュは急激に頭に血が上るのを感じた。後先考えず飛び出しそうになる彼を、エリカがその腕を掴んで、危ういところで引き止める。
「落ち着いて下さい、アッシュ! 下手な動きを見せれば、貴方だけでなく、周りの人質たちも危険に晒されます!」
小声だが強い口調で諭すエリカ。思いがけないほどの強さで彼女に腕を引かれて、アッシュはその場に座り直させられた。その彼女の言葉の意味が頭に染み透ってきて、アッシュは眼を閉じると、心を落ち着けようと大きく息をする。そうして数回深呼吸をして、眼を開いた。まだ完全に冷静になれたとは言い難かったが、とりあえず、今すぐにでも飛び出そうという気は治まったようだ。
「済まん。……冷静にならないとな」
アッシュは、もう大丈夫、というように、腕を掴んでいるエリカの手を軽く叩いた。硬い表情を浮かべたままエリカが頷き、その手を離す。エリカも、言うほど冷静ではないのだろう。かなりの力で掴まれていたらしく、彼女に掴まれていた腕が鈍く痛む。シャツの袖の下には、彼女の手の跡が残っているかもしれない。アッシュはその腕をさすりながら、落ち着いて状況を整理しようと、彼女に尋ねた。
「こいつら、いったい、なんなんだ?」
「ディーダ・ギルガル民族解放戦線と名乗っていましたね。確か、第二惑星ディーダの少数民族の解放を大義名分に掲げた武装勢力の一つだったはずです」
先刻の、彼らのリーダーらしき髭面の男の名乗りでは、『クロアルチド・ヲル・ベレトン・レイズフォーラト・ソ・ディーダ・ギルガル』というやたらと長い名前だったが、今、エリカは『ディーダ・ギルガル民族解放戦線』と言った。どうやら、自動翻訳されたらしい。エリカが言葉を続ける。
「統一政府であるセレストラル星系連邦が樹立してから、既に百年余りが経過しているのですが、お恥ずかしい話ですけれど、このような民族紛争や宗教対立による紛争は未だに各地で後を絶たないんです」
「紛争、か……」
そういえば、確か昨日買い物をしていたときの雑談でも、紛争地域がどう、という話題が出たように記憶していた。
「はい。連邦によって統一された私どもの世界には、国と国との戦争というものはもはや存在しません。しかし、その代わりに、このようなゲリラ的な紛争は、かえってその数を増しているのです。大半は、統一戦争時からの火種が燻っているようなものですが、勿論、もう既に、統一戦争を実際に体験した世代などは生き残ってはいません。祖先の恨みを晴らす、または悲願を果たす、といった行動原理で組織が動いているのでしょう。それから不思議なことに、最近では、若者が中心となったゲリラ組織が新たに民族純化の運動を起こすというようなことも増えていると聞きます」
エリカの説明に、アッシュはまた少し衝撃を受ける。世界が統一されたら、それで全世界が平和になる、というほど、現実は簡単なものではないらしい。そんな単純な理想論を信じているほど子供ではないつもりだったが、それでもやはり、決して小さくない衝撃を受けたことも事実だった。
「……戦争が終わったんなら、それで全ての争いが終結すればいいのにな。なんでわざわざまた争いを起こそうとするんだろう」
アッシュの口から、思わず、あまりにも子供っぽい感想が漏れる。しかし、エリカはそんな彼の言葉にも笑わずに、同意するように意外なほど真剣な顔で頷いた。
「はい。貴方の仰る通りだと思います。貴方がたの星よりも文明レベルが高いなどと自負しているくせに、お恥ずかしい限りです」
だが、ここでそんな、ある種哲学的な問答を繰り広げていても仕方がない。アッシュは頭を切り替え、話を戻す。
「――それで、こいつらはそんな統一戦争のときの亡霊の一つってわけか」
「亡霊、という認識は的確ではないかもしれません。もっとずっと生々しいものです。確か、このディーダ・ギルガル民族解放戦線は、金銭で動き、政治的信念のないような破壊活動も行うタイプの武装勢力だったと記憶しています」
「なんだよ、それ……。ポリシーもなにもあったもんじゃないじゃないか……!」
エリカのその説明に、アッシュは憤慨した。勿論、ポリシーがあれば破壊活動を行っても許されるというわけではないが、だからといって、金銭で破壊活動を請け負う組織など、さらに一段下だ、と思う。
「じゃあ、要するに、一言で言うと、こいつらはテロリストってことでいいんだな?」
アッシュは端的に切り捨てる。乱暴な括り方だったが、そのまとめにエリカも頷いた。アッシュは、彼らの素性が理解出来たところで、次に、現在のこの行動の目的について推察しようとする。
「そのテロリストどもが、このタワーになんの用なんだ? ……そうか、これって電波塔だったな。電波ジャックでもしようってのか?」
「それは、わかりません。しかし、人質を取って立て篭もっている以上、いずれ、彼ら自身が目的を明らかにすることでしょうが――」
「そこ! さっきからうるさいぞ! 余計なお喋りはするな!」
人質を監視していたテロリストの一人が、小声で会話をしていたアッシュとエリカのほうへアサルトライフルを向けた。彼らに刺激を与えては、人質全体が危険に晒される。無用の危険を招くのは賢くはないだろう。そう判断して、二人は慌てて口を噤む。だが、彼らの隣にいた五歳くらいの女の子が、周囲の人質たちの不安げな雰囲気に当てられていたのか、その怒鳴り声を引き金にして、母親に縋り付いて泣き出してしまった。先ほどのテロリストが、今度はその女の子と母親に銃を向け直す。
「そこ! 静かにしろ!」
「子供にそんなもん、向けんじゃねぇ!!」
先ほど自重しようと思ったばかりだったのだが、それを見て、アッシュは一瞬で切れた。弾かれたように立ち上がって、その母子と銃を向けるテロリストとの間に立ちはだかる。そのテロリストが、銃口をアッシュの胸に向けた。数秒、睨み合う。幸いと言うべきか、そのテロリストは銃の引き金を引くことはせず、その代わりにアッシュに歩み寄ると、銃を逆手に持って大きく振りかぶった。
「『魔――、く……っ」
アッシュは反射的に防御魔法のコマンドを唱えてしまいそうになったが、ギリギリのところで自制する。こんなところで魔法を使って、魔法使いだと彼らに知られてしまうわけにはいかなかった。いざなにかあったときに、動くことが出来なくなる。否、それ以前の問題として、すぐに周囲のテロリストたちからの集中砲火に晒されてしまうことだろう。銃弾くらいは、自分の鉄壁の守りを誇る防御魔法陣で防ぎきれる自信はあったが、それで他の人質まで危険に巻き込むわけにはいかない。アッシュは頭の片隅の冷静な部分で、一瞬でそれだけの思考を働かせると、おとなしく殴られておく覚悟を決め、腹に力を込めて衝撃に備えた。そのテロリストが振り下ろした銃のストックが、腹に叩き込まれる。予想していたものよりも大きな痛みが腹から背中へ突き抜けた。アッシュはくの字になって床にうずくまる。正直なところ、彼は魔法を手に入れるまで、ほとんど殴り合いの喧嘩すらしたことがない。それ故、このような本気の暴力を受けたのは、生まれて初めてのことだった。殴られた腹が痛いというより苦しい。身体を起こすことも出来ずに、ただ咳き込むしかなかった。
(このくらいの痛み、魔力弾を一発食らったようなもんだ! この程度じゃ、まだスタンはしねぇぞ!)
無様に這いつくばって咳き込みながらも、アッシュは、そう心の中で強がる。
「おとなしくしていれば、危害は加えない。黙って座っていろ」
そのテロリストはそう言って、銃口を天井に向けるように銃を肩に担ぎ、元の場所へ戻っていった。その後姿を睨みつけながら、アッシュは呻く。
「くそ……っ! ……ヤロウ、覚えてやがれ……!」
頭に血が上っているせいか、生まれて初めてとも言える暴力を受けても、その心は萎縮する方向へは行かず、むしろ、より怒りが増した気がした。あまり頭に血を上らせ過ぎるのもまずい。冷静さを欠くことになるだろう。アッシュは頭の片隅でそう考えて、少し気を落ち着けようと思った。
「アッシュ、大丈夫ですか!?」
隣に座ったエリカが咳き込む彼の背をさすりながら、小声で声を掛けてくる。
「……ああ、大丈夫だ」
アッシュは痛む腹を押さえたまま、床に座り直した。
「少し落ち着いて下さい。心臓が止まるかと思いましたよ?」
エリカが心配そうな表情で言う。
「……悪い」
その表情を見て申し訳なくなったアッシュは、素直に謝った。頭に上っていた血が、すぅっと下がってくるような気がする。彼は心を落ち着ける為、泣いている女の子にチッピィを向かわせてあやしてやることにした。
「ほら、泣かない泣かない」
(泣く、ない、強い)
アッシュが女の子の顔の前にチッピィを差し出して、その前肢を持って彼女の頭を撫でてやると、チッピィはふんふんと鼻を鳴らしながら彼女の顔を覗きこむようにして、アッシュと一緒になって女の子をあやそうとする。その女の子は、頭の中に聞こえてきた声に、一瞬、泣くことも忘れてきょとんとした表情を浮かべた。すぐにそれが、目の前の犬のような生き物の声だと気付くと、笑顔になって、アッシュの手からチッピィを受け取り、ぬいぐるみのように抱きかかえる。
「チッピィ、その子を頼むな」
(わかった、アッシュ)
アッシュが言うと、チッピィはそう答えて、その女の子のなすがままになった。彼女はチッピィを顔の前に持ち上げると、何事かお喋りを始める。それを見て安心したのか、その女の子の母親が、自分たちを庇って殴られたアッシュの身を案じて頭を下げた。しかし、アッシュは首を振る。
「いや、俺が勝手にやったことだから」
「そうです。お気になさらず。この人の自業自得です」
隣のエリカまでもが、そんなことを言った。その母親に対する気遣いなのだろうが、その言葉にアッシュは苦笑するしかない。
人質たちの間でそんなトラブルが発生していたその頃、そこから少し離れたエレベーター前では、テロリストのリーダーに、部下たちが現状を報告していた。
「一班、通信施設の占拠を完了。準備に取り掛かりました」
「二班、外部に出ました。作業を開始しています」
「地上班より報告がありました。VG‐01からVG‐42の起動を完了。配備を開始したとのことです」
その報告と同時に、展望台のガラスの外側をぐるりと取り囲むように、何人もの黒い人影が下から浮かび上がってくる。アッシュは、なにか嫌な圧迫感のようなものを感じて、ガラスのほうへ振り向いた。ガラスの外の空中に浮かぶ黒い人影を凝視する。それは、全身を黒く刺々しい、キチン質の甲殻類のような装甲に覆われた、禍々しい印象を受ける異形の人影だった。アッシュが見つめていたその人影が、まるでその視線に気付いたかのように、展望台内部に振り向く。アッシュは、その異形の人影の、黒い装甲がさながら仮面の如く覆っている顔に入った亀裂のような意思すら感じさせない目と、目が合ったような気がした。否、合ったのは目ではない。アッシュの視線は、その異形の人影の眉間に輝く、小さな紅い石に吸い寄せられている。その全身を黒い装甲で覆われた異形の人影の眉間には、忘れられるはずもない、禍々しい輝きを放つ紅い石が埋め込まれていた。アッシュの口から、意識せずに言葉が漏れる。
「まさか……、こいつが、完全体の――!?」
「――魔人兵!? そんな! また、『魔人血晶』だなんて!?」
隣のエリカが、驚愕の声を上げるのが聞こえた。