表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/23

第一章‐4

 アッシュとエリカは遅い昼食を終えると、着替えの為に、いったんホテルへと戻る。今朝、陸軍本部に来るときは、昨日軍から借りた車で来たのだが、その車は陸軍本部に到着してすぐに返却してしまったので、帰りは列車だった。この首都セレストを走る列車は、街のかなり高いところに張り巡らされた架線にぶら下がって高速で走るモノレールだ。アッシュは、この列車は眺めがいいし、スピードが速いのもいいんだけど、駅も高いところにあるから上り下りするのが面倒なんだよな、などという感想を思い浮かべる。乗り込んだ列車の中では、軍服姿のエリカが多少目立っていたようだったが、視線が気になるほどではなかった。だいたい、それを言ったら、アッシュの詰襟の学生服のほうが見慣れない為、目立っていただろう。列車に十分ほど揺られて、ホテルのあるセレスト中心街に帰り着く。見送りに間に合うかと期待したのだが、ホテルに着いてみると、残念ながらアリーセとサーニャは既に出発してしまった後だった。

 アッシュは自分の部屋で、査問委員会に出席するときの為にわざわざ持ってきていた正装である高校の制服から、彼の星ではごく普通の私服のシャツとジーンズに着替える。チッピィを連れて廊下に出てみると、エリカはまだ着替え終わってはいないようだった。まぁ、女性のほうが着替えには時間が掛かるものだしな、とラブコメもののマンガかラノベで仕入れたような知識で一人納得して、廊下の隅でチッピィをいじってエリカが部屋から出てくるのを待つことにする。

「ん……」

 エリカは珍しく悩んでいた。ベッドの上には二着の洋服が広げられている。一着は、いつものようなシンプルなパンツルック。七分丈なのが動きやすくて気に入っている。もう一着は、フレアのミニスカート。短過ぎるということもない、膝上五センチ程度の丈だ。

 いつもパンツルックのエリカとて、スカートの一着や二着は持ってはいる。ただ、気が付いてみると、アッシュの前でスカート姿を披露する機会を逸してしまっていた。これでも、彼女も年頃の少女だ。同年代の少年の前ではファッションにも気を遣う。そういう意味では、今日の軍服のタイトなミニスカートは、アッシュにスカート姿を見せつけるいい機会だと思ったのだが、彼は、似合うとも似合わないともなんとも言ってくれず、結果、スカートを穿いていいものかどうか判断が付かなくなってしまったのだ。エリカは、ベッドの上からミニスカートを取り上げ、眺めてみる。

(やっぱり少し浮かれて見えるかしら……。いえ、でも、軍務中ではないのだし、このくらいは……)

 アッシュがキラリと歯を輝かせて、

「ミニスカートも似合うよ」

 とでも言ってくれれば万事解決なのに、と理不尽な怒りを覚えるが、彼がそういうタイプのキャラではないことはもうわかっている。格好を付けたがるくせに、女子への気遣いは足りていない、という典型的な女性に慣れていない男性なのだ。おそらく、これまで女性とは友達としてしか付き合ったことはないのではないだろうか。しかし、エリカも士官学校時代は大勢の男友達がいたが、その中の特定の一人と付き合うということはしたことがなかったので、あまり人のことは言えない。そういえば、彼は亡くなったレーナという女盗賊のことにやけに執心しているようだが、どういう関係だったのだろう、と少し気になった。前述したような理由から、男女の深い関係だったとは、どうしても思えないのだ。そこまで考えてエリカは、そういうことを詮索するのは、はしたないことだと気付き、その思考を打ち切った。それはそれとしても、やはり亡くなった人物にあまりにも拘り過ぎるのはよくないことに思える。死者に取り憑かれているような不健全さを感じるのだ。亡くなった女性に執着する彼のことが、少し心配になった。

 それから、彼を待たせていることに気付き、そもそも悩んでいた今日の服装のほうに意識を戻す。エリカはほんの少し悩んでから、結局、一つ溜め息を吐いて、パンツルックのほうを選択した。気に入らないわけではない。服自体は気に入っている。ただ、たまには自分ももっとフェミニンなファッションをしてみてもいいのではないかと思ってしまっただけだ。エリカは手早く、このセレストラル星系の衣服にしてはシンプルなデザインのそのパンツルックに着替える。勿論、軍服姿でもないのに街中を武器を持って歩くわけにはいかないので、魔装剣は置いて、予備の魔装具である琥珀色のブローチをブラウスの襟元に着けた。着替え終えて部屋から出る頃には、気持ちの整理も付いている。アッシュは、彼女の密かな苦悩も知らず、暢気に廊下の隅でチッピィを撫でまわして遊んでいた。エリカはその様子を見て、溜め息というほどでもない軽い息を吐くと、彼に声を掛ける。

「お待たせしました。それでは、参りましょうか」

「おう」

 返事をして、アッシュは立ち上がった。そうして、二人と一匹は列車に乗って、首都セレスト郊外にある公営の共同墓地へと向かう。その共同墓地の管理施設を訪ねてみると、幸い土地は空いているようで、何事もなく、その一区画を買うことが出来た。墓地の購入の手続きをして、さらに墓碑の手配もする。墓碑にはシンプルに、『彼女』の名前と生年、没年だけを刻むことにした。本来ならば、葬儀を執り行った上で墓を作るものなのだろうが、『彼女』の場合は、墓に埋葬すべきものがなにもない。それ故に、葬儀も行わず、墓穴も掘らずに、墓碑を置くだけにした。それに、もしも葬儀を行ったとしても、身寄りのない『彼女』のこと、参列者は、昨晩アッシュが戦った、あの『彼女』の兄貴分だという盗賊、『緑風』のラングラン=クレドくらいしかいないだろう。広域指名手配されている身で、のこのこと参列に出てくれば、の話だったが。

 諸手続きを終えて、共同墓地を後にする。明日までしかこの星にいられないアッシュには出来上がった墓に参ることは叶わないが、いずれ訪れる機会もきっとあるだろう、と希望的観測で自分を納得させた。

「ありがとう。借りた金は、軍から振り込まれるっていう手当てで返済していくよ」

「はい。それで結構です」

 頭を下げたアッシュの言葉に、エリカが頷く。先刻まであんなにいい天気だった空に、雲が広がってきていた。エリカには、それがなんだか彼の気分を象徴しているかのように思える。列車の駅に向かって歩きながら、湿っぽい空気を吹き飛ばすかのように、ことさらに明るくエリカは尋ねてみた。

「まだ、夕食までにはだいぶ時間がありますね。アッシュ、どこか行きたいところや、やりたいことはありませんか?」

(チッピィ、遊ぶ!)

 エリカの言葉に、自分の魔力によって作られた光の紐で出来たリードに繋がれて二人の前を歩いていたチッピィが、振り返って念話でそう言ってくる。アッシュは、苦笑して言い聞かせた。

「おまえと遊ぶのは、また後でな」

(チッピィ、待つ)

 チッピィは聞き分けがいい。おとなしく、また前を向いて、とことこと歩く。アッシュは少し考えを巡らせて、エリカに向かって言った。

「じゃあ、ついでと言ったらなんなんだけど、もう少し、借金させてもらえないかな?」

 エリカは黄金色の髪を揺らして小首を傾げる。

「それは構いませんが、まだレーナさんのことでなにかあるのですか?」

「いや。今度は純粋に、俺の趣味。魔法をいくつか買いたいんだよ」

 アッシュのその言葉に、エリカはどことなく安心したように頷いた。

「そうですか。それでは商業街区のほうに移動して、魔法ショップに参りましょう」

 そうして、二人と一匹はまた列車に乗り、アッシュは一昨日もアリーセ、サーニャに案内してもらった、この首都セレスト一の繁華街へ向かう。エリカの案内で、この星でも最大規模の品揃えを誇るという触れ込みの大きな魔法ショップに入った。広い店内には、様々な魔装機が陳列されている。ショーケースの中には、指輪や腕輪、ブローチやペンダントといった多様な外装の魔装具が並べられていた。アッシュの――『彼女』のもののような装飾用の手袋型や、サーニャが使っているような額冠(ティアラ)型の魔装具もある。魔装機本体である石の色も、色とりどりの色があるようだ。この石の色は、性能や用途毎にでも色分けされているものなのか、それともただの見た目だけのものなのかは、アッシュにはわからなかった。ショーケースを覗き込みながら、アッシュは聞いてみる。

「この魔装機の色って、なにか意味があるのか? 例えば、性能に関係してるとか」

「特にそのようなことはないですね。単なるファッション的なものです」

 人差し指を細い顎に当てて、エリカが答えた。

「そうか」

 アッシュは相槌を打って、ショーケースから店内全体へと視線を移した。壁には、古式ゆかしい木製の杖型の魔装機――魔装杖なども掛けられているが、店内を見回しても、魔装剣や魔装銃は見当たらない。気になったので、またアッシュは尋ねてみる。

「魔装剣とか魔装銃は売ってないのか?」

「そういった武器型の魔装機は、一般への販売が規制されているので、このような普通の魔装具等とは売り場が別になっているんです」

「なるほど」

 そのエリカの答えに、言われてみれば、自分の星でも、先進国ではたいてい刀剣や銃を買うには免許が必要だよな、とアッシュは納得した。そうして店内を眺めながら、一階の魔装機の売り場を通り抜ける。店内の端にあるスロープの前に着くと、直径一メートルほどの光で出来た床のようなものが現れた。これは、アッシュの星でいうエスカレーターに当たるもので、その光の床に乗ると、それは自動的にスロープを上って上の階へと移動する。アッシュは、エレベーターもこんな光の床が上下するようなものだし、この移動手段はSFっぽくていいな、とそれらを使う度に少し嬉しくなる。そうして、目的の、魔法のプログラムの売り場に着いたのだが、アッシュはそこを見回して、思わず吹き出してしまった。

「どうされたのですか?」

 驚いたエリカが尋ねてくる。

「いや、なんでもない……」

 笑いを堪えながらアッシュは答えた。そこには、かつて『彼女』に、魔法は専門店で買う、と聞いたときに想像したのと寸分違わない光景が広がっていたのだ。まるで彼の星のパソコンショップのソフトウェア売り場のように、魔法のプログラムのパッケージがぎっしりと並べられた棚が、ずらりと設置されている。ようやく笑いが治まったアッシュは、そこで、はたと気が付いた。

「あぁ、そうか。自動翻訳は視覚には効果がないから、エリカに売り場を案内してもらって、パッケージも選んでもらわないとならないな。済まないけど、頼めるか?」

「はい。お手伝いしましょう」

 アッシュの頼みに、エリカが頷く。

「では、まず大まかに、どういった魔法をお求めですか?」

「そうだなぁ。まずは拘束魔法を出来るだけ種類多く――」

「拘束魔法なら、既にいくつもお持ちじゃないですか。あまりたくさんあっても、使い分けが出来なくなるだけですよ?」

 アッシュの答えに、エリカは、この人はどれだけ拘束魔法が好きなんだろう、と少し呆れたような顔になって、忠告の言葉を口にした。アッシュは彼女の言葉に首を振って、理由を説明する。

「いや。拘束魔法は基本的に不意打ち用だからな。一度見せたものは二度は効かないと思ったほうがいいんだ。だから、種類があればあるほどいいんだよ」

「そういうものですか……?」

 近接攻撃一辺倒のエリカには、理解してもらえなかったようだ。しかし、これは拘束魔法に特化した彼特有の悩みなので、無理に理解してもらう必要もないだろう。そう思い、その話はそのまま流して、アッシュは本題の話を進めることにした。入手しておきたい魔法を指折り数える。

「ああ、まぁ、そういうものなんだよ。――あとは、プロの作ったものを参考にしてみたいから、防御魔法と結界魔法を二、三種類くらいずつ欲しいな。それと、誘導型の射撃魔法とか砲撃魔法――」

 砲撃魔法は、射撃魔法をベースにして作ってみようとしたことがあるのだが、そもそものプログラムの構造が違うものなのか、上手く形にならなかったのだ。その言葉を聞いて、エリカが笑う。

「砲撃ですか?」

「変か?」

「はい。似合いませんね」

 はっきり言われてしまった。アッシュは、なんとなく言い訳をしているような気分になりながら、言葉を返す。

「どっちかっていうと、実際に使う為っていうよりは、中身がどんな風になってるか見てみたいっていう興味のほうが大きいんだけどな。でも、ひょっとして、解析してみたら、俺に合った砲撃魔法ってのが作れるかもしれないだろ?」

「うーん、そうですね……」

 と、エリカは、やはりあまり同意してくれないようだった。アッシュは、ふと疑問に思ったので尋ねてみる。

「そういや、エリカは、砲撃どころか射撃も全然使わないけど、持ってないのか?」

「射撃魔法くらいなら持っていますが、ほとんど使う機会はありませんね。砲撃魔法は勿論、持っていませんけれど。砲撃が必要なときは、アリーセがいますから。アッシュは、なにもかもをお一人でやろうとし過ぎなんじゃないですか?」

「そうなのかな……? というよりは、俺はいろんな魔法のプログラムがどんな風に作られてるかに興味があって、だから、それを解析してみる為にいろいろと手を出したいんだと、そんな風に自分では思ってるんだけど」

 エリカの指摘に、アッシュはそう自己分析をした。それを聞いて、エリカは人差し指を細い顎に当てて、金色の瞳を彼の顔に向ける。

「そうなんですか。そのような探究心の深さが、貴方の魔法使いとしての才能の根幹なのかもしれませんね」

「そうか……? なんか照れるな」

 エリカの言葉に、アッシュは頬を掻いた。

「まぁ、確かに、魔法は使うより、解析したり作ったりするほうが楽しいけど」

「そのようなところは、素直に感心しますね」

 その彼の感想に、エリカが納得したように相槌を打つ。

「簡単なカスタマイズですら、面倒がって手を付けない魔法使いも多いというのに」

 その彼女の言葉が、少し引っ掛かったので尋ね返した。

「そうなのか? 前に聞いた話じゃ、魔法を自分の使いやすいようにカスタマイズしてあるかどうかが生死を分ける、ぐらいの重い感じで言われたんだけど」

 誰に、とは言わない。エリカも、そこには突っ込んでこなかった。

「そうですね。確かに、魔法戦闘を日常的に行うような職業の魔法使いにとっては、その通りなのでしょう。けれど、そもそも、そこまで魔法戦闘を行うような職業というのが、かなり限られます。アレ・フォー・クリーグの最前線にいる兵士か、それでなければ非合法活動に従事しているような人間くらいではないでしょうか」

「アレ・フォー・クリーグ?」

 エリカの説明の中で、自動翻訳されなかった単語を聞き返す。エリカも心得たもので、簡潔に繰り返した。

「紛争地域、です」

「……あぁ、やっぱり、この星でも戦争はあるんだな」

「いえ、この第三惑星セレストには、現在、目立った紛争地域はなかったはずです。紛争が多いのは、第二惑星ディーダや、連邦属領の二つの恒星系ですね。それから、『戦争』ではなく『紛争』です。統一政府である連邦によって統治されている私どもの星々では、もはや国家間の戦争というものは存在しませんから」

 なにげなく呟いた感想に、次々と訂正が入る。言葉選びが、あまりに適当だったらしい。慌てて、理解したことを伝えるように頷く。

(それにしても……、最前線の兵士か、非合法活動をしてる人間、か)

 言うまでもなく、アッシュにカスタマイズの重要性を教えてくれた『彼女』は、後者の人間だった。アッシュは内心で苦笑する。説明が、自分基準過ぎだ。

 エリカが黄金色の長い髪を後ろに捌きながら話を戻す。

「どちらにせよ、貴方のような自作レベルの魔法のカスタマイズを行っている魔法使いは、ごくごく一握りでしょうね。専門的知識が必要ですから、それなりに勉強しなくてはなりませんし。カスタマイズ自体も、解析から修正の為の設計、コーディング、テストまで行えば、結構な時間が掛かるものですし」

「そうか。それは確かにそうだな」

 アッシュは気軽な立場の学生なので、それらに掛ける時間もある程度自由に取れるが、このセレストラル星系で魔法を使う職業に就いているような人々にとっては、本来の日常業務をこなしながら、それらに割く時間を捻出しなくてはならないのだ。そうそう、この魔法のプログラミングにばかりかまけているわけにもいかないのだろう。

「……働くって大変だな」

 発言が飛躍して急にそんなことを言い出すアッシュに、その既に働いている人間であるエリカは曖昧に微笑んだ。エリカは笑いを引っ込めて、アッシュに尋ねる。

「なんだか話がずいぶん逸れてしまいましたね。お探しの魔法は、そのような感じで全てですか?」

「そうだな……。あぁ、あと、転移魔法も欲しいな」

 転移魔法は、原理がさっぱりわからないので、全く組み始めることさえ出来なかったのだ。プログラマーとしては悔しいが、こればかりはどうしようもない。その代わりに、市販のものを隅々まで解析してやる、とアッシュは考えていた。

「転移ですか。確かに便利ですが、危険でもありますよ? 使用には細心の注意を払って下さいね」

 エリカが少し真剣な眼差しになって言う。危険というのは、転移先の座標指定を間違うと、そこにあるものに埋まってしまうことがあるという、いわゆる、いしのなかにいる!現象のことだろう。

「ああ。十分、気をつけて使うことにするよ。というか、これも、どっちかっていうと、中身を解析してみる為に欲しいんだけどな」

 アッシュは彼女の忠告に頷くと、指を折って数えていた手を見下ろした。

「うん。とりあえず、そんなもんかな」

「わかりました。では、まずは拘束魔法の売り場から見ていきましょうか」

 一区切りしたようなアッシュの言葉にエリカが頷いて、売り場の中を先導するように歩き出す。それから暫くの間、店内のあちこちを回って、アッシュはたくさんの魔法のパッケージを買い込んだ。その数に、エリカがまた少し呆れたような顔をする。このセレストラル星系の通貨価値がわからないので、どのくらいの散財なのか、はっきりとはわからなかったが、自分の星のパソコンのソフトウェアに置き換えて考えてみると、確かに彼も、一度にこれだけの数を買い込む人を見掛けたら呆れるだろうな、と思った。いったいどれくらいエリカに借金をしたのか、見当も付かなかったが、どうせ返済に充てるのは他に使う当てもない異星の金だ、と開き直ることにする。アッシュは魔法のパッケージが山ほど詰まったショッパーバッグを提げ、チッピィのリードをエリカに預けて店を出た。

「とりあえず、お茶にでもしましょうか」

「そうだな」

 エリカの提案で、二人と一匹で喫茶店に入り、午後のお茶にする。アッシュは相変わらず、ボルセスという緑茶に似た味のピンク色をしたハーブティーを注文した。アッシュの足元に丸くなったチッピィには、水を貰う。エリカはお茶とケーキのようなもののセットを頼んだようだ。やはり彼女も、アリーセやサーニャと同様に、任地であるアッシュの星では金銭的に余裕がなくて自由に甘いものが食べられない分、本星に帰ってきたときに食べるらしい。たっぷりとオレンジ色のクリームの乗ったケーキのようなものを幸せそうに平らげてから、お茶を飲んで一息つくと、エリカがアッシュに問い掛けてくる。

「あと、要り用なものはありますか?」

 見透かされていた。もう少しだけ、借金を申し込もうと思っていたところだったのだ。アッシュはお茶のカップを置いて、切り出す。

「うん。申し訳ないけど、あと少しだけ。本を何冊か買いたいんだ」

「本ですか? でも、貴方は私どものセレストラル語は読めないでしょう?」

 エリカが小首を傾げる。

「ああ。だから、本と言っても、自動翻訳アプリが使えるように電子書籍だな。実際に本屋に行くんじゃなくて、ネット書店で買い物をしてもらうってことになるのか」

 アッシュがそう言うと、エリカは頷いた。

「わかりました。では、ネット書店を見てみましょう」

 エリカは、襟元に着けた琥珀色のブローチ型をした魔装具に触れて、魔装機の操作端末を開く。それから、そのブローチ型の魔装具を外して、アッシュがテーブルの上に置いた右手の手袋型の魔装具に近付けた。

接続(コネクト)

 その一言で、二つの魔装機をリンクさせる。そして、このセレストラル星系の世界的規模のネットワークであるグローバルネットを使って、この文化圏で最大手のネット書店のウェブサイトを開いた。

「どういった本をお探しですか?」

「まずは、魔法のプログラミング言語の解説書が必要だな。出来れば中級者向けっぽいのを、二、三冊」

 『彼女』の魔装機の中に入っていた、最初に読んだ解説書は、非常に初心者向けという感じだったのだ。それはそれで、最初の取っ掛かりとしては申し分なかったが、使い慣れてきた今となっては、少々物足りない。そのアッシュの返事に、エリカが少し眉を寄せながら、本を検索する。

「中級者向け、という条件が、なかなか難しいですね……。こういうものは、サーニャが詳しいんですけれど――」

 そう言いながら、なんとかそれらしい検索結果を表示させた。

「ずいぶんとたくさんありますね」

「売れてる順に、二、三冊頼む」

「はい」

 そのアッシュの言葉に頷いて、エリカが三冊の解説書を購入する。名義はアッシュで、支払いの決済はエリカの電子マネーで行った。購入した電子書籍は、リンクしたアッシュの側の魔装機に保存する。

「それと、転移魔法の原理を、素人にも理解出来るようにわかりやすく解説した本があれば、それが欲しいな」

 この星に来るとき、航宙船の転移航法中に、転移魔法の原理についてサーニャに解説してもらったのだが、ほとんど理解出来なかったのだ。アッシュとしては、それが悔しいので、自力で勉強してみようという気になったのだった。彼の星の科学技術を遥かに超えた理論だとはいえ、原理を解説した本を読んで、それと平行して転移魔法のプログラムを解析してみれば、およそのところは掴めるのではないかと楽観視している。

「転移魔法の解説書ですか。これは初心者向けですね?」

「ああ。簡単そうなやつを一冊、頼む」

 そう頼んでエリカにまた本を検索してもらった。

「これも、たくさんありますね。どれが、簡単そうでしょうね……」

 と、エリカに、初心者向けというよりも、むしろ子供向けに近いような、図解の多い解説書を選んで購入してもらう。これも、支払いはエリカで、保存はリンクしたアッシュの魔装機に行った。

「あとは、こいつの飼い方のマニュアル本だな」

 アッシュは、足元で丸くなっているチッピィを指しながら言う。自分が話題に上ったことを感じて、チッピィが耳をピクリと動かしたが、眠いのか、それ以上の反応はない。エリカが頷いて、また本を検索した。

「バフスクの飼い方、ですか。――これも、珍しい生き物の本にしては、意外とたくさんありますね」

「これは、一番人気の一冊だけでいいや。頼む」

「はい」

 アッシュのその指示で、エリカが一冊のマニュアル本を購入する。これも、エリカが代金を支払って、アッシュの魔装機に保存した。魔装機の操作端末のモニターから目を上げて、エリカが尋ねてくる。

「これで、お探しのものはお揃いですか?」

「ああ。これで、今度こそ買い物は終了だ。ありがとう」

 アッシュが頭を下げた。

「いえ。この分も、きちんと返済して頂きますから」

 エリカが珍しく、金色の眼を細めて悪戯っぽい笑みを見せる。

 それから後は、一昨日、アリーセ、サーニャともそうしたように、繁華街をぶらぶらと散策して過ごした。チッピィのリードを握って、エリカが通りに並ぶブランドショップのウィンドウショッピングをするのを眺める。日が暮れる頃までそうして観光をし、エリカがグローバルネットでこの辺りのレストランを調べて、二人と一匹で夕食にすることにした。アッシュは、今日の夕食は大雑把に、卵料理、とリクエストしてエリカに選んでもらう。やがて、彼の前に運ばれてきたのは、オレンジ色のオムライスのような料理だった。さっそく一口掬って食べてみる。ふわふわの卵の下に入っているのは、チキンライスではなく、どちらかというと炒飯のようなものらしかった。どことなく中華風に感じられる味付けが、なんだかおかしい。そうすると、これはオムライスというより、むしろ天津飯に近いものなのかもしれない、などというどうでもいい感想が浮かぶ。テーブルの下を窺ってみると、チッピィは、今日もなにかの骨付き肉を食べているようだった。そうして食事をしながら、アッシュは今まで聞き忘れていたことを確認してみる。

「そういえば、聞いてなかったけど、明日はどうやって帰るんだ? 来るとき使った『彼女』の航宙船は売っ払っちまう予定だから、使えないだろ?」

「えぇ。明日の夕刻に、貴方の星のある辺境方面への荷物の受け渡しに行く定期便が出ますので、それに乗って帰ることになっています。こちらを発つのは夕刻ですけれど、時差があるので、貴方の国に到着するのは真夜中頃になってしまいますね」

「そうか。定期便か」

 エリカの返事を聞いてアッシュは、帰るのが真夜中だと明後日の学校が辛いかもな、などと考えていた。エリカはパンを千切って食べ、スープを一口飲むと、口元をナプキンで拭って、言葉を継ぐ。

「それで、明日ですけれど、定期便に乗る夕刻までは時間がありますが、どうされます? 観光でもされますか?」

「そうだな。案内、お願い出来るか?」

「はい。わかりました」

 アッシュの返事に、エリカが頷いた。それから後も、特に会話が途切れることなく食事は和やかに続いたが、どことなく物足りない。賑やかなアリーセは勿論、口数の少ないサーニャでも、いるのといないのとでは大違いのようだった。食事を終えると、二人と一匹は列車に乗ってセレスト中心街に戻り、ホテルに帰る。

「それでは、アッシュ、おやすみなさい。明日の朝は、少しゆっくりでもいいかもしれませんね」

「ああ。また、朝食に行くとき迎えに来てくれ。それじゃ、おやすみ、エリカ」

 挨拶を交わして、それぞれの部屋へ入った。チッピィはとことことアッシュの足の間を抜けると、自分の寝床である籐のようなオーガニック素材の大きな籠に歩み寄る。そして、その中から、ボールを銜えて取り出した。

(チッピィとアッシュ、遊ぶ)

「あぁ、昼間、後で遊んでやるって言ったな」

 アッシュはしゃがみ込んで、そのボールをチッピィに向かって転がしてやる。チッピィはひとしきりボールにじゃれつくと、鼻面でそれを押してアッシュのほうに転がして返してきた。アッシュもまた、ボールをチッピィに向けて転がす。そんな風に、暫くチッピィと遊んだ。そうしていると、だんだんと、チッピィがボールで一人遊びする頻度が増えてくる。頃合だと思い、アッシュは立ち上がって言った。

「チッピィ、そろそろ風呂入ろうぜ」

(チッピィ、風呂、入る)

 チッピィはおとなしくボール遊びを止めて、アッシュの後について、バスルームにやってくる。アッシュは、眼鏡と魔装具を外し、服を脱ぐと、チッピィを連れて円筒形のカプセル型の風呂に入り、シャワーで自分の髪と身体とチッピィを洗った。温風で髪と身体を乾かし、バスルームから出て、パジャマに着替える。毛がふわふわになったチッピィは、自分の寝床の籠の中に収まった。先ほどまで遊んでいたボールも、銜えて籠の中に片付けている。今日は半日歩き回って、十分散歩をしたので、わりと満足しているようだ。

 アッシュは、昼間大量に購入してきた魔法のプログラムを、今のうちに魔装機にインストールしてしまおうと思い立ち、眼鏡を掛けてベッドに腰掛けると、机の脇に置きっぱなしにしていたショッパーバッグから一つパッケージを取り出して開封してみた。見ると、その中には、紫色の液体が入ったスポイトが収められている。

「液体……? これが記憶媒体なのか……?」

 どういう仕組みなのか、全く理解に苦しむが、とりあえず原理がわからなくても使うことは出来るだろう。アッシュは、パッケージの中に入っていたマニュアルを見て、文章は読めないので挿絵だけを頼りに、そのスポイトの中の液体を魔装機本体の石に注意深く垂らしてみた。不思議なことに、紫色の液体が、すぅっと青い石に染み込んでいく。どうやらそれだけで、この魔法のインストールは完了したらしい。マニュアルに目を通したかったが、紙のマニュアルは勿論、アッシュには読めない。

「だけど、こういうのは、電子ファイルでもマニュアルが入ってるはず――」

 眼鏡の位置を直しながら、魔装機の操作端末を開いて確認してみると、案の定、電子ファイル版のマニュアルも実行ファイルである魔法オブジェクトと共にインストールされていた。それを自動翻訳アプリに掛け、テキストファイルを閲覧する為のブラウザーで開いて、ざっと目を通してみる。

「お、これは範囲指定型の拘束魔法か。自分で作ったやつを、プロが作ったものと見比べてみたかったんだよなぁ」

 しかし、実行形式である、その魔法のオブジェクトファイルを()コンパイルして、プログラムコードが記述されたソースファイルを逆生成し、中身を解析してみるのは、後でまとめて行うことにした。

「解析するのは、家に帰ってから時間のあるときにでもゆっくりやるか。後のお楽しみってやつだな」

 とりあえず、万が一のときに、この魔法も使うことが出来るようにと、起動の為のコマンドとなるオブジェクト名を、自分の国の言語の名前に変更する作業だけを済ませる。そうして、次から次へとパッケージを開けて、同じようにして、新たな魔法をインストールしていった。どうやら、この魔法のプログラムの記憶媒体である液体の色は、魔法の種別毎に違うものらしい。紫は拘束魔法の色のようだ。防御魔法は青、結界魔法は緑、砲撃魔法は赤、射撃魔法は黄というように色分けされている。

「こいつは投射型の拘束魔法か――。へぇ、設置型なんてのもあるのか――。ふんふん。これがプロが作った防御魔法か。俺のはほぼ自作だから、参考にさせてもらおう――。 おぉ、転移魔法は、さすがにサイズがデカイな。解析し甲斐がありそうだ――」

 そうして、夜は更けていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ