第一章‐3
サーニャは、セレスト中央駅でアリーセと別れると、再び構内を移動して、低軌道上のセレスト宇宙港に上がる為の、横幅が二十メートルほどある『転移門』へと入る。彼女の故郷は、このセレストラル星系第三惑星セレストではなく第四惑星カチェーシャだ。
宇宙港でカチェーシャ往きの定期航路の航宙船に乗る。恒星系内のことなので、転移航法を使うほどではない。そもそも、大質量の天体の周囲では時空間に歪みが生じるので、転移航法を行うのは危険だとされていた。セレストもカチェーシャも当然ながら、それぞれの周期で恒星セレストラルの周囲を公転しているので、その位置関係によって惑星間の移動時間は変わってくる。現在、セレスト‐カチェーシャ間の距離は比較的接近している時期だったので、今日の移動時間は一時間と少しだった。サーニャはカチェーシャ宇宙港から、また『転移門』を使用して、惑星カチェーシャの主都、ワスコムの中央駅に降りる。
惑星カチェーシャは全体に寒冷な気候で、赤道付近にしか人が住めない。それでも、赤道のほぼ真上に位置する主都ワスコムの年間平均気温は、アッシュの街の真冬より下だ。サーニャは、ワスコム中央駅の構内を出ると、宇宙港にいる間に着込んでおいたコートの前をかき合わせて、ワスコム都内を巡回するバスの一つを待った。ここに住んでいた子供の頃は、この寒さが当たり前のものだったのだが、陸軍に入隊して現在の任地に赴任してから、どんどん寒さに弱くなっているような気がする。冷たい手をコートのポケットから出して、はぁっと息を吐きかけて温めた。うっかり手袋を忘れてきてしまったのだ。やがてやって来た、乗客の少ない薄暗いバスに乗り込む。時差の為、今はちょうど乗客の少ない昼前の時間帯だった。サーニャは二十分ほどバスに揺られて、自宅のある住宅街でバスを降りる。どんよりと黒い雲が垂れ込めた空から、少し雪が降り始めていた。生まれたときから雪に馴染んできたので、雪は好きでも嫌いでもないはずだったのだが、ちらちらと舞い降りてくる雪を見て、なんとなく溜め息が出てしまう。これも現在の任地の影響だろうか。雪掻きされた道を暫く歩いて、赤いレンガ造りの実家に辿り着いた。玄関の前で、銀髪のおかっぱ頭に積もった雪を払う。
「ただいま帰りました」
「お帰りなさい」
ドアを開けて自宅に入ると、母親が出迎えてくれた。サーニャはコートを脱いで、暖炉の前で温まる。玄関からキッチンに戻った母親が声を掛けてきた。
「今日は少し暖かいから、帰ってくるのも楽だったでしょう?」
「……はい」
どうやら、自分は本当に寒さに弱くなってしまったようだ。それもこれも、任地の温暖な気候がいけない。夏には動けなくなるほどの暑さになるのは頂けないが、ちょうど今頃の季節の眠気を誘う暖かさは、非常に過ごしやすくて、どうにも気が抜ける。あのぬるま湯のような気温は、人をダメにする暖かさだ、などということも考えなくもない。
「兄さんは最近帰ってきましたか?」
サーニャには兄が一人いるが、惑星セレストで就職している為、滅多に帰ってこない。最後に会ったのは、今年の新年の祭に帰省したときだっただろうか。
カチェーシャにはあまり主要となる産業がない為、若者はたいていセレストに働きに出てしまう。そうした労働人口の減少が、この惑星の産業の未発展に拍車を掛けていた。この悪循環をなんとか解消しようと、連邦政府は様々な産業振興政策を採っていたが、今のところ、それらは実りを結んでいない。サーニャなどは、辺境警備隊として、この惑星どころかこの恒星系から出ていってしまっているので、この問題とも無関係とは言えないだろう。
故郷の星の産業の不振は、気にならないと言えば嘘になるが、だからといってこの活気のない星で就職しようという気にはなれなかった。彼女は、自分の興味と技術を活かせる職場として、軍に入隊する道を選んだのだ。現在までのところ、彼女の興味は十分に満たされている。今の任地での任務は常に暇で、先日大きな事件が起こるまで、彼女の技術を活かす機会はほとんどなかったのだが、逆にその時間の余裕があったおかげで、資格をいくつか取ることが出来た。いつの日か軍を除隊した暁には、その資格を活かしてこの星でなにか開業してみるのもいいかもしれない、などと気の早いことを考えることもある。任官して初めて持った上司は多少過保護だが理解のある人物だし、同僚は自分とは全く違う個性をしていて面白い。前述の事件で知り合った現地の魔法使いは、自分には思いも寄らない発想を持っていて興味深かった。総じて、現在の職場は楽しいものだと言えるのかもしれない。
「ミーシャは新年の祭に帰ってきたきりですよ。あなたたち兄妹はどちらも、なかなか帰ってこないのだから」
キッチンで昼食の準備をしながら、背中越しに母親が言ってきた。そういえば、自分も帰省したのは新年の祭以来だった、と思い出す。もう少し頻繁に帰ってくるようにしよう、とサーニャは反省した。どうせ、現在の任地での任務は、いつも暇なのだ。多少、多めに休暇を取ったとしても、たいして任務に支障は出ないだろう。そんなことを考えながら、サーニャは母親の料理を手伝おうと、キッチンへと向かった。