第一章‐2
アリーセ=フィアリス軍曹とサーニャ=ストラビニスカヤ伍長の二人は、査問委員会から解放されると、上官であるエリカから休暇を貰えたので、実家に帰る為、一足先にホテルに戻って、軍服から私服に着替えると、荷物をまとめて、惑星セレスト各地へ繋がる『転移門』が設置されている、セレスト中央駅に向かう。
「アッシュにも、ちゃんと挨拶してきたらよかったかなぁ?」
「明日すぐに再会します」
大勢の雑多な人が行き交っている中央駅の広い構内を二人で歩きながら、頭の右上で括った赤毛をぴょこんと揺らして小首を傾げたアリーセの言葉に、サーニャがいつもの無表情な碧眼を向けてそっけない口調で答えた。彼女の言葉に感情が込もっていないように聞こえるのはいつものことで、実際には彼女なりに気持ちが込められていることを知っていたので、それを特に気にした風もなく、アリーセは頷く。
「うん。そうだよねぇ。あ、それじゃあ、あたし、あっちだから行くねぇ。サーニャ、また明日ねぇ」
「はい。また明日」
アリーセはサーニャと別れの挨拶を交わすと、自分の故郷の地方、ピレネーの中央駅に通じている、横幅二十メートルほどの『転移門』に入った。少しの眩暈と共に、一瞬で転移は完了する。転移なら一瞬だが、首都セレストからここまで航空機で来ようと思ったら、半日近くは掛かるだろう。これだけの長距離を転移するとなると、『転移門』の使用料もばかにならないが、時間には換えられない。
アリーセの故郷の街であるブラーニュは、このピレネー中央駅から急行の列車で一時間ほどだった。この列車は、首都セレストの街中に張り巡らされた架線にぶら下がって所狭しと走っているモノレールとは違い、普通に地面に敷かれた線路の上を走る列車だ。勿論、この列車も魔力炉で動いている。アリーセは急行列車に乗って、久しぶりの故郷までの旅路を居眠りして過ごすことにした。昨晩寝ていたところ、深夜というか早朝に近い時間、アッシュの泊まっていた、今は亡くなっている女性の屋敷に盗賊が出たと、サーニャに揺り起こされてしまったのだ。それで急いで駆けつけたはいいが、到着したときには全てが終わっていて拍子抜けした。しかし、そのおかげで少し寝不足だったのだ。
うとうとしているうちにブラーニュに到着したので、アリーセは列車から降りて、小柄な身体を精一杯伸ばして伸びをした。彼女は駅を出ると、てくてくと街路樹の多いブラーニュの街を歩く。この辺りは首都セレストよりも標高が高いので、少し涼しかった。アリーセはその故郷の空気を、胸いっぱいに吸い込む。任地の駐留基地がある、文明レベルの低い都会の街の汚れた空気より、やはり緑の多いこの故郷の街の空気は美味しい。足取りも自然と軽くなる。新年の祭以来の、久しぶりの帰省だった。そうして、時差の為、既に夕暮れになっている街中を歩いて、石造りの大きな集合住宅の一室である実家に帰り着くと、そのドアを開けて、家の中に向かって呼び掛ける。
「ただいまぁ。ジョルジュぅ、ドロテアぁ、ピエトロぉ。お姉ちゃんが帰ってきたよぉ!」
アリーセは四人兄弟の一番上だ。
「お姉ちゃん、お帰りぃ!」
「お帰りぃ!」
基礎学校の授業が終わって帰ってきていたらしい、妹のドロテアと下の弟のピエトロが出迎えてくれた。上の弟のジョルジュは、この春から家具職人に弟子入りして、徒弟として修行に励んでいる。
弟妹たちは、魔法使いとしても破格の、四百を超える魔力値を持つアリーセとは違って、三十弱という一般人並みの平均的な魔力値しか持たない。両親も同様だった。魔力値の高低は遺伝しないのだ。全人口の内、ほんの数パーセントほどしかいない、百から二百程度の魔力値を持ち、魔法使いとしてやっていける人間というのは、言い方は悪いが突然変異のようなものなのかもしれない。
さておき、魔法が使えるほどの魔力値を持たなかったジョルジュは、軍人となった姉とは別の道を選び、魔法とは無縁の仕事に就くことにしたのだった。おそらく、ドロテアやピエトロも、魔法とは無関係な職業に就くことになるのだろう。アリーセは、それを別に残念なことだとは思わない。このような力がなくても、幸せな生活を送るのにはなんの支障もないのだ。むしろ、突出した力などを持っていると、周囲から迫害される原因にもなりかねない。そこまで考えて、アリーセは、基礎学校時代の苦い思い出を頭から追い出した。決して、不幸なだけの学校生活ではなかったが、幼い頃には、こんな力なければよかったのに、と思ったことも度々あったのも事実だ。それを思えば、軍に入隊したのは正解だった、と思う。ここでは、力は人を評価する価値基準の一つだ。この自分の力が必要とされ、それが人々の役に立っている。上司のエリカも、同僚のサーニャも、最近知り合ったアッシュも、皆いい人だ。アリーセは、基礎学校の成績は正直あまりよいほうではなかったので、進路にそれほど選択肢があったわけではなかったのだが、今の仕事は天職なのかもしれない、と思うことにしている。
ともあれ、まだジョルジュの仕事兼修行は終わっていないようで、両親も共働きをしている為、今、家にはこの二人しかいなかった。
「お姉ちゃん、お土産はぁ?」
「お土産はぁ?」
ドロテアとピエトロが口々に言う。アリーセは、にぱぁっと笑うと、鞄からアッシュに貰った彼の星のお菓子を取り出した。
「ほらぁ、珍しいお菓子だよぉ」
「わぁい!」
「わぁい!」
二人が喜んで、さっそくその袋を開ける。袋に手を突っ込んで、カレー味のスナック菓子を食べるドロテアとピエトロ。
「変な味ぃ」
「ねぇー?」
ドロテアとピエトロはスナック菓子を食べながら、にははと笑い合う。赤毛に青い眼、そばかすの散った顔、と弟妹たちはアリーセによく似ていた。笑い方まで一緒だ。
「ちゃぁんと、ジョルジュの分も残しておくんだよぉ?」
「はぁい!」
「はぁい!」
アリーセは、普段、隊にいるときには見せることのない姉らしい表情で、そんな弟妹を優しげに見守った。