第四章‐1
思いがけず、テロリストたちに魔法使いだと知られてしまい、セントラルピラー展望台内部の人質の中から脱出しなくてはならなくなってしまったアッシュたちは、飛行魔法を使って、地上一千六百二十三メートルの展望台の外へと飛び出している。アッシュにとっては、これほどの高度を飛ぶのは初めてのことだ。高度一千六百メートルの上空は、思っていた以上に風が強い。飛行魔法の制御に、いつも以上の神経を配らねばならなかった。意識して姿勢と位置を保つ。
展望台の周囲は、魔人兵がぐるりと取り囲んで、飛行魔法等で近付こうとする者を警戒していた。それらの展望台を外から警護している魔人兵の一部が、展望台の中から飛び出してきた彼らに気付き、接近しようとしてくる。それを見て、エリカ=デ・ラ・メア=ブラウスパーダ少尉が言った。
「あれほどの数の魔人兵を、一度に相手には出来ませんね。アッシュ、ここはいったん距離を取りましょう」
「おう」
エリカの指示で、二人はセントラルピラーから遠ざかる方角へと飛行する。展望台からある程度の距離が離れていれば反応しないのか、それとも少人数の相手は一体で追跡するように命令されてでもいるのか、セントラルピラーから離れる二人を追って飛行してくるのは、一体の魔人兵のみだ。しかし、その魔人兵だけは、彼らを完全に標的として認識したらしく、諦めることなく追ってくる。
「ちぃっ、さすがに見逃してはくれないか……。とりあえず、追い掛けてくるあいつだけは、相手してやらないとならないみたいだな」
「えぇ。アッシュ、私が引き付けて牽制しますので、その間になんとか拘束して下さい。拘束出来たら、私が止めのスタンダメージを入れます」
「ああ、OKだ」
追ってくる魔人兵に向き直りながら、二人は簡単に打ち合わせを済ませた。まだずいぶん距離があったが、二人が心構えを済ませるのを待っていたかのように、魔人兵が一声不気味な唸り声を上げる。すると、その周囲に拳大の光弾が五十発ほども出現した。それを見て、二人は驚愕する。
「げ! なんだ、あの数!?」
「なんて魔力……!」
桁外れの数の弾幕が、二人目掛けて飛来した。アッシュは『黒鉄の城砦』の防御魔法陣を身体の前面に展開して、それを防ごうとする。しかし、驚くべきことに、光弾の内の数発が当たると、その直径一メートルほどの影色をした防御魔法陣は、パキンッと音を立てて粉々に砕け散ってしまった。
「シールドが!?」
アッシュは愕然とする。それほど強固なものではない常駐魔法の防御魔法陣とはいえ、ただの射撃魔法を受け止めきれないなどということがあるとは、思いも寄らなかった。ましてや、『停滞』と『減衰』の魔法使いの構築した、並の魔法使いのものより硬い防御魔法陣なのだ。だが、悠長に驚いている場合ではない。アッシュは愕然としながらも反射的に身体を捻って、防御魔法陣を突き抜けたそれらの光弾をなんとかかわそうとする。しかし、そんな至近距離に迫ってからの回避運動では、避けきれるはずもなかった。無意識に『彼女』の右腕を庇うような方向へ回避しているので、左半身が光弾の群れに晒される。頭への直撃はなんとか避けた。一発の光弾が頬を掠めて擦過傷を作る。左脇腹を光弾が掠め、シャツを引き裂いていった。そして、二発の光弾が左肩と左上腕部に直撃する。さらに驚くべきことに、その魔力弾には物理的な破壊力が備わっていた。魔力弾が命中した左腕の筋繊維が、ブチブチと嫌な音を立てて千切れる。左肩の骨が砕け、左上腕部の骨が折れた。左腕を切り落とされたかと錯覚するほどの激痛が、身体中を駆け抜ける。
「ぐあああぁぁぁーっ!!」
(この威力で……、その上、スタンダメージじゃねぇのかよ!?)
魔人兵のその魔力弾には、物理的な破壊力をなくし、痛みと衝撃のみを命中した相手に与えるようにする安全装置が掛かっていなかった。受け止めきれず砕け散ってしまったとはいえ、防御魔法陣に当たったことで少しでもその魔力弾の威力が減殺されていなかったら、左腕が根元から引き千切られていたかもしれない。その被弾による身体へのダメージを半ば無意識に確認しながら、そんな想像が頭に浮かんで、アッシュはぞっとした。物理的破壊力を備えた魔力弾の直撃を受けた左腕が大きく後ろに弾かれ、姿勢を制御しきれず身体が回転する。彼は、その衝撃できりもみしながら後方へと吹き飛ばされた。しかし、魔人兵の射出した光弾の数は、この程度ではない。まだ四十発近くもの光弾が、まるで吹き飛んだアッシュの後を追うかのように飛んでいく。
一方、エリカは大きく移動してその光弾の弾幕を避けていた為、その身に被害はない。これは、二人の戦闘スタイルの違いによるもので、光弾を防御魔法陣で受けることを選択したアッシュを、己の防御魔法陣を過信したと責めるわけにはいかないだろう。通常の射撃魔法であれば、十分、常駐魔法の防御魔法陣で防ぎきれるはずだったのだ。
「アッシュ!?」
大きく移動して弾幕を避けたエリカは、吹き飛んだアッシュのほうへ向かおうとするが、それを阻止するかのように、彼女の前に魔人兵が高速移動してきた。そして、その手に発生させた光剣を振り下ろす。その光剣は、エリカの『ライトニング・サーベル』やアッシュの『破軍の剣尖』よりも遥かに太く長い。放出される膨大な魔力が唸りすら発しているその巨大な光剣を、エリカは間一髪のところでかわした。
「『ライトニング・サーベル』!」
エリカは黄金色の光剣を発生させて魔人兵に切り掛かるが、魔人兵はそれを避けもしない。光剣が、魔人兵の黒い装甲に覆われた身体を切りつけた。しかし、その光剣は、ガキンッと音を立てて、装甲に弾かれてしまう。
「抗魔法、耐物理の装甲!?」
エリカはそれを見て、魔人兵の装甲に施された魔法的防御の強固さを思い知らされた。これでは、真正直に切り掛かっても、ダメージは与えられそうにない。魔人兵が彼女の攻撃を意にも介さず、巨大な光剣を横薙ぎに振るった。エリカはそれを自分の光剣で受けようとして、背筋にぞくりと嫌な予感が走る。咄嗟に後ろに倒れ込むようにして仰向けになった身体の上を、打ち合わされた彼女の光剣をいとも容易く吹き散らして、巨大な光剣が暴風のように通り過ぎていった。取り残された黄金色の髪が一房切り飛ばされ、陽光を反射してキラキラと輝きながら舞い散る。
「まともに打ち合うことすら出来ないなんて!?」
絶望的な声を上げて、崩れた体勢を立て直す為に後ろに下がった。魔人兵が光剣を振り上げて追撃してくる。その魔人兵の光剣を自分の光剣で受けることが出来ない為、エリカは体捌きのみで、その攻撃を避け続けなければならない。
きりもみしながら後方へと吹き飛ばされたアッシュは、回転して定まらない視界で、飛来する残り四十発ほどの魔力弾をなんとか視認する。こんな状態では、防御魔法陣は展開出来ないだろう。咄嗟に奥の手の防御魔法のコマンドを唱えていた。
「『嘆きの輪舞』、十二発、いけっ!」
十二発の影色の光弾が、アッシュの周囲を取り囲むように出現する。それは、魔力弾に反応する自己誘導型の対魔力弾――魔力減衰弾だ。十二発の魔力減衰弾が弧を描いて飛び、迫る魔力弾にまとわりつくと、ジュッというマッチの火を水に浸けたような音を立てて次々と消滅させていく。しかし、数が違った。撃ち落としきれなかった魔力弾が、アッシュに襲い掛かる。ようやくきりもみする身体を制御して姿勢を保ち、アッシュは迫る魔力弾の群れに正対した。
「『魔神の掌』!」
アッシュの前に、直径二メートルほどの影色の強固な防御魔法陣が展開される。さすがに、彼の鉄壁の守りを誇る防御魔法陣は、残り三十発ほどの魔力弾の内、直撃コースの十発ほどをしっかりと防ぎ止めていた。外れて身体の左右を通り過ぎていく魔力弾を見ながら、『魔神の掌』を解除して、ようやくアッシュは大きく息を吐く。
「痛ぅ……っ」
千切れかけた左腕が、激しく痛んだ。骨折し、筋肉が断裂したその左腕はだらりと垂れ下がり、動かせそうにない。しかし、休んでいる暇はなかった。アッシュは、エリカと魔人兵の戦闘する空域へ、全速力で飛行して戻る。
「『藤花の……宴』!」
アッシュは左目をきつく閉じて、負傷した左腕の痛みを堪えながら、なんとか拘束魔法を起動した。彼の右手から伸びた影色の魔力の鞭が、エリカに迫る魔人兵の身体を後ろから縛り上げる。だが、それは一瞬にして、魔人兵の単純な魔力の放出のみで力任せに引き千切られてしまった。
「くそっ! やっぱり……、周囲から魔力を……吸収してやがるのか! ……魔力値が、高過ぎる!」
アッシュは、千切れかけた左腕の痛みに荒くなる呼吸をなんとか抑えようとしながら、途切れ途切れに叫ぶ。かつて右手に『魔人血晶』が融合していたときには、自分も散々利用した機能だ。その周囲のあらゆるものから魔力を吸収することによる魔力値の底上げが半端ではないことは、身に染みてよく知っていた。
攻撃を受けた魔人兵が、標的をアッシュに定め直し、その巨大な光剣を振るう。
「『魔神の――っ、『銀の……車輪』!」
アッシュは反射的に防御魔法のコマンドを唱えかけて、瞬時の判断で高速移動魔法に切り替え、受けるのではなく避けることを選択した。先ほどの常駐魔法の防御魔法陣を砕いた光弾の威力から推測して、この巨大な光剣は、おそらく下手な砲撃よりも大きな威力を持つだろう、と判断したのだ。彼の得意とする、鉄壁の守りを誇るその防御魔法陣でも、受け止めきれるかわからない。高速移動で後方に逃れるアッシュ。
「痛ぁっ!」
高速移動による加速で、骨折し、筋肉が断裂した左腕に衝撃が加わり、身体を激痛が走り抜ける。痛みで、高速移動の機動を制御し損なった。姿勢を崩し、空中で後方に転がるように吹き飛んだ後、ようやく体勢を整える。アッシュは思わず、左腕をきつく押さえて、痛みを堪えた。だが、そうして休んでもいられない。巨大な光剣を構えた魔人兵が、大きく後退した彼を追って迫ってくる。アッシュは、激痛を耐えながら叫んだ。
「エリカ! 俺が、なんとか……、動きを止める! その隙に……、眉間の、『魔人血晶』を……、貫け!」
「……ですが、それでは……!」
エリカの脳裏に、先日の事件の幕引きとなった、アッシュの右手の『魔人血晶』を破壊したときの光景が蘇る。『魔人血晶』を破壊すると、侵蝕融合され黒い装甲に覆われた魔法兵器へと変質した部分は、ボロボロと崩れ落ちてしまったのだ。つまり、全身を侵蝕融合されて完全な魔人兵となった者の『魔人血晶』を破壊するということは……。
「だが、あの装甲には……、スタンダメージは、通らない……! それに……、わかってるだろう? 『魔人血晶』に、侵蝕融合された者を、救う術は……、ないってこと……。嫌な役目を押し付けて、済まないが……、頼む……!」
アッシュが、魔人兵の巨大な光剣を後退してなんとか避けながら、荒い息の間から言葉を紡ぐ。エリカは天を仰いで、眼を閉じた。やらなければならないことはわかっている。他に方法はない。ほんの数瞬の間、そうしてから、眼を開いて前を向くと、その金色の瞳にはもう迷いはなくなっていた。
「わかりました! 魔人兵の動きを牽制します! その間に拘束して下さい! 『ライトニング・サーベル』!」
エリカは、そうアッシュに答え、先ほど巨大な光剣に吹き散らされて消えてしまった自分の光剣を再び発生させた。そして、アッシュを追いまわしている魔人兵に追いつくと、その背に向かって連続攻撃を仕掛ける。最前と同じく、その攻撃はことごとく黒い装甲に弾き返されてしまったが、魔人兵の注意を自分のほうに向けさせることには成功した。魔人兵の攻撃の標的がエリカに変更されたことを確認して、アッシュは乱れた息を少しでも整えようと大きく息を吸う。しかし、のんびりしている余裕はない。アッシュは大きく息を吐くと、千切れかけた左腕の痛みを頭の外に追いやり、エリカに切り掛かる魔人兵を中心にして、範囲指定型の拘束魔法を起動する。
「『鋼の……顎』!」
アッシュのコマンドに呼応して、魔人兵の頭上と足下に直径五メートルほどの影色の拘束魔法陣が出現した。その効果範囲内にはエリカも含んでしまっていたが、彼女ならばかわしてくれるだろうという信頼に基づいた上での行動だ。エリカもそれは承知の上で、拘束魔法陣が閉じるギリギリまでその効果範囲内に踏み止まって攻撃を仕掛け、魔人兵の動きを牽制しようとしてくれる。
「『藤花の……宴』!」
アッシュは、骨折し、筋肉が断裂した左腕の痛みに乱れる意識を必死に制御して、多重処理でコマンドを唱えた。
「『ライトニング・アクセル』!」
アッシュのそのコマンドを合図にして、エリカが拘束魔法陣の効果範囲内から、高速移動魔法を起動して離脱する。離脱した彼女と入れ替わるようにして、アッシュは右手から影色の魔力の鞭を伸ばして魔人兵を縛り上げた。だが、やはり一瞬で、魔人兵は己を拘束した影色の鞭を引き千切ってしまう。しかし、それは、アッシュの作戦には織り込み済みだった。魔人兵が影色の鞭を引き千切るその間に、先に仕掛けておいた二枚の影色の拘束魔法陣が上下から閉じて、魔人兵を挟み込む。
「『茨の……冠』、五重!!」
魔人兵が、拘束魔法陣の変化した影色の光輪を引き千切ろうとしているところへ、その拘束で稼いだ時間で、アッシュが、現在の彼の魔力で指定出来る最大数の標的をただ一体に多重指定して、渾身の拘束魔法を起動した。合計十五本もの影色の光輪が魔人兵の周囲に出現し、一拍後にその全てが一斉に締まって、魔人兵をがんじがらめに拘束する。もしも人間が相手だったら、こんな真似をすれば、拘束魔法といえども怪我を負わせかねなかった。しかし、相手は人間より遥かに強靭な魔法兵器なのだ。ここまでして、ようやくその動きを完全に封じることが出来た。だが、それも何秒保つかわからない。
「……今だ!」
「はい! 『ライトニング・スラスト』!」
アッシュの合図に、すかさず、エリカが必殺の突きを放つ。黄金色の光剣の切っ先は狙い過たず、魔人兵の眉間の紅い石を貫いていた。
その存在の核である『魔人血晶』を破壊された魔人兵は、凄まじい断末魔の絶叫を上げ、黒い異形の装甲に覆われた身体をボロボロと崩れさせながら、眼下の高層ビル群へ向かって墜落していく。おそらく、地上までの一千六百メートル以上を落下する間には、その身体は完全に崩れ去ることだろう。
エリカは光剣を消して、右手で見慣れない仕草を行った。どうやら、このセレストラル星系の宗教の祈りの仕草らしい。小さく呟く。
「彼の者の魂に安寧のあらんことを……」
アッシュも崩れながら墜落していく魔人兵を見やりながら、溜め息を吐いた。『魔人血晶』に脳まで侵蝕され、既に意識はないとわかってはいたが、最期にあの想像を絶する激痛を味わいながら崩壊していくなんて、あまりにも惨過ぎる、と自分のことのように辛くなる。だが、『魔人血晶』に侵蝕融合された者を救う術はないことは、己の右腕を失うことで、身を持って思い知らされていた。こうして、その操られて兵器として扱われるだけの呪われた生を終わらせることが、魔人兵に造り変えられてしまった者の魂の救いになることを祈るしかない。頭を振って感傷を振り払った。




