問題は後から追ってやって来る
「行け」
「……はい?」
先日の木島先生との論争から一夜明け、俺を巡る争いは、安海先生が先に申告していたということで話は付いた。
おかげで俺は木島先生から開放され、もとの平穏な日常が戻ってくると思っていた。
が……
俺の思っていた以上に事態は深刻で、もちろん平穏な日常が戻って来るはずもなく、今日も今日とて唐突に意味の分からない命令をされていた。
「えーーっと……どこに?」
聞き返さないと何も始まらないような気がしたから取り敢えず、質問を投げ返す。
「その前にまず、これを見ろ」
そう言って机に叩きつけられたのは俺が昨日初めて見た教師補佐の契約書だった。
「えーーっと、どういうこと?」
「もっとよく見ろ!」
俺が状況の把握ができていないのを悟ったのか、先生はもっと紙を見るよう要求する。
やる気のない俺も先生のいつもより強めの口調に渋々紙を見ると……驚愕した。
「え……ちょ、ちょっと、こ、これって……」
俺が怯えながら問い返す、その質問の意図を察したように先生は小さくため息をつく。
「そうだ、これは木島の契約書だ」
「なんでそんなものがここにあるんですか!!」
嫌な記憶の再来に、いつもの自分じゃないぐらい戸惑う。
「それは…だな…」
言いづらそうに言葉が途切れ途切れになる。が、割り切ったかのように一気に吐露する。
「あいつ…木島が自分も藤間と契約した以上、自分にも補佐として藤間をつけさせろだそうだ」
「でも、それって先生が先に申請してたから、先生が優先的に俺の補佐対象になるんじゃないんですか?」
そう、そういう話を昨日した。
先に申請した安海先生が後から申請した木島先生より優先されるという話だった。
それなのに、どうして……
「まぁ、普通なら私が優先されるはずなんだ。はずなんだけど……」
言葉を濁すようにセリフが続かない。
「はずなんだけどなんですか?」
俺も意表を突く事態についつい語気が荒くなってしまう。
「それは申請される前の話で、その申請が受理されたら意味がないんだわ。だから、昨日のは無効ね!」
「なにーーーー!!」
聞かされる思いがけない真実。というか、重い事実。
昨日の喜びは糠喜びで終わり、俺の心中は今、真っ黒な絶望感でいっぱいになっている。
「先生、どうしてですか。昨日は自信満々に自分の契約書見せて、やってやったぜみたいな顔してたじゃないですか」
「…そんな顔はしてないよ」
あっさり否定。
「それよりもだ、話の続きはこの先にある」
すると先生の眼つきが変わり、それと同時に俺の身も引き締まる。
「いいか? ここからが本題だ。…藤間、お前二人分やってみる気はないか?」
「やるわけないでしょ」
二つ返事で即答する。
「――と、まぁ冗談はここまでにして本題に入る」
今、そういうのいらないんだよ。それと二回も問題に入んな。
「まず、教師補佐の仕組みについて説明しておくよ。教師は生徒の中から一人自分の補佐として置くことが認められている。でも、必ずしも補佐を置かなくてはいけないわけではなくて、置いたり置かなかったり、それは自由なんだ。でだ、生徒が選ばれる基準は、選ぶ教師の『独断と偏見』その一択だ」
途中まで説明らしい説明なのに最後のは何か適当だな~。
と、思いつつ説明はまだ続く。
「補佐として置くことのできる生徒は教師一人につき、生徒一人で、その逆もまた同様だ」
「え? ってことは俺、ルール違反犯してるじゃないですか」
「そうなんだよ、今までこんなことなかったからな。イレギュラーな事態で私も少し困っている。大体、校長がしっかりチェック入れないからこうなるんだよ、もう」
この人さっきから年上の先生を平然と呼び捨てにしてるけど大丈夫なの。そういえば木島先生の前で普通に呼び捨てしてたし……
「でも、俺どうしたらいいんですか?」
「普通に考えて、どちらかの先生との契約を切るしかないんだが、向こうは切るつもりはないって言ってるし、無論私も切るつもりもない」
これじゃあ八方塞がりでどうすることもできないじゃないか。
いや、もしかしたら自分たちじゃどうすることもできないから、どっちか選んでくださいってことか。
と、思ったことをそのまま先生に問いかける。
「なら藤間ならどっちを選ぶ?」
「俺ならどっちも選ばず、自由になりたいです」
そう即答すると張り付いた笑顔が剥がれ落ち、黒々とした本性が現れる。
「貴様にそんな選択があるわけないだろ」
…ですよねー。
その冷徹な声に怯えながらシンキングタイム続行中。
よし、二人のメリットを考えよう。
木島先生はオネイだけど、一応男だ。だから、それなりに気が合う部分があると思う。多分……それに俺がこの一週間進路まで通ったから慣れてはいる。
続いて安海先生は……担任だ。それと……それと…怖い以上。
あれ、こうなってくると必然的に木島先生になってくるのか。いや、でも……
と、悶々と脳内で嫌な選択が頭を過ぎる。
「藤間、まさか迷ってないか?」
「え?」
突拍子もない質問に寒気が走る。
「だって、やけに考え込んでるから、お前の本心はどうなんだ?」
「僕の本心はさっき言った通りです」
そう言うと先生は含み笑いを浮かべている。
「相変わらずそういう所はぶれないな。けどな、変な気まぐれを起こして木島の補佐になろって一瞬でも考えたんならやめた方がいい。藤間もこの一週間で分かったはずだろ」
そうだ、俺はこの一週間進路に通い、色々とひどい目にあってきた。
一応、男でも、オネイだ。この一週間、一度だって気が合うと思わなかった。慣れたのは進路に向かう道筋ぐらいだった。
俺は最初から考え方が間違っていたんだ。
メリットで判断するんじゃなくて、どっちか自分に合ってるかで判断すべきだったんだ。
どっちも俺にあっているとは思えないけど……幾分か木島先生よりマシだな。
「僕が選ぶとしたら安海先生ですね」
すると答えがそうであることが分かっていたかのように優越感に浸った笑みで、壁にもたれかかる。
何か言わされた感があるのが癪だか、今はそんなことはどうでもいいか。
「それで先生、今のこの状況はどうにかならないんですか? 例えば校長先生に頼んで契約書を取り下げてもらうとか…」
「それはできないよ。さっきも言ったように申請が受理されたら取り消しは効かない。おまけにもう一つ言うならお互いの同意がないと契約は解除できないんだ」
なんだその理不尽な決まりは。契約の時は俺になんの報告もなかったくせに、解除だけこんな難解にしやがって。無理ゲーにも程があるだろ。
と、腹を立てているが、その間のも先生の話は続く。
「今の君はどう手を尽くそうにも八方塞がりの状態で、今の君自体もう詰んでるな」
「分かってることをズケズケと……あんまり言われると精神的にくるんでやめて貰えませんかね」
「それはごめん、ごめん。一応確認のためにと思ってね。けど、今から言う私の策が、今の君の状態を良い方向へ転がすとしたら、話に乗ってみる気はないか? どうなるかは君の頑張り次第だけどね」
ある意味挑発とも取れるその台詞に、俺は正直戸惑う。
「そんなことを言われても、どんな事か話を聞いてみない事には分かりませんよ」
「フフ、そうだな…」
最もらしい返事に苦笑交じりに笑う。
「なら話そうか。藤間の悪しき状況を打開する一手を、君の立場を逆転するための奇策をね」
と、先生は雄弁に、だが、少し控えめな声のトーンで語る。
「とまぁ、そこまで大げさに言うほどのものでもないんだが、簡単にいえば今の藤間の代わりをやってくれる奴、つまり、お前の後釜を見つければいいんだよ」
「はぁ? そんなん無理に決まってるでしょ」
何か真面目に話すから聞いたけど、これじゃいつもと変わらないじゃないか。
「ちゃんと真面目に話してくださいよ」
「私は真面目に話してるつもりだよ。それを否定して聞いている君の方がちゃんと真面目に話を聞いているのか?」
え? 今の話がガチで真面目な話? でも、だとすると俺は何か思い違いをしているんじゃあ…
「話を続けるよ」
「あ、はい」
「私が提案するのはね、藤間が実際二人も掛け持ちなんて不可能なんだ。だから誰かにその仕事を交代するしかないと思っている」
「でも、そんなこと…できませんよ。誰かに押し付けるよなことなんて……」
「そうやって偽善者ぶって自己犠牲を続けるつもりか?」
「いや、そんなつもりは……」
「そんなつもりがなくても、今の君にはどうすることもできないんだよ。自分一人でどうにかなる問題じゃない。だから誰かの力が必要なんだ」
「そう言われても、これに誰かを巻き込む訳には……」
「君はまず、そういう考え方を変えた方がいいな。言葉の節々から人の手は借りないって意思が伝わって来るよ」
そう言われると確かにそうかもしれない。
これは俺が巻き込まれたことだから俺が解決しなきゃいけないと思ってたし、関係ない人は巻き込んじゃいけないと勝手に思い込んでいた。
だからそんな解決方法、自然と脳内から削除していたのかもしれない。
けど、今ならこういった解決方法もアリなんじゃないかって思える。
でも、問題はそれだけじゃないはずだ。
「先生の言いたいことは分かりました。でも、あの先生と合う生徒なんていますかね」
「そこは君の努力次第だ」
努力でどうにかなるもんじゃないと思うけど、なんでいきなり俺?
「どうしてそこで俺が出てくるんですか」
「そりゃあ自分の代わりを見つけるんだ。それ位自分でやらなくてどうする。それにさっきから何度も言ってるだろう。成功するかどうかは君の頑張り次第だ、ってね」
つまり、自分は面倒事には首を突っ込みたくないから、解決法だけ教えてあとは自分たちで勝手にやってってことか。
……投げやりだな、オイ。ちょっとでも先生のこと信頼しそうになった俺が馬鹿だったよ…
「でも先生、もし俺がいくら善処するって言っても多分無理ですよ」
「最初っから無理って決めつけるんじゃない。最初からできないって思ってたら何にもできないでしょ!!」
え~、なんで俺怒られてんの。っていうかこの人、情緒不安定すぎでしょ。
「じゃあ、先生はできるんですか。なんなら先生から木島先生にお願いとかしてくれませんかね」
「それはできないよ、木島が私の話を聞くはずがないじゃないか‥」
「それと同じですよ。この学校は何千人といるマンモス校と違って至って普通の公立高校なんですよ。そんな所にあの先生と釣りある人がホイホイいたら、堪ったもんじゃないですよ」
「そこが君の腕の見せどころだよ。まだ見ぬ自分の発見みたいな?」
くっ、この人はどうあってもやりたくないらしい。
おまけに今の先生は俺をからかって遊んでいる。これじゃ話がつかない。なら――
「……分かりました、やれるだけの事はやってみます。その代わり、相談することがあったらちゃんと聞いて下さいよ」
そう釘を刺すと思い道理いうか、それ以上の答えが帰ってきた。
「え~~、面倒くさい」
と、教卓に顔をうつ伏せにしながら言う。
とうとう本音を言いやがったな。……この人本当に教師か…
「と、いうのは冗談だ。相談ぐらいは聞いてやる。それに本当に今回は私も悪いと思っているよ。でも、今回は私は何も手出しできないんだ。だから代わりはしっかり自分で見つけてこい」
そう力強く言う。そして気合を入れる様に俺の肩を軽く叩いた。
最後の最後に……ずるいことをするなこの人は…
「私はそろそろ時間だから行くが、この件は君に一任するけど、大丈夫?」
できるならその言葉を最初に欲しかったけど、次に俺が言う言葉を多分先生は分かってる。
それに俺がここで拒否をしたとしても、いずれやることになるだろう。
だから俺はあえて逆らわず、ここだけは信用して……
「善処しますよ」
すると先生はフッと笑い、歩き出す。
「その答えが聞ければ十分だ」
そう言い残して教室を後にした。
一人教室に残った俺はふと時計に目をやるとすでに時刻が四時半を回っている。
意外と長話していたようで、俺も帰り自宅を始める。
教室にはまだ数人の生徒が残っていて、各々違うことをやっている。
持ち寄った携帯ゲームで遊んでいるやつら。
トランプをしているやつら。
たわいない話をしているやつら。
俺からみれば誰もが眩しく見える。
今の俺はああやって一緒になにかしたりする相手がいない。つまり友達がいない(ぼっち)ってことだ。
だから俺はあの楽しそうな風景を遠目でしか見ていられなかった。
それが何となく辛くて、俺は足早に教室を出た。