くらうちんぐ すたーと
くらうちんぐ すたーと
「……もはや物理作戦に出るしかありませんわ」
厳かな声で、ヴィオレッタはつぶやいた。
「……何と戦ってるんです、お嬢様は」
アネットが髪を梳きながらうめいた。
「理不尽と」
「りふじん。」
「そう、理不尽と戦ってますの。これは輝かしい明日を手に入れるために必要な戦いですわ」
「……それって今日明日で手に入るものでしたっけ」
これ以上話していると哲学的な問題に行き当たりそうだったので、ヴィオレッタは聞こえなかったふりをした。
「とはいえ、相手は話の通じない5歳児。つまり話しかけられる前に言いたいことだけ言ってさっさと逃げるに限りますわ」
「えー、どういうことー……」
さすがに優秀なアネットでも、前提となる「繰り返している」事実を伏せたままというのは難しいか。いや、しかし。
「とりあえず、結論を言えとせかしたら泣かれ、既に結論が分かっていたので先回りして回答したら泣かれ、すさまじいタイムロスを食らいましたの」
「じゃあ、最初から最後まで聞いてあげるっていうのは」
「30分も時間を無駄にできませんわ」
「そりゃそうですね」
ふむ、と考え込んだアネットが口を開く。
「会話の主役を相手に委ねるから困るんですよ」
「と、言いますと?」
「会話の主導権を握ったまま、相手にしゃべらせなければいいんです」
「なるほど」
「忙しいから話を聞いてあげることはできないけれど、あなたの好きになさったらよろしい、と告げてそのまま去られては?」
「そうしたらまた泣かれてしまいますわ。だから泣かれる前にその場を去る物理的な作戦が必要になりますの」
「全力疾走……とか」
「ぜんりょくしっそう。」
「案外、ぱっと見をひるがえしてさっと走り去ってしまえば『待って!』とも言えないものですよ?」
なるほど。それは一理ある。
「ではやってみますわ。ありがとうアネット」
「うまくいくことを願っております」
鏡越しに微笑むアネットに微笑み返し、ヴィオレッタは夜会に向かうことにしたのである。
◆ ◆ ◆
そして、夜会。
「ヴィオレッタ・エル・アルヴィオネ! 貴様――」
「失礼、婚約破棄の話題でしたらお受けいたしますわ。それでは」
勢いよくカーテシーしそのままの勢いで回れ右。ドレスをつまんで身を低く。
「あっ……」
背後から聞こえるアルフォンス王子の声を無視して走り出す。
カンカンカンカン、とヒールが音を立てる勢いで出口に向かって突進した。
しかし――それがまずかった。
カンカンカンカ……グキィ。
階段の手前で90度右へ右足首が折れ曲がる。
痛みを感じるより前に全力疾走の勢いのまま顔面から階段へ突入し、ヴィオレッタはダイブした。
――どんがらがっしゃ。ばたばたばたばたたたたっ。
なんかとても痛そうな音がして――目が覚めた。
「ヒールって最っっっ悪ですわ!!!!」
「お嬢様朝から何があったんです!」
起き上がったその瞬間こぶしを突き上げて呪いの声を上げるヴィオレッタ。
慌てた様子で入ってくるアネット。
「アネット! 今夜の夜会はヒールのひっくい靴を用意して! ぺったんこで構わないわ!!」
「……王族主催の夜会にぺったんこの靴で行くって、すさまじい話ですね??」
「全力疾走のために必要ですの!」
「全力疾走……わかりました」
鬼気迫るヴィオレッタの訴えに、アネットもなぜか納得する。話が早くてありがたい。
「では、靴屋に頼んでぺったんこのうえ全力疾走に耐えうるスプリング性を備えた靴を誂えましょう!」
「それでこそですわアネット!」
アネットの言葉にぱちんと手を打って喜ぶヴィオレッタ。
これで逃げ切れる。というか最短記録を更新して明日に行ける。
ヴィオレッタは安心して、夜会の時間を待つことにした。
そして――夜会。
「ヴィオレッタ・エル・アルヴィオネ! 貴様――」
「失礼婚約破棄お受けいたしますわそれでは!」
勢いをつけたカーテシー!
きゅ、と音を立てるぺったんこの靴でのターン!
クラウチングスタイルからの――弾丸スタート!!
(かんっぺきですわ!!)
走りながら心の中で叫んだ瞬間。
「まぁぁぁてぇぇぇよぉぉぉぉぉぅ!!!!」
なぜか――号泣しながらアルフォンス王子が追いかけてきた。
「おまっ……僕の話ちゃんときけよぉぉぉぉ!!!」
「聞いていたらとんでもない時間のロスになりますのぉぉぉぉ!!」
「何のロスだよぉぉぉぉぉ!!!!」
しかも相手のほうが足が速い。
これはまずい。捕まったら更なるタイムロスだ。
走る速度の向上、何より――「追えないようにする」対策が必要となる。
「ヴィオレッタぁぁぁぁ!! なんで逃げるんだよぉぉぉ!!!!」
「殿下が追ってくるからですわぁぁぁぁぁ!!!」
「僕が追っかけてるのはヴィオレッタが逃げるからだろぉぉぉぉぉ!!!」
地獄のような追いかけっこのさなか、ヴィオレッタはついにアルフォンス王子にしがみつかれ――。
(……体を鍛える必要がありますかしら……)
真っ暗になっていく視界の中、意識を手放したのだった。




