6.依頼
芝浦 達也が心霊相談事務所を立ち上げて、はや十年になる。三十代に脱サラして適当に始めた商売で、正直なところこれほど長く続けるつもりはなかった。達也に霊感はないし、そういったものを信じてもいない。
依頼人は、たいてい精神的な病を抱えている。達也が行うのは、常識的な範囲の相談料を得て、医療機関へ誘導することだけだ。まれに本物と呼ばれる霊能力者に繋げることもあったが、十年で数回のことであり、結局その後どうなったのかは分からない。
『状況の調査のみで構いません』
保育士をしているというその人物から依頼メールがきたのは、三月に入ってすぐのことだった。メールの文面は常識的だったが、会ってみないと分からない。とりあえず最短の面談日を設定した。
指定した日にやってきた倉田真帆という女性は、疲れている様子はあるものの、なにか精神的な病を抱えているという印象は受けなかった。
「今回、心霊現象を止めてほしいというわけではない、とのことでしたよね?」
「はい。というか、おそらくこちらでは、そういうことはされていないですよね。純粋に、あるインタビュー記事について調査だけしていただきたくて」
彼女は、自分のイメージする保育士像からすれば、やけに淡々としている気がした。
彼女の依頼は、『モラ夫未満』というタイトルのインタビュー記事、それを書いた人物、インタビューを受けた人物の調査だった。
「具体的には、何の調査を希望されてます?」
「そうですね……その人たちの安否、ですかね」
不穏な言葉が飛び出して、達也は心の中で警戒を強めた。初めに抱いた印象は撤回しなければならないかもしれない。
「あと、もし調査の過程で常識的には不可解な事象が起きていれば、教えてほしいというのもありますけど……」
彼女の依頼は、あまり要領を得なかった。いまいち何が目的なのか分からない。
「えーと……倉田さんは今、何に困っておられるんですかね?」
順当な質問のはずなのに、そう聞かれた彼女は眉を寄せ、困った様子を見せた。
「まぁ……心霊現象です、かね」
いまいち危機感のない返答からも、彼女のニーズは読み取れない。経験上、そういう状態で依頼を引き受けると、ずるずる依頼が長引いて依頼人がクレーマー化したりもする。
達也は、ここで相手が怒って帰ってしまうことも想定して尋ねた。
「正直、うちのことも信じておられないですよね?」
「ああ……」
真帆は脱力ぎみにため息交じりの声を出し、それから、言葉を選びつつ言った。
「まぁ、基本的にこういう事務所を信じていないというか。本当に霊能力がある人間だったら、人のそんな話をわざわざ聞こうとは思わないと思うので」
「じゃあ、今回はなんで」
「まぁ、いくつか事務所を回っては見てるんですけど、たいていスピリチュアル系というか。そういうところは避けたくて。こちらは要は、精神的な病であればお医者様に、本物っぽいなと思われるものは、そういう能力者に繋いでおられるんですよね」
達也は曖昧な笑みを浮かべた。ハイ、と言うわけにもいかない質問だ。
「口コミをみた感じ、紹介先もある程度信用できそうでしたし、あと、これだけ長く続けておられるなら、芝浦さんにも何か耐性があるのかもしれないな、と思ったのもあります。私にはそういう伝手がないので、こちらがいいかもなと」
達也は、それでもまだ彼女のことがよく分からなかった。とりあえず、形式的な話をしてみることにする。
「依頼料は着手金で五万円、それ以降は実費請求の形になりますがよろしいですかね?しかるべき場所をご紹介するにしても、仲介料をいただきますし」
「調査は、全て芝浦さんがされるんですか?」
「内容によりますけどねぇ」
彼女がこちらに話している内容は、限定的というか、同じ場所をぐるぐるしている。それに、まだ二十代にも関わらず、浮世離れというか、なにか、覚悟をすでに決めた様子も気になる。まるで自分の死期を知っているように。
彼女も話が進まないと感じたのか、少しの沈黙を挟んで口を開いた。
「すでに私には……見えているものもあるし、何かあった場合の遺書も残しています。基本的にそういう怪異に目をつけられれば終わりだと思ってますが、その思念に一部、理性的な人の意識が残っている場合もある。怪異の中に含まれる、いわゆる人の残滓といったものが、それを誰かに知ってもらうことで収まる場合もある。そこにかけることにしました」
彼女が一気に話した内容に、達也はやりとりしたことのある病院を頭に思い浮かべ始めた。
「えー、見えてるっていうのは、何がです?」
「目にすると、もしかしたら戻れなくなる可能性もありますが、大丈夫ですか」
達也はにこりと笑い、「問題ないですよ」と言った。こういう患者が言うことを微塵も信じていないからだ。
彼女は達也をもう一度見て、「私もあまり時間がないかもしれないので、すみません」と付け加えると、スマホを取り出した。
「今お見せできるものとすれば、これなんですけど」
達也が画面を覗き込む。スマホには、新規メールの作成画面が映っている。
「文章を打とうとしても、ある一定の文章が予測変換から消えません」
若年性の、なんらかの病の可能性もあるな、と思いつつ、彼女の指の動きを追う。
「たとえば、こうして」
彼女は「あ」をタップした。予測変換が下に出る。あ、と打てば通常、ある、とか、あまり、とか、よく使われる言葉が並ぶ。しかし、最も左に、こう表示されていた。
『気づいた?』
達也はぴたりと動きを止めた。急に、何かが背後にいるような気がしてきて、そんな考えを振り払う。これは、彼女が事前に打ち込んだ単語が反映されているだけだ。
「念のため、辞書登録見せてもらっていいですか」
「はい」
彼女の怪しい操作を見逃すまいと目をそらさずにいたが、真っ白な画面が表示されただけだった。
「ほかのひらがなも?」
「はい」
そうして、今度は「さ」を押す。
『気づいた?』
『気づいた?』
『気づいた?』
「うわっ」
ずらりと並んだその言葉に、つい反応してしまった。顔を上げて彼女を見ても、その表情は変わらない。達也は内心、彼を脅かすために彼女がこんなことををしているのではと考えた。
「これって、消そうかな〜、とか思わないんですか?ほら、予測変換ってこうやって消せるじゃないですか」
そう言って自分のスマホに手を伸ばし、画面ロックを解除した瞬間だった。着信音が鳴り響く。達也はびくりと震えた。
「……出なくて、いいと思います」
「いやいや、脅かさないでくださいよ。よく知ってる同業者です。緊急だとだめなので、出ますね」
一瞬驚いたことに気づかれたくはないし、達也はあえて彼女の前でスマホを耳に当てた。
「おー、芝浦、いまだいじょーぶ?」
「あー、少しなら。どうした?」
彼女をちらりと見ると、心配そうにこちらを見ている。ほら大丈夫でしょ、というように、口角を上げて頷いてみせた。
「お前に聞きたいことがあってさぁ」
「なに?」
「くらたまほって、そっちにいってない?」
「え?」
達也は笑みを引っ込めた。
「くらたまほだよ。くらたまほ。いるだろ?」
声は、間違いなくよく知る声だ。でも、違和感がある。彼女はここに来る前に、この男のところに話を聞きに行ったのだろうか? 不貞調査を請け負うこの男のところに?
「どうしてこたえない?」
直後、声が無機質なものになる。
「どうして」
「お、おい」
「たすけてくれよぉ なんでだよぉ なんでおれがこんなめにたすけてえええたすけてよおおおおおお」
ビリビリと音声が揺れた。達也は慌てて電話を切った。
ぐっしょりと、汗をかいていた。
彼女は動けなくなってしまった達也の顔を、気の毒そうな顔で見た。
「こ、これ」
十年、何事もなくやってきた。
依頼人に暴言を吐かれたり、暴れられて警察を呼んだことだってある。でも、〝本物〟に出会ったことはなかった。
「え、これって、解明したら収まるって、さっき、言ったよね?」
声が震えた。敬語は使えなかった。
「断言はできないです。あまり、期待しないでください」
呆然とした達也を置いて、彼女はいくつかアドバイスのようなことをして帰っていった。
着手金は振り込まれて、あとに引けないのは相手のほうのはずだ。でも、達也の頭は後悔と恐怖でいっぱいだった。
巻き込まれてはいけないものに、手を出してしまった。




