2.大内(仮名)の話
反応は上々だった。
普段極端なモラ夫エピソードに辟易している既婚女性層が、等身大のイケていない夫のエピソードに素直に共感してくれたのだろう。「わかります」「うちもです」といったコメントがいくつかついた。
私がインタビューを投稿したのは、誰でも小説やエッセイを載せることのできる投稿サイトだ。無料で投稿できるうえに、インプレッションに応じて報酬が得られるらしい。読者から評価が送られたり、コメントが書き込まれればランキング上位に上がるアルゴリズムを組んでいるサイトもある。
私はランキングを何度も確認しつつ、ただ、一度目のインタビューを読み返しながら、早速悩んでいた。一度目と同じような内容では、島本には申し訳ないが正直インパクトが足りない。人の不幸話やざまぁと呼ばれるエンタメは、脳に短時間で強烈な快感を与えてくれるという。それと比べれば、モラ夫未満のインタビュー程度では刺激が弱く、読者はすぐにほかのエンタメへと流れていってしまうだろう。
そんな時、前回インタビューした島本が紹介してくれたのが、大内(仮名)だった。彼女は島本の勤務する会社の後輩で、先日結婚したばかりだという。新婚といえばまだまだ幸せ真っ只中だと思うのだが、待ち合わせ場所に現れた彼女の顔は、そうと思えないほど暗かった。
「夫が、マッチングアプリに登録してたんです」
今度は知り合いではなく初対面ということで、私たちは喫茶店でお茶をすることにした。話が合うか分からないし、食事にしてしまうと気まずくなった時に切り上げにくい。盛り上がればこのあともう一軒、と誘えばいいだけだ。
私は大内の言葉に、あぁ、と納得する声が出そうになるのを我慢した。SNSでもよく見る内容だ。本当にそんなことをする夫がいるのだな、と呆れる気持ちももちろんある。なぜ分かったんです、と聞くと、彼女はこう答えた。
「同僚が今婚活中で、同じアプリを使っていて。この人私の夫じゃないかって、教えてくれたんです」
じゃあ、まだ夫とは確定していないのではないか。その疑問が顔に出てしまっていたのか、彼女の瞳が剣呑さを増す。
「確かめたんです。夫のスマホのロックを解除して、アプリを覗いたら、教えてもらったのと同じアカウントのマイページが開きました」
私も、よく使うサイトは基本的にログインが求められないようにしている。それならば彼女の夫でほぼ確定だろう。
それでどうなさったんですか、と尋ねると、彼女は俯いたまま言った。
「黙っていられるタイプじゃないので、すぐに夫を問い詰めました。ごめん、面白半分だった、って素直に謝られました。履歴を見せてもらったら、たしかにハート——SNSのいいねと似たものは送ってるけど、メッセージのやりとりまではしていなくて。結婚してもモテてる感覚だけがほしくて、何かしようとしていたわけじゃないって夫は言うんです。でも、なんかもう、ずっともやもやしてて」
私はそりゃそうだろう、と彼女を不憫に思った。昔友人が、浮気をしない男はその機会がないだけ、と言っていたことを思い出す。彼女の夫も、めぼしい反応を返す相手がいたら行動を起こしていただろう。
ただ、これはインタビューだ。私は自我を振り払った。アプリ上で楽しんでいるレベルなら許す、という妻のほうが多いだろう。
私はここで、少し踏み込んでみることにした。
「対策、ですか?」
私の質問に、大内は首を傾げてみせた。それから何か、対策とかしてみたんですか、と質問してみたのである。
別の自我が顔を出してしまったことは否定できない。前職の上司から毎日のように、顧客の問題解決の力になるのが営業というものだろう、と言われていたせいかもしれない。
「そうですね……」
大内は少し考えてから言った。
「スマホをね、汚すようにしたんですよ」
大内の声は低く、先ほどよりも潜められていて、一瞬、何を言われたのか分からなかった。汚す? と聞き返すと、彼女はうつろな表情で宙を眺めた。
「夫のスマホの画面を、グロスとか、料理したときにちょっと手に油がついちゃったりするじゃないですか。それで、ちょっとだけ汚すんです。害のないものですよ」
言い訳のように付け加えると、次は、嬉しそうに微笑んだ。
「それをつけておいたら、なんか多分、勝手にビビるようになったんですよ。ほかの、友人と繋がってたSNSも、自主的にアカウント削除したりして」
私は彼女の様子を、少しだけ不気味に思った。害のないものとはいえ、彼女の精神状態は問題ないのだろうか。
頭の隅でここまでにしておこう、という声がしたが、最終的には好奇心とインプレッション獲得への欲に負けた。
私は聞いてみた。本当に、それだけですか? と。
大内は私の目を観察するように見てから、言った。
「夫の担当は、お風呂掃除なんです」
脈絡のない流れに反応できないでいると、彼女は淡々と続ける。
「お風呂って、掃除してないとこう……ぬるぬるしてくるじゃないですか。それがほんっとに嫌で。でもこっちがしつこく言わないとやらないし、たまにやっても真ん中だけで、隅とか適当なんです。そうしたら、掃除してない場所にぬるぬるの塊ができるじゃないですか。それを、つけるんです」
背筋を冷たいものが這っていく。正直にいえば気持ち悪いと思った。だが、追い込まれている人にそんなことを思っては失礼だ。
旦那さんは、奥さんがそれをつけてるって分かってビビってるということですか? と尋ねると、彼女はどうかな、とどこかあっけらかんと言った。
「普段何も気づかないし、気も回らない人なんで、気づいてないんじゃないかな。ほら、そんなことに気づく人だったら、スマホのロックも変えるだろうし」
たしかに、と思いつつ、夫がそれ以上に気を回している可能性はないだろうか、と考えた。ロックのパスワードを変えたら、やましいことがあると主張しているものだ。先ほどの言葉からすれば、大内は今でも定期的にスマホをチェックしているし、それをすれば彼女はもっと過激な行動に出るかもしれない。
私は迷い、言葉を選んで、じゃあ、おまじないみたいなものが効いたんですね、と言った。
「本当だ! 本当だ! おまじないだ!」
大内は、不気味なほど大きな声を上げて笑った。




