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第3話:冷徹なる影の皇帝と、数式が結ぶ数億ゴールドの初恋(契約)

 技術立国ヴァルハイト帝国、国境の要塞都市ガルド。

 夜明けと共に私たちが足を踏み入れたその街は、旧態依然とした祖国とは全く異なる、鉄とガラスと魔導線で構築された圧倒的な近代都市だった。


 大通りには、馬ではなく小型の魔石エンジンで駆動する乗合車が走り、建物の屋根には大気中のマナを収集するためのアンテナが幾つもそびえ立っている。街を行き交う人々の活気も凄まじく、誰もが早足で、何らかの目的を持って動いていた。


「素晴らしいわ……! 大気中のマナ濃度が均一に管理されてる! あそこの街灯、光魔力と風魔力のハイブリッド式よ! 祖国の王城にあったシャンデリアよりずっと高効率で合理的だわ!」

「アリス、観光気分でキョロキョロしないの。田舎者だと思われて足元を見られるわよ」


 すっかりいつもの令嬢(とは名ばかりの、戦闘用カーゴパンツ)スタイルに戻った私は、目を輝かせて街の魔導インフラを観察していた。一方のルミアは、冒険者風の革鎧から、いつの間にかどこで調達したのか、ピシッとしたタイトスカートのスーツ姿に着替えていた。手には分厚い革張りのバインダー。完璧な『デキる女社長』のオーラを放っている。


「さあ、着いたわ。ここがガルド都市商業ギルド本部よ。まずはここで『魔導商会A&L』の法人登記と、貴女の持ち込んだ特許の仮申請を行うわ。いいことアリス、審査員の前では余計なことは言わないで。交渉は全て、最高経営責任者である私が行うから」

「分かってるわよ。私は技術顧問として、聞かれたことにだけ学術的に答えるわ」


 私たちは、巨大な大理石で作られたギルドの重厚な扉を押し開けた。

 内部は吹き抜けの巨大なホールになっており、無数の窓口で商人たちが怒号交じりの交渉を行っている。私たちは『新規事業・特許申請窓口』と書かれた一番奥のカウンターへと向かった。


 そこに座っていたのは、片眼鏡をかけた神経質そうな初老の審査官だった。

 彼は私たちの姿――特に、タイトスカートの若い女と、工具ベルトを巻いた小娘の組み合わせ――を見ると、露骨に眉をひそめてため息をついた。


「新規登記と特許申請? お嬢ちゃんたち、ここはママの買い物ごっこに付き合う場所じゃないんだ。ギルドの審査を舐めてもらっては困る。登録費用だけでも最低十万ゴールドは下らないし、特許申請には厳密な魔法陣の構造証明が必要なんだぞ」

「あら、ご心配なく。登録費用ならここにキャッシュで用意してありますわ。それと、これが必要書類のすべてです。一文字の抜け漏れもない完璧な事業計画書と、魔導回路の特許申請書よ」


 ドンッ!

 ルミアはバインダーから、辞書のように分厚い書類の束をカウンターに叩きつけた。さらに、横領資金から捻出した白金貨の詰まった袋を無造作に置く。

 チャリン、と鳴った重みのある音に、審査官の目の色が変わった。


「なっ……こ、これは……」

「私たちが申請するのは、二つの巨大プロジェクトに関する包括的特許および事業権よ」


 ルミアは審査官を冷徹な目で見下ろし、淀みなくプレゼンを開始した。


「第一に、『自然魔力駆動型・全自動販売機』によるポーションおよび生活必需品の無人販売網の構築。この販売機は、上部に設置したアリス特製の『太陽光マナ変換陣』により、外部からの魔石補充を一切必要とせず半永久的に稼働します。これにより人件費と動力費を極限までカットし、従来の市場価格の半額で、二十四時間いつでも市民に商品を供給することが可能となります」

「ば、馬鹿な! 太陽光から直接マナを変換するなど、帝国の第一研究室でも実用化されていない理論だぞ! 効率が悪すぎて使い物にならないはずだ!」

「そこを解決したのが、我が社の技術顧問であるアリス・フォン・ローゼンバーグの独自理論ですわ。アリス、あれを」

「ええ」


 私は腰のポーチから、手のひらサイズの金属製の箱を取り出した。これが『全自動販売機』の心臓部となる、超小型マナ変換エンジンだ。

 私はそれをカウンターに置き、指先で少しだけ魔力を流して起動させた。


 キィィィィン……!


 瞬間、ギルド内の空気が震えた。

 窓から差し込む朝の太陽光が、目に見えるほどの光の粒子となって金属箱の表面の魔法陣に吸い込まれていく。そして箱の底面から、純度百パーセントの青白い液体マナが、ポタポタと試験管の中に抽出され始めたのだ。


「ひっ!? な、なんだこの異常な変換効率は! 熱損失ロスが全くないだと!? 物理法則を無視している!」

「無視なんて失礼ね。既存の『単一魔力抽出法』じゃなくて、光・熱・大気中の微量な風魔力までを複合的に絡め取って圧縮する『多重螺旋式・マナ吸着陣』を組んだだけよ。基礎的な流体力学と魔力波長を同期させれば、この程度の効率化は中学生でも計算できるわ」


 中学生でもできる(私基準)という言葉に、審査官は泡を吹いて倒れそうになっていた。


「そして第二のプロジェクト!」

 ルミアは容赦なく畳み掛ける。


「現在、ガルド都市の東区画に放置されている『巨大廃商業施設』。あそこは中途半端に広すぎて使い道がなく、街の景観を損ねる負の遺産となっているわね。私たちはあの廃施設を丸ごと買い上げ、魔導ギミックを駆使した『巨大エンターテインメント型店舗』として再生させます」

「は、廃施設を!? あんな呪われたような空き箱をどうやって……」

「陳列するのは、没落貴族から二束三文で買い取った型落ちの魔導具や古着、ガラクタの数々よ。しかし、アリスの技術で店内に『特定の魔力を帯びた者だけが開ける隠し扉』や『ランダムで商品が安くなる魔導ルーレット』などの娯楽要素を仕掛けるの。単なる買い物ではなく、『宝探し』という付加価値をつけることで、あの薄汚れた半端な廃施設は、帝国中から人が集まる最高に美しい観光名所へと生まれ変わるわ!」


 ルミアの圧倒的な経営戦略と、私の規格外の魔導技術。

 審査官は完全に言葉を失い、ガタガタと震える手で書類のページをめくっていた。


「す、素晴らしい……いや、恐ろしい。この事業計画が通れば、帝国の流通網と不動産価値の常識が根底から覆る。だが、これほど大規模な事業の認可と特許の独占権を、身元も知れない外国の少女二人に与える権限は、私のような末端の審査官には……」


「――その権限なら、私が代行しよう」


 突然、背後から静かで、しかし絶対的な冷気と威圧感を伴った低い男の声が響いた。


 ホール内の喧騒が、嘘のように一瞬で静まり返る。

 周囲の商人や冒険者たちが、まるで猛獣に睨まれた草食動物のように青ざめ、一斉に道を空けた。


 そこに立っていたのは、一人の長身の青年だった。

 夜空のように深い漆黒の髪。氷のように冷たく、すべてを見透かすような鋭いアメジストの瞳。

 身に纏っているのは装飾を極限まで削ぎ落とした漆黒の軍服だが、生地の奥には信じられないほどの高密度の防護魔力が編み込まれているのが、私の目にははっきりと見えた。


「た、大公閣下……!! なぜ、このようなギルドの末端窓口に!」

 審査官が椅子から転げ落ちるようにして平伏した。


 ユリウス・フォン・ヴァルハイト。

 技術立国ヴァルハイト帝国の経済と暗部を完全に掌握する『影の皇帝』。そして、私たちがパトロンとして狙っていた標的その人だった。


「視察の一環だ。だが、予想外の収穫があったようだな」


 ユリウス大公は、平伏する審査官には目もくれず、真っ直ぐに私とルミアの前に歩み寄ってきた。

 彼の足音には全く無駄がない。一切の感情を排した、極めて合理的で計算し尽くされた歩法。彼がただの貴族ではなく、武術と魔術の双方において底知れない実力者であることが一瞬で理解できた。


「君たちの話は、入口で聞かせてもらった」

 ユリウス大公はカウンターの上に置かれた『太陽光マナ変換陣』の箱を手に取り、その構造をアメジストの瞳で瞬時にスキャンするように見つめた。


「『多重螺旋式・マナ吸着陣』と言ったな。発想は悪くない。だが、この構造のまま全国に数百台を展開した場合、致命的な欠陥が生じるぞ」


「……欠陥?」

 自分の研究にケチをつけられ、私は思わずムッとして前に出た。


「どういう意味ですか? 計算上、熱暴走の確率はコンマ以下ゼロの世界です。耐久性もミスリルを使っているので問題ありません」

「物理的な耐久性の話ではない。経済と環境への『干渉』の話だ」


 ユリウス大公は私を見下ろし、極めて冷淡に、しかし淀みなく事実を突きつけてきた。


「この変換陣は周囲の環境マナを強引に吸い上げる。一台や二台なら問題ないが、都市部に密集させれば、周辺の大気中のマナ濃度が局地的に低下する『マナ枯渇現象』を引き起こす。結果として、周囲の農作物の成長を阻害し、一般市民の軽微な体調不良を誘発するだろう。さらに、無人販売機から回収した硬貨の運搬コストと、盗難リスクへのセキュリティ対策が、君たちの事業計画書には完全に抜け落ちている」


「っ……!」


 私はハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。

 図星だ。

 私は「いかに効率よくマナを抽出するか」という局所的な魔導理論にしか興味がなく、それが設置された後のマクロな環境変化や、物理的な現金の回収ルートまでは考慮していなかった。


 ルミアも、彼から指摘されたセキュリティコストの欠落に気づき、小さく唇を噛み締めている。


「所詮は机上の空論、学者の遊びに過ぎない。発想は面白いが、国家規模のインフラに組み込むには、君たちの計画はあまりにも穴が多い」


 ユリウス大公はそう言い捨てて、箱をカウンターに置こうとした。

 ……普通なら、ここで「私たちは無知でした」と引き下がるのだろう。彼のような絶対的な権力者に論破されれば、大抵の人間は心を折られる。


 しかし、私の脳は違った。

 彼に指摘された『欠陥』。それは私にとって、解決すべき最高の『パズル』を与えられたのと同じだった。

 かつてないほどに脳細胞が沸騰し、思考回路が光の速さで繋がり始める。


「――なら、循環させればいいじゃないですか!!」


 私はカウンターを両手でバンッ!と叩き、ユリウス大公の顔の数センチ手前まで身を乗り出した。

 彼のアメジストの瞳が、わずかに見開かれる。


「マナ枯渇現象が起きるなら、販売機の冷却ユニットから発生する微弱な排熱を、逆位相の魔法陣で『癒やしの微風』に変換して周囲に放出すればいい! そうすれば農作物は逆に成長が促進されるし、市民の健康状態も向上する! 街全体の空気清浄機として機能させるんです! 魔法陣の書き換えは今ここから三分でできます!」


「……ほう」

 ユリウス大公の口角が、初めてわずかに吊り上がった。


「現金の回収と盗難リスクに関しても問題ありません! 販売機の内部に『質量転送の魔術式』を組み込んで、硬貨が一定重量を超えたら、空間魔法で自動的にギルドの専用金庫へ直接転送されるシステムを作ります! これなら回収の人件費もゼロ、盗難も物理的に不可能です!」


「……空間魔法だと? あれは一回の発動に膨大な魔力を消費するはずだが」

「だから! そのための『高効率・太陽光マナ変換陣』じゃないですか! 溜め込んだ莫大なマナの余剰分を、転送費用に回せば完全に自己完結します! 完璧な永久機関ビジネスモデルの完成です!」


 私は息を切らしながら、自分のひらめいた完璧な理論をまくし立てた。

 理論の穴を指摘され、それを即座に上位互換のアイデアで塞ぎ返す。ギルバート殿下との退屈な会話では絶対に得られなかった、知性と知性の本気のぶつかり合い。

 ゾクゾクするほど楽しい。この男は、私の狂った魔導理論を一瞬で理解し、さらにその先を見据えている。


 沈黙が落ちた。

 ユリウス大公は、私の目をじっと見つめていた。

 冷徹な氷のような瞳の奥に、得体の知れない熱い炎が揺らめいたのを、私は確かに見た。


「……空間転送を自動販売機の集金システムに組み込むなど、気が狂っているとしか思えない発想だ」


 彼は低い声で呟いた。それは呆れではなく、極上の宝石を見つけたかのような、深い賞賛の響きを帯びていた。


「ルミアと名乗ったな」

 ユリウス大公は視線をルミアに移した。


「君が立案した廃商業施設のエンタメ化による地方創生プラン。あれの初期投資と、宣伝広告費の算出は見事だ。顧客の心理状態を完全に掌握した、えげつないほど完璧なマーケティング手法と言える。……お前たち二人の才能が合わされば、この帝国の経済は三年以内に完全にひっくり返るだろう」


「あら、光栄ですわ大公閣下。ご出資いただけるということでよろしいのかしら?」

 ルミアは不敵な笑みを崩さず、彼に問いかけた。


「ああ。君たちの『魔導商会A&L』が提案するすべての事業計画に対し、我がヴァルハイト公爵家が全額を出資し、国家プロジェクトとして特許を保護しよう。必要な工場、流通網、そして人員もすべて用意する」


「! ありがとうございます! これで私たちの事業は――」

「ただし、条件が一つある」


 喜ぶルミアを制し、ユリウス大公は再び私へと視線を戻した。

 その瞳は、獲物を絶対に逃さない捕食者のそれだった。


「アリス・フォン・ローゼンバーグ。君のその常識外れな頭脳と、狂気に満ちた魔導技術のすべてを、私に預けろ。君の生涯の研究費は、上限なしで私が全て負担しよう。君を誰にも邪魔されない、世界最高の研究環境に置いてやる」


 大公はゆっくりと手を伸ばし、私のカーゴパンツの腰にぶら下がっていた油まみれの工具ベルトに触れた。


「その代わり、君の生み出す技術、君の時間のすべて……いや、君という存在そのものを、私の独占契約とさせてもらう。……良いな?」


 それは、実質的な「プロポーズ」よりも重く、甘く、そして逃げ場のない絶対的な契約の提示だった。


「上限なしの……研究費……」

 私の脳内に、最新式の巨大魔力炉や、貴重な竜の鱗を溶かして実験し放題の夢のような光景が広がる。


「……断る理由なんて、一ミリグラムもありませんわ! 最高の契約ですね、大公閣下!」

「ユリウスでいい。……これからよろしく頼むぞ、私の天才アリス


 彼が微かに微笑んだ瞬間、周囲の温度が一気に上がったような気がした。

 私の心臓が、魔力暴走を起こした時のようにドクンと大きく跳ねたが、今はそれが何故なのか考えるよりも、契約書にサインすることの方が重要だった。


 こうして私たちは、世界最強のパトロンにして、後に私の公私にわたる最大の理解者(そして旦那様)となる男の絶大な庇護下に入った。


 ◆◆◆


 その頃、遠く離れた祖国の王国・第二地下鉱山。


「うっ……ううっ……重い……腰が痛い……」


 薄暗い地下の最下層。

 かつて高価なシルクの服に身を包んでいたギルバート元王太子は、泥と煤にまみれた囚人服を着せられ、手足に重い鉄球を繋がれた状態で、巨大なツルハシを振るっていた。


「おい新入り! 手を休めるな! 今日のノルマの魔石百キロを掘り終えるまで、夕飯の黒パンと水はお預けだからな!」

「ヒッ!? す、すいません! 今やります! やりますからムチは!」


 看守の怒声に怯えながら、ギルバートは豆だらけの血のにじむ手でツルハシを握り直す。

 ルミアが暴露した莫大な防衛費横領の罪は重く、王族としての身分を剥奪された彼は、死ぬまでこの地下労働施設で借金を返済し続ける運命にあった。


「どうして……どうしてこんなことに……。アリス……ルミア……俺が間違っていた……」


 暗い地下道に、彼の後悔の涙が落ちる。

 もしあの時、アリスの奇行を許容していれば。もしあの時、ルミアの甘い言葉の裏に隠された計算に気づいていれば。

 いや、そもそも――


「あの時……俺も意地を張らずに、一緒に王城の窓から飛び降りていれば……ッ!!」


 そんな彼の悲痛な叫びは、固い岩盤に吸い込まれ、地上の誰の耳にも届くことはなかった。


(第3話 終わり)

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