第12話:空間転送ゲート『A&Lポータル』の開通と、不法入国者の末路(魔力発電ハムスター)
「ぎゃああああああああああ!!」
オーシャン・モールの最上階、私の専用ラボ。
私は最高級のフカフカなソファの上で、頭を抱えてゴロゴロと転げ回っていた。
「……うるさいわね、CTO(最高技術責任者)。貴女の奇声のせいで、せっかくの『A&Lペイ』の売上データ集計に集中できないじゃない」
隣のCEO執務室から、呆れ返ったルミアの声が飛んでくる。彼女は今日も完璧なスーツ姿で、ヒマ端末の画面に表示される天文学的な数字の羅列を眺めていた。
「だ、だって! 思い出しちゃうんだもん! 昨日の……夕暮れの海辺での、あの、その……っ!」
私は両手で真っ赤になった顔を覆った。
昨日の夕方。お忍びの視察の帰り際。
帝国の影の支配者たるユリウス大公閣下に、私は唇を奪われたのだ。
ただのパトロンとしての「可愛い」ではない。一人の男としての、逃げ場のない独占欲と、圧倒的な熱を伴った本気の口付け。
あの時のひんやりとした唇の感触と、彼から漂う清冽な香水の匂いが、一晩経った今でも脳髄にこびりついて離れない。私の魔力回路は完全にオーバーヒートを起こし、冷却機能が全く追いついていなかった。
「はいはい、ごちそうさま。ユリウス様も本当に手が早いわね。あの冷徹な大公閣下が、貴女の前でだけはただの過保護な大型犬みたいになるんだから、人間の感情って非合理で面白いわ」
「お、大型犬って……! 帝国最強の権力者に向かって不敬すぎない!?」
「事実でしょう? まあ、貴女がユリウス様に完全に外堀を埋められて、物理的にも社会的にも逃げられなくなっているのは、ビジネスの観点から見ても非常に喜ばしいことよ。我が社の最大の防壁がより強固になったということだからね」
ルミアは紅茶を一口飲み、冷徹な経営者の顔に戻った。
「さて、恋に浮かれるのもいいけど、仕事の時間よアリス。現在、我が『魔導商会A&L』はとんでもない問題に直面しているわ」
「問題? A&Lペイは大成功したじゃない。帝国の経済は完全に私たちの手のひらの上よ?」
「ええ。でもね、私たちの生み出した『オーシャン・モール』という超絶エンタメ空間と、ヒマ端末による圧倒的な宣伝効果が、完全に裏目に出たのよ」
ルミアはヒマ端末を操作し、空中にシーサイド・ガルド周辺の広域マップを投影した。
「見てみなさい。帝都からシーサイド・ガルドに続く主要街道の様子を」
「えっ……嘘でしょ!?」
私は目を疑った。
マップ上に表示された街道が、真っ赤な光点で完全に埋め尽くされている。
それはすべて、帝都や地方都市からこのモールを目指してやってくる「観光客の馬車」の群れだった。
「現在、モールの入場待ちの馬車の列は、驚異の五十キロメートルに達しているわ。帝都から普通なら二時間で着く道のりが、大渋滞のせいで三日もかかっているのよ!」
「さ、三日!? いくらなんでも並びすぎじゃない!?」
「それだけこのモールの『イリュージョン・シアター』や『無人店舗』が、帝国市民にとって魅力的だということよ。A&Lダイレクト・エクスプレスで『物』は一瞬で運べるようになったけど、『人間』の移動手段は依然として馬車や飛竜というアナログな手段に頼っている。このままじゃ、交通網が完全に麻痺して、帝国の物流そのものが死滅するわ」
ルミアの指摘は致命的だった。
どれだけ魅力的な施設を作っても、そこに辿り着くまでに顧客が疲弊してしまえば、リピーターはつかない。交通インフラの限界が、私たちのビジネスの天井になりかけていたのだ。
「なるほどね……。『物』じゃなくて、『人間』そのものを空間転送しろ、ってことね」
私はパンッ!と両手を叩き、恋愛でショートしていた脳細胞を、一気に『技術者モード』へと切り替えた。
「できるの? 人間の生体組織は極めて複雑よ。物を送るのとはワケが違うわ。少しでも空間座標の計算が狂えば、腕と足が逆の状態で転送されたり、最悪の場合、次元の狭間に消え去ったりするんでしょう?」
「ええ、既存の魔法理論ならね。でも、私を誰だと思ってるの?」
私は白板に向かい、ガリガリと新たな魔法陣の数式を書き殴り始めた。
「いい? 空間転送のリスクをゼロにするためには、入り口と出口の『座標の固定』を絶対的なものにすればいいの。モールの広場と、帝都の中央広場。この二ヶ所に、全く同じ波長を放つ『超大型・ミスリル製ゲート』を建設するわ!」
私は巨大なアーチ状の門の図を描いた。
「名付けて、超長距離・人体転送システム……『A&Lポータル』よ! ゲートの内側には、人間を包み込む絶対防護の『マナ・シールド』を自動展開させる回路を組み込む。これで転送中の空間の歪みから生体を完璧に保護できる。帝都のゲートをくぐれば、コンマ二秒後にはシーサイド・ガルドのゲートから出てこられるわ! 徒歩一歩で、リゾートに到着よ!」
「…………ッ!!」
ルミアの目が、三度目のゴールドマーク($)に変わった。
「交通インフラの……完全なる独占! このゲートの通行料を『A&Lペイ』で自動徴収するシステムにすれば、馬車ギルドも交通局も完全に用済みになる! 人々は渋滞のストレスから解放され、私たちは莫大な通行料(不労所得)を得る……! 完璧よアリス! 今すぐそのゲートの建造に取り掛かりなさい!」
「任せて! ゴーレム部隊をフル稼働させて、明日の朝までに二基のゲートを完成させてみせるわ!」
「――そのゲートだが、帝都側の設置場所は皇宮のすぐ目の前、『ヴァルハイト大公家・専用演習場』の跡地を使うといい」
突如、ラボの扉が静かに開き、漆黒の軍服に身を包んだユリウス大公が入室してきた。
彼のアメジストの瞳は、白板に描かれた『A&Lポータル』の構想図を見て、鋭い知性の光を放っていた。
「ユリウス様! お疲れ様です!……って、えっ!? 大公家の専用の土地を使っちゃっていいんですか!?」
「構わない。あの渋滞のせいで、帝都の騎士団の巡回業務にも支障が出始めているところだった。それに、君の創り出す『交通革命』の利権は、確実に国家の首根っこを掴むことになる。私の土地に置いておけば、他の貴族や商人ギルドの連中が手出しすることは物理的に不可能になるからな」
ユリウスはスタスタと私の前に歩み寄ると、私の頬についた白墨の粉を、長くて美しい指でそっと拭った。
「それに……アリス」
「ひゃ、はいっ!?」
「昨日の……私の痕跡が、まだ君の唇に残っているようで何よりだ」
至近距離で囁かれた、反則級に甘い低音。
彼の指先が私の下唇をスッと撫でた瞬間、私の顔はまたしても沸騰し、頭からプシューッ!と煙を上げた。
「ゆ、ゆりうすさまぁ……っ! ここ、職場! 職場ですから!」
「私にとって、君のいる場所のすべてが私のテリトリーだ。……さて、明日の朝にゲートが完成すると言ったな。ならば、その『A&Lポータル』の栄えある第一号の乗客は、私が務めよう。……もちろん、君と一緒に、だ」
逃げ場のない視線でロックオンされ、私はただコクコクと頷くことしかできなかった。
このパトロン、私の技術のすべてを愛してくれる上に、私自身のすべてを完全に囲い込みに来ている。
甘すぎる絶対君主との、超空間ワープデートが決定した瞬間であった。
◆◆◆
――同じ頃。
帝国の華やかな繁栄とは対照的に、死の淵に立たされている祖国、王国の王城にて。
「もう……限界だ……」
玉座の間で、ネオンピンク色の顔をした国王が、うわ言のように呟いていた。
国庫は完全に封鎖され、物流は途絶え、ついに王城の備蓄食糧も底を突いた。
騎士団は給料未払いで次々と逃亡し、残っているのは、かつてアリスを嘲笑っていた無能な側近たちと、ボロボロになったギルバート王子だけだった。
「父上……! このままでは、我々は本当に餓死してしまいます!」
ギルバートは頬がこけ、かつての無駄に顔が良い王子の面影は完全に消え失せていた。
「どうすればいいのだ……! 帝国に外交特使を送っても、門前払いを食らうばかり! あのルミアという悪女め、我が国の通信をすべて遮断しおって!」
「……父上。残された道は、一つしかありません」
ギルバートの目に、狂気じみた光が宿った。
「アリスです。あの陰気な女は、本来であれば俺に惚れ込んでいたはず! 俺から婚約破棄を突きつけられて、自暴自棄になって窓から飛び降り、帝国に利用されているだけなのです!」
「な、なに? まさかお前……」
「俺が直接、帝国のシーサイド・ガルドに赴き、アリスに愛の言葉を囁いてやれば! 彼女は必ず涙を流して俺の胸に飛び込んでくるはずです! そして彼女を王国に連れ戻し、あの忌まわしい金庫のパスワードを解除させるのです!!」
完全に現実が見えていない、究極の優良誤認。
しかし、飢餓状態で正常な判断力を失っていた国王と側近たちは、「それしかない!」と喝采を上げた。
「よし! 城に残っている最後の近衛兵五十名を集めよ! これより我々は『極秘潜入作戦』を決行する! 帝国の国境を密かに越え、シーサイド・ガルドのモールに潜入してアリスを奪還するのだ!」
こうして、泥だらけの甲冑を着たギルバートと五十名の騎士たちは、夜陰に紛れて決死の行軍を開始した。
彼らの体力は限界に達していたが、「アリスを連れ戻せば、また贅沢な暮らしができる」という妄執だけが彼らを突き動かしていた。
数日後。
フラフラになりながら帝国の国境付近の山中を彷徨っていた彼らは、森の開けた場所で、奇妙な人工物を発見した。
「で、殿下! 見てください! あんなところに、巨大な門が!」
騎士の一人が指差した先。
そこには、青白い魔力の光を放つ、巨大なミスリル製のアーチ――『A&Lポータル』の試験運用テストのために設置された、地方ネットワーク用の中継ゲートがそびえ立っていた。
「おお……! 見ろ、門の上の看板に『シーサイド・ガルド 直通ルート(テスト中)』と書かれているぞ!」
ギルバートの顔が歓喜に歪んだ。
「神は我々を見捨てていなかった! 帝国の連中め、こんな無防備な場所に転送ゲートを放置しているとは! これをくぐれば、あっという間にアリスのいる街に潜入できるぞ!」
「さすが殿下! 運が向いてきましたな!」
全く疑うことを知らない愚か者たちは、我先にと光り輝くポータルの光の膜へと飛び込んでいった。
五十人の騎士と、ギルバート王子。
彼らが全員、ゲートの光の中に吸い込まれた、その直後だった。
『ピィィィィンッ!!』
ゲートの周囲に設置されていた不可視の魔法センサーが、けたたましい警告音を鳴らした。
『警告。警告。生体スキャン完了』
『A&Lペイの残高……ゼロ。不法乗車を検知しました』
『さらに、対象からアリス・フォン・ローゼンバーグCTOに対する【害意および極めて不快な執着(ストーカー心理)】を検知』
無機質な人工音声が、誰もいなくなった森の中に響き渡る。
『防衛プロトコルを作動。強制転送先を【シーサイド・ガルド】から、【オーシャン・モール地下・魔力自家発電プラント(懲罰房)】へと変更します』
空間が歪み、ゲートの光が青から、危険を知らせる深紅へと変わった。
◆◆◆
「……な、なんだ!? どこだここは!?」
ギルバートが目を回して倒れ込んだのは、美しい海辺のリゾートなどではなかった。
そこは、モールの地下最下層に新設された、薄暗く巨大な円筒形の部屋だった。
目の前には、見上げるほど巨大な鉄製の『回し車』が五十台ズラリと並んでいる。
『不法入国、およびCTOへのストーカー行為の現行犯の皆様。ようこそ、魔導商会A&Lへ』
頭上のスピーカーから、ルミアの冷酷で楽しげな声が響き渡った。
「る、ルミア!? お前か! ここを開けろ! 俺はアリスに会いに来たんだ!!」
ギルバートが叫ぶが、分厚い防音ガラスで覆われた部屋からは一歩も出られない。
『アリスは今、大公閣下と二人きりで転送デートの真っ最中よ。貴方のような薄汚れたストーカーに見せる顔はないわ』
「なんだと……!? デートだと!?」
『さて、不法侵入者の皆様。貴方たちには罰として、その巨大な回し車の中で走っていただきます。その回し車は、モールの地下水脈ポンプの動力源と連動しています。貴方たちが走って生み出した運動エネルギーは、すべて【A&Lペイ】の負債返済に充てられます』
「はぁ!? 俺たち王族を、ハムスターのように走らせるというのか! ふざけるな!!」
『あ、言い忘れていたけれど。その部屋の床は、あと十秒で【超高熱の鉄板】に変わるわ。足を止めたら丸焦げになるから気をつけてね。それでは、労働の喜びを噛み締めながら、せいぜいモールの動力源として一生を捧げてちょうだい! スタート!!』
ブォォォォンッ!!
ルミアの無慈悲な宣告と共に、部屋の床の魔法陣が赤熱し始めた。
凄まじい熱気が足元から立ち上る。
「あっちぃぃぃぃぃ!!」
「足が焼けるぅぅ! 走れ! あの回し車の中に逃げ込めぇぇぇ!!」
ギルバートと五十人の騎士たちは、半狂乱になりながら巨大な回し車の中に飛び込み、必死の形相で走り始めた。
ガラガラガラガラガラガラッ!!!
「ひぃぃぃ! 止まるな! 止まったら火傷するぞ!!」
「殿下ぁ! 貴方がこんな無謀な作戦を立てるからぁぁ!!」
「アリスぅぅ! 助けてくれぇぇぇ!! 俺が悪かったぁぁ!!」
涙と鼻水を垂れ流し、全速力で回し車を回し続ける元・王族と近衛騎士たち。
彼らの必死の労働によって生み出された莫大な動力は、オーシャン・モールの華やかなネオンサインを今日も明るく輝かせているのだった。
◆◆◆
――そんな地獄の労働が地下で繰り広げられているとは露知らず。
「わぁぁ……! 本当に、一瞬で着いちゃった!」
帝都とシーサイド・ガルドを結ぶ『A&Lポータル』の初稼働は、完璧な成功を収めていた。
帝都の皇宮前から一歩足を踏み出した瞬間、私たちは潮騒の香りが漂うモールの巨大エントランスへと降り立っていた。
空間の歪みによる不快感はゼロ。私の計算式は、完璧に機能したのだ。
「見事だ、アリス。これで帝国の空間という概念は、君の掌の上だな」
隣を歩くユリウスが、満足げに微笑みながら私の手を引いた。
「へへっ、ユリウス様が最高の材料と場所を用意してくれたおかげです! これで渋滞も解消されて、モールの売上はさらに百倍になりますよ!」
「ああ。だが……今日の私は、大公でも投資家でもない。ただの、君をエスコートする一人の男だ」
ユリウスはアメジストの瞳を細め、私の指先にそっとキスを落とした。
そのまま流れるような動作で私の腰を抱き寄せ、モールの美しいガラス張りのテラスへと私をエスコートする。
「さあ、アリス。君の創り出した世界一美しい海辺の街で、永遠の愛(契約)について語り合おうか」
最強のパトロンによる、逃げ場のない甘い甘い独占宣告。
無能な元婚約者が地下でハムスターのように走らされている真上で、私は顔を真っ赤にしながら、大好きな彼の腕の中で幸せなため息をついた。
魔法とビジネス、そして極上の愛が織りなす『魔導商会A&L』の覇道は、もはや誰にも止められないのだった。
(第12話 終わり)




