兆し
第3話です。
少しずつ物語が進んでいくなかで、なぜ自分が選ばれようとしているのか。
律は他の人と何か違うのか。
それがわかってきます。
ぜひ読んでいただけますと嬉しいです。
通路は、思っていたよりも長かった。
石の床を踏む音が、やけに大きく響く。
張 律の少し前を歩く官たちは、誰一人として振り返らない。
案内されている、というより、
連れて行かれている。
そう感じさせる距離だった。
やがて一行は、一つの扉の前で足を止めた。
扉は厚く、重い。
取っ手には、文とも図ともつかない刻印が施されている。
装飾というより、何かを区切るための印に見えた。
扉が開く。
中は広く、簡素だった。
長机の向こうに、数名の官が並んで座っている。
壁際には兵が立っていた。
数は多くない。
だが、ここに逃げ道はない。
「座れ」
短い言葉だった。
律は促されるまま、椅子に腰を下ろす。
正面の官が、紙を一枚、机に置いた。
だが、そこには何も書かれていない。
「まず、確認する」
官は律を見た。
「お前は、なぜあの場で筆を止めた」
律は、すぐには答えなかった。
「わからない」と言えば終わる。
だが、それでは済まないと、どこかで感じていた。
「……書いてはいけないと、思いました」
「理由は」
「言葉にしてしまったら、
逃げられなくなる気がしたからです」
室内が、わずかに静まる。
官の一人が、机に指を置いた。
「“気がした”、か」
否定の色はない。
「それで十分だ」
別の官が、静かに言った。
律は顔を上げる。
「この大陸には、
天命と呼ばれるものがある」
その言葉を、律は初めて聞いた。
「それは、誰もが知るものではない。
民に語られることもない」
官の声は淡々としている。
「だが、確かに存在する。
そして、ごく稀に――
生まれ持つ者がいる」
律の喉が、わずかに鳴った。
「天命を持つ者は、
言葉や行いが、
周囲に与える影響が大きすぎる」
それ以上の説明はなかった。
「お前が筆を止めた理由。
あの文を書けば、
逃げられなくなると感じた理由」
官は、律の目を見た。
「それは、
天命に触れた者が感じるもの」
律は、言葉を失った。
「……では、俺は」
「まだわからない」
即答だった。
「兆しがある、というだけだ」
官は続ける。
「天命は、
授かっていると知った瞬間に、
人を狂わせることがある」
「だから我々は、
確信を持つまでは語らない」
律は、白い部屋と、白紙の紙を思い出した。
「過去に、
天命を制御できなかった者がいた」
官の声が、わずかに低くなる。
「書かれた言葉によって人が動き、
その動きが別の国を揺らし、
やがて大陸全体に波及した」
律の背筋が、冷える。
「争いは連なり、
一つの国だけでは止められなかった」
「……どうなったんですか」
「この大陸全ての均衡が崩れた」
それだけだった。
だが、その短い言葉には、
多くを語る重さがあった。
「だから我々は、
天命を授かるものを放置することはできない」
官の視線が、律に向けられる。
「今すぐ、お前に何かを書かせることはない」
「……なら、なぜここに」
「観察する」
はっきりとした答えだった。
「どういう場面で、
お前が筆を取るのか。
取らないのか」
律は、思わず拳を握った。
「拒否は……できますか」
「できる」
それも、即答だった。
「ただし、その結果について、
我々は責任を持たない」
意味は、すぐに理解できた。
書かなければ、救えないものがある。
書けば、縛ってしまうものがある。
どちらも、選択だ。
「今日は、ここまでだ」
官が立ち上がる。
「覚えておけ」
律は顔を上げる。
「お前の沈黙も、
すでに一つの意思だ」
部屋を出るとき、
廊下の端に、銀色の髪の少年が立っていた。
少年は、律を見て小さく言った。
「……まだ、始まってない」
律は答えなかった。
自分の中にあるものが、
何なのか。
それが、どこまで人を動かしてしまうのか。
まだ、何もわからない。
だが一つだけ、確かだった。
天選は、終わっていない。
そして自分は、
その中心に立たされつつある。
閲覧いただきありがとうございました。
これからもっと物語は大きくなっていきます!
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