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言命の律  作者: 松井環


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3/7

兆し

第3話です。

少しずつ物語が進んでいくなかで、なぜ自分が選ばれようとしているのか。

律は他の人と何か違うのか。

それがわかってきます。


ぜひ読んでいただけますと嬉しいです。

通路は、思っていたよりも長かった。


石の床を踏む音が、やけに大きく響く。

張 律(チョウ リツ)の少し前を歩く官たちは、誰一人として振り返らない。


案内されている、というより、

連れて行かれている。


そう感じさせる距離だった。


やがて一行は、一つの扉の前で足を止めた。


扉は厚く、重い。

取っ手には、文とも図ともつかない刻印が施されている。

装飾というより、何かを区切るための印に見えた。


扉が開く。


中は広く、簡素だった。

長机の向こうに、数名の官が並んで座っている。

壁際には兵が立っていた。


数は多くない。

だが、ここに逃げ道はない。


「座れ」


短い言葉だった。


律は促されるまま、椅子に腰を下ろす。


正面の官が、紙を一枚、机に置いた。

だが、そこには何も書かれていない。


「まず、確認する」


官は律を見た。


「お前は、なぜあの場で筆を止めた」


律は、すぐには答えなかった。


「わからない」と言えば終わる。

だが、それでは済まないと、どこかで感じていた。


「……書いてはいけないと、思いました」


「理由は」


「言葉にしてしまったら、

 逃げられなくなる気がしたからです」


室内が、わずかに静まる。


官の一人が、机に指を置いた。


「“気がした”、か」


否定の色はない。


「それで十分だ」


別の官が、静かに言った。


律は顔を上げる。


「この大陸には、

 天命と呼ばれるものがある」


その言葉を、律は初めて聞いた。


「それは、誰もが知るものではない。

 民に語られることもない」


官の声は淡々としている。


「だが、確かに存在する。

 そして、ごく稀に――

 生まれ持つ者がいる」


律の喉が、わずかに鳴った。


「天命を持つ者は、

 言葉や行いが、

 周囲に与える影響が大きすぎる」


それ以上の説明はなかった。


「お前が筆を止めた理由。

 あの文を書けば、

 逃げられなくなると感じた理由」


官は、律の目を見た。


「それは、

 天命に触れた者が感じるもの」


律は、言葉を失った。


「……では、俺は」


「まだわからない」


即答だった。


「兆しがある、というだけだ」


官は続ける。


「天命は、

 授かっていると知った瞬間に、

 人を狂わせることがある」


「だから我々は、

 確信を持つまでは語らない」


律は、白い部屋と、白紙の紙を思い出した。


「過去に、

 天命を制御できなかった者がいた」


官の声が、わずかに低くなる。


「書かれた言葉によって人が動き、

 その動きが別の国を揺らし、

 やがて大陸全体に波及した」


律の背筋が、冷える。


「争いは連なり、

 一つの国だけでは止められなかった」


「……どうなったんですか」


「この大陸全ての均衡が崩れた」


それだけだった。


だが、その短い言葉には、

多くを語る重さがあった。


「だから我々は、

 天命を授かるものを放置することはできない」


官の視線が、律に向けられる。


「今すぐ、お前に何かを書かせることはない」


「……なら、なぜここに」


「観察する」


はっきりとした答えだった。


「どういう場面で、

 お前が筆を取るのか。

 取らないのか」


律は、思わず拳を握った。


「拒否は……できますか」


「できる」


それも、即答だった。


「ただし、その結果について、

 我々は責任を持たない」


意味は、すぐに理解できた。


書かなければ、救えないものがある。

書けば、縛ってしまうものがある。


どちらも、選択だ。


「今日は、ここまでだ」


官が立ち上がる。


「覚えておけ」


律は顔を上げる。


「お前の沈黙も、

 すでに一つの意思だ」


部屋を出るとき、

廊下の端に、銀色の髪の少年が立っていた。



少年は、律を見て小さく言った。


「……まだ、始まってない」


律は答えなかった。


自分の中にあるものが、

何なのか。

それが、どこまで人を動かしてしまうのか。


まだ、何もわからない。


だが一つだけ、確かだった。


天選は、終わっていない。


そして自分は、

その中心に立たされつつある。


閲覧いただきありがとうございました。


これからもっと物語は大きくなっていきます!

少しでも気になっていただけましたら、コメントや評価、ブックマークをしていただけると、励みになります!よろしくお願いします。

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