残された側
閲覧いただきありがとうございます。
言命の律の二話となります。
少年の葛藤と残された側の気持ちを全面に出した回となります。
ぜひ続きをお楽しみください。
扉が閉まる音は、思ったよりも軽かった。
木と木が合わさるだけの、乾いた音。
だが張 律は、その場からしばらく動けなかった。
通された部屋には、机と椅子が一つずつあるだけだった。
窓はなく、壁は白い。
机の上には、紙と筆と硯が揃えられている。
紙は真新しい白ではなく、薄く黄を帯びていた。
指でなぞると、繊維のざらつきがわかる。
特別に良いものではない。
だが、粗末でもない。
――書くための紙だ。
そう思った瞬間、胸の奥がざわついた。
「待て」とも、「書け」とも言われていない。
それでも、ここで何もしないままでいいとは思えなかった。
律は椅子に腰を下ろし、紙を見つめる。
――天選は、まだ終わっていない。
そう感じた理由は、はっきりしていた。
この部屋には、答えが用意されていない。
部屋には誰もいない。
それでも、視線だけが残っている気がした。
「……何を書けばいい」
声に出すと、その言葉がひどく軽く聞こえた。
律は筆に手を伸ばしかけ、止める。
書いた言葉に、
最後まで責任を持てる気がしなかった。
それが怖かった。
律は筆を置き、
白紙のままの紙から視線を外した。
――今は、これでいい。
そう思った。
だが、その判断が正しかったのかどうか、
自分でもわからなかった。
•
その頃、広場では天選が続いていた。
張律が連れて行かれたあと、
列の一部に、わずかな空白が生まれただけだ。
官の声が響き、
人々は次の指示に従って動く。
太鼓は止まらず、
屋台の呼び声も消えない。
祭りは、途切れることなく進んでいく。
李 明紀は、列の中に立っていた。
少し前まで隣にいた律の姿だけが、そこにない。
それ以外は、何も変わっていなかった。
順番も、流れも、空気も。
だからこそ、その不在が目につく。
――連れて行かれた。
そう理解していても、
天選そのものは、彼女の前で続いている。
明紀は視線を前に戻し、
配られた木板を見る。
自分の番は、まだ終わっていない。
「次」
官の声に促され、
明紀は机の前に立つ。
筆を取り、
与えられたことを淡々とこなす。
何も起きない。
呼び止められることもなく、
問いを投げかけられることもない。
それが、この場の「通常」だった。
一連の手順が終わり、
明紀は列の外へと下がる。
誰も、彼女を呼び止めない。
天選は続いている。
だが、彼女にとっての天選は、
ここで一区切りだった。
明紀は広場の端で立ち止まり、
布で仕切られた奥を見る。
律が連れて行かれた方向だ。
兵が立ち、
近づくことは許されない。
「……ばか」
小さく呟く。
誰に向けた言葉かは、
自分でもわからなかった。
祭りは続いている。
笑い声も、音楽も、すぐそばにある。
それが、ひどく遠く感じられた。
•
律は、扉の前に立つ気配を感じて顔を上げた。
外で誰かが立ち止まり、
しばらくして、低い声が響く。
「張律」
名を呼ばれる。
理由は告げられない。
「これから話をする」
それだけだった。
扉が開く。
廊下の先に、数人の官が立っている。
銀色の短い髪。
年は、律とそう変わらない。
布の向こうで見た、あの少年だ。
少年は振り返らない。
ただ、そこに立っている。
律は立ち上がり、一歩踏み出す。
天選は、まだ終わっていない。
自分はなぜここに残されたのか。
この先へ進めば、何かを知ることになるだろう。
それが、
望んだ答えかどうかは、わからない。
扉が、静かに閉じた。
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