天選の日
はじめまして。
閲覧いただきありがとうございます!
本作は「言葉が持つ力」をテーマにした物語です。
派手な力や分かりやすい正解ではなく、
言葉を選ぶこと、書かないこと、その重さを描けたらと思っています。
ゆっくりと進む物語ですが、
最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。
中衡大陸には、五つの国がある。
天命を神として崇める命天国。
武の力を尊び、戦によって秩序を示す武燐国。
感情と共鳴を操り、民の心を束ねる和諧国和諧国。
記録と秘匿を重んじ、闇に生きる伏幽国。
そしてもう一つ。
言葉と法によって国を導くことを理想とする景国。
命和暦十二年、春。
大陸は今も、神の名を冠した時代の中にあった。
景国は、まだその名を暦に刻んではいない。
それでも次の時代を諦めず、天命を受けた者を探し続けている。
年に一度、十六になった者の中から天命を受けた者を探し出す儀式――天選。
それは、祭りの顔をした、景国の意志だった。
張 律は、その喧騒の中に立っていた。
町外れの平民の家に生まれ、父の姿は幼い頃からなかった。
母と二人、慎ましく暮らしてきただけの少年だ。
天選は、一生に一度きりだ。
だが、十六になれば誰もが受ける。
祭りと一緒に行われる、通例の儀式。
選ばれるのは、昔から何かに秀でている者ばかりだ。
張律は、自分をその外側の人間だと思っていた。
「人、多いね」
隣で声がする。
李 明紀だった。
同い年の幼馴染で、町では顔の知れた娘だ。
人混みの中でも臆せず歩き、律の少し前を進む。
「迷うといけないから」
そう言って、自然に律の袖を引いた。
律は何も言わず、それに従う。
屋台の呼び声。
太鼓の音。
笑い声と、泣き声。
明紀は時折立ち止まり、振り返る。
律が遅れていないか、それだけを確かめるように。
「あとで甘団子、買おう」
「……終わったらな」
「終わったら、ね」
それだけのやり取りだった。
広場に近づくにつれ、人の密度が増す。
高台が組まれ、その前に机がずらりと並んでいる。
紙と筆と硯。
その奥には、中央から来た官が立っていた。
衣の色も、立ち姿も、町の役人とは違う。
場の空気が、そこだけ重かった。
「十六になる者、前へ!」
声が響くと、ざわめきが一段大きくなる。
歓声すら混じる。
律と明紀は、並んで一歩前に出た。
「ほら」
明紀が顎で前を示す。
「ちゃんと行きな」
言い方は軽いが、目は真剣だ。
律は小さく頷き、前に進む。
机の前で、役人が言う。
「名を書け」
律は筆を取った。
張 律。
ありふれた姓。
見慣れた名。
役人は一瞥し、何も言わない。
隣の机で、明紀も名を書く。
筆運びは迷いがなく、すぐに終えた。
「第一。国文の書写!」
配られた木板を見て、律は眉をひそめた。
乱雑に並んだ言葉だった。
だが、その一つ一つが重く、荒れている。
誰かを断じ、追い立て、黙らせる。
そんな意志だけが、言葉の底に沈んでいた。
これを文字にすれば、
国の名を借りて、人を縛る言葉になる。
そう直感した。
周囲では、筆が一斉に動き始めていた。
祭りの喧騒の中で、紙を擦る音だけが妙に耳につく。
明紀も書いている。
何度も確かめるように板を見て、丁寧に。
律の手は、止まった。
書いてはいけない。
胸の奥が、ひどく静かになる。
幼い頃から、何度も感じてきた感覚だった。
言葉に触れるとき、必ず立ち止まる自分。
足音が近づく。
「止めた理由を述べよ」
中央官の声だった。
祭りの音が、一瞬遠のいた気がした。
律は顔を上げる。
「この文は、国を壊します」
自分の声が、広場に響いた。
ざわめきが止まり、視線が集まる。
背後から、息を呑む気配が伝わる。
「なぜだ」
律は、木板から目を離さなかった。
「……書きたくありません」
それだけ言って、筆を置いた。
官は律の紙を見た。
何も書かれていない国文。
それから、律の名を見る。
「張律……」
短い沈黙。
「試験を中断する。この者を、内へ」
歓声とも悲鳴ともつかない声が上がる。
祭りは、戸惑いを含んだざわめきに変わった。
役人に導かれ、律は布の裏へ向かう。
振り返ると、明紀がいた。
人混みの中で、立ち尽くしている。
声は上げない。ただ、律を見ている。
律は何か言おうとしたが、言葉が出なかった。
布の向こうは、驚くほど静かだった。
祭りの音が、壁一枚で切り取られる。
通路の先に、少年が立っていた。
長身で、短い銀の髪。
年は、律とそう変わらない。
その少年は、何も言わない。
ただ、そこに立ち、律を見る。
視線が一瞬だけ交わり、
次の瞬間、官が言った。
「ここから先は、我々が預かる」
少年は、律の少し前に立った。
導くでも、押すでもない。
ただ、逃げ道を塞ぐ位置だった。
律は、その背中を見つめる。
――もう、戻れない。
理由は分からない。
だが、そう思った。
祭りの外へ、出てしまった。
天選の日は、ここから始まった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
第一話は、世界観と主人公の感覚を中心に描いています。
説明しきらない部分や、はっきりしない点も多いですが、
それらは今後、物語の中で少しずつ明らかになっていきます。
もし続きが気になったり、
何か感じるものがあれば、評価や感想をいただけると励みになります。
次話もよろしくお願いします。




