照明係
「ふう。」
会社から帰ってメイクを落とし、お風呂に浸かってから1時間だけ。わたしはパソコンに向かう。
書きかけの小説の続きを書くために——。
中学の時、ソフトクリーム目当てに農業高校祭に出かけ、そこですごい演劇を見た。
農業高校の演劇部が演ったものだったけど、全国大会でグランプリを取ったという作品だった。
グランプリを取ったなんて、どんなカッコいい劇だろう。
そう思っての興味本位の観劇だった。
『モウと暮らした50日』
農業高校の酪農実習の話である。
生まれた仔牛は足が悪かった。
実習で世話係にされてしまった主人公の山田は、それでも仲間たちと共にこの仔牛の世話をする。
「モウ」と名付けられた足の悪い仔牛に、なんだか山田は落ちこぼれの自分を重ねてしまう。
懸命に歩かせようとする山田に応えるように、モウは自由の効かない体に癇癪を起こしながらも少しずつ歩けるようになってゆく。
そんな山田とモウを囲んで、級友たちもまるで1つのスポーツチームの仲間みたいにモウを応援した。
足の悪い仔牛モウと生徒たちの心の通い合い。
頑張れ! ほら、頑張れモウ!
行きたい高校に落ちて、すべり止めだった農業高校に来て不貞腐れていた山田の表情もそんな日々の中で明るくなっていった。
しかし、やがてその日がやってきた。
出荷である。
農業高校の実習なのだ。
あんなに頑張ったモウが、食肉として売られてゆく。
そして‥‥‥
生育の悪いモウの値段が、たったの「5000円」と聞いてしまったとき‥‥。山田は狂った。
わたしの小遣いで買うてやれるやん!
モウの命、買うてやれるやん!!
アパートの土間で飼うと言って、学校からモウを連れてきてしまった山田を大人たちは説得するが‥‥
泣きながら見た。
舞台に牛は出てこなかった。牛の被り物をした役者もいなかった。
ただ、そこにモウが居るかの如く、高校生たちが見事に演じていた。
モウは観客の心の内にだけ存在していた——。
演劇って、すごいと思った。
高校に進学して、わたしは演劇部に入った。
人前で大きな声を出したり大きな身振りをすることが苦手なわたしは、裏方の照明係に立候補した。
別にテキトーに部活をやろうというわけじゃない。
あの農業高校の演劇で、何もいない空間にスポットライトを当てて、そこにモウがいる、という表現をしていたのが強く印象に残っていたのだ。
照明だけでも演じることができる。
それが、わたしが演劇をやってみたいと思った理由だった。
「今年も演劇祭に参加します。何か、これ演ってみたいというの、ありますか? 1年生も遠慮しないで言っていいですよ。」
部長の如月さんがそう言って、皆が顔を見合わせているばかりの時‥‥。だからわたしはおずおずと手を挙げてみた。
「お! 佐賀峰さん、意欲的ですね。1年生だって主役やっていいんですよ。」
「いえ‥‥。そんな‥‥、主役なんて‥‥」
そう。わたしは舞台の真ん中に立つのなんてぜんぜん無理。
「あの‥‥、大好きな推理小説があるんですけど‥‥。それを舞台にできないかと思って‥‥。」
それはSF作家として有名なアイザック・アシモフが書いた独特のおしゃれな推理小説。
『黒後家蜘蛛の会』
これに照明の効果でおしゃれな演出ができるんじゃないか——と思ったのだ。
私はそれを部長にたどたどしい言葉で説明した。
黒後家蜘蛛の会は、月に1度、奥様方から逃れてきた男たちが女人禁制で美味いものを食べ、雑談に花を咲かせるという会だ。
数学者や作家、暗号専門家など様々な職業の男たち6人が集い、毎回ゲストを招いてその食事代を持つ代わりにゲストをネタに会話を楽しむ——というお遊び会なのだが‥‥。
ある日招かれたゲストが語ったのは、ある男から「ジャクスンという正直だけが取り柄だったような相棒に、最後に何かを盗まれた。盗まれたものが何であるかを突き止めてほしい」という依頼を受けて捜査したが、どうしても何を盗まれたのかがわからなかった——という奇妙な話だった。
6人の男たちがそれぞれに推理を働かせていくが、どれも的を射ない。
ジャクスンとその男の奇妙な物語が語られ終わると、ゲストはまた最後に奇妙なことを言う。
「なあ、あの男はもう死んでしまったんだ。もういいだろう? 君のような正直で誠実な男が、一体何を盗んだんだ? それとも何も盗まなかったのか? いいかげん教えてくれないか、ヘンリー・ジャクスン。」
それはそれまでゲストを含めた7人の客たちの後ろで、料理を出したり空いた皿を引いたりと影のように動きまわっていた給仕のフルネームだった。
誰もが気に留めていなかった給仕が、実は主役だった。という面白さ。
この瞬間。
ダビンチの『最後の晩餐』の構図で、中央のヘンリーに初めてスポットライトが当たる。
これがわたしが考えた『黒後家蜘蛛の会』の演出。
あの農業高校の舞台を見たときから、ずっと温めてきたアイデアだった。
小説はおしゃれだが、ただテーブルに座った7人の男たちが話をするだけの話では地味な舞台になってしまうかもしれない。
却下されるかと思ったが、
「それいい! 演ろう! 『12人の怒れる男たち』みたいな緊迫感のある舞台にしよう!」
と部長が言ってくれて、一気に1年生のうちからわたしのアイデアは実現することになった。
脚本を書くのは大変だったが、先輩たちのアドバイスももらって、舞台が退屈にならないよう、テーブルの後ろに高さの違う舞台を用意し、照明で観客の視線を誘導して舞台を立体的にすることにした。
上の舞台ではゲストの話に合わせて、その男と姿の見えないジャクスンとのやり取りや、男が懊悩のあまり憔悴してゆくさまを演じてゆく。
そして、ラストシーン。
「いったい君は何を盗ったんだ、ヘンリー?」
「あの男の心の平穏だけでございます。」
あの名セリフ。
穏やかな声で言うヘンリーのこのセリフで、舞台は暗転。
その後、ゲストと握手するヘンリー、レギュラーメンバーの客にコートを羽織らせるヘンリー、などなど給仕ヘンリーの人柄を表すいくつかのシーンを暗転を挟んでコマのように見せてゆき、最後に全てを片付け終わって舞台袖へ歩いてゆくヘンリーをスポットライトが追いかけて照らし出し、ヘンリーが袖に入る直前でスポットライトが消える。
舞台が終了したとき、割れるような拍手が起こった。
終盤になるまで主役にスポットライトが当たらない——という意表をついた演出は好評だった。
グランプリは逃したけれど、わたしたちの高校は上位入選を果たした。
ヘンリーを演じた2年生の高杉先輩は、主演賞を受賞した。
「影の主演は照明係だな!」
部長の如月さんはそう言って、わたしの肩をポンと叩いてくれた。
今では懐かしい思い出だ。
その後わたしは短大に進み、別に演劇の世界に入るでもなく、今の会社に就職して相変わらず地味に裏方の事務職で働いている。
営業さんの領収書の提出が遅いとぼやきながら。
そして、オフタイムの「小説」時間。
好きだから書き続けられる——というのもあるけれど、書きたいテーマがあるから書き続けられるというのもある。
普段スポットライトの当たらないような人や物事を取り上げて、「小説」という形で光を当ててみたいと思うのだ。
やっぱりわたしは、今も照明係——。
了
演劇と小説のレビュー(ネタバレ)みたいな作品です。(^^;)
『モウと暮らした50日』(たしかこのタイトルで合ってるはず)は今から20年ほど前、岐阜農林高校演劇部が演じて実際にグランプリを取った作品です。
動画が残っていれば、今でも見られるかもしれません。
『黒後家蜘蛛の会』は出版されているアシモフの傑作ですから、まだの方はぜひ読んでみてください。
おしゃれですよぉ〜。
Ajuの大好きな推理小説です。




