私が信じ続けた真実は最後に光となって彼を救った(氷堂絢音 視点)
私、氷堂絢音が灰ヶ谷透夜と出会ったのは、小学校一年生の時だった。隣の家に引っ越してきた、大人しい男の子。最初は恥ずかしがって、私の顔もまともに見られなかった。でも、いつの間にか、一緒に遊ぶようになって、気づいたら幼馴染になっていた。
透夜は、いつも優しかった。私が転んで泣いた時、ハンカチを貸してくれた。私が忘れ物をした時、自分のノートを見せてくれた。勉強が分からない時、丁寧に教えてくれた。そんな透夜を、私は誰よりも知っていた。だから、あの噂を聞いた時、最初から信じなかった。
高校二年の春、学校中に透夜の噂が広まった。生徒会の資金を横領したという噂。クラスは違ったけど、廊下ですれ違う生徒たちが、ヒソヒソと話しているのが聞こえた。
「灰ヶ谷、やばいらしいよ」「マジで?あんな真面目そうなのに」「人は見かけによらないって言うしね」
その言葉を聞いて、私は違和感を覚えた。透夜が、そんなことをするわけがない。小学校からずっと一緒にいた私が、一番よく知っている。透夜は、嘘をつくような人間じゃない。
昼休み、透夜のクラスに行った。教室の中は、異様な雰囲気に包まれていた。透夜は、一人で席に座っていた。周りには、誰もいない。まるで、透明人間のように扱われていた。
「透夜くん」
私が声をかけると、透夜は顔を上げた。その目には、疲労と絶望が浮かんでいた。
「絢音」
「大丈夫?」
透夜は、少し笑った。でも、それは無理に作った笑顔だった。
「まあ、何とか」
「私は信じてるから。透夜くんがそんなことするわけない」
透夜の目に、少しだけ光が戻った。
「ありがとう、絢音。君だけは、信じてくれるんだな」
その言葉が、胸に響いた。透夜は、みんなから疑われている。でも、私だけは信じている。それが、私にできる唯一のことだった。
それから、私は透夜を支え続けた。廊下で会えば、必ず声をかけた。昼休みには、一緒に過ごした。他のクラスメイトたちが、私に言った。
「氷堂さん、灰ヶ谷と仲いいけど、大丈夫?あいつ、やばいらしいよ」
「透夜くんは、何もしてない。私は知ってる」
「でも、証拠があるって」
「証拠が間違ってるのよ。透夜くんを知ってたら、そんなこと絶対にしないって分かるはず」
でも、私の言葉を信じる人は、ほとんどいなかった。みんな、証拠を信じていた。透夜は、悪いことをしたと思っていた。その空気が、学校中を支配していた。
ある日、透夜のクラスメイトが、透夜をいじめている場面を目撃した。机に落書きをしたり、上履きを隠したり。私は、すぐに止めに入った。
「何してるの!やめなさい!」
クラスメイトたちは、驚いた顔で私を見た。
「氷堂さん、これは正当な批判だよ。あいつ、悪いことしたんだから」
「透夜くんは何もしてない!証拠を確認したの?本当に透夜くんがやったって、確信があるの?」
「でも」
「証拠だけで判断しないで。透夜くんという人間を見て。彼が、そんなことをする人だと思う?」
クラスメイトたちは、黙った。でも、その目には、納得していない色が浮かんでいた。私は、透夜の机の落書きを消した。透夜は、何も言わなかった。ただ、「ありがとう」と小さく呟いた。
その夜、透夜から電話があった。
「絢音、今日はありがとう」
「当然のことをしただけだよ」
「でも、君だけなんだ。俺を信じてくれるのは」
透夜の声は、震えていた。
「彼女も、信じてくれない。友達も、クラスメイトも。みんな、俺を疑ってる」
「透夜くん」
「でも、絢音だけは信じてくれる。それが、唯一の救いなんだ」
その言葉に、胸が締め付けられた。透夜は、どれだけ孤独なんだろう。どれだけ苦しんでいるんだろう。
「透夜くん、必ず真実は明らかになるから。それまで、耐えて」
「ああ、頑張る」
電話を切った後、私は部屋で考えた。どうすれば、透夜を助けられるだろう。でも、私にできることは、限られていた。ただ、信じ続けること。それだけだった。
数日後、透夜の彼女、柊瑠璃花が陽暉と一緒にいる姿を目撃した。二人は、楽しそうに話していた。その光景を見て、胸が痛んだ。瑠璃花は、透夜を裏切ろうとしている。そう感じた。
私は、瑠璃花に話しかけた。
「柊さん、透夜くんのこと、信じてあげないの?」
瑠璃花は、驚いた顔で私を見た。
「氷堂さん」
「透夜くんは、何もしてない。私は、ずっと一緒にいたから分かる。彼は、そんなことをする人じゃない」
「でも、証拠が」
「証拠だけで判断しないで。透夜くんという人間を信じて」
瑠璃花は、少し考えてから言った。
「でも、みんなが言ってるし、私も不安で」
「みんなが言ってるから?それが理由なの?」
瑠璃花は、黙った。私は、続けた。
「柊さんは、透夜くんの彼女でしょ。一年半も付き合ってたんでしょ。その間、透夜くんが嘘をついたことあった?」
「それは」
「ないでしょ。だったら、今回も信じてあげるべきじゃない?」
でも、瑠璃花の目には、迷いの色が浮かんでいた。私の言葉は、彼女の心には届かなかった。そして数日後、透夜と瑠璃花が別れたという噂を聞いた。いや、別れただけじゃない。瑠璃花が、陽暉と付き合い始めたという噂も。
その日、透夜に会った。彼の顔は、以前よりも更に疲れ切っていた。
「透夜くん、大丈夫?」
「ああ、大丈夫」
でも、その声には、力がなかった。
「瑠璃花のこと、聞いた」
透夜は、何も言わなかった。ただ、空を見上げていた。
「透夜くん、辛かったら、泣いてもいいんだよ」
「泣く?」
透夜は、自嘲するように笑った。
「もう、涙も枯れたよ」
その言葉が、胸に突き刺さった。透夜は、どれだけ泣いたんだろう。どれだけ苦しんだんだろう。私は、何もしてあげられない。ただ、そばにいることしかできない。
それから数週間、透夜は変わった。いじめを受けても、無表情で耐えている。瑠璃花と陽暉が一緒にいても、何も言わない。まるで、感情を失ったように。その変化が、私を不安にさせた。
「透夜くん、本当に大丈夫?」
「ああ、大丈夫。もう、何も感じないから」
その言葉に、ゾッとした。透夜は、壊れかけている。このままじゃ、本当に壊れてしまう。でも、私には何もできない。ただ、見守ることしかできない。
ある日、透夜が言った。
「絢音、もうすぐ、すべてが終わる」
「え?」
「真実が、明らかになる」
透夜の目には、不思議な光が宿っていた。それは、絶望でも諦めでもない。何か、強い意志のような光だった。
「透夜くん、何か企んでるの?」
「企む?違うよ。ただ、真実を明らかにするだけ」
その言葉の意味が、分からなかった。でも、透夜には何か考えがあるんだと感じた。
そして、あの月曜日が来た。朝、学校に行くと、異様な雰囲気に包まれていた。生徒たちが、スマホを見て、騒いでいる。
「マジかよ」「嘘でしょ」「鷺沼が?」
私も、スマホを開いた。そこには、透夜の投稿が表示されていた。すべての真実が、明かされていた。陽暉が、透夜を陥れた証拠。防犯カメラの映像。銀行の記録。掲示板での計画についての会話。筆跡鑑定の結果。すべてが、そこにあった。
涙が溢れてきた。透夜は、無実だった。私が信じていた通り、彼は何もしていなかった。そして、彼は、この二週間、証拠を集めていたんだ。一人で、耐えながら。
「透夜くん」
私は、透夜のクラスに走った。でも、彼はそこにいなかった。校長室に呼ばれているという話を聞いた。昼休み、ようやく透夜に会えた。彼は、いつもの穏やかな表情に戻っていた。
「透夜くん!」
「絢音」
「やったね。真実が明らかになった」
透夜は、少し笑った。
「ああ。でも、絢音、君のおかげだよ」
「私の?」
「君が、最後まで信じてくれた。それが、俺の支えだった。もし、君がいなかったら、俺は本当に壊れていたかもしれない」
その言葉に、涙が止まらなくなった。
「透夜くん、辛かったよね」
「うん、辛かった。でも、乗り越えられた」
透夜は、私の頭を優しく撫でた。まるで、昔みたいに。
「ありがとう、絢音。君は、俺の幼馴染で、本当によかった」
その言葉が、嬉しくて、また涙が溢れた。
それから、学校の雰囲気は一変した。陽暉は逮捕され、退学処分。瑠璃花は、真実を知って精神的に崩壊した。透夜をいじめていたクラスメイトたちも、停学処分になった。すべてが、逆転した。
でも、透夜は喜んでいなかった。勝利の表情も見せなかった。ただ、静かに、淡々と日々を過ごしていた。
「透夜くん、嬉しくないの?」
「嬉しい?」
透夜は、少し考えてから言った。
「勝った、とは思う。でも、失ったものも大きい」
「失ったもの?」
「信頼、友情、恋愛。そして、この学校での居場所」
その言葉に、胸が痛んだ。確かに、透夜は勝った。でも、その代償として、多くのものを失った。
数週間後、透夜が転校するという話を聞いた。私は、驚いた。
「転校?どうして?」
「ここには、もう居場所がないから。新しい場所で、やり直したい」
透夜の決意は、固かった。私は、止めることができなかった。最終登校日、私は校門で透夜を待っていた。
「透夜くん」
「絢音」
「転校先でも、頑張ってね」
「うん」
透夜は、少し寂しそうに笑った。
「絢音、俺、君に言いたいことがあるんだ」
「何?」
「君は、俺を最後まで信じてくれた。それが、どれだけ俺を救ったか。言葉では表せないくらい、感謝してる」
「透夜くん」
「これから、新しい場所に行くけど、君のことは忘れない。俺の大切な幼馴染として、ずっと心に残る」
その言葉に、涙が溢れた。
「私も、透夜くんのこと、忘れないから」
透夜は、私をそっと抱きしめた。
「ありがとう、絢音。本当に、ありがとう」
その温もりが、今でも忘れられない。
透夜が転校してから、学校は静かになった。陽暉も、瑠璃花も、いじめに加担していたクラスメイトたちも、それぞれ自分の道を歩んでいた。でも、みんな、透夜に傷つけられたことの代償を払っていた。
私は、時々、透夜のことを考えた。新しい学校で、元気にしているだろうか。友達はできただろうか。幸せに暮らしているだろうか。
数ヶ月後、透夜から電話があった。
「絢音、元気にしてる?」
「透夜くん!元気だよ。そっちは?」
「俺も、すごく順調だよ。新しい学校、いい人たちばかりで」
透夜の声は、明るかった。以前の、穏やかな透夜に戻っている。
「よかった」
「絢音のおかげだよ。君が信じてくれたから、俺は前に進めた」
その言葉が、嬉しかった。私の存在が、透夜の支えになっていた。それが、何よりも嬉しかった。
電話を切った後、私は窓の外を見た。青い空が広がっている。透夜は、新しい空の下で、新しい日々を歩んでいる。それが、何よりも嬉しかった。
ある日、街で瑠璃花を見かけた。彼女は、痩せこけて、目の下にクマができていた。その姿を見て、少しだけ、同情した。でも、それ以上の感情は湧かなかった。彼女は、透夜を裏切った。その結果を、受け止めているだけだ。
私は、瑠璃花に近づいた。
「柊さん」
瑠璃花は、驚いた顔で私を見た。
「氷堂さん」
「透夜くん、新しい学校で元気にしてるよ。もう、あなたのことは吹っ切れたみたい」
その言葉に、瑠璃花の顔が更に青ざめた。
「そう、よかった」
「よかった?」
私の声が、少し厳しくなった。
「あなたが透夜くんにしたこと、私は忘れない。透夜くんがどれだけ苦しんだか。どれだけ傷ついたか」
「分かってる」
「分かってないよ。あなたは、透夜くんの笑顔を奪った。信頼を奪った。未来を奪いかけた」
瑠璃花は、涙を浮かべていた。
「でも、透夜くんは強かった。あなたなんかに負けなかった。だから、もう二度と透夜くんに近づかないで」
「うん」
「約束して」
「約束する」
私は、それ以上何も言わずに去った。瑠璃花に、もう用はなかった。
数年後、私は大学生になった。透夜とは、時々連絡を取り合っていた。彼も、大学生活を楽しんでいるらしい。
「絢音、今度、会わない?」
透夜からのメッセージに、私は嬉しくなった。
「いいよ!いつ?」
数週間後、私たちは久しぶりに会った。透夜は、以前よりも明るくなっていた。高校時代の影は、もうなかった。
「透夜くん、変わったね」
「そう?」
「うん。明るくなった」
透夜は、笑った。
「絢音のおかげだよ。君が信じてくれたから、俺は立ち直れた」
「もう、何度もそれ聞いたよ」
私も、笑った。
「でも、本当なんだ。君がいなかったら、俺は今頃、どうなってたか分からない」
私たちは、カフェで色々な話をした。大学のこと、将来のこと、昔のこと。時間は、あっという間に過ぎていった。
別れ際、透夜が言った。
「絢音、これからも、よろしくね」
「こちらこそ」
私たちは、笑顔で手を振り合った。透夜は、完全に立ち直っている。新しい人生を歩んでいる。それが、何よりも嬉しかった。
家に帰って、ベッドに横になりながら、考えた。あの時、私が透夜を信じ続けてよかった。もし、私まで透夜を疑っていたら、彼は本当に壊れていたかもしれない。でも、私は信じた。幼馴染として、透夜という人間を知っていたから。
人は、簡単に他人を疑う。証拠があれば、なおさら。でも、証拠だけが真実じゃない。その人の人間性、過去の行動、すべてを見て判断すべきだ。私は、それを学んだ。
そして、信じることの大切さも学んだ。たった一人でも、信じてくれる人がいれば、人は立ち直れる。透夜が、それを証明してくれた。
窓の外を見ると、月が出ていた。満月だった。明るく、美しい月。透夜も、同じ月を見ているだろうか。新しい場所で、新しい人たちと、幸せに暮らしているだろうか。そうであってほしい。心から、そう願った。
そして、私は。これからも、透夜の幼馴染として、彼を見守り続ける。遠くからでも、彼の幸せを願い続ける。それが、氷堂絢音という女にできる、唯一のこと。
明日も、太陽は昇る。そして、私は生きていく。透夜という大切な幼馴染を持てた幸せを噛みしめながら。私が信じ続けた真実は、最後に光となって、彼を救った。それが、私の誇り。そして、私の人生の宝物。




