軽い気持ちで乗った正義の波が俺たちの未来を奪った(クラスメイト視点)
俺、桐谷隼人は、灰ヶ谷透夜のことを、まあまあいい奴だと思っていた。真面目だし、頭もいいし、生徒会でも活躍している。クラスでは目立つ方じゃないけど、悪い印象はなかった。そんな透夜が、生徒会の金を横領したという噂が流れた時、最初は信じられなかった。
「マジかよ、灰ヶ谷が?」
朝のホームルーム前、教室は騒然としていた。クラスメイトたちが、スマホを見ながら話している。
「証拠があるらしいぞ」
「サインも本人のだって」
「見た目は真面目そうなのにな」
俺も、友人の美咲や拓海と一緒に、その話題で盛り上がった。
「灰ヶ谷、そんなことするかな?」
美咲が疑問を口にした。
「でも、証拠があるんだろ?だったら、やったんじゃね?」
拓海が言った。俺も、その意見に頷いた。証拠がある。それなら、やったんだろう。そう思った。それから数日、透夜への風当たりは強くなっていった。廊下ですれ違っても、みんな距離を取る。教室でも、透夜の周りには誰も近づかない。
「泥棒と一緒にいたくないよな」
誰かがそう言った。みんな、笑った。俺も、笑った。透夜は、何も言わなかった。ただ、黙って席に座っているだけ。その姿を見て、少しだけ気の毒に思った。でも、それだけだった。
ある日の昼休み、拓海が言った。
「なあ、灰ヶ谷の机に何か書いてみね?」
「何を?」
「『金返せ』とか。面白くね?」
美咲が少し躊躇した。
「それって、いじめじゃない?」
「いじめ?違うよ。正当な批判だろ。あいつ、悪いことしたんだから」
拓海の言葉に、俺も頷いた。そう、これは正当な批判だ。いじめじゃない。透夜が悪いんだ。だから、これくらいしてもいいだろう。
昼休みが終わって、教室に戻ると、透夜の机に「金返せ」と書かれた紙が置いてあった。拓海が、ニヤニヤしている。透夜は、その紙を見て、何も言わずにゴミ箱に捨てた。その姿を見て、クラスメイトたちがクスクス笑った。俺も、笑った。
それから、エスカレートしていった。上履きを隠す。机に落書きをする。SNSで透夜のことを悪く書く。みんな、面白半分でやっていた。俺も、参加した。だって、透夜が悪いんだから。自業自得だ。そう思っていた。
ある日、SNSに透夜の写真を載せた。「生徒会の金を横領した灰ヶ谷透夜」というキャプションをつけて。その投稿は、すぐに拡散された。コメント欄には、誹謗中傷が溢れた。
「最低だな」「顔は真面目そうなのに」「こういうやつが一番タチ悪い」
そのコメントを読んで、俺は満足した。みんな、俺と同じ意見だ。透夜は、悪いやつなんだ。
でも、美咲だけは、少し違った。
「隼人、これってやりすぎじゃない?」
「何が?」
「だって、まだ調査中なんでしょ?決まったわけじゃないのに」
「でも、証拠があるんだろ。だったら、やったんだよ」
美咲は、それ以上何も言わなかった。でも、その目には、疑問の色が浮かんでいた。俺は、その目を無視した。
数週間が経った。透夜は、完全に孤立していた。誰も話しかけず、誰も近づかない。授業中も、休み時間も、透夜は一人だった。その姿を見て、少しだけ、罪悪感が湧いた。でも、すぐに打ち消した。透夜が悪いんだ。自業自得だ。そう自分に言い聞かせた。
ある日の放課後、透夜が一人で教室を出ていく姿を見た。その背中は、どこまでも小さく見えた。拓海が、俺に言った。
「なあ、灰ヶ谷、マジで落ち込んでるな」
「まあな。でも、自分がやったことの報いだろ」
「そうだな」
でも、その時、少しだけ、心が痛んだ。本当に、これでよかったのだろうか。でも、今更後には引けない。みんなでやっていることだ。俺一人が止めても、意味がない。そう思った。
そして、あの月曜日が来た。朝、学校に行くと、異様な雰囲気に包まれていた。生徒たちが、スマホを見て、騒いでいる。
「マジかよ」「嘘でしょ」「鷺沼が?」
胸騒ぎがした。何かが起きている。悪い予感が、全身を駆け巡った。教室に入ると、拓海が青ざめた顔で俺を見ていた。
「隼人、大変だ。見ろ」
スマホを渡された。画面には、透夜の投稿が表示されていた。そこには、すべての真実が明かされていた。陽暉が、透夜を陥れた証拠。防犯カメラの映像。銀行の記録。掲示板での計画についての会話。筆跡鑑定の結果。すべてが、そこにあった。
頭が真っ白になった。手が震える。スマホを落としそうになった。
「嘘だろ」
俺の声は、かすれていた。
「灰ヶ谷、無実だったのか」
でも、それは嘘じゃなかった。証拠は、明確だった。透夜は、無実だった。陥れたのは、陽暉。そして、俺たちは、無実の人間をいじめていた。
「やばい」
拓海が呟いた。
「俺たち、どうなるんだ」
美咲も、青ざめた顔で言った。
「私、言ったじゃん。やりすぎだって」
その言葉が、胸に突き刺さった。美咲は、最初から疑問を持っていた。でも、俺たちは、それを無視した。証拠があるから、と。みんなでやっているから、と。それが、間違いだった。
昼休み、陽暉が教室に現れなかった。校長室に呼び出されているという噂が流れた。そして午後、パトカーが学校に来た。陽暉が、手錠をかけられて連行されていく姿を、窓から見た。
「マジで逮捕された」
クラスメイトたちが、騒いでいる。でも、俺は、透夜のことが気になった。彼は、今、どう思っているだろう。俺たちに、怒っているだろうか。憎んでいるだろうか。
放課後、担任教師に呼ばれた。俺だけじゃない。拓海も、他のクラスメイトたちも。
「お前たち、灰ヶ谷くんをいじめていたな」
教師の声は、厳しかった。
「いじめじゃありません。彼が悪いことをしたから」
拓海が反論した。でも、教師は首を振った。
「灰ヶ谷くんは、無実だった。証拠も確認せずに、一人の人間を追い詰めた。それは、いじめだ」
その言葉に、何も言い返せなかった。教師は、続けた。
「灰ヶ谷くんは、すべてを記録していた。SNSのスクリーンショット、机の落書きの写真、会話の録音。すべてだ」
心臓が止まりそうになった。すべて、記録されていた。俺たちがやったこと、すべて。
「お前たちは、停学処分になる可能性がある。そして、内申書にも記載される」
「内申書に?」
俺の声は、震えていた。
「当然だ。いじめは、重大な問題だ。お前たちの将来にも、影響するだろう」
その日、家に帰って、母親に話した。母親は、激怒した。
「あんた、何してるの!人をいじめて!」
「でも、あいつが悪いことしたって」
「証拠も確認せずに?あんた、バカなの?」
母親の言葉が、胸に突き刺さった。そう、俺は、バカだった。証拠を確認せず、ただみんなに流されて、透夜をいじめた。
翌日、学校に行くと、雰囲気が一変していた。今度は、俺たちが標的になっていた。廊下を歩くと、ヒソヒソ声が聞こえる。
「桐谷たち、灰ヶ谷をいじめてたんだって」「最低だな」「無実の人を」
その言葉が、胸に刺さった。でも、それは事実だった。俺たちは、透夜をいじめた。教室に入ると、透夜が席に座っていた。でも、彼は俺たちを見なかった。まるで、存在しないかのように。その態度が、更に胸を痛めた。
数日後、学校から正式に通知があった。俺を含む五人が、停学処分。そして、内申書に「いじめ加担」として記載される。
「やばい、これ、推薦に影響するんじゃ」
拓海が、青ざめた顔で言った。
「当然でしょ。人をいじめたのよ」
美咲が、冷たく言った。彼女は、停学にはならなかった。いじめに積極的に参加しなかったからだ。でも、俺たちとの友情は、もう終わった。美咲は、俺たちを避けるようになった。
停学期間中、家で過ごした。でも、何もする気になれなかった。ただ、ベッドに横になって、天井を見つめるだけ。透夜の顔が、何度も浮かんできた。あの、何の感情も浮かんでいない目。すべてを見透かされているような目。
ある日、母親が言った。
「隼人、大学の推薦、厳しいかもしれないって」
「え?」
「内申書に、いじめのこと書かれるんでしょ。それ、大学側も見るのよ」
その言葉に、現実が押し寄せてきた。俺の将来が、この一件で閉ざされるかもしれない。軽い気持ちでやったことが、こんなに大きな影響を与えるなんて。
停学が明けて、学校に戻った。でも、居場所はなかった。クラスメイトたちは、俺たちを避ける。透夜は、相変わらず無表情で、俺たちを見ようともしない。
ある日の放課後、透夜に声をかけようとした。謝りたかった。でも、言葉が出なかった。何を言えばいいのか、分からなかった。「ごめん」なんて、軽すぎる。「許してくれ」なんて、図々しい。結局、何も言えずに、その場を離れた。
数週間後、透夜が転校するという噂が流れた。そして、最終登校日、彼は静かに学校を去った。俺たちに、一言も話しかけることなく。その背中を見て、胸が痛んだ。俺たちは、彼を追い詰めて、この学校から追い出した。その罪は、消えることはない。
その後、大学の推薦入試があった。俺は、希望していた大学の推薦に落ちた。内申書の記載が、影響したのは間違いない。
「桐谷くん、君の成績は悪くないんだけど、内申書に気になる点があってね」
面接官の言葉が、忘れられない。俺の将来は、あの一件で大きく変わってしまった。
拓海も、推薦に落ちた。他のメンバーも、同じだった。みんな、後悔していた。
「あの時、やらなければよかった」
拓海が、呟いた。
「今更、遅いよ」
俺は、冷たく言った。でも、心の中では、同じことを思っていた。あの時、美咲の言葉を聞いていれば。証拠を確認していれば。透夜を信じていれば。でも、すべては「もしも」だ。現実は変わらない。
一般入試で、何とか大学には入れた。でも、希望していた大学ではなかった。ランクを下げて、滑り止めの大学に。それでも、入れただけマシだと思うべきなのだろう。
大学生活が始まったが、高校時代の後悔が消えることはなかった。時々、透夜のことを思い出す。彼は、今、どうしているだろう。新しい学校で、幸せに暮らしているだろうか。俺のことを、憎んでいるだろうか。
ある日、SNSで透夜の近況を見つけた。転校先の学校で、写真部に入ったらしい。友達と楽しそうに笑っている写真があった。その笑顔を見て、少しだけ、安心した。彼は、前に進んでいる。でも、同時に、罪悪感も増した。俺たちが奪おうとした彼の笑顔。それを、彼は取り戻している。
大学二年の時、就職活動が始まった。でも、いくつかの企業から、内定をもらえなかった。面接で、高校時代のことを聞かれた時、答えに詰まった。
「高校時代、何か問題を起こしたことは?」
その質問に、正直に答えるべきか、隠すべきか。でも、内申書を見られたら、バレる。結局、正直に答えた。
「はい。いじめに加担してしまいました」
面接官の表情が、一瞬、曇った。その後、不採用の通知が来た。理由は書かれていなかったが、分かっていた。あの一件が、影響している。
何社か受けて、ようやく内定をもらえた。でも、希望していた企業ではなかった。それでも、仕事があるだけマシだと思うべきなのだろう。
社会人になって、数年が経った。仕事は、それなりにこなしている。でも、高校時代の後悔は、消えることはない。時々、夢に見る。透夜を追い詰めている夢。彼の絶望した顔を見る夢。そして、目が覚めると、汗びっしょりになっている。
ある日、同窓会の案内が来た。でも、行く気にはなれなかった。透夜がいるわけないし、クラスメイトたちも、俺のことをどう思っているか分からない。結局、欠席の返事を出した。
後日、同窓会に行った友人から聞いた話では、透夜の話題も出たらしい。
「灰ヶ谷、あの後、順調らしいよ。大学も卒業して、いい企業に就職したって」
その話を聞いて、少しだけ、安心した。彼は、ちゃんと前に進んでいる。俺たちの愚行にも負けず、自分の人生を築いている。
でも、同時に、自分との差を感じた。透夜は、あれだけの苦難を乗り越えて、成功している。でも、俺は、あの一件の後悔を引きずって、ただ生きているだけ。
ある夜、バーで一人、酒を飲んでいた。隣に座った男性が、話しかけてきた。
「何か、悩み事?」
「まあ、昔のことを思い出してて」
「昔のこと?」
「高校時代に、人をいじめたことがあって。それが、ずっと後悔で」
男性は、しばらく黙っていたが、やがて言った。
「後悔してるなら、償えばいい」
「償う?」
「そう。もう過去は変えられない。でも、これからの人生で、誰かを助けることはできる。それが、償いになるんじゃないか」
その言葉が、心に響いた。償い。そう、俺にできることは、それしかない。過去は変えられない。でも、これからの人生で、誰かを助けることはできる。
それから、俺はボランティア活動を始めた。週末、地域の清掃活動に参加したり、子供たちに勉強を教えたり。それが、俺にできる償いだと思った。
ある日、子供たちに勉強を教えていると、一人の少年が言った。
「先生、学校でいじめられてるんです」
その言葉に、心臓が止まりそうになった。
「誰かに相談した?」
「でも、先生に言っても、信じてもらえなくて」
その少年の目には、透夜と同じような絶望が浮かんでいた。俺は、その少年の話を真剣に聞いた。そして、学校に連絡して、事実を確認した。少年は、本当にいじめられていた。学校側も、ようやく動き出した。
数週間後、少年が笑顔で言った。
「先生、ありがとうございました。いじめ、なくなりました」
その笑顔を見て、少しだけ、心が軽くなった。俺は、透夜を救えなかった。でも、この少年は救えた。それが、俺にできる償いだ。
それから、俺はいじめ問題に関わるボランティアを続けている。完全に過去の罪が消えるわけじゃない。でも、これからの人生で、少しでも誰かの役に立てればいい。それが、俺にできる唯一のことだ。
ある日、街で透夜に似た人物を見かけた。心臓が跳ね上がった。でも、近づいてみると、全くの別人だった。ホッとすると同時に、失望も感じた。もう、透夜に会うことはないだろう。でも、いつか、もし会えたら。一言だけ、言いたい。
「本当に、すみませんでした」
でも、それは、ただの自己満足でしかない。透夜にとって、俺の謝罪など、何の意味もない。だから、俺は、これからの人生で償い続ける。誰かを助けることで。いじめをなくすことで。それが、桐谷隼人という男にできる、唯一の贖罪。
夜、ベッドで横になりながら、天井を見つめた。透夜は、今、何をしているだろう。仕事を頑張っているだろうか。誰かと幸せに暮らしているだろうか。そうであってほしい。心から、そう願った。
そして、俺は。今日も、明日も、これからも。この後悔と共に生きていく。透夜をいじめた罪を背負って。それが、俺の人生。でも、その罪を背負いながら、誰かを助けることで、少しずつ償っていく。完全に消えることはなくても、少しずつ、前に進んでいく。それが、俺に残された、唯一の道。
窓の外を見ると、星が輝いていた。透夜も、同じ星を見ているだろうか。そんなことを考えながら、俺は目を閉じた。明日も、太陽は昇る。そして、俺は生きていく。この後悔を背負いながら、誰かを助けることで、少しずつ償いながら。それが、軽い気持ちで正義の波に乗った俺たちの、終わりなき贖罪。




