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君が選んだ嘘の代償は僕が用意した真実の地獄  作者: ledled


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後悔という名の地獄で私は永遠に溺れ続ける(柊瑠璃花 視点)

私、柊瑠璃花の世界が崩れ始めたのは、あの日からだった。生徒会の資金が不正に引き出されたという噂が、学校中を駆け巡った朝。廊下ですれ違う生徒たちが、ヒソヒソと話している。その視線の先には、いつも透夜がいた。灰ヶ谷透夜。私の彼氏。いや、当時はまだ彼氏だった。


昼休み、私は透夜を呼び出した。中庭のベンチで、彼は必死に弁解していた。


「瑠璃花、聞いてくれ。あれは誤解なんだ。僕は何もしていない」


透夜の目は、いつもの穏やかさを失っていた。焦りと不安が、その瞳に浮かんでいる。私は、彼を信じたかった。本当に信じたかった。でも、できなかった。


「透夜、私は信じたいけど」


私の声は震えていた。


「でも、証拠があるって。サインも、透夜の筆跡だって」

「それは偽造されたものなんだ。誰かが僕を陥れようとしている」


透夜は必死だった。でも、私の心には疑念の種が植えられていた。その種は、日に日に大きくなっていった。その夜、陽暉くんから電話があった。鷺沼陽暉。サッカー部のエースで、学年でも人気の男子。最近、文化祭の相談で透夜とよく話しているらしい。


「瑠璃花、大丈夫?透夜のこと、聞いたよ」


優しい声だった。心配してくれている。そう感じた。


「陽暉くん」

「俺も信じたいんだ、透夜のこと。でも、証拠があるんだろ?瑠璃花、お前が一番つらいよな」


その言葉に、涙が溢れそうになった。そう、私が一番つらい。好きな人が、そんなことをしたなんて信じたくない。でも、証拠がある。みんなが言っている。


「瑠璃花、一人で抱え込むなよ。俺でよければ、いつでも話聞くから」

「ありがとう、陽暉くん」


電話を切った後、私は部屋で泣いた。透夜を信じたい。でも、信じられない。その葛藤が、私を苦しめた。翌日から、透夜への風当たりは強くなっていった。廊下で「泥棒」とささやかれ、机に「金返せ」と書かれた紙が置かれる。SNSでは、透夜への誹謗中傷が溢れていた。


私は、どうしていいか分からなかった。透夜の隣に立つべきか。それとも、距離を置くべきか。


「瑠璃花、透夜のこと、まだ付き合ってるの?」


友達に聞かれた。その目には、好奇心と少しの軽蔑が混じっていた。


「それは」


言葉に詰まった私に、友達は言った。


「あんなことする人と付き合ってたら、瑠璃花まで変な目で見られるよ」


その言葉が、私の心に突き刺さった。私まで、変な目で見られる。評判が悪くなる。孤立する。その恐怖が、私を支配し始めた。陽暉くんは、そんな私をいつも支えてくれた。吹奏楽部の練習が終わると、よく声をかけてくれた。


「瑠璃花、今日も疲れた顔してるな。大丈夫?」

「うん、ちょっと色々考えちゃって」

「透夜のことだろ?無理しなくていいんだぞ」


陽暉くんの優しさが、心に染みた。彼は、私のことを本当に心配してくれている。透夜は、自分の保身ばかりで、私の気持ちなんて考えてくれない。そう思うようになっていった。


ある日の放課後、透夜に呼び出された。


「瑠璃花、少し話したい」


透夜の顔は疲れ切っていた。目の下にクマができ、顔色も悪い。


「何?」


私の声は、以前より冷たくなっていた。透夜は、それに気づいたはずだ。


「瑠璃花、僕を信じてくれないか。本当に何もしていないんだ」

「でも、証拠が」

「証拠は偽造されたものだ。僕は、誰かに陥れられている」

「誰が?誰がそんなことするの?」


透夜は答えられなかった。証拠もなく、誰かを疑うことはできない。そう言いたげだった。


「瑠璃花、僕たち、付き合って一年半だよね。その間、僕が嘘をついたことあった?」

「それは」


確かに、透夜は嘘をつくような人じゃなかった。真面目で、誠実で、優しくて。そんな人だと思っていた。でも、人は変わる。そして、証拠がある。


「ごめん、透夜。私、少し考える時間が欲しい」


透夜の顔が、絶望に染まった。その表情を見て、私の心も痛んだ。でも、私は背を向けた。振り返らなかった。


それから数日後、陽暉くんに告白された。放課後、人気のない階段の踊り場で、彼は言った。


「瑠璃花、俺、お前のこと、前から好きだった」


突然のことで、言葉が出なかった。


「透夜がああなる前から。でも、お前が幸せそうだったから、何も言わなかった」


陽暉くんの目は、真剣だった。


「でも、今のお前は苦しんでる。透夜のせいで。そんなの、俺は見てられない」

「陽暉くん」

「俺が、お前を守る。幸せにする。透夜みたいに、お前を裏切ったりしない」


その言葉が、私の心を揺さぶった。守ってくれる。幸せにしてくれる。透夜は、私を裏切った。証拠がある。みんなが言っている。


「考えさせて」

「ああ、急がなくていい。でも、俺の気持ちは本物だから」


その日から、陽暉くんとよく話すようになった。彼は、いつも私の話を聞いてくれた。透夜への不満、不安、恐怖。すべてを受け止めてくれた。


「瑠璃花は、何も悪くない。悪いのは、お前を裏切った透夜だ」


その言葉に、私は救われた気がした。そう、悪いのは透夜。私じゃない。そして、ある日。陽暉くんとキスをした。旧校舎の階段の踊り場で。誰もいない場所で。彼が優しく抱きしめてくれて、唇が重なった。その瞬間、罪悪感が押し寄せた。でも、同時に、解放感もあった。透夜から、自由になれた。新しい恋が、始まった。そう思った。でも、それは間違いだった。


キスをしている時、気配を感じた。振り返ると、そこには透夜がいた。彼の顔は、蒼白だった。目は見開かれ、唇は震えていた。まるで、世界が終わったような表情。


「透夜」


私は声を出した。でも、何を言えばいいか分からなかった。陽暉くんが、私を庇うように前に出た。


「灰ヶ谷、悪いけど、瑠璃花は俺が守る」

「守る?君が?」


透夜の声は、不気味なほど静かだった。


「ああ。お前みたいな、彼女を裏切った人間からな」


その言葉に、私は何も言えなかった。そう、透夜は私を裏切った。証拠がある。だから、私が陽暉くんと一緒にいても、悪くない。そう自分に言い聞かせた。でも、透夜の目を見た時、心臓が痛んだ。彼の目には、深い悲しみと絶望が宿っていた。


私は、顔を上げて、言った。


「透夜、ごめん。でも、もう透夜は私の知ってる人じゃない。あんなことして、平気で嘘をついて」

「嘘なんてついてない。僕は何もしていない」

「いい加減にして!証拠があるのに、まだそんなこと言うの?」


私の声は、ヒステリックになっていた。


「陽暉くんは、私が一番つらい時に支えてくれた。話を聞いてくれた。透夜は、自分の保身ばかりで、私の気持ちなんて考えてくれなかった」


透夜は、何も言わなかった。ただ、じっと私を見つめていた。その目には、もう何の感情も浮かんでいなかった。


「そうか」


彼は静かに言った。


「分かった。もういい」


そして、踵を返して歩き去った。背中が、どこまでも小さく見えた。陽暉くんが、私を抱きしめた。


「もう大丈夫だ。あいつは過去だ。これから、俺たちの未来が始まる」


私は、彼の胸に顔を埋めた。涙が溢れてきた。でも、それは悲しみの涙ではない。解放された喜びの涙だ。そう自分に言い聞かせた。


それから、私と陽暉くんは正式に付き合い始めた。学校中に知れ渡った。友達は、最初は驚いていたが、すぐに受け入れてくれた。


「瑠璃花、よかったね。陽暉くんと付き合えて」

「灰ヶ谷みたいな最低な人と別れられてよかったよ」


そんな言葉に、私は笑顔で答えた。でも、心の奥底では、何かがざわついていた。透夜は、学校で完全に孤立していた。誰も彼に話しかけず、いじめはエスカレートしていた。机に落書きされ、上履きを隠され、SNSでは毎日のように誹謗中傷が書き込まれていた。私は、それを見て見ぬふりをした。彼が悪いんだ。自業自得だ。そう思うようにした。


陽暉くんは、いつも優しかった。デートにも連れて行ってくれたし、プレゼントもくれた。吹奏楽部の練習が終わると、いつも迎えに来てくれた。


「瑠璃花、今日も可愛いな」


そんな言葉をかけてくれる。透夜は、そんなこと言ってくれなかった。いや、言ってくれていたかもしれない。でも、今はもう覚えていない。ある日、陽暉くんがこう言った。


「瑠璃花、灰ヶ谷のこと、まだ気にしてる?」

「え?してないよ」

「そうか。でも、たまに灰ヶ谷を見てる時があるだろ」


ドキッとした。確かに、時々、透夜のことを目で追ってしまう。彼がどれだけ苦しんでいるか、気になってしまう。


「ただ、どうしてるかなって」

「もう忘れろ。あいつは過去だ。これから、俺たちの未来だけを見ろ」


陽暉くんの言葉は、いつも正しかった。そう、透夜は過去。私には、陽暉くんという素敵な彼氏がいる。幸せなはずだった。でも、夜、ベッドで眠ろうとすると、透夜の顔が浮かんできた。私を見つめるあの目。絶望に染まった表情。「僕は何もしていない」そう言い続けていた透夜。もし、本当に何もしていなかったら?そんな考えが、頭をよぎった。でも、すぐに打ち消した。証拠がある。みんなが言っている。透夜は嘘をついている。そう信じようとした。


そして、運命の月曜日が来た。朝、学校に行くと、異様な雰囲気に包まれていた。生徒たちがスマホを見て、騒いでいる。


「嘘でしょ?」「マジかよ」「鷺沼が?」


胸騒ぎがした。何かが起きている。悪い予感が、全身を駆け巡った。友達が、私のところに走ってきた。


「瑠璃花、大変!見た?透夜くんのSNS」

「何?」


スマホを渡された。画面には、透夜の投稿が表示されていた。そこには、すべての真実が明かされていた。陽暉くんが、透夜を陥れた証拠。防犯カメラの映像。銀行の記録。掲示板での「透夜を陥れる計画」についての会話。筆跡鑑定の結果。すべてが、そこにあった。


頭が真っ白になった。手が震える。スマホを落としそうになった。


「嘘」


私の声は、かすれていた。


「嘘、でしょ?」


でも、それは嘘じゃなかった。証拠は、明確だった。透夜は、無実だった。陥れたのは、陽暉くん。私が信じた人が、犯人だった。私が疑った人が、被害者だった。膝から力が抜けた。その場に座り込んでしまった。友達が、慌てて支えてくれた。


「瑠璃花、大丈夫?」


大丈夫なわけがなかった。私は、透夜を裏切った。疑って、信じなくて、陽暉くんと浮気して。そして、透夜が一番苦しんでいた時に、彼を見捨てた。涙が止まらなかった。教室の床に座り込んだまま、私は泣き続けた。


昼休み、陽暉くんが教室に現れなかった。校長室に呼び出されているという噂が流れた。そして午後、パトカーが学校に来た。陽暉くんが、手錠をかけられて連行されていく姿を、窓から見た。彼は、もう爽やかな笑顔を浮かべていなかった。蒼白な顔で、怯えた目をしていた。


「瑠璃花のせいだ」


連行される前、彼はそう叫んだという。でも、それは違う。悪いのは陽暉くん。そして、彼を信じた私。いや、違う。悪いのは、透夜を信じなかった私だ。


その日、私は早退した。家に帰って、部屋に閉じこもった。ベッドに倒れ込んで、枕を抱きしめて、泣いた。声を出して泣いた。子供のように泣いた。透夜の顔が、何度も浮かんできた。「僕は何もしていない」あの時、あんなに必死に訴えていたのに。私は、信じなかった。「瑠璃花、僕を信じてくれないか」あんなに懇願していたのに。私は、背を向けた。そして、キスの場面を目撃された時の、あの絶望の表情。私は、透夜を殺したも同然だった。


翌日、学校に行くと、雰囲気が一変していた。今度は、私が標的になっていた。廊下を歩くと、ヒソヒソ声が聞こえる。


「柊さん、透夜くんを裏切ったんだって」「最低だよね」「浮気女」


その言葉が、胸に刺さった。でも、それは事実だった。私は、透夜を裏切った。教室に入ると、机に「裏切り者」と書かれた紙が置かれていた。かつて、透夜の机に置かれていたのと同じように。友達も、距離を置くようになった。


「瑠璃花、ちょっと今は」


そう言われて、断られた。吹奏楽部でも、居場所がなくなった。部員たちは、私を避けるようになった。


「柊さん、もう部活来ないでくれる?みんな、気まずいから」


部長からそう言われた時、私は何も言い返せなかった。SNSも、地獄だった。私のアカウントには、毎日のように誹謗中傷が書き込まれた。「無実の人を裏切った最低女」「透夜くんが可哀想」「消えろ」そして、追い打ちをかけるように、陽暉くんから電話があった。留置所からだった。


「お前のせいだ、瑠璃花。お前が灰ヶ谷に未練を見せなければ、俺はもっとうまくやれたはずなのに」

「え?」

「俺の人生は終わった。大学も行けない。サッカーももうできない。すべて、お前のせいだ」


その言葉に、私は凍りついた。


「陽暉くん、それは」

「もう連絡してくるな。お前の顔も声も、見たくない」


電話は切れた。私は、両方の男から見捨てられた。自業自得だと分かっていた。でも、それでも苦しかった。母にも、言われた。


「あんたは人を見る目がないのね。まともな子だと思っていたのに、がっかりだわ」


父は、何も言わなかった。ただ、失望した目で私を見ただけ。私には、もう居場所がなかった。


ある日、勇気を出して、透夜を呼び出した。


「透夜、話を聞いてくれる?」


昼休み、中庭で待っていると、透夜が来た。でも、以前の優しい表情は、もうなかった。目は冷たく、まるで他人を見るようだった。


「何の話?」

「ごめんなさい、ごめんなさい。私、あなたを信じなかった。疑って、裏切って。陽暉くんに騙されて」


泣きながら謝った。でも、透夜の表情は変わらなかった。


「騙された?」


透夜は冷たく言った。


「違うよ、瑠璃花。君は自分で選んだんだ。僕を信じないことを。陽暉を信じることを。そして、僕を裏切ることを」

「でも、証拠があって、みんながそう言って」

「僕は君に、何度も無実だと言った。でも君は聞かなかった」


その言葉が、胸に突き刺さった。確かに、透夜は何度も訴えていた。でも、私は耳を貸さなかった。


「やり直せない?もう一度、私たち」


必死に懇願した。でも、透夜の答えは冷たかった。


「無理だよ」


その一言で、すべてが終わった。


「君が選んだ道だ。その結果も、君が受け止めるべきだ」

「透夜」

「さようなら、瑠璃花」


透夜は、背を向けて歩き去った。私の泣き叫ぶ声も、振り返ることはなかった。その日から、私の地獄が始まった。


学校では、完全に孤立した。誰も話しかけてこない。すれ違っても、あからさまに避けられる。SNSでの誹謗中傷は、日に日にエスカレートした。私のアカウントは炎上し、過去の投稿まで掘り返されて叩かれた。


「こいつ、透夜くんと付き合ってた時も、陽暉の写真に『いいね』してたぞ」「最初から陽暉に気があったんじゃね?」「透夜くん、可哀想」


眠れない夜が続いた。ベッドに横になっても、透夜の顔が浮かんできて、眠れない。食事も喉を通らなくなった。母が作った食事を前にしても、吐き気がして食べられない。体重は、みるみる落ちていった。鏡を見ると、痩せこけた自分の顔があった。目の下には深いクマ。髪もボサボサ。これが、私なのか。


ある日、もう限界だと思った。学校に行けない。人の目が怖い。透夜に会うのが怖い。


「お母さん、学校、行きたくない」


母は、ため息をついた。


「好きにしなさい。もうあんたのことは知らない」


その言葉が、最後の一撃だった。私は、通信制高校に転校することにした。もう、あの学校には戻れない。透夜がいる場所には、いられない。転校の手続きをしている時、偶然、校舎で透夜を見かけた。彼は、友達らしき生徒たちと笑っていた。以前のような、穏やかな笑顔。その光景を見て、胸が締め付けられた。透夜は、前に進んでいる。私を忘れて、新しい日々を生きている。でも、私は違う。私は、この後悔と罪悪感に、永遠に囚われ続ける。


通信制高校に転校してから、私は家に引きこもるようになった。外に出るのが怖かった。人の目が怖かった。両親とも、ほとんど話さなくなった。食事も、自分の部屋で一人で食べる。カウンセリングにも通い始めた。でも、カウンセラーに何を話せばいいか分からなかった。


「私は、大切な人を裏切りました」


それだけを、繰り返し言った。夜、ベッドで横になると、透夜との思い出が次々と浮かんでくる。初めて告白された日。初めてのデート。初めてのキス。あの頃の透夜は、いつも優しかった。私を大切にしてくれた。でも、私は、その透夜を裏切った。


スマホを開くと、透夜の元クラスメイトのSNSに、彼の近況が載っていた。転校したらしい。新しい学校で、新しい友達もできたという。写真には、笑顔の透夜が写っていた。その笑顔は、もう私に向けられることはない。私は、透夜に何度もメッセージを送った。


「透夜、やり直したい」「お願い、もう一度チャンスをください」「あなたなしでは生きていけない」


でも、既読はつかない。ブロックされているのかもしれない。ある日、思い切って透夜の新しい学校の前で待った。放課後、彼が出てくるのを見た。友達と楽しそうに話している。その顔は、明るかった。私は、声をかけることができなかった。彼の新しい日々に、私が入り込む権利はない。そっと、その場を離れた。涙が止まらなかった。


通信制高校の課題も、手につかなくなった。勉強する意味が分からない。将来のことも考えられない。ただ、毎日を生きているだけ。いや、生かされているだけ。友達も、いなくなった。元友達からは、こんなメッセージが来た。


「瑠璃花、正直言うと、もう連絡しないでほしい。あなたがしたこと、私は許せない」


それが、最後の繋がりだった。夜、一人で部屋にいると、陽暉くんのことも考える。彼も、人生を破壊された。家族も崩壊し、将来も閉ざされた。それも、私のせい?いや、違う。陽暉くんが悪いことをしたから。でも、私がもっと早く気づいていれば。もっと透夜を信じていれば。そんな「もしも」が、頭の中でぐるぐる回る。でも、もう遅い。時間は戻らない。


ある夜、カッターナイフを手に取った。手首に当てる。少しだけ押し付けると、痛みが走った。この痛みで、心の痛みが消えるだろうか。でも、切ることはできなかった。怖かったから。そして、これ以上、両親を悲しませたくなかったから。カッターナイフを置いて、ベッドに倒れ込んだ。枕に顔を埋めて、声を殺して泣いた。


翌朝、鏡を見ると、そこには見知らぬ女が映っていた。痩せこけて、目は虚ろ。生気のない顔。これが、私。柊瑠璃花。透夜を裏切った女。陽暉に騙された女。誰からも見捨てられた女。


ある日、母が部屋に入ってきた。


「瑠璃花、いつまでこうしてるつもり?」


母の声は、冷たかった。


「ごめんなさい」


それしか言えなかった。


「ごめんなさいじゃないでしょ。あんたがしたことは、取り返しがつかないの。でも、いつまでも引きこもってたって、何も変わらない」

「分かってる」

「分かってないわよ。分かってたら、もっと早く気づいていたはず。灰ヶ谷くんが、どれだけ誠実な子だったか」


母の言葉が、胸に突き刺さった。


「お母さんも、最初は信じてたのよ。灰ヶ谷くんが悪いことをしたって。でも、真実が明らかになって、私たちも恥ずかしい思いをしたわ。近所の人にも、何て言われたか」

「ごめんなさい」

「もういいわ。好きにしなさい。でも、このままじゃあんたの人生、本当に終わるわよ」


母は、部屋を出ていった。ドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。


数週間後、透夜の元クラスメイトのSNSで、また彼の写真を見つけた。文化祭の写真だった。新しい学校での。透夜は、写真部の仲間たちと笑顔で写っていた。その笑顔は、本物だった。作り笑いじゃない。心からの笑顔。私は、その笑顔を奪った。そして、もう二度と、その笑顔を私に向けてもらうことはできない。コメント欄を見ると、こんな書き込みがあった。


「灰ヶ谷くん、新しい学校で幸せそうで良かった」「本当に。あんなひどいことされたのに、また笑えるようになって」「柊は今どうしてるんだろうね」「知らないし、興味ない。自業自得でしょ」


その言葉を読んで、画面が涙で滲んだ。私は、もう誰の記憶にも残らない。いや、残るとしたら「透夜を裏切った最低な女」として。それが、私が選んだ道の結果。


ある日、勇気を出して、もう一度透夜にメッセージを送った。


「透夜、今でも毎日あなたのことを考えてる。私は一生、この罪を背負って生きていく。でも、あなたには幸せになってほしい。本当に、ごめんなさい」


送信ボタンを押した。既読はつかなかった。翌日も。翌々日も。一週間経っても、既読はつかなかった。透夜は、私のメッセージを見ることさえ、しない。それが、彼の答えなのだと理解した。私は、透夜の人生から、完全に消された。


それから、私はカウンセラーに言われた通り、少しずつ外に出るようにした。近所のコンビニまで。公園まで。図書館まで。でも、外に出るたびに、人の視線が怖かった。みんなが私のことを知っているような気がした。「あの子、柊瑠璃花じゃない?」「あの、透夜くんを裏切った」そんな声が、聞こえてくる気がした。実際には誰も私のことなんて見ていないのに。


ある日、図書館で本を探していると、見覚えのある顔と目が合った。絢音ちゃん。透夜の幼馴染。彼女は、私を見ると、顔をしかめた。


「柊さん」

「絢音ちゃん」


気まずい沈黙が流れた。


「透夜くん、新しい学校で元気にしてるよ。もう、あなたのことは吹っ切れたみたい」


その言葉に、安堵と同時に、深い悲しみが込み上げてきた。


「そう、よかった」

「よかった?」


絢音ちゃんの声が、少し厳しくなった。


「あなたが透夜くんにしたこと、私は忘れない。透夜くんがどれだけ苦しんだか。どれだけ傷ついたか」

「分かってる」

「分かってないよ。あなたは、透夜くんの笑顔を奪った。信頼を奪った。未来を奪いかけた」


涙が溢れてきた。


「でも、透夜くんは強かった。あなたなんかに負けなかった。だから、もう二度と透夜くんに近づかないで」

「うん」

「約束して」

「約束する」


絢音ちゃんは、それ以上何も言わずに去っていった。私は、その場に立ち尽くした。図書館の冷たい空気が、体を包んでいた。透夜には、こんな風に守ってくれる人がいる。私には、もう誰もいない。それが、私が選んだ道の結果。


その夜、部屋で日記を書いた。カウンセラーに勧められて始めた習慣だった。


「今日、絢音ちゃんに会った。透夜のことを守る彼女を見て、羨ましいと思った。私も、透夜を守るべきだった。信じるべきだった。でも、私は彼を裏切った」


「陽暉くんの優しい言葉に騙された。いや、違う。騙されたんじゃない。私が、楽な方を選んだだけ。透夜を信じることは、みんなを敵に回すことを意味した。それが怖かった」


「私は、弱かった。そして、その弱さの代償は、あまりにも大きかった」


日記を閉じて、ベッドに横になった。天井を見つめる。透夜は、今、何をしているだろう。新しい友達と笑っているだろうか。もう、私のことなんて思い出しもしないだろうか。そうであってほしい。透夜には、幸せになってほしい。私のことなんて、完全に忘れてほしい。でも、同時に、願ってしまう。ほんの少しでいいから、私のことを思い出してほしい。あの頃の、幸せだった日々を。矛盾している。でも、それが私の本音だった。


数ヶ月が経ち、春が来た。新学期の季節。通信制高校も、二年目に入った。課題は、少しずつこなせるようになってきた。でも、それは機械的な作業でしかなかった。将来のことは、まだ考えられない。大学に行く気力もない。就職する自信もない。ただ、今日を生きる。明日を生きる。それだけ。


ある日、母が珍しく優しい声で言った。


「瑠璃花、少しずつでいいから、前に進みなさい。あんたの人生は、まだ終わってない」

「でも、私」

「したことは消えない。でも、それを背負って生きていくしかないの。逃げることはできない」


母の言葉に、少しだけ力が湧いた。そう、逃げることはできない。この罪は、一生背負っていく。でも、それでも生きていかなければならない。それが、私の罰。


ある夜、SNSで透夜の写真をまた見つけた。今度は、卒業式の写真だった。もう、高校を卒業したのだ。制服姿の透夜。笑顔で、友達と肩を組んでいる。その顔には、もう影はなかった。私がつけた傷は、もう癒えているのだろうか。それとも、まだ心の奥に残っているのだろうか。コメント欄には、祝福の言葉が並んでいた。


「卒業おめでとう!」「大学でも頑張ってね」「透夜はいい奴だから、きっと素敵な未来が待ってるよ」


その言葉を読んで、涙が溢れた。透夜には、素敵な未来が待っている。そうあってほしい。でも、私には?私の未来は、どこにあるんだろう。答えは、見つからなかった。


数日後、私は決心した。透夜に、最後のメッセージを送ることを。もう返信は期待しない。既読もつかないかもしれない。でも、伝えたいことがあった。


「透夜、卒業おめでとう。SNSで写真を見ました。あなたが笑顔でいてくれて、本当によかった」


「私は、一生あなたを裏切ったことを後悔し続けます。毎日、あなたのことを考えています。あの時、あなたを信じられなかった自分を、憎んでいます」


「でも、あなたには幸せになってほしい。素敵な人と出会って、素敵な未来を築いてほしい。私のことは、もう忘れてください」


「最後に、本当にごめんなさい。そして、ありがとう。あなたと過ごした日々は、私の人生で一番幸せな時間でした」


「さようなら、透夜」


送信ボタンを押した。それが、私から透夜への最後の言葉になった。既読はつかなかった。それでいい。それが、透夜の答えなのだから。


私は、スマホを置いて、窓の外を見た。桜が散っていく。ピンクの花びらが、風に舞っている。美しい光景だった。でも、私の心には届かなかった。私は、この罪を背負って、これからも生きていく。透夜を裏切った罪。信じるべき人を疑った罪。大切なものを失った罪。それが、私の選んだ道の結果。後悔という名の地獄で、私は永遠に溺れ続ける。それが、私の罰。そして、それが、私の人生。


数ヶ月後、私は少しずつ外出できるようになった。カウンセリングの成果だった。アルバイトも始めた。小さな本屋で、週に数回。人と接するのは、まだ怖かった。でも、少しずつ慣れていった。でも、夜になると、今でも透夜の顔が浮かんでくる。「僕は何もしていない」あの必死の訴えが、耳から離れない。


ある日、本屋で働いていると、一冊の本が目に留まった。「赦しと再生」というタイトル。手に取って、パラパラとめくった。「人は誰でも過ちを犯す。大切なのは、その過ちから何を学ぶか」そんな一節があった。私は、何を学んだのだろう。人を簡単に信じてはいけない?違う。人を簡単に疑ってはいけない?それもある。でも、一番学んだことは、失ってから気づいても遅いということ。透夜という、かけがえのない存在を失ってから、その大切さに気づいた。もう、二度と戻らない。


その本を買って、家に持ち帰った。夜、ベッドでその本を読んだ。「自分を赦すことも、大切な一歩だ」そんな言葉があった。自分を赦す?そんなこと、できるのだろうか。私は、自分を赦すことができるのだろうか。今は、まだ分からない。でも、いつか。何年後か、何十年後か。もしかしたら、少しだけ、自分を赦せる日が来るかもしれない。でも、それは今じゃない。


今の私は、ただこの罪を背負って、一歩ずつ前に進むしかない。それが、私にできる唯一のこと。窓の外を見ると、月が出ていた。満月だった。明るく、美しい月。透夜も、同じ月を見ているだろうか。新しい場所で、新しい人たちと、幸せに暮らしているだろうか。そうであってほしい。心から、そう願った。


そして、私は。この後悔と共に、生きていく。透夜を裏切った女として。信じるべき人を疑った女として。それが、私の選んだ道の結果。そして、それが、私の人生。後悔という名の地獄で、私は永遠に溺れ続ける。それが、私の罰であり、私の現実。でも、それでも。明日は来る。太陽は昇る。そして、私は生きていく。この罪を背負って。この後悔と共に。それが、柊瑠璃花という女の、贖罪の日々。終わることのない、地獄の始まり。


数年後、私は二十歳になった。成人式には行かなかった。同級生に会いたくなかったから。通信制高校は、何とか卒業できた。でも、大学には行かなかった。行く気力がなかった。本屋でのアルバイトは続けていた。店長は優しい人で、私の事情を知ってか知らずか、何も聞かずに雇い続けてくれた。


ある日、本屋に一人の男性客が来た。背が高く、落ち着いた雰囲気の人だった。その後ろ姿が、一瞬、透夜に見えた。心臓が跳ね上がった。でも、振り返った顔は、全くの別人だった。ホッとすると同時に、深い失望を感じた。もう、透夜に会うことはない。それは分かっている。でも、心のどこかで、いつか偶然会えるんじゃないかと期待している自分がいた。会ってどうするんだろう。謝る?もう何度も謝った。やり直したい?そんな資格はない。ただ、元気な姿を見たい?それは、ただの自己満足でしかない。結局、私は何を求めているんだろう。答えは、分からなかった。


その夜、久しぶりに透夜のSNSを検索した。もう、アカウントは見つからなかった。消したのか、名前を変えたのか。完全に、私の手の届かないところに行ってしまった。それでいい。それが正しい。そう自分に言い聞かせた。


翌朝、本屋に出勤すると、店長が声をかけてきた。


「柊さん、最近、少し表情が明るくなったね」

「そうですか?」

「うん。最初の頃は、すごく暗かったから。何かあったのか、聞かなかったけど」


店長は優しく笑った。


「人は、時間と共に変わっていくものだよ。辛いことも、いつかは薄れていく」

「薄れる、ですか」

「完全に消えることはないかもしれない。でも、それと共に生きていけるようになる」


店長の言葉が、心に染みた。そう、消えることはない。でも、共に生きていける。それが、私の未来なのかもしれない。仕事を終えて家に帰ると、母が夕食を作っていた。


「お帰り、瑠璃花」

「ただいま」


以前よりは、会話が増えた。母も、少しずつ私を許してくれているのかもしれない。


「今日、どうだった?」

「まあまあ、かな」

「そう」


母は、それ以上何も聞かなかった。でも、その沈黙は、以前ほど重くはなかった。夕食を食べながら、テレビを見た。ニュースが流れている。若者の就職率が上がっているという話題。私も、そろそろ正社員を目指すべきなのだろうか。でも、まだ自信がない。人と深く関わることが、まだ怖い。また、誰かを傷つけてしまうんじゃないかと思ってしまう。


その夜、ベッドで横になりながら、天井を見つめた。透夜は、今、どこで何をしているだろう。大学生活を楽しんでいるだろうか。新しい恋人はできただろうか。その人は、私と違って、透夜を信じてくれる人だろうか。そうであってほしい。心から、そう願った。


そして、私は。今日も、明日も、これからも。この後悔と共に生きていく。透夜を裏切った罪を背負って。それが、私の人生。終わることのない贖罪。でも、店長の言葉を信じたい。いつか、この罪と共に生きていけるようになる日が来ると。完全に消えることはなくても、少しずつ、前に進めるようになると。それまで、私は生きていく。一歩ずつ。ゆっくりと。それが、柊瑠璃花という女に残された、唯一の道。


窓の外を見ると、星が輝いていた。透夜も、同じ星を見ているだろうか。そんなことを考えながら、私は目を閉じた。明日も、太陽は昇る。そして、私は生きていく。この後悔という名の地獄で、永遠に溺れながら。それが、私が選んだ道の、終わりなき結末。

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