第4話 はじめての街と、少年との出会い
朝の光が差し込む台所。
焼きたてのパンの香りが、家の中をふんわりと包み込んでいた。
「おはよう!ねぇお父さん!見て見て、今日のパン、私がこねたの!」
「おお、ほんとか?……って、こねすぎてるじゃないか!」
「えへへっ。いーっぱい作ったの!」
粉まみれの両手を広げて笑うアリアに、ガイルは苦笑いしながらも頭を撫でた。
「まったく、元気なのは良いけど、ほどほどにな。」
「はーい!」
アリアは元気よく手を挙げて返事をする。その仕草に、グレイスも思わず微笑んだ。
穏やかな、いつもの朝。
けれど、この日は少し特別だった。
アリアが農夫夫婦のもとに来てから、5年の月日が流れていた。
白い髪と翠の瞳を持つ少女は、まだ幼いながらも村の誰よりも明るく笑い、その笑顔はまるで光そのもののように、周囲の人々を和ませていた。
そんなある日、グレイスがふと思いついたように言った。
「ねぇアリア。街へ行ってみない?今日はお祭りがあるのよ。」
「ほんと!?行きたい!」
飛んで跳ねて喜ぶアリアの姿に、ガイルとグレイスは顔を見合わせて笑う。
アリアが街に行くのは、生まれてから一度もなかった。
それだけに、その胸の高鳴りは抑えきれなかった。
こうして、3人は街へ向かうことになった。
街に入った瞬間、アリアの目は輝いた。
道の両側には屋台が並び、焼き菓子や果物の甘い香りが風に乗って流れてくる。
綿菓子を売る声、音楽、踊る人々――どれもが新鮮で眩しかった。
「わぁっ、すごい!見て見てお母さん!あっちのも!」
「そんなに走っちゃ—―アリア!」
グレイスの声が人の波に呑まれた時、アリアはすでに姿を見失っていた。
「お父さん?お母さん…?」
不安げに周囲を見渡すアリア。
胸の奥で、ざわりと何かが揺れた。
――風の声が聞こえる。木々のざわめき、足元の草の囁き。
”探してあげようか?”
そんな優しい気配が、心の奥に響いた。
けれどアリアは、小さく首を振る。
両親と交わした、あの約束があった。
”人の前で力を使ってはいけない。危ないからね”
喉の奥で何かが詰まりそうになった。
「……だめ。約束、だから。」
ぎゅっと拳を握りしめ、涙をこらえる。
心細くても、怖くても、両親との約束だけは破りたくなかった。
そのとき、背後から少年たちの笑い声がした。
「なぁ見ろよ、あの髪。真っ白だぜ。」
「目も変な色。エルフみたいで気味悪ぃな。」
アリアは立ち尽くした。唇をかみしめ、俯く。
「そんなこと……ない……」
しかし、声は震え、涙がこぼれた。
—―その時だった。
「やめろ。」
凛とした声が響いた。
振り向くと、1人の少年が立っていた。
アリアより少し年上。落ち着いた眼差しに、どこか上品な気配を漂わせている。
「女の子を泣かせて、楽しいか?」
「ちっ、またお前かよ……。」
少年たちは気まずそうに顔を見合わせ、ぐだぐだ文句を言いながら去っていった。
静けさが戻る。
少年は少し照れたように笑い、アリアに手を差し出した。
「もう大丈夫。怖くなかったか?」
アリアは小さく首を振り、涙を拭った。
「ありがとう……助けてくれて。」
「へへ、大したことないさ。」
どこか誇らしげに胸を張りながら、少年は言った。
「でも、もしまた困ったら—―俺が守ってやる。」
その言葉に、アリアは思わず笑顔を浮かべた。
「うん……ありがとう。」
通り抜ける風が、2人の髪を優しく揺らす。
その一瞬、少年は胸の奥が熱くなるのを感じた。
それが、初めての”ときめき”だと知るのは、ずっと後のことだった。
—―この出会いが、2人の運命を大きく動かすことになるとも知らずに。




