深詠子の思い5
実家は両親が築いた工場を、そのまま兄が引き継いだお陰で、深詠子は自由闊達に好きな物に打ち込めた。わざわざ年末年始の休暇らに来てもらった二人を、兄は邪魔をしないように、近くの小天温泉那古井館で珈琲を飲んでいた。
「そのお袋も、今はからだの調子が悪くて(この三年後に亡くなってる)それでも居酒屋を続けている」
「そんなお母さんの背中を見て育った割には、のんびりしているのね」
これには二人とも違えた受け取り方で笑った。
「親父がええ加減なんだ。でも店はしっかり切り盛りしているけどね」
此の人は厳格なお母さんと、少し調子の良いお父さんの両方を見て育ったのか。
「そんなお母さんでも、ここぞと言う時にしかお灸を据えなかったのね、だからあなたは自由に育ったのね」
日頃は調子の良いお父さんの性格にそれで傾いた。もう少しお母さんが構っていれば、今頃は芽生えた感性を磨けたのに。でも今からでもあたし次第で、此の人は何とか成りそうだ。
「今からでも遅くはないわよ」
「何が?」
そうか、此の人は余り本を読んでこなかったのだ。
「いいわよ、此処であたしの説明を聞いていれば、どうして草枕の主人公の画工があれほど変人奇人の如くに振る舞う那美さんの感性を如何して見極めたか。あなたにもそんな感覚を持って欲しいの」
今度は「草枕」の舞台となった前田家別邸を、今一度、深詠子はじっくりと案内した。
ここへ来る途中の茶店で画工が描いた犬の絵を、出戻りの那美さんが見て、気に入り、あたしの絵も描いて頂戴と頼んだ。そこで彼女は画工の前で、さっきの風呂場で裸を見せたり、振り袖姿を見せたりして、絵心を掻き立てるようにした。




