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深詠子を偲ぶ1

 十年前、彼が大学を中退して二年間で職業を転々とした。今どき新人に自分の仕事を犠牲にしてまで構ってくれる人に会えなかった。彼の身になって手取り足取り親身に接してくれずに就業意欲が萎えた。

 二十二歳で見付けた会社でやっと良い上司に恵まれた。会社の上司の部下にも藤波好みの女性がいた。此の二人から色々と面倒見てもらい、スッカリ職場が気に入り、毎日が浮き浮き気分で仕事が出来た。この上司の彼女が深詠子みえこさんだ。藤波が寂しくしていると二人で誘って遊びに連れて行ってもらった。二人の仲が上手く行ってるときは良かったが、此の二人の仲にひびが入り、こじれ出すと深詠子は藤波に助けを求めた。

 夜の八時前にアパートに居る藤波の部屋のドアを激しく叩く音に「どなたですか?」と尋ねた。「あたし」と聞き覚えのある深詠子の悲痛な叫び声が聞こえた。彼は慌ててドアを開け「どうしたんですか」と訊ねた。

「此処じゃ周囲に聞こえるから中に入れてくれる?」

 藤波が黙って更にドアを一杯に開けると、彼女は藤波が一杯に伸ばした腕の下からスルリと掻いくぐって入った。藤波は表に誰もいないのを確認してドアを閉めた。藤波の部屋は三畳のキッチンルームと奥の六畳の居間しかなかった。深詠子は先ほどの緊迫した表情からは一変して奥の和室に今日は珍しく覇気のないままピョコンと座っていた。彼が向かいに座り「どうしたんですか」とまた同じ質問をした。

「ねえねえ、聞いて!」

 と彼の膝の上に手を置くと、年上のひとから子供のように哀願された。

「あの人となんかあったんですか?」

 あの人と聞いて彼女はしくしくと泣き出した。

「喧嘩でもしたの」

 彼女は藤波の目をじっと見ながら何度も頷いて見せる。

「お願い! あたしと一緒に謝ってくれる?」

 想いを寄せた人が涙を溢しながら哀願されると、力強く大丈夫だと云って聞かせた。これに安心したのか涙混じりに微笑んでくれた。




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