藤波の店6
「今日はいつもより棺桶に片足を突っ込む前の談義になってしもた。はたから見るとアホなァ事にみえるが、言っておくが愛に溺れた心中に良え悪いの結論は出えへん。そやから場違いに惚れた相手が居る限り永遠に続く。あのニュースの無理心中事件は、わしらのあの戦後のカツカツの生活難とは掛け離れているんや」
源さんは酒で喉を潤して更に続けた。
「落ち込んだら何かに縋りたい。しかし苦節のない男にはその縋る物がないんや。その想いをあのニュースの男ははき違えている」
下村は今まで普通に生きてきたというより、順調な人生を歩んだ。藤波が何度も挫折したものは、一度もなかったのだろう。挫折がなければ克服する術も見付けられず無理心中をした。自分の弱さが曝け出て起こした行動だ。
この切実なる問題は下村の内包にある。己に自由を求め、妻子にも自由に振る舞っても、心の内にある趣や情緒は自由に出来ず束縛すれば、まさしく苦患の波に呑まれる。
深詠子はその淵から這い上がろうとして引きずり込まれた。あれほど勝ち気な女がズルズルと引き込まれたのは、安定した生活から来たのだ。ぬるま湯のうちに抜け出せずに茹で蛙になってしまったんだ。それだけダイヤモンドの輝きは理性を狂わすのか。不思議とここに居る連中は、死にぞこなって逃走した男の酷評ばかりで、相手の女にはひと言も触れない。何でや。こう言う時こそ夫を支えるのが妻の勤めだと、いや、愛なのに。それともこの戦後生まれの連中には、どうでもいいのか。どうでもいいのかと言った尻から、一瞬、顔がにやけた。此処の連中が注目した心中事件から逃げ延びた子供が一人、此の二階に居るなんて露ほども思わず、ニュースを酒の肴にして呑んでいる。出来ればずっと此の連中が亡くなるまで隠し通すか。なんと言っても彼らはもう直ぐ此の国の男子の平均寿命に達する人ばかりだが……。それにしてもテレビは不思議とまだ二階に居る真苗にはひと言も触れてない。情報がないのか、それともそんな事実をまだ誰も掴んでいないのか。何れにせよ下村が自首した以上は、訊かれれば彼の口から出るのだろう。




