父の店3
「毎日ここに来るのは年金があるさかいや、週に二回しか来やへんあの山崎のじいさんは年金ではやっていけへんさかい工事現場の警備員もやっとる」
「エッ、あのじいさんもう七十と違うんか、わしらと変わらん掛け金やさかい支給額もわしらと一緒やのに」
「しゃないがなあ、足らんにゃ年金が」
「同じ支給額なのに、どうして山崎のじいさんはまだ働かなアカンのや」
「毎日此処へ呑みに来られる山崎のじいさんとわしらとは、借家と持ち家の違いや。あのじいさんは若い頃に住宅ローンせんと遊んでいたんや。その報いがきてるんや」
「大半の者はあの年金で家賃払えば生活費が足らなくなる。借家の者は定年後の生活を丁度ここの藤波はんぐらいの歳からやっとかなあかん」
「わしらみたいに毎日此処で呑んで寝るだけの生活を若いときから考えておかなあかんちゅうこっちゃ」
「そやけど、そっちの三人は此処の藤波はんと一緒で親の家を相続しただけや」
「そやなあ。やっさんは郊外に苦労してやっと定年前に家のローンを払い終ったんやなあ」
一見さんが居なければ呑み慣れた常連客同士、羽目を外して藤波は傍観者に徹していられる。雇われ会社員だとそうはいかない。上司には逆らえず同僚には愛想をつかされないように付き合わないといけない。此処ではその場の雰囲気を壊さなければ、それで今日も彼らは店に来る。早い人で夕暮れの六時、大体八時前にはほぼその日の常連客の顔が出そろう。今日は彼奴は来ないな婆さんに掴まったか。オッ、珍しいな最近顔みせんやつが来よった。とこれでこの日は盛り上がる。これも全てが亡くなった親父の置き土産みたいなもんだ。それでも一週間も顔を見なければ、彼奴とうとうお迎えが来よったなあ、と老い先短い連中にはこのひと言で終わる。
親父が良いなじみ客ばかり遺してくれたお陰で、小言を頂戴することもなく、味付けの指導までして貰った。そうするのも、連中にしてみれば五十代でぽっくりは 余りにも早い若い死で、遺された藤波をみんなで可愛がっていた。サラリーマン時代は付き合いで居酒屋にも行ったが、客が店の主を持ち上げてくれる店を知ったのは此処が初めてだ。おそらく他店は一人客なら無愛想で呑むが、贔屓筋が多い此の店は違った。