谷を渡る雲4
彼の推理を訊いて可奈子は立ち上がった。
「真苗ちゃんの置かれた状態は解ったけど、八年前に別れたのに、その母親が何で此の子を啓ちゃんのところへ来させたの?」
と素朴な疑問を可奈子は投げつけた。そこで藤波はこれまでか、と深詠子が子供に託した手紙を見せた。
突然の手紙に驚かれると思いますが出来たらこのまま下村と最後まで添え遂げたかった。それも叶わくなりました。下村があんなに精神的に脆い人とは思わなかった。このままでは啓一朗さんとは幾ら相性が合っても生活面の不安は拭い切れない。お腹の子のためにもあの若さで会社を興した下村の経済力に頼りました。自信家の下村は銀行から多額の融資を取り付けて新たな事業を始めました。でも事業は頓挫して借金だけが残りました。金利だけが嵩み、遂に事業からの撤退後の惨めな下村の姿に堪えきれずに、離婚話を始めると彼は前途に失望しました。死ねば借金はチャラになると死ぬことばかり考えていましたから、じゃあご自由に、その前にこの用紙にサインと捺印を、と迫るとあの人は今まで見た事のない凄い眼をされた。これはまずいとその場は引き下がりました。もうあの人は何をするか判らない。せめて此の子だけでもとこの手紙をしたためました。
追伸
あなたとの真意は同じ会社で親友の磨美から訊いて頂ければ、この手紙の重みも増しますのでよろしく。
「何これ!」
さっきまで言っていた情念の欠片もない文章ね、と可奈子は手紙を突っ返した。