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風は谷を渡る雲を追う3

 お花畑を飛び廻っていた下村は、情念の切れ目から踏み外して下界に振り落とされた。そこには妹を抱き締める真苗の姿が、現実の世界となって現れた。

「眼が覚めると、玄関付近に居る真苗が眼に飛び込んで、手にした包丁が眼に入ると正気に戻った」

 エッ! それは反対だろう。彼は元の殺人鬼の狂気に戻ったんだ。下村の精神の中では、本人もろとも抹殺しょうと行われた、悲惨な一蓮托生の世界に引き戻されたんだ。

「それでどうしたんです」

「包丁を床に放り出していた」

「深詠子の幻影からやっと抜けられたんですね」

 床に投げ出した包丁を新聞紙に包んだ。今度はその包丁で自分が家族の許へ逝く番だと、死を求めて街を彷徨さまよった。やがて夜の闇に捉まり、抜け出そうと灯りを求めた。闇の中で求めた唯一の灯りがともっていたのは一つの交番だけだ。そこに救いを求めてやっと呪縛から解き放たれた。辿り着けたその瞬間に、闇夜から眩しいほどの夜景と人のいとなみが、一斉に眼に飛び込んでひと息吐けた。

 それが心中で死に損なった男の、八年間に亘る深詠子との清算だったのか。真苗は深詠子が、俺に目覚めよと使わした唯一の贈りものなんだ。

 店に戻り準備中の可奈子に「今日は休む」と告げると。あれまあと謂う顔をした。今日の下村との接見を話すと納得してくれた。

 その夜は初めて入り口の引き戸に、本日お盆につき休みます、と張り紙をした。

「みんな吃驚びっくりするだろうなあ」

「酒に怨みはないけれど、化けて出るかも知れないわね」

 おいおい、お盆に余計な冗談を言うなと三人は店を出た。 

 張りを紙を見た常連客は「おい誰か聞いてるもんおるんか」誰も初耳やと口を揃えて「しゃあないなあ、今日だけは家で呑むか」と引き上げた。

 店を出た三人は、加茂大橋の袂で夕涼みながら、大文字の送り火を見ていた。

 比叡の山を越えた風は、たにを渡り雲をって如意ヶ嶽に向かって吹き上がった。その風に送り火の炎が揺れている。可奈子が指差して「あの揺らぎはまるで深詠子さんが微笑んでいるようね」と言えば、真苗も「ウン」と嬉しそうに頷いた。藤波は夜空に舞い上がる送り火に、深詠子の初盆を重ねて手を合わせた。


                              了

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