発見
武器の試用にそこそこ時間をかけたためか、外に出ると太陽はずいぶん傾いていて、地平の縁が紫がかっていた。
「…そう言えば、寝泊まりはどこでしようかな」
よく考えてみれば、僕は何も知らなかった。この世界のことも、僕自身のことも。ただ身なりと持ち物からして、神様が僕を生かす気があるのは確かだ。となるとやはり生きなくてはならない。ちょうど鍛冶屋を出て少し歩くと宿屋が見つかったので、とにかく中に入ってみた。
中は広く清潔で、若い女性店員が受付でなにか事務作業をしていた。僕が受付に近づくと、彼女もこちらに気がついたようで接客モードで口を開いた。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか?」
僕が一人ですと言うと、彼女はメニュー表のようなものを取り出して説明を始める。
「シングルですと、標準的なお部屋は一泊100リーンですね。お手持ちが不安でしたら、ご飯の提供がなくなってしまいますが一泊80リーンのものもございますよ。少しお高くなりますが、シティビューのお部屋が一泊250リーンでご利用いただけます。」
表を見ると、各部屋の広さや付属するサービスなどが詳細に書かれていた。単なるシングルは3階・4階部分の部屋で、朝夕食付きで十分な広さがある。2階は低所得者向けの部屋が並んでおり、食事は抜きでシングルより狭い。最上階の5階は目抜き通りを一望できるシティビューの部屋が配置されていて、シングルより遥かに広い。ダブルやツインの部屋もあったけど、これは気にしなくていいだろう。
「じゃあ、シティビューのお部屋でお願いします。」
僕が250リーン分の金貨を机に置くと、店員さんは少し驚いた様子だった。
「…?あっ、申し訳ございません!シティビューのお部屋ですね。それでは502号室をご利用ください。」
とにかく僕は店員さんから鍵を受け取り、部屋に向かうのだった。
「ふう…。堪能した。」
そのあとホテルで夕食を摂った僕は、部屋の中にあったふかふかのソファの上で微睡んでいた。
中世的な雰囲気があったから不安だったけれど、この世界もなかなか悪くなさそうだ。お風呂もこのお高い部屋には完備されていて、どうやら魔石の持つエネルギーを熱に変換して温めるらしい。魔法の力ってすげー。
「それにしても、この街は綺麗だ…。」
まだ建物の高層化が進んでいないため、5階の高さからでも市街の様子がよく見えた。
このホテルは周辺で最大の通りに面していて、すっかり日が沈んだ今でもまばらではあるが人の往来が確認できる。市内には前世(もういっそ前世でいいや)では滅多にお目にかかることができなかったバロック様式のような建築が立ち並んでおり、童話の世界を想起させる。そうやって僕がこの街を具に観察していると、
「あれはなんだろう…?」
大通りの北側、人家街や商店街を越え、整然と植えられた街路樹の列を抜けたさらに先には、一際煌びやかで巨大な建築が立っていた。そこで思い出したが、この国の名前はハルディア帝国だ。いかにもRPG的な街並みだし、皇帝的な人がいるのだろう。あれ、人じゃなく神なんだっけ。
「…。」
僕は昔から、城や宮殿が好きだった。重機や精密な物理演算などなかった時代に、それでも叡智と人力を結集して作られた「ヒトの力の象徴」。その蜃気楼に僕は、感動と勇気を与えられたのを覚えている。
「こう見ると、やっぱり…。」
本当はヒトの力の象徴というよりむしろ、「君主の力の象徴」なのだろう。
記憶の中にある、君主の面々を思い浮かべてみる。それでも僕は、彼らを嫌いにならなかった。この国を、この世界を支配しているかも知れないまだ見ぬ君主を、憎もうとは思わなかった。なんだか頭が疲れてきて、お風呂に入ろうと思った。
「えっと…こうかな。…うん、ちゃんとできてるみたいだ。」
湯張りは直感的な操作だった。タッチパネル(そう見えただけで、実際はただの黒い何かでできた板だろう)に手をかざすと、ニキシー管(そう見えただけで、実際は魔力を光エネルギーに変換して数字を灯しているのだろう)が二桁の数字を表示する。おそらく給湯温度だろう。当然セルシウス温度じゃなかったから少し苦労したけど、なんとかいい温度に調節することができた。パネルの隣のボタンを押すと、浴室から勢いよく液体が流れ出る音がした。覗いてみると、どうやら浴槽に隣接する壁にタンクを仕込んでおき、斜めの方向に仕切りをつけてあるみたいだ。給湯時には仕切りが外れて自由落下により水が流れ、浴槽の下部で魔力を熱エネルギーに変換して温めるのだ。
10分ほど待って確認してみると、立派に給湯が済んでいた。わけのわからないままにこの世界に降り立ち、よくわからないけれどこの世界で生きようとしてみたため、精神的にだいぶ疲れてしまった。早くお風呂に入ろうと思って脱衣所に行き、シャツを脱いだところで僕は大きな違和感に気づいた。
いや、なにかがおかしいとはずっと思っていた。最初はそう、シャツの生地を確認するために中を見たときだ。その時はそれなりに混乱していたのもあって気のせいだと思うことにしたけど、今見るとやはりおかしい。
「いやいや…まさかね?オイゲンだし…。」
そこで僕は、自分の名前を思い出した。オイゲンといえば男子名だ。プリンツ・オイゲンとかいるし。ここはドイツじゃなくハルディアだって?そんなことはいいんだよ、結果にコミットしてれば。
僕は落ち着かないまま肌着を脱ぎ捨てる。すると僕の胸部には、胸を潰すために締め付けを強くした綿製の下着が付けてあった。それを外すと、言い訳のできない脂肪の塊が現れる。急いでトラウザーを下ろし、どう見ても男性用には見えない下着を脱ぐ。そうした後に見える景色は、僕の記憶にあるものより殺風景だった。
僕は今、人生の中で一番のアイデンティティ崩壊の危機に瀕していた。
「なんてことだ…。僕がまさか『そう』だったなんて…。」
程よく温まった湯舟に浸かりながら、僕は自分の身体を諦観まじりに眺めていた。計算されたかのように理想的なサイズのバスト、しっかりと締まった腹部、妖艶ささえ放つ美脚。非の打ち所がない完璧なプロポーションは、オトコノコとしての僕のアイデンティティを嘲笑うかのようだった。
「とにかく、このことはどうにか隠して生きていこう」
この世界はおそらく、前世でいうところの近世にあたるのだろう。男女差別の華やかなりし時代に、女性であることのディスアドバンテージを「はいそうですか」と受け入れられるはずがない。
そして何より、せめて他人からは『そう』扱われたくない。真実が『そう』だと知っただけで、僕は今とてつもなく動揺してしまっている。これで外の人にまで「お嬢ちゃん」とか呼ばれたら精神が壊れてしまう。
「はあ…今日はなんだかとんでもなく疲れてしまった…。もう寝よう…。」
湯舟から上がり、タオルで体の水気を拭き取っていく。その間は僕の記憶と、現実の体の間にある差異を常に意識してしまって最悪の気分だった。頭が痛くなってきた。そろそろ蕁麻疹も出るかもしれない。折角異世界に来たのに早速僕を縛る枷がでてきたことは、仕込み杖との運命の出会いや快適なホテルの環境などという喜びを吹き飛ばして余りあるものだった。
体を拭き終わって、夕食後に買っておいた部屋着に着替える。当然これは男性用のもので、何か不便があるかなと思ったが別にそんなことはなかった。『そう』だという事実を突きつけられたくなくて、胸潰しを元のようにしっかり付けておいた。でもゆったりした部屋着だったので『それ』を殺し切ることはできず、その日はストレスに頭を痛めながら眠ることになった。快適なベッドの上で寝ているのに、岩場でごろ寝するより辛かった。
次から戦闘とかあると思います。