【電子書籍化】お求めの悪役令嬢は誘拐されました
※リブラノベル様より電子書籍化決定!
読んでいただき、ありがとうございます。
設定はゆるめなので、気楽に読んでくださいね。
※誤字脱字報告いつもありがとうございます。
※7/3・7/4 日間総合ランキング1位 7/8週間総合ランキング1位
読んでくださった皆さんのおかげです!ありがとうございます!
(ヤバいヤバいヤバい……)
気合いの入った深紅のドレスを身に纏い、王城の一室に逃げ込んだ私は追い詰められていた。
私の名前はベアトリス・テイマーズ。
華やかな金の髪に翠の瞳を持つ、化粧が濃いめの侯爵令嬢。
そして、アディルゼム王国第三王子デリックの婚約者でもある。
本日は、王立学園の卒業パーティーが王城のホールにて開催されるため、卒業生である私も王城を訪れていた。
ホールへ向かう廊下を歩いている時、突然前世の記憶が蘇り、ここが乙女ゲーム『キミの虜になる』……通称キミトリの世界であることに気が付いたのだ。
そして、ベアトリスがヒロインをいじめ抜く悪役令嬢で、これから始まる卒業パーティーがベアトリスの断罪の場であることも……。
──なんてタイミングで思い出させるんだ!
しかし、ゲームのベアトリスはともかく、実際の私はヒロインをいじめたりなどしていない。
けれど、「最近みんながよそよそしいなぁ……」なんて思っていたら、いつの間にか私がヒロインをいじめていると陰口を叩かれるようになっていた。
慌てて否定をしまくったが、誤解は解けないまま卒業を迎えることになってしまったのである。
──今ならわかる……これは、断罪への布石!
自分で言うのも何だが、私はかなり優秀だ。
その優秀さを見込まれ、第三王子との婚約が整った程に……。
その代わりといってはなんだが、私には社交性というものが壊滅的に足りず、自身の派閥すらうまく作ることができないでいた。
この辺りは前世の自分とそっくりで、そのせいもあってか、ぼっちの悪役令嬢ができあがってしまったのだ。
それなのに、ヒロインの教科書を破ったり、形見のネックレスとやらを盗んだり、階段から突き落としたり……。
ヒロインとは別校舎で過ごしている私が、一人でできるはずがない。
派閥に属していて協力者を募れるような、コミュ力の高い令嬢にしか無理だろう。
ゲームのベアトリスは断罪後に貴族牢へ入れられ、その後はテイマーズ侯爵家の悪事も暴かれ、家族とともについでのように処刑される。
ヒロインをいじめた罪に対しての罰がなかなかヘビーだった。
このままでは、そんなベアトリスと同じ道を歩むことになってしまう。
──冤罪なのに!
だけど、テイマーズ侯爵家の悪事については、実際のところはわからない。
私が幼い頃に母は亡くなっており、その後すぐに父は後妻を連れてきた。
まあ、あれだ……父の長年の愛人ってやつだ。
そのせいで、私はずっと空気のように扱われてきた。
だからといって、王子妃になる予定の私に身体的な虐待はなかったし、勉強に没頭していれば時間なんてあっという間に過ぎ去っていく。
まあ、ゲームのベアトリスは、そんな家庭環境のせいで歪んだような気もしなくはないが……。
ついでに、野心家の父ならば悪事をやらかしていそうな気も……。
そこまで考えた瞬間、私は逃げた。
とりあえずホールへ向かう廊下を猛ダッシュで逆走する。
そして、とある部屋に逃げ込んだ。
しかし、不幸はここで終わらない。
さて、これからどうしようと考える間もなく、四人の男たちがドカドカと私の逃げ込んだ部屋に入ってきた。
完全にフリーズする私と、驚く男たち。
「なんでここにも人が!?」
「どうする?顔を見られたぞ!」
焦った様子の男たちは、騎士服を着ている。
しかし、どうにも会話がきな臭い。
「物は手に入れたんだ!王城から逃げるのが先だ!」
「でも、このままにしておけないっすよ!」
黒髪の男がギロリと私を睨みつける。
その瞳には確かな殺意が宿っていた。
(ヤバいヤバいヤバい……)
せっかく断罪現場から逃げ出したのに、まさか死ぬことからは逃げられないの?
これがゲームの強制力?……だったら、なんで前世を思い出させた?
すると、くすんだ灰色髪の男が声をあげる。
「手を出すな」
見た目は四人の中で一番若そうなのに、その言葉は有無を言わせぬ迫力があった。
「そうはいっても顔を見られたんじゃ……」
言い争う声を聞きながら、私は必死に頭をフル回転させる。
どうやら彼等は泥棒のようだ。
おそらく、金目のものを盗もうと王城に忍び込み、バレて逃げている途中に私と出くわしたのだろう。
なんでこんなにも間が悪いのか……。
しかし、この男たちから逃げ出し助けを求めても、待っているのは断罪による死。
このままじっとしていても、目の前の男たちに殺されるかもしれない恐怖。
すると、扉の外からバタバタと走り寄る足音とともに、複数人の声が聞こえてくる。
「おい、この辺りに隠れているんじゃないか?」
「部屋をしらみ潰しに探せ!」
おそらく、この泥棒たちを追いかけてきた王城の警備兵の声だろう。
このままでは、泥棒たちも私も捕まる最悪のパターン。
(ヤバいヤバいヤババババババ……)
この時の私は、とてつもなく気が動転していたのだと思う。
「あ、あの!私を誘拐してくれませんか?」
◇◇◇◇◇◇
王城のホールでは、着飾った卒業生たちが思い思いに楽しい時を過ごしていた。
そんな中、一部の生徒たちがホール入口の扉に視線を送っている。
この国の第三王子であるデリック・アディルゼムも、そんな生徒のうちの一人だった。
(なぜ、来ない……?)
デリックは婚約者であるベアトリスを待っていた。
なぜなら、この卒業パーティーで彼女を断罪し、ベアトリスとの婚約を破棄すると同時に、愛するシェリルを新たな婚約者に迎えると宣言するつもりだったからだ。
(やはり、エスコートをするべきだったか?)
しかし、ベアトリスをエスコートしておいて婚約を破棄するなど、周りに示しがつかないような気がした。
何より、他の男にシェリルをエスコートなどさせたくない。
だから、俺がシェリルをエスコートしてホールへ入場し、一人のこのこ現れたベアトリスを断罪する。
そのような算段をつけていたのに……。
(あの女が現れなければ、どうにもならんだろうが!)
ベアトリスとは愛情で結ばれた関係ではない。
せめて政略で結ばれていれば、俺もしぶしぶながら受け入れていただろう。
では、なぜベアトリスが俺の婚約者となったのか……。
『どうやら、デリック殿下の頭の足りない部分を補うために、ベアトリス嬢が選ばれたらしいぞ』
『そうらしいな』
偶然耳にした臣下たちの会話で、婚約の理由を知ってしまう。
たしかに、座学が苦手で逃げ回ってばかりいた。
だが、俺が本気を出せば挽回なんて十分可能なはず……。
それを早々に見切りをつけられ、ベアトリスにフォローされ続ける情けない未来が確定してしまう。
そして、当のベアトリスは俺に興味を示すことなく、当て付けのように能力の高さを誇示し続ける。
そんな中、シェリルだけが俺の努力を讃えてくれた。
俺に寄り添い、俺の望む言葉をくれる……彼女こそ、まさに理想の婚約者だ。
(だからこそ、公の場であの女の罪を暴き、婚約破棄をしなければならないのに……)
その当事者のベアトリスがいない中で……というのは、さすがに無理がある。
婚約者ではないシェリルをエスコートしたデリック。
いつまで経っても現れないベアトリス。
周りからは好奇の視線がちくちくと突き刺さる。
デリックの気持ちは苛立つばかりであった。
◇
そんなデリックの隣に寄り添う、ピンク髪の可憐な美少女。
彼女の名前はシェリル・オルコット。
元は平民だったが、オルコット男爵の隠し子であることが判明し、引き取られたという経緯を持つ。
シェリルは学園で酷い嫌がらせを受けていた。
その理由は簡単で、デリックを筆頭に見目麗しい高位貴族の子息たちと仲良くなっていたから。
そう、シェリルはこの世界のヒロインであり、前世の記憶を持つ転生者でもあったのだ。
だから、攻略キャラたちと親密になるのは簡単だった。
そのせいで嫌がらせを受けることも、その犯人が誰であるのかも、シェリルには全てわかっていた。
しかし、シェリルに犯人がわかっていても、他の人たちはそうはいかない。
──ちゃんと犯人に辿り着けるよう誘導してあげなきゃ!
そんな気持ちから、嫌がらせが酷くなるにつれてベアトリスが犯人であることを匂わせる。
努力は報われ、周りもデリックも犯人がベアトリスであることに気付いたようだ。
あとは、クライマックスの卒業パーティーでベアトリスの罪を暴き、デリックから婚約破棄を言い渡すだけ。
それなのに……。
(どうしてベアトリスは現れないの?)
いくらデリックが私に愛を囁いても、現時点での彼の婚約者はベアトリス。
彼女が断罪され婚約破棄が認められなければ、デリックと結婚をしてハッピーエンドを迎えることはできないのだ。
(さっさと現れて断罪されなさいよ!)
シェリルは苛立つ気持ちのまま、ホールの扉を睨みつけるのであった。
◇
そんな、苛立つデリックとシェリルの二人から離れた場所で、コーデリア・ペトロフもホールの扉にちらちらと視線を送っている。
周りに集まった同じ派閥の令嬢たちも、ソワソワと落ち着かない様子だった。
侯爵令嬢コーデリアの婚約者は、第三王子デリックの側近である侯爵子息アンディ。
しかし、シェリルが学園に転入してからしばらくすると、アンディはシェリルに心酔し、コーデリアを蔑ろにするようになっていった。
彼だけではない。
婚約者がいるはずの高位貴族の子息たちが、こぞってシェリルに夢中になっていき、ついには第三王子のデリックまでもが彼女に堕ちてしまったのだ。
このような場合、シェリルに苦言を呈するのは、デリックの婚約者であるベアトリスの役目であった。
それなのに、彼女はこの由々しき事態にも全く興味を示さない。
そもそも、ベアトリスは派閥を作ることも属することもせず、社交の場に出るのは必要最低限で、学園でも図書室で一人本を読んでばかりいる……そんな、変わり者の令嬢だった。
ベアトリスが頼りにならないならば、同世代の最大派閥を束ねる自分が動くしかないと、婚約者がいる子息たちに近付くのはやめるようコーデリアはシェリルに注意をする。
しかし、いくら言葉で伝えても、シェリルがその態度を改めることはなかった。
コーデリアを含む、派閥に属する令嬢たちの怒りはどんどんと膨らみ、いつの間にかシェリルに対して嫌がらせじみた行為が始まる。
そうこうしているうちにデリックがシェリルに本気となり、彼女を婚約者の座……つまり、未来の王子妃に据えようと画策していることを知ったのだ。
──もし、シェリルへの嫌がらせがバレてしまったら……。
準王族となるシェリルへ危害を加えたと自分たちは罰せられ、婚約者どころか貴族令嬢としての立場すら失ってしまうかもしれない。
怯えるコーデリアたちだったが、どうやらシェリルへの数々の嫌がらせの犯人がベアトリスであると、デリックたちは勘違いをしているようだ。
ならば、それが真実となるような証言をし、自分たちの派閥が噂を広めていく。
シェリルが選んだのはデリックだった。
シェリルに夢中になっていた男たちも、王子妃となる彼女に手を出すことはできず、婚約者のもとへ戻るだろう。
婚約者に蔑ろにされた令嬢たちも、卒業間際の婚約解消よりは学生時代の火遊びだったと受け入れたほうが傷は浅い。
ベアトリスには申し訳ないが、どうせデリックから婚約を破棄される身なのだし、そのまま私たちの罪も被ってくれれば全ては丸く収まる。
(私たちには、ベアトリス様が必要なの!)
それなのに、婚約破棄が言い渡されるはずの卒業パーティーにベアトリスは現れない。
その時、それぞれの思惑を抱えた者たちが見つめるホールの扉が勢いよく開け放たれ、一人の警備兵が慌ただしく駆け込んでくる。
「ベアトリス・テイマーズ侯爵令嬢が誘拐されましたぁぁ!!」
◇◇◇◇◇◇
「いやぁ……なんとか逃げ切れましたね」
額に浮かぶ汗を手で拭いつつ、愛想よく彼らに微笑んだ。
私と泥棒四人は無事に王城から逃げ出し、王都の外れの廃屋に潜伏中である。
「まあ、それはよかったんだけどよ……。お嬢ちゃん、あんたは一体何者なんだ?」
四人のうち、一番の年長者らしい赤髪の男が声をかけてきた……シャノワ語で。
シャノワ語とは主に隣国シャノワ帝国で使用されている言語で、私と鉢合わせた時から泥棒たちはシャノワ語で会話をしていた。
おそらく、突然のことに思わず母国語が出てしまったのだろう。
我が国の騎士服を着用していても、彼らが侵入者であることがすぐにわかったのはそのためだ。
そして、シャノワ語も習得済みだった私は、彼らの会話を理解し、共に逃げることを提案できたのである。
やはり、知識は私を裏切らない!
「私はベアトリス・テイマーズと申します。デリック第三王子殿下の婚約者でして……」
「なっ……!」
彼らに合わせてシャノワ語で自己紹介をするも、一気に警戒を強めた四人に慌てて言葉を付け足す。
「いや、違うんです!断罪されて元婚約者になる予定で……」
そのまま私の事情を説明したが、泥棒たちは困惑した様子で互いに目配せをしている。
そんな中、くすんだ灰色髪の男が口を開いた。
「なるほど。だから、隠し通路の存在と扉の開錠方法を知っていたのか……」
「そういうことです」
私のシャノワ語が無事に通じていることを喜びつつ、言葉を返す。
第三王子の婚約者である私は、王城内の隠し通路の場所を把握していた。
それを使って断罪の場から逃げようと、あの部屋に飛び込んだのに、まさかの泥棒たちとの鉢合わせ。
泥棒たちを追いかけてきた警備兵も集まり始め、ピンチに陥った私は、咄嗟に隠し通路の存在を明かし泥棒四人に狂言誘拐を持ち掛けたのだ。
部屋に雪崩れ込んできた警備兵を前に、泥棒たちは私を人質に取る演技をしてくれた。
『近付くな!この女がどうなってもいいのか!?』
赤髪の泥棒に後ろから羽交い締めにされ、ナイフを首筋に押し当てられる。
そうして時間を稼いでいる間に、残りの三人が隠し通路の扉を開錠する。
(え?これほんとに刺されたりしないよね?)
そんな恐怖が顔に出ていたのが功を奏したようで、動けない警備兵たちからジリジリと後退りで距離を取り、無事に隠し通路へ逃げ込むことができた。
ちなみに、この隠し通路は正しい開錠方法で扉を開けて中に入ると、数時間は外から扉が開けられない魔法が作動する。
その間に隠し通路を猛ダッシュして出口へ向かい、そこから泥棒たちの逃走用馬車に乗り込んで、彼らのアジトである廃屋へと辿り着いたのだ。
「それで、あなたはこれからどうするつもり?」
そう言って、灰色髪の男が琥珀色の瞳でこちらを見据えた。
これまで相手の顔をじっくり見る余裕がなかったが、改めて見ると整った顔立ちをしている。
「うーん……」
悪事を働いているかもしれないテイマーズ侯爵家に戻ることはできないし、デリックに対して愛情も未練もなく、自身の身の潔白を証明する情熱もない。
「どこか別の国にでも逃げようと思います」
国外逃亡が妥当だろうと決断を下す。
そうと決まればさっそく行動を開始しなければ……。
こういったものは時間との勝負でもある。
本格的な捜索が始まる前に、できるだけ遠くに逃げよう。
「じゃあ、皆さんもどうかお元気で。あっ!もし捕まったら、私のことは殺して川に流したとでも証言しておいてくださいね」
「それだと、俺たちの罪が重くなるだろうが!」
赤髪の男の言葉に、それもそうかと思い直す。
「一つ提案があるんだけど、いいかな?」
そこに、灰色髪の男が声をあげた。
「僕たちが捕まると、テイマーズ嬢が国外へ逃げたと証言をするかもしれない。逆にあなたが捕まると、僕たちのことをバラすかもしれない」
「それは、たしかに……」
「だったら、お互いを監視するのはどうだろう?」
「監視……ですか?」
「あなたもすでに気付いているだろうけど、僕たちはシャノワ帝国の出身で、このまま母国に帰るつもりなんだ。国外逃亡先に当てがないなら、共にシャノワ帝国へ来てほしい」
「つまり、シャノワ帝国に到着するまで共犯関係を続けるということでしょうか?」
私の問いかけに、灰色髪の男は頷く。
「シャノワ帝国に着いた途端に、用済みだからって私を殺したりは……?」
「殺すつもりなら、今この場でさっさと殺っているよ」
「…………」
灰色髪の男が爽やかな笑みを浮かべて言い切った。
(まあ、それはそうだろうなぁ……)
よく考えると、対等に会話ができている今の状況のほうがおかしい。
「理由はどうであれ、あなたには逃げ道を用意してもらった恩がある。この場で返すことはできないけれど、シャノワ帝国でなら力になれることもあると思うんだ」
意外と義理堅い泥棒である。
たしかに、他国の言語を操れるからといって、その国に馴染めるとも限らない。
それならば、シャノワ帝国出身の彼らに頼る方法もアリなのかも……。
「では、シャノワ帝国までの道中よろしくお願いいたします」
無事に泥棒たちと共犯関係の継続が決まった。
「まずは、その格好をどうにかしないとな。もうちょっとマシな服を用意しよう」
赤髪の男はそう言って、黒髪と緑髪の男に何やら買い出しの指示を始める。
たしかに、ド派手な悪役令嬢スタイルのまま逃亡するのは無理があるだろう。
狂言誘拐の際の演技もだが、咄嗟の対応力が素晴らしい。
そうして、すぐに簡素なワンピースが用意された。
「あっ!すみませんが誰か着替えを手伝ってもらえますか?」
「は?」
「一人でドレスもコルセットも脱げないんですよね」
「…………」
微妙な空気が辺りを漂う。
結局、灰色髪の男の手を借りて無事にドレスとコルセットを脱ぎ、泥棒四人と悪役令嬢の不思議な旅が始まった。
◇◇◇◇◇◇
「おっ!いい感じに焼けてきましたよ」
「これ、美味しいの……?」
「まあ、食べてみてください」
マシュマロの刺さった串を焚き火にかざし、くるくると回しながら、灰色髪の泥棒……レイに返事をする。
辺りはすっかり暗くなり、レイ以外の三人は馬車へ向かってしまった。
逃亡生活を始めて今日で十日目。
旅は順調に進み、今のところ追手の影もない。
ただ、足が付かないように宿泊施設に泊まることは避け、夜は野営をしている。
獣を寄り付かせないためにも、朝まで交代で焚き火の番をする必要があった。
残念ながら、野営経験のない私に焚き火の番は任せられないと初日に言われ、だからといって全てをお任せして一人だけぐっすり眠るのも悪い気がする。
そんな私の気持ちを察したレイが、二人で焚き火の番をしようと提案してくれたのだ。
毎日数時間を二人きりで過ごしているうちにレイとも打ち解け、その影響もあってか残りの三人ともそれなりに仲良くなっていった。
「熱いから気をつけてくださいね。はい、あーん」
そう言いながら、串に刺さったマシュマロをレイの口元に近づける。
すると、レイは深い溜め息を吐いた。
「危なっかしい……」
そして、ボソリと呟く。
それは、この旅の間に何度もレイの口から出た言葉。
どうやら、彼から見た私の言動がそう見えるらしい。
そんなことを言いながらも、差し出したマシュマロにレイは齧り付いてくれる。
「熱っ!!」
「あははっ!だから言ったじゃないですか」
笑う私を、琥珀色の瞳がジロリと睨む。
そんなレイだが、旅の間は何かと気を配り、私の面倒を率先して見てくれる優しい人だ。
きっかけは、王城から逃げ出してすぐ、私のドレスとコルセットを脱がす手伝いを頼んだ時のこと……。
『あなたは、初対面の男にこんなことを頼む意味がわかっているのか!?』
『ドレスもコルセットも背中側に紐があるので、大事な部分は見えないですよ』
『そういう問題じゃない!』
ポロリしないから大丈夫だと告げたのに、強い口調でレイに怒られてしまった。
そう言われてもここに侍女はいないわけで、誰か女性に手伝いを頼むにしても、そのことがきっかけで追手に居場所がバレてしまうかもしれない。
そう説明をして、レイはしぶしぶ納得してくれた。
なんとかコルセットの紐を解いてもらい、用意してもらった簡素なワンピースに着替える。
アクセサリーを外し、メイクも落として、髪を適当におさげに結ってから泥棒四人の前に姿を現した。
『これで貴族の令嬢には見えないでしょう?』
自信満々な私に対して、赤髪の泥棒ことジェイが口を開く。
『たしかに、ずいぶんと印象が変わっちまったなぁ』
他の三人もそれぞれが驚いた表情をしている。
特にレイはぽかんと口を開け、瞬きすらせずにじっと私の顔を見つめていた。
貴族令嬢とは、その美しさを造り上げているものだ。
王城で開催される卒業パーティに参加する予定だった私は、コルセットでくびれを造り、派手な深紅のドレスに負けないくらいの濃い化粧が施されていた。
それらを全て剥がしてしまえば、年相応の顔が出てくる。
『あと、これを先に渡しておきますね』
私は先ほどまで身につけていたアクセサリーを全てレイに渡す。
『これは……?』
『こちらは差し上げますので、これからの逃亡資金に使ってください』
『はあ!?お嬢ちゃん、これがいくらになるかわかってんのか?』
ジェイがレイの手元を覗き込み、驚きの声を上げた。
正確にいくらになるかはわからないが、逃亡資金にしては十分すぎるくらいの額になることは理解している。
私はこれまで貴族令嬢として生きてきた身で、いくら前世の記憶があっても、逃亡生活中は足を引っ張ることが目に見えていた。
そんな私をフォローすることになるであろう彼等に対しての対価だと、説明をする。
『だからって、これは……』
『そもそも、このアクセサリーの換金方法すら、私にはわからないんですよ?』
下手に換金すると、そこから足が付く可能性もあった。
そのことも含めてお願いしたいと伝え、ようやくレイはアクセサリーを受け取ってくれる。
『わかった。必ず、あなたをシャノワ帝国まで連れて行くよ』
やっぱり義理堅い泥棒だ。
そんなこともあって、危なっかしいと言われながらも、なんとか逃亡生活を続けてきたのである。
マシュマロを齧りながら、いつものようにレイと取り留めのない会話を続けていく。
「あと三日もすれば国境に到着するはずだよ」
「いよいよですね!」
逃亡者が正規のルートで隣国へ渡るのはリスクが大きい。
そう考えていたのだが、その件については任せてほしいとレイから言われていた。
「シャノワ帝国に着いたら、ベアはどうするつもり?」
ベアというのは私の偽名だ。
誰かに聞かれた時のために、本名は伏せたほうがいいとレイに言われ、愛称であるこの名前にした。
ただし、愛称で呼んでくれたのは亡くなった母だけだったが……。
「そうですね。まずは仕事を見つけたいと思います」
「へぇ、どんな仕事を探すの?」
「…………」
実は、私には叶えたい夢があった。
前世もその仕事に就きたいと努力していたが、夢半ばで命を落とし、ベアトリスとして生まれ変わっても結局は同じ夢を追いかけていた。
「通訳の仕事があればいいんですけど……」
国外逃亡者が自由に仕事を選べるだなんて思っていない。
だけど、前世からの夢を叶えたいと、焚き火の前で理想を語るくらいは許してほしい。
「いいね。ベアにぴったりだ」
しかし、レイは私の話を馬鹿にすることも否定することもなかった。
「ふふっ、そうですか?」
思わず笑みが溢れてしまう。
勉強から逃げ回るデリック。そんな彼を補佐するよう婚約者に選ばれたのがこの私だった。
だから、『将来デリックを補佐するため』という名目があれば、貴族令嬢である私がどれだけ語学を習得しても文句を言われることなない。
デリックは、いずれ王弟として外交に携わることになるだろう。
その時、彼の隣で通訳者の役目を担うのは私だ。
それだけを楽しみに、デリックとの婚約を続けていた。
そんな私の話に、レイはじっと耳を傾けてくれている。
「デリック王子を慕っていたわけじゃないんだね」
「それはないです」
婚約を結んだ当初から、デリックは私のことを毛嫌いしており、その感情を隠そうともしなかった。
そんな相手に好意を抱けるわけもなく、関係を改善する気力も湧かず、形だけの婚約者となってしまったのである。
そして、転入してきたヒロインにあっさり攻略されてしまった。
「ベアとの婚約を破棄しようだなんて……今頃デリック王子は後悔していると思うよ」
「どうでしょうね……」
悪役令嬢がいなくなったのだから、デリックはヒロインと結ばれて幸せにやっているはずだ。
私も命拾いをしたわけで、お互いこれでよかったのかもしれない。
「そんなことより、いい就職先があったら紹介してくださいね」
「ああ、もちろん!とびっきりの職場を紹介しよう」
冗談交じりの私の言葉に、レイも軽い調子で返してくれる。
泥棒に仕事を紹介される悪役令嬢もなかなかいないだろう。
そんなことを考えながら、今度はこちらからレイに質問をする。
「レイはシャノワ帝国に着いたらどうするんです?」
「まずは、依頼を完遂したと報告をするつもり」
「依頼!?」
つまり、雇い主からの依頼を受け、他国の王城へ忍び込んで盗みを働いたということか……。
「レイたちは、世界を股に掛ける天下の大泥棒だったんですね」
私がそう告げると、なぜかレイはゲラゲラと笑い出す。
「あははっ!違う違う。今回の案件……アディルゼム王国の宝物庫を開けられるのが僕だけだったんだよ」
「え?」
王城の宝物庫といえば国宝級のお宝がゴロゴロ……。
まさか、そこに盗みに入った?
てっきり、王城内に展示されている美術品か何かを盗んだのだとばかり思っていた。
「ほら、これ」
「なんですか?」
レイはポケットから四角い箱を取り出す。
それは手のひらサイズの正六面体で、黒地に金文字のような模様が全面に彫られている。
「古代魔導具レガリア」
「………は?」
私は正六面体をじっと見つめ、次にレイの琥珀色の瞳を見つめる。
──国宝級じゃなくて、ガチの国宝じゃないか……!
この世界には、かつて魔法と呼ばれるものが存在していた。
しかし、いつしかその力は失われ、それらの名残りである古代魔導具だけが残されている。
古代魔導具は小さな炎を灯すものから、街一つを焼け野原にするものまで、その種類や威力も様々であった。
そのため、現存する古代魔導具のほとんどを国が管理しており、国宝に指定されるものもある。
ちなみに、逃走に使った王城の隠し通路の扉も古代魔導具の一つだ。
──そして、古代魔導具レガリアはシャノワ帝国の国宝であった。
百年前、国同士の関係を強化するため、アディルゼム王国のアンジェリカ王女とシャノワ帝国の皇弟エイルマーの婚姻が結ばれ、シャノワ帝国にて盛大な結婚式を挙げる。
しかし、国中がお祝いムードに包まれる中、ある事件が起きてしまう。
なんと、シャノワ帝国の皇城内に保管されていたレガリアが盗まれてしまったのだ。
結婚式に参列するため、アディルゼム王国から多くの来賓が皇城に滞在していた。
シャノワ帝国はアディルゼム王国がレガリアを盗んだのではと疑い。
アディルゼム王国は言い掛かりだと否定する。
結局、レガリアの行方はわからないまま、この事件によって二つの国に深い溝が生まれてしまう。
……政略結婚が台無しになってしまった悲しい事件だ。
「実在していたんですね……」
我がアディルゼム王国は、あくまでもシャノワ帝国側が言い掛かりをつけているというスタンスだった。
それは今でも変わらない。
そもそも、レガリアなんてものは実在すらしていないのではないかと、『疑惑の国宝』だなんて呼んでいた。
「これがレガリアだって信じてくれるの?」
「ええ」
逆にいえば、レガリアくらいのレベルでないと、王城の宝物庫に忍び込む理由はない
しかし、レガリアがアディルゼム王国の宝物庫に保管されていたということは……。
(盗んでたんだぁ……)
当時、どのような思惑で盗んだのかは知らないが、そのせいでシャノワ帝国との関係は悪化してしまい、アディルゼム王国から嫁いだアンジェリカ王女はさぞかし肩身の狭い思いをしただろう。
「でも、どうして私にこの話を?」
「だって、僕たちは共犯者だからね」
「…………」
まさか国家機密レベルの情報まで共有するとは思わなかった。
なかなか共犯者の荷が重い。
「それに、もうちょっと僕自身に興味を持ってほしくなったんだ」
「興味……?」
焚き火の炎に照らされたレイが、真剣な顔つきで私を見つめる。
たしかに、レガリアを盗むということは、彼はただの泥棒ではないのだろう。
おそらく、シャノワ帝国の皇家が絡んでいる。
それに、ジェイたちが年下のレイに一目置く様子、宝物庫を開けられるのはレイだけだという言葉……。
「レイは泥棒じゃなくて……凄腕の鍵師だったんですね」
私がそう返すと、レイはきょとんとした顔になる。
「手に職があるっていいと思います」
すると、しばしの無言のあと、なぜかレイは再びゲラゲラと笑い出す。
笑いのツボがよくわからないが、彼が楽しいなら何よりだと思った。
◇
一方、その頃の馬車の中、三人の男たちが声を潜めて言葉を交わしている。
「あの二人、なんだか盛り上がってますけど……このタイミングで交代に行ったらレイに睨まれますかね?」
「ベアのこと、すっかりお気に入りっすもんね」
「レイは面倒見がいいからなぁ。ああいう、放って置けないタイプに弱いんだろ」
「でも、割と初めからベアに対して好意的だった気もしますが……」
「男は巨乳に弱いっすからね」
「いや、派手なケバめ美人の素顔が思ったより可愛かったから、それにやられたんじゃねぇの?性格だって素直で真面目だし」
「あー、そういう感じ……」
「男はギャップに弱いっすからね」
三人は静かに頷き合う。
「レイは、レガリアのこともベアに打ち明けるつもりらしいぞ」
「それは皇家にも報告が必要になりますよ!?」
「まあ、ベアの身の安全を考えると、そっちのほうがいいだろうとは思うがな……」
「ベアを手放す気ゼロっすね」
三人は同時に深い溜息を吐いた。
そうして、夜は更けていく……。
◇◇◇◇◇◇
レイの言っていた通り、三日後の昼過ぎには国境へと辿り着いた。
ここからどうやって入国するのかと思っていると、なぜか当たり前のように別室へ案内され、手続きも何もなくシャノワ帝国への入国が認められた。
(…………ん?)
そして、無事に入国を果たした私たちを、小さな馬車が迎えにやって来る。
(…………んんっ?)
なぜ、こんなにもスムーズに入国ができ、当たり前のように迎えが来るのか……。
レイに問いかけると、これから彼等が所属する組織の本拠地へ向かうのだと言う。
そのまま馬車に乗せられ、到着したのは丘の上にある古びた教会の前だった。
教会の礼拝堂の奥には隠し扉があり、シスターがさらに奥へと案内してくれる。
階段をどんどん下っていくと、ぽっかりと広がる空間が現れ、そこには巨大な円形の台座が設置されていた。
「何ですか……これ?」
「古代魔導具だよ。この装置を使えば、指定された場所へ一瞬で移動することができるんだ」
「えっ!凄いっ!」
これはどこでもドア……いや、テレポートみたいなものなのかも。
(こんな体験ができるとは思わなかったなぁ!)
こんなものまで使用できるだなんて、レイたちが所属する組織はなかなか巨大なのかもしれない。
そんなことを考えながら装置を使って転移すると、転移した先にも同じ台座があった。
どうやら古代魔導具間を瞬間移動できる装置のようである。
そして、台座から降りて外へ出ると、目の前には立派な石造りの城壁が……。
「あの、ここって……?」
「皇城だよ」
そういえば、シャノワ帝国に着いたら依頼主に報告をすると言っていた。
(あー、レガリア奪還の依頼をしたのは皇族かぁ……。まあ、そうなるよね。でも、私を連れて来る必要あったかなぁ……。いや、私よりもレガリアを届けるのが先だよな。うん)
そんなことを考えていると、バタバタと走る足音とともに騎士たちが近付いてくる。
そして、あっという間に囲まれてしまった。
(ひぃっ……!)
不法侵入で捕まるんじゃ……と、思わずレイの服の裾を掴むと、そんな私を安心させるようにレイが微笑む。
「レイモンド殿下!ご帰還をお待ちしておりました!」
そう言って、騎士たちは最上級の礼を執る。
「ああ、今帰った」
そして、そんな騎士たちに応えたのは、灰色髪に琥珀色の瞳を持つ凄腕の鍵師で……。
どういうことだと、私はレイの顔を見つめる。
彼はいたずらっぽい笑みを浮かべながら、自身の左耳に着けられたイヤーカフを外した。
すると、彼のくすんだ灰色の髪が光り輝く銀色へと変化していく。
「髪の色が……!?」
「このイヤーカフは身に着けた者の髪色を変える古代魔導具なんだ」
夕陽を浴びて、レイの銀の髪がキラキラと煌めいている。
「で、殿下って呼ばれたのは……?」
「僕の本当の名前はレイモンド・リール・シャノワ。残念ながら凄腕の鍵師じゃなくて、この国の第五皇子なんだよね」
「…………」
思わずレイの服の裾から手を離し、後ろへ一歩下がった。
しかし、離したその手をレイに掴まれ、逆に引き寄せられてしまう。
「でも、ベアにはこれからもレイって呼んでもらいたいな」
レイは私の顔を覗き込み、至近距離で甘く囁く。
(ヤバいヤバいヤババババババ……)
あまりの情報量の多さと、慣れない甘やかな視線に、泥棒だと思っていた彼等に遭遇した時以来のパニックに陥ったのだった。
◇◇◇◇◇◇
皇城の応接室にて、私の左隣には白地に金の刺繍が入った皇子らしい服装のレイが座り、私たち二人が座るソファの後ろには騎士服に身を包んだジェイたち三人が立っている。
なんと、レイだけでなく、ジェイたち三人も泥棒ではなかったのだ。
もう、何を信じればいいのかわからない。
ちなみに、私も浴室にぶち込まれ、メイドたちによって磨き上げられ、淡い水色のドレスを身に纏って貴族令嬢らしさを取り戻している。
そして、テーブルを挟んだ向かいのソファには、レイと同じ銀髪に紅い瞳を持つユージーン第二皇子が座っていた。
この国には皇子と皇女が合わせて九人もいるらしく、その中でユージーンとレイは母を同じとする実の兄弟だという。
──そんな、ユージーンの口から事の顛末が語られる。
シャノワ帝国は現在、第一皇子と第二皇子の皇位継承権争いの真っ只中だという。
皇子二人の能力を鑑みると、ユージーンが圧倒的に優勢なのだが……彼の血統には少々問題があった。
ユージーンの母方の曾祖母が、アディルゼム王国のアンジェリカ王女だったのだ。
そう、国同士の関係を強化するために皇弟と政略結婚をしたのに、レガリアが盗まれたせいで微妙な立場となってしまった、あのアンジェリカ王女である……。
当時はアディルゼム王国への反発とともに、アンジェリカ王女への風当たりも相当なものだったらしい。
しかし、それも年月とともに薄れていき、現在はアディルゼム王家の血を引くからといってユージーンやレイが冷遇されることはない。
だが、皇位争いとなると話は別である。
わずかとはいえ、アディルゼム王家の血を引くユージーンをシャノワ帝国の皇帝にするべきではないと、第一皇子陣営が声高らかに反発をしているらしい。
「やはり、レガリアの盗難問題がネックになっていてね」
そう言って、ユージーンは溜息を吐く。
レガリアの盗難に関して、アディルゼム王国への疑惑と反発心を持ち続ける貴族は多い。
しかも、年嵩の貴族になるほどその傾向は顕著だという。
そこで、レガリアの奪還計画が持ち上がった。
アディルゼム王国がレガリアを盗んだとすれば、王城の宝物庫に保管されているはず。
しかし、宝物庫は古代魔導具の扉で守られており、中に入ることができるのはアディルゼム王家の血を持つ者のみ……。
(あ………)
その時、あの日のレイの言葉を思い出す。
『アディルゼム王国の宝物庫を開けられるのが僕だけだったんだよ』
私は思わずレイの横顔を見つめる。
すると、私の視線に気付いたレイが、ユージーンの説明を引き継いだ。
「この国でアディルゼム王国の宝物庫の中に入ることができるのは、母上と兄上、そして僕だけなんだ……」
だが、側妃であるレイの母親と皇位継承争い中の兄に泥棒の真似事をさせるわけにはいかないと、レイ自らがレガリア奪還の実行役に志願したそうだ。
そうして、無事にアディルゼム王国の王城に忍び込み、宝物庫からレガリアを持ち出したところで、扉から警報音が鳴り響いた。
おそらく、レイの身体に流れる王家の血が薄いため、宝物庫から出る際に、扉が侵入者だと判断したのだろう。
「それで、慌てて逃げ出して……あとはベアの知っている通りだよ」
「そうだったんですね」
やっと、レイたちが古代魔導具レガリアを盗んだ経緯を知ることができた。
いや、元はシャノワ帝国の国宝なのだから、返してもらったというのが妥当だ。
「あの、私が言うのもどうかと思うんですけど、アディルゼム王国との関係は大丈夫なんでしょうか?」
「そもそも『レガリアを盗んでいない』というのがアディルゼム王国の主張だからね……」
宝物庫からレガリアを盗まれたと公表すれば、百年前にシャノワ帝国からレガリアを盗み、それを隠蔽していた事実を認めることになってしまう。
つまり、アディルゼム王国は今回の事件を公にすることはできない。
シャノワ帝国側も宝物庫に侵入した件を明かすわけにはいかないため、レガリア奪還を公表するつもりはない。
結局は、どちらの国も表面上は『何もなかった』ことになるらしい。
「まあ、アディルゼム王国側は腸が煮えくり返っているだろうけどね」
そう言って、ユージーンは愉しげに笑っている。
なかなかいい性格をしていらっしゃるようだ。
そして、ユージーンは居住まいを正すと、改めて私に向き合う。
「ベアトリス嬢のおかげでレガリア奪還に成功したと弟から聞いたんだ。貴方の協力に心からの感謝を」
そう言って頭を下げるユージーン。
「あ、頭を上げてください。偶然が重なっただけですので……」
たまたま王城から逃走したいという利害が一致しただけの関係だ。
一国の皇子に頭を下げられるなんて、心臓に悪すぎる。
「貴方はずいぶん謙虚な方のようだ」
そして、ユージーンはちらりとレイに視線を向けた。
「そうそう。ベアトリス嬢は帝国で通訳の仕事を探すつもりだと聞いたんだけれど」
「ええ、まあ……」
話題が変わったことにホッとしつつ、レイがそんなことまでユージーンに話していたことに驚く。
「ちょうどよかった。実は第五皇子の通訳者の席が偶然空いていてね」
「え?」
「これくらいじゃお礼にもならないだろうけど……ベアトリス嬢さえよければ考えてみてくれないかな?」
そう言って、ユージーンは整った笑みを浮かべる。
(第五皇子って……)
左隣に目を遣ると、キラキラと輝く期待に満ちたレイの眼差しが……。
『いい就職先があったら紹介してくださいね』
『ああ、もちろん!とびっきりの職場を紹介しよう』
焚き火の前で冗談めかして伝えた要望が、思わぬ形で叶えられようとしている。
そして、この状況に、断るという選択肢がないことを悟った。
◇◇◇◇◇◇
(クソックソックソッ!)
婚約者のベアトリスを断罪するつもりだった卒業パーティーから二ヶ月が経った。
ベアトリスが誘拐されたとの一報で卒業パーティーはすぐにお開きとなり、その後はベアトリスの捜索が始まったが……いまだに彼女は見つかっていない。
そして、誘拐されるまでのベアトリスの足取りを辿ると、婚約者であるはずのデリックが別の令嬢をエスコートしていた事実が浮かび上がる。
そこから芋づる式にデリックとシェリルの関係が浮き彫りになり、捜査は学園内にまで及んだ。
そこで新たな事実が判明する。
シェリルに嫌がらせをしていたのはベアトリスではなかったこと。
シェリルがデリック以外の子息たちに言い寄り、そのせいで彼等の婚約者たちがシェリルに嫌がらせをしたこと。
そして、その嫌がらせの罪を、ベアトリスに擦り付けようとしていたこと……。
もちろん、デリックがシェリルに心酔し、ベアトリスとの婚約破棄を企んでいたことも、父と母にバレてしまった。
ここまで問題が大きくなってしまえば、誰かが責任を取らなければならない。
多くの貴族子息を誑かし、貴族社会に混乱を与えた罰として、シェリルの修道院行きが決定した。
そして、ベアトリスに罪を擦り付けようとした令嬢たちも、婚約を解消され、それぞれの領地へ引き取られることが決まった。
また、シェリルに誑かされた子息たちも周りの信頼を失い、後継者から外されたり、鍛え直すために辺境の地へ送られたりと、約束されていたエリートコースから外れることになってしまった。
ただ、王家の醜聞を避けるために、第三王子であるデリックだけは処罰を免れることとなる。
デリックはシェリルの本性を見抜いており、彼女に近付いて情報を集め、卒業パーティーでシェリルを断罪するつもりであった。
シェリルをエスコートしたのは、彼女が逃走を図らないように見張るためで、デリックは今でもベアトリスの無事を祈り、待ち続けている……。
という、なんとも苦しい美談を王家は用意した。
(こんなはずじゃなかったのに……)
父と母からは叱責され、問題が風化するまでは大人しくしているようにと、現在は王子宮に軟禁状態である。
そして、次に問題を起こせば王位継承権を剥奪するとまで言われてしまった。
(クソッ!シェリル……あの阿婆擦れが全て悪いんだ!あの女さえいなければ、こんな惨めな思いをすることはなかったのに……)
ここから何とか逆転できないかと、一人考えを巡らせる。
(ベアトリス……)
たしかに、自身の能力の高さをひけらかすところはあったが、他の男に靡くことのない貞淑な女だった。
もし、ベアトリスが無事であったなら……。
(そうだ!傷付いているベアトリスを慰め、優しく受け入れる姿を見せれば……周りの俺を見る目も変わるはず!)
そうすれば、元のあるべき姿に戻れるだろう。
いや、誘拐され傷物になったベアトリスは、俺に引け目を感じて生意気な態度を取ることもなくなるはずだ。
従順になったベアトリスならば、可愛がってやらんこともない……。
(ああ、ベアトリス……どうか無事に戻って来てくれ!)
──彼女さえいれば、きっと全てがうまくいく。
そんなことを考えていた時だった。
部屋の扉がノックされ、入室した従者が震える声で告げる。
「殿下……。ベアトリス・テイマーズ侯爵令嬢が見つかりました……」
「そ、それは本当か!?」
「はい……」
神は俺を見捨てていなかった。
(すぐに彼女を王城に呼び寄せよう。……いや、俺から出迎えに行ったほうが、ベアトリスも喜ぶんじゃないか?)
頭の中に幸せな未来が浮かび上がる。
しかし、何やら従者の顔色が悪い。
「ベアトリスがどこか怪我でも……?」
「いえ……ご健勝であられるようです」
「だったら……」
「ベアトリス・テイマーズ侯爵令嬢は……シャノワ帝国に亡命したことが公表されました」
「は?」
◇◇◇◇◇◇
シャノワ帝国に入国してから二ヶ月が経った頃、ベアトリスがシャノワ帝国に亡命したことが発表された。
それと同時に、テイマーズ侯爵家での冷遇、そして冤罪による断罪と婚約破棄をデリックが企んでいたことが公表され、このスキャンダルに両国は沸きに沸いている。
私の誘拐を美談にするつもりだったアディルゼム王家は苦しい言い訳を続けているらしいが、おそらく責任は免れないだろう。
「デリック王子の王位継承権剥奪は確定だろうね」
テーブルを挟んだ向かいに座るレイが、満足そうに告げる。
勉強の合間に度々呼び出されては、こうしてお茶の時間を共にしていた。
「あとは、こちらからの婚約破棄を向こうが認めれば、君に瑕疵はないと証明できる」
「…………」
レイの通訳者になることを受け入れると、今度は私の身辺を綺麗にしようとユージーンが言い出したのだ。
これから通訳者としてレイの隣を堂々と歩けるように……という理由に納得はしたのだが、思った以上の大事になってしまい震えている。
しかし、あとには戻れないこともわかっていた。
「もしかして、デリック王子に未練が……?」
「そんなものはありませんよ!」
「アンバー夫人の授業が厳しいとか……?」
「いえ、よくしていただいてます」
「そう……なら、よかった」
そして、レイは機嫌よく紅茶を口にする。
いくら知識があっても、経験も何もない私がいきなり第五皇子の通訳者になれるわけがない。
そもそも、アディルゼム王国人である私には、シャノワ帝国の知識が足りてない。
そのため、ユージーンが、アンバー夫人を教育係として招いてくれたのだ。
レイに伝えた通り、知識も豊富で申し分ない先生なのだが、彼女の指導は通訳者に対してというよりは、皇子妃に対しての教育のような……。
「そうだ、明日のダンスの授業は僕がパートナーを務めることになったから」
「え?」
「ベアはダンスは得意?」
「まあ、ほどほどには踊れる程度です……」
一応、デリックとそれなりにダンスは踊ったが、酷評を受けたことはなかった。……たぶん。
そう説明すると、レイの琥珀色の瞳がすっと細められる。
「ベア……これからのダンスの授業は、全部僕がパートナーを務めるよ」
「…………」
「練習も本番と同じ相手のほうがいいだろうし」
これ、やっぱり通訳者の教育じゃないよな……。
この時の私は、皇子妃としてレイの隣で通訳をする未来に全く気付いて……いや、そんな素敵な未来が訪れることに、薄ら気が付いていた。