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第8話  醒めない夢(2)




 場面は一瞬で馴染みのある寄宿舎へ変わる。

 この辺りからクロエは、自分が夢を見ていることに気がついた。

 過去を(さかのぼ)る夢。だが自分から目覚めることはできない。忌々しい。



「ノエル、こちらへ」



 声の方を振り返ると、白く光沢のあるフルフェイスマスクを被った人物が佇んでいた。

 彼女が敬愛してやまないフランチェスカである。

 くしゃくしゃの紙幣で(すが)ろうとしていた無名の神でも腐った神父でもない、本物の救世主。


 これは夢だと気づいたクロエの鬱憤(うっぷん)は、その姿を見た瞬間に吹き飛んだ。

「フランチェスカ様!」と黄色い声で名を呼び、駆け寄る。


 性別のわからない声色と全身を隠す黒いローブ、そして首元まである無機質な仮面。それがクロエの信仰する神だ。

 フランチェスカは教会から、いや地獄から姉弟を拾い上げ、ウォッチャーの育成施設へ誘った。


「弟の具合はどうです?」

「とても安定しています。ミシェルったら、昨日なんてお友だちと喧嘩して泣いてたんですよ。あんなに元気な姿を見ることができるなんて……本当に、良かった」


 年の近い女の子に口喧嘩で負けて涙ぐむ弟の姿を思い出し、クロエは目元を優しく下げる。


 劣悪な生活環境から場所を変えたミシェルは、衛生面の向上とまともな食事のおかげでみるみるうちに回復した。

 寒暖差が激しい期間は寝込むこともあるが、それで死神が命を刈り取りに来ることはもうない。

 ミシェルを死の恐怖から救ってくれたフランチェスカに、クロエはますます傾倒していった。


「ノエルも頑張っていますね。先日の実地試験も特に優秀だったと聞いています」

「いえ……またユリウスに後れを取ってしまいました」


 脳内にはいけ好かないブロンドが煌めく。

 歳の近い二人だが、クロエが一方的に彼をライバル視している。相手からは歯牙にもかけられていないことも、また腹立たしい。


 夢の時期は西暦2036年ほどだろうか。

 この辺りから徐々に情報転写式具現装置(リアライズ)の実用化が始まっていた。


「視えたとしても触れない」が定則の怪物に対抗する手段など、かつてはなかった。


 ウォッチャーの本来の役割は、その名の通りデイドリーマーズの監視である。

 ヴィジブル・コンダクターの上層部と各国代表へ情報を共有し、被害拡大を防ぐための目。


 その役割を200年ほど担ってきたが、科学の進化はついに実体のない怪物を具現化する技術を作り出した。

 言わずもがな、情報転写式具現装置(リアライズ)である。


 怪物と戦う準備は整った。だが視えざる者には相変わらずなす(すべ)がない。

 秩序の監視者へその役割が回って来るのは必然だったのだ。


 ヴィジブル・コンダクターは世界中から怪物が視える人間を集めて、戦いの訓練をさせた。

 そして彼らはある一定の領域に達した時、人並外れた身体能力を開花させた。

 建物をジャンプ一つで飛び越える脚力や、二つ隣の部屋で布が擦れる音を感知できる聴力など、その力は多岐にわたる。


 力に目覚めた者は皆「身体の使い方がわかった」と口にする。

 どの部位を使ってどう動けば一番効率よく最高のパフォーマンスを発揮できるのか、それを本能的に理解したとしか言いようがない。

 彼らは研究者たちに「新人類」と言わしめた。


 そんな状況の中、ノエル姉弟はウォッチャーの候補生として訓練を重ねていたのだが……。


「ユリウスはフィリップさんの推薦なのでしょう? 私があいつに劣ったら、フランチェスカ様の評価が……」


 ドイツの狂犬の悪名は国境を越え、訓練所まで高らかに響き渡っている。

 この頃はいじらしく「フィリップさん」などと呼んでいる初心(うぶ)なクロエだが、その自由奔放ぶりに振り回される未来では「アンタの脳みそを腸詰めにしてやろうかフィリップぅ!」と、ホログラム越しに怒号が飛び交う。


 そんな男が送り込んだ候補生に負けたくない。自分のためではなく、己が神のために。これは力関係の縮図でもある。

 まだ17歳の頃からクロエが執拗にユリウスへ突っかかっていたのは、そういう理由だ。


 だが当のフランチェスカはと言うと――。


「いいですかノエル。オルブライトとあなたは志を同じくする者同士。切磋琢磨は必要ですが、比べる必要などないのです」

「ですが……!」

「それに私は、あなたのその真っ直ぐな心根が何より誇らしい。期待こそすれ、失望などありえない。無益なことは考えず、あなたらしく励みなさい。私の望みはそれだけです」

「フランチェスカ様……」


 機械的で抑揚のない声が、クロエの脳を(とろ)けさせていく。

 雪のように白い頬が熱を帯びて溶け出すよう、じゅわりと色づく様は耽美だった。

 クロエは爪先から崩れ落ちそうなほどの陶酔を覚える。


 やはりこの人は神だ。いや、神なんて薄っぺらい。もっと崇高で強かな、この世で唯一正しい存在。



「クロエ姉様」



 ふと、後ろから愛しい声が聞こえた。ミシェルだ。

 ()()()()()()()()()姿()で、ゴールデンアイが不安そうにこちらを見ている。


 フランチェスカに一礼して愛しい弟の元へ駆け出そうとするクロエ。

 そんな彼女に思いがけない言葉がかけられた。


「ノエル、最後に一つだけ」

「はい、何でしょう?」

「近々、ルシファーの討伐が決行されます。あなたたち姉弟にも因縁のある相手です」


 そう、奴は滅んでいなかった。

 まだ情報転写式具現装置(リアライズ)の技術が確立していないタイミングだったので、脅威から逃げ去ることしかできなかったのだ。

 偏食種(グルメ)の中でも特に凶悪な存在を思い出し、クロエの顔が緊張感で一気に引き締まる。


「残念ながら私は別件で立ち会えません。貴重な生き証人である二人には、情報更新を補助してもらうことになるでしょう。後方支援なので危険は及ばないはずですが、くれぐれも気をつけるように」

「わかりました。必ずお役に立ちます!」

「期待していますよ」


 改めてフランチェスカに一礼して弟の元へ駆け出したクロエは、不安を塗り替えるような胸の高鳴りを覚えた。


(ようやくフランチェスカ様に恩返しができる!)


 鼻で賛美歌でも奏でそうなほど気分が良い。

 ご機嫌なクロエに何やら物言いたげな弟と手を繋ぎ、長い廊下を歩いた。



 自分はもう、汚い大人に搾取され続けた無力な女の子ではない。

 大切な存在を守るために自ら戦うことができる。今の自分には、その力がある。



 そう過信していたクロエは、まだ本当の意味で理解できていなかったのだ。



 ここもまた、地獄の最下層であることを――。




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