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第4話  機械仕掛けの日々




 朝食の席には香ばしい小麦の香りが漂う。

 早朝から営業している近所のパン屋で、焼き立てのバゲットが手に入ったのだ。

 まだ温かい断面にジャムを塗る。マスカットやオレンジの果肉がゴロゴロ入った、クロエの特製ジャムだ。

「お隣のマダムに教えてもらったの」と得意げに語っていた姿を思い出したミシェルは、気づかれないように口元を緩める。


 見目麗しい二人だが、生活水準は普通だ。高級住宅街のアパルトマンに住んでいるのは、単純に治安が良いから。

 値段が張る物を身に着けることが多いクロエだが、それは長く使うために過ぎない。


 幼い頃に両親の経営する会社が倒産して一族は離散。

 それから二人きりになった姉弟は、貧困の極地にいた。

 病弱な弟を抱えた少女は、生きるために人には言えないような仕事もした。もはや仕事とは呼べないような地獄ではあったが。


 今のクロエと関わった多くの人が、その言動から「高飛車」「傲慢」「生意気」と口を突く。

 だが、それは鎧だ。地獄では弱いと生きていけない。美しいだけでは嬲り殺される。

 クロエの奥底に隠された優しい心根を知れば、悪態を吐く奴らは大人しく舌を丸め、その美貌にただ酔い痴れるのだろう。

 香りの強い姉に妙な虫が寄り付かないよう、ミシェルは常に目を光らせている。


「どうしたのミシェル、ぼーっとしちゃって。食べないの?」

「いえ……今日も姉様は綺麗だなって」


 途端に火が燃え移るようにボボボッと顔を赤らめ「もう、知ってるわよ」とはにかむクロエ。

 ミシェルが美しいと言っているのは目を惹く容姿のことではないと、彼女は全く気づいていない。


 それから少し経って、食後のカフェオレを飲んでいるところに無機質な通信音が鳴り響いた。クロエの通信ガジェットだ。

 相手はヨーロッパ各支部が名を連ねる欧州監視哨おうしゅうかんししょうの最高責任者、フランチェスカ。つまりヨーロッパの全ウォッチャーたちのトップである。

 ちなみに前任のフランス支部長が戦死して以降、責任者不在のフランス支部はフランチェスカの預かりになっている。二人にとっては直属の上司そのものだ。


 ワンコールで応答すると画面には『Sound Only』と表示され、スピーカーから『おはようございます』と音声が流れた。相変わらず抑揚のない機械的な話し方だ。


「フランチェスカ様、おはようございます!」


 一方で、姉の声はワントーンほど上がる。

 先ほどとは別の理由で頬を染めるクロエを横目に、ミシェルは複雑な気持ちになった。


 クロエは自分たちを地獄から引きずり上げたフランチェスカを神聖視しすぎているきらいがある。

 デイドリーマーズ関連の事件にたまたま巻き込まれて、そこにいた薄汚い姉弟がたまたま不可視の怪物を視認できる力を持っていて、たまたま任務に赴いていたフランチェスカが拾っただけのこと。

 それまでの地獄からちょっと毛色の違う地獄へ連れてきただけだろうと、弟は密かに評する。

 万能な神でもなければ善良な聖職者でもない。むしろ悪魔だ――。


『昨夜M……ミシェルから報告があったデイドリーマーズに関して、二人へ資料を送りました』


 クロエは通話を繋げたままPCを開き、受信メッセージを確認した。

 暗号メールを解凍して添付データを開く。


「小説家連続自殺・衰弱死……?」


 クロエが読み上げたタイトルを、後ろからミシェルが覗く。


 結論から言えば、ペンギン型の怪物はやはり群れ単位で移動してきた外来種だった。

 発生源はフランス北西部、イギリス海峡に面するノルマンディー地方とされている。


『彼らは20年前からリヨンス・ラ・フォレという村で観測されています。長のテイストは食欲も安定していて、人間を害する傾向はありませんでした』


 そんな穏やかな群れが、この一ヶ月で14名もの人間を手にかけた。そして被害者は全員小説家である。

 連日の悪夢と幻覚で精神を破壊された被害者は自死を選ぶか、普通の生活もままならなず衰弱死した。

 奇跡的に死の淵から生還した者もいるが、「ペタペタ、ペタペタ」とわけのわからないことを延々と呟く廃人になってしまったとか。

 飛び降り自殺を図った昨日の青年も、同じような状況だったのだろう。


喫食種(テイスト)偏食種(グルメ)化しているのでしょうか?」


 張り詰めた声色でクロエが問う。


 偏食種(グルメ)――食に快楽を見出す危険な奇行タイプ。

 恋愛に狂った男女や音楽家、生まれたての赤子など、特定の条件の魂を好んで食らう。

 飢餓状態でなくとも己の食欲のために人間を殺しまくる、悪食の災厄だ。


 そんな危険な怪物をパリで野放しにしておくわけにはいかない。ここは芸術の都。美術家や音楽家、そして多くの小説家も暮らしているのだから。


『その可能性は十分にあります。ですが偏食種(グルメ)にしては殺戮の速度が穏やかです。まだ変質している最中なのかもしれません。打つ手はきっとあります』

「ではフランチェスカ様、パリの平穏は私たちにお任せください。小説家食らいのペンギンを一匹残らず駆除してみせますわ!」


 クロエの自信たっぷりな宣誓に『ええ、頼りにしていますよ』と感情のこもっていない声色が返ってくる。それでも彼女は嬉しそうだ。


『一連の事件をロマンス・インパクトと呼称します。二人はペンギンの殲滅を最優先に。それと……ミシェルの定期メンテナンスですが、再来週の金曜日はどうです?』

「もちろん大丈夫です、フランチェスカ様のご都合に合わせます」

『わかりました。時間はいつも通りで』

「はい、よろしくお願いします」


 クロエが(うやうや)しく相槌(あいづち)を打ち、通話はそこで終了した。

 それを後ろで聞いていたミシェルが重たい口を開く。


「……姉様、メンテナンスはどうしてもフランチェスカ様にお願いしないといけませんか?」

「当たり前じゃない。あの方以上の技師はヨーロッパ中を探し回ってもいないんだから。でも、どうして?」

「僕のせいで姉様があの人の慰み者になるのが嫌なんです」

「まぁ……」


 身も(ふた)もない弟の言い草に、クロエはほぅと溜め息を零した。


 だがミシェルにはわかる。クロエがフランチェスカを神聖視するように、相手もまたクロエに執着している。

 親愛や友愛の類ではないドロドロとした何かを、あの機械的な冷たい人物から感じるのだ。

 メンテナンスと称して姉弟を呼び出し、ミシェルがスリープ状態になっている間に交わされる二人の蜜月が何を生み出しているのか。想像するだけでゾッとした。


「あなたが心配しているようなことは何もないわ。フランチェスカ様はとても紳士的よ」


 本物の紳士は弟をダシに淑女を呼びつけ手籠めにしたりしない。

 それに、帰り道のクロエはいつもどこか上の空なのだ。

 まだ幼い頃、霜が降りた朝方に頭から水を被って帰って来た姉の虚ろな表情とそれが重なる。

 寒さではない別の理由で震える小さな手は、ほんの数枚の紙幣をくしゃくしゃに握り締めていた。


 そんな姉の姿を見て育ったミシェルが邪推するのも無理はない。

 もうこれ以上、誰にも搾取されてほしくなかった。


 だがクロエは弟の心配をよそに「そんなことより!」と両手を叩く。


「さっさとペンギン駆除に取り掛かるわよ! ミシェルのお誕生日会に支障が出たら大変!」


 そう、予定は山積みだ。

 ペンギン駆除をしながら再来週はフランチェスカの元を訪れ、その次の日はいよいよミシェルの誕生日だ。プレゼント購入のためのクリック戦争だって控えている。

 クロエにとっては全てが一大事だ。一つでも手を抜くことは許されない。


 そうと決まったら即行動。少し冷めたカフェオレを飲み干す。

 そしていざ、ペンギンの行方を調べに行くため意気揚々と玄関扉を開けた――のだが。



「ひでぶっ!!」



 クロエが勢いよく開けた扉は、外にいた何かを弾き飛ばした。

 何事かとおそるおそる顔を出すと、そこに倒れていたのは片足にギプスをつけた丸眼鏡の青年。短く切られたマスタードイエローの癖毛が額でくるくると円を描く。


 昨日救急車で運ばれた自殺志願者、まさにその張本人だった。




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