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第1話  ノエル姉弟




 フランスはパリ、セーヌ川を挟んだ南部、リヴ・ゴーシュ。通称左岸。

 観光客で(にぎ)わうシャンゼリゼ大通りや ノートルダム大聖堂がある右岸と違い、左岸は市民生活に馴染んだ地区だ。芸術の匂いが漂う大通りにはカフェが並び、小さな美術館も多い。


 そんな左岸のとある教会内部に、ひっそりと息を潜める一室がある。

 ミサが終わった神父や信者たちが言葉を交わす大聖堂から少し離れた扉。それが秘密組織への入り口だ。


 硬く閉ざされた木製扉の奥には、歴史ある教会建築には相応(ふさわ)しくない文明機器の数々が鎮座する。

 

 ホログラム投影機の電源を落としたのは、銀髪の美しい女性。腰のあたりまで伸びた白月の髪は緩やかなウェーブを描く。身体の凹凸に沿った膝上の黒いタイトドレスには絶妙なスリットが入り、太腿(ふともも)の白がより際立った。だが腰から足首までを純白のレースがふんだんに覆っているので、不思議と(いや)らしさは感じない。


 月の髪から覗くのは、湖面に揺らめく太陽のようなゴールデンアイ。ツンと吊り上がった意志の強そうな瞳の縁に、今にも決壊しそうなほどの涙を留めている。


「ふぇぇ、ふぐぅっ……」


 高級ブランドコスメの春夏新作ルージュを噛み締め、嗚咽(おえつ)(こら)えているようだ。

 妙齢の女性の涙には幾重(いくえ)にも理由が付き物だが、彼女が涙する理由は、すぐ隣に立っている少年にあった。


 女性と同じ銀髪は耳元で切り揃えられ、さらりと頬骨を撫でる。背丈は十歳児くらいだろうか。全体的にほっそりとしたシルエットで、黒いショートパンツから伸びる白い膝小僧が背徳的な魅力を放つ。精巧なフランス人形を思い浮かべるシルエットだが、目元を隠す左右一体型のサイバーサングラスが彼の異質さを際立たせる。


 二人は実の姉弟だった。


「クロエ姉様、いつまで泣いてるんですか?」

「だって、ミシェルが私のこと嫌いって……!」


 つい先ほどまで行われていたリモート会議での出来事だった。

 相変わらずの高飛車を披露した姉に対し、弟が「同胞に最低限の敬意すら払えない狭量(きょうりょう)な姉様は、嫌いです」と痛烈に言い放ったのだ。

 高さ250メートルを超えるパリの超高層ビル、モンパルナス・タワーより高いクロエのプライドは一瞬で爆散した。

 大勢の同僚の前でギャン泣きしてしまった姉の赤く()れた目元をさすりながら、ミシェルが言う。


「きちんと反省した姉様は偉いです。大好きですよ」

「~~~ッ! ミシェルッ!」


 感極まった姉のクロエは毛の長い絨毯(じゅうたん)に膝を着き、弟の細腰に抱きついた。セーラーカラーがついた黒いシャツに、アイシャドウとファンデーションの混ざった涙が吸い込まれていく。

 ミシェルはぐりぐりと額を擦りつけるふんわりとした頭を両腕で包んだ。


「連日のデイドリーマーズ狩りで気が立っていたんですね。今日は僕だけで行ってきましょうか?」



 不可視の怪物、デイドリーマーズ。


 海や山などの自然、空、そして人間の街に生息しながらも、一般的にはその姿を目視できない存在。真昼に見る夢のように、幻想に包まれた怪物。

 彼らは死んだ人間の魂を食べて生きているが、一部の存在を除いて基本的には無害とされている。

 

 デイドリーマーズは主に食欲で行動する。食事は寿命や天命の自然循環の中で(まかな)われるが、ひとたびバランスが崩れると空腹状態に(おちい)り、人間界へ無慈悲な干渉を起こすのだ。


 2045年4月現在、パリは腹を空かせたデイドリーマーズたちで溢れかえっていた。

 ドイツから逃げてきたとある災厄が無差別に魂を食らい、在来種たちの食事を奪ってしまったのだ。

 するとどういう現象が起きるかと言うと――。


 市内の小学校で不審者が銃を乱射。


 昼間のスーパーで刃物を持った男が立てこもり、無差別殺人。


 3棟のアパルトマンが焼失した不審火。


 工事現場の足場崩落事故。


 季節外れの新型インフルエンザが大流行、しかも高致死率。


 こうした事件事故、疫病を振り()いて人間を殺し、魂を食べる。

 人間が畑から野菜を収穫するように、これはデイドリーマーズにとってただの食事でしかない。


 そんな不可視の怪物と日夜ひそかに戦う組織がある。


 クロエ・デュ・ノエル。

 ミシェル・デュ・ノエル。


 この姉弟は、怪物退治の最前線にいるのだ。



「そんなのダメよ、ミシェルのそばから一分一秒でも離れたくない! 本当は一緒にお風呂も入りたいしトイレにだってついて行きたい!」

「いやです」

「ミ゛シェ゛ル゛ゥ゛ゥ゛ウ゛ウ゛」


 お風呂は恥ずかしいしトイレなんて本当に勘弁してほしい。極端すぎるのだ、この姉は。そう思いながら、ミシェルは再びわんわんと泣き始めた姉の銀髪を撫でる。

 だが、可能な限り一緒にいたいという思いは弟も同じ。光沢のある黒いシルクの手袋が、涙で濡れた頬を包んだ。


「ほら、もう泣かないでください。強くて美しいクロエ姉様に涙は似合いません」

「ずびっ……うぅ、ミシェルっ……!」


 涙やら鼻水やらで大変なことになっている顔面は、それでも美しさを損なわない。髪と同じ色の濡れた睫毛(まつげ)が重たそうにパチパチと瞬きを繰り返す。

 何かを期待されている気がして、ミシェルはむず(がゆ)い気持ちになった。姉弟でこんなこと……いや、姉弟だからこそ普通なのか。そう自分に言い聞かせる。


 柔らかなウェーブを描く前髪をそっと掻き分け、形の良い白い額に触れるだけのキスを落とした。

 美しい二人を祝福するように、タイミングよく教会の鐘が鳴り響く。ただの姉弟には過ぎたる慕情にさえ思えた。


 すると、サイバーサングラスに一通の通知が届く。


「姉様、ユリウスからエネミーアイズの写真データを受信しましたよ」

「……私とミシェルの時間を邪魔するなんて、本当にいけ好かない奴」


 そう言いながら、クロエは名残惜しそうに抱擁を解いた。自分のガジェットを開き、メールの添付データをダウンロードする。

 空間ディスプレイを搭載した携帯ガジェットに映し出されたのは、黄色と青のオッドアイが怪しい魅力を放つ、黒髪の美しい青年。


 不可視の怪物が視える特殊な者たちで構成された組織の実働部隊を「ウォッチャー」と呼ぶ。ノエル姉弟もそこの所属だ。この青年を探し出そうと、ヨーロッパ中のウォッチャーたちが躍起(やっき)になっていた。

 何せ30年ぶりの大捕り物である。未だ謎の多いデイドリーマーズ、その解明のためにどうしても彼が必要なのだ。


 クロエはその画像を眺めながら、額に指を当てる。


「うーん……」

「どうしたんです?」

「この顔、どこかで見たような……」

「姉様に近づいた愚か者の中に一致する人物はいませんね」


 そう言い放ったミシェルのサングラスの一部がグリーンに明滅する。脳内データベースとの照合を瞬時に終えたらしい。

 生活のほとんどを姉に密着されているので、ミシェルは美しいクロエへ不埒(ふらち)な思いを抱いて近づく憐れな男たちを逐一記録していた。

 この男はパリに潜伏していたと言うし、どこかですれ違ったこともあるのかもしれない。


 それでもなお頭を悩ませるクロエは、ふと弟の瞳を隠すサングラスに目をやった。

 あんな特徴的なオッドアイをすぐに思い出せない方がおかしい。ということは……。


「あーーーーーーッ!!」


 文字通り、ビビッときた。

 甲高(かんだか)い声を上げた姉は、午前の光を浴びて輝く銀髪を振り乱して資料棚の前に立つ。

 そして年月日順に並んだハードディスクの中からそれを取り出した。


 本体に印字された日付は2044年12月。

 タイトルは『ロマンス・インパクト』。



 その日は珍しく芸術の都が雪で包まれた、幻想的な夜だった。




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