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羊と弾丸  作者: 哀雨 ザラメ
2 星明かりの路
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星明かりの路・1

羊と弾丸


2 星明かりの路・1



「ねぇ撫子。あの後何かあったのね? 私に話して頂戴」

「何もない」

「嘘はいけないわ。私ちゃんとわかるもの」


 朝からずっとこの調子である。撫子が悶々としているのを、目覚めたアリスはあっさり見破った。簡単な朝食を終えても、ほろの中からしつこくきいてくる。

 それを撫子が無視したりそっけなく返したりしているので、アリスの機嫌はわかりやすく悪くなっていく。どんどん冷たくなる空気に、恐らく一番凍えているのは子どもだった。相変わらず何か言葉を発することはしないが、戸惑っているのは明らかだ。あの後、というのが一体どの後なのかもわからずに巻き込まれて、うろうろと視線を行ったり来たりさせる様は憐れである。




 ◇◇◇




「東になら、君たちの探している場所があるかもしれないよ」


 形のいい唇は、いやに緩慢な動きで音を紡いだ。ように見えた。

 咄嗟にどう反応したらいいかわからず、撫子は固まった。ジャナフの背後で黒い木々が揺れている。風が吹いたのだ。ざわりと冷たい風が一瞬頬をかすめ、そこでやっと撫子は自身を取り戻した。

「……何のつもりだ」

「ちょっとした助言」

「そんなものをお前から受ける理由がない」

 間髪入れずに応える撫子に、ジャナフは困ったなぁ、と笑った。少しも困っている様子ではない。困っているのは撫子の方である。目の前の青年の意図が全くわからない。


 引き金にかけた指に意識を集中させた。先ほどはほとんど思考せずに撃っていた。たぶん、恐怖したのだ。焦ったのだ。

 胸が大きく鳴っている。けたたましい警鐘のようだ。ガンガンと突き破らん勢いで脈打つそれは、まったく正しかった。


 こいつは、危険だ。


 睨みつける撫子などまるで気にならないのか、ジャナフは話し続ける。

「東はいいよ。住んでるひとが少ないから静かだし、魚が美味しいし」

 それに。


「あそこまで離れれば、王都だって追ってこないよ」

「──────」


 震えた。

 瞳が、唇が、肩が、指先が。

 震えて、目の前も一瞬暗くなった。ジャナフの周りだけ、暗い。光がなくなったのではなく、急速に焦点が固定されて、もうそれしか見えなくなったのだ。そんなことを冷静に判断し語っている自分が、斜め後ろにぼんやりいるような気がした。

「羊ちゃんと一緒に逃げているんでしょう? だから黒くないんだ」

「………………」

 撫子は絶句していた。

 ローブの色、撫子の態度、アリスたちの種族。わずかな情報から、的確に答えを導き出した。焦って困惑して恐怖して、撃ってしまったことを後悔した。抜かなければよかったかもしれないと思いながら、しかし先ほどのナイフでは、この男と対峙するにはあまりに危うい。明確な敵意は感じられないが、だからといって安心できるわけでもない。

 何を考えているのか、何をしようとしているのか、全く読めない。


 こいつは危険だ。


「お前には、関係ない」

 繰り返し拒絶した。自分にも言い聞かせるように。

 しかしジャナフは、そこでうっそりと微笑んだ。

「行くかどうかは、君たちの自由だけどね」

 そう言うと、ジャナフは突然撫子に背を向けた。

 背中の翼は美しく立派だった。純白のそれは、どうやら衣服に切れ込みを入れて、そこから出るようにしているらしかった。

 そんなどうでもいい情報が先に入ってきて、撫子は一瞬反応が遅れた。はっとして銃口を向け直したが、ジャナフがそれに警戒している様子はない。


 ばさりと音をたてて、翼が大きく広がった。

 飛ぼうとしている。


「待て!」

 思わず声をあげた。ジャナフは少しの躊躇も淀みもなく、羽ばたいた。すらりとした長身が、まるで重さなど感じていないように浮き上がった。

 翼が力強く、しかし優雅に動く。


「それじゃあね、ナデシコ」


 空中のジャナフを追って銃口を上へ向けたが、あまりに遅かった。

 ジャナフは大きく羽ばたくと、一気に天高く飛び上がっていった。

 黒い森よりも高く、空を背に、ジャナフがこちらを見下ろして手をひらりと振ってみせた。

 追ったところで無駄だ。撫子はぐっと奥歯を噛み締めて、銃をおろした。


 名前まで知られていた。

 何もかも、一瞬で見抜かれていた。

 苛立ちと共に、ぞっとする。

 銃を仕舞いながら、撫子はジャナフの言葉を思い返していた。

「東…………」

 ふと呟いてしまったことにまた腹が立ち、やがて撫子はため息をついた。

 俯いた燃えるような赤髪に、光が灯る。

 撫子は顔を上げて、目を細めた。

 紫色の空に、白く輝く朝陽が射している。水晶のように透明な朝がやって来た。

 踏み荒らされた雪の上に、薄く影が伸びていた。




 ◇◇◇




 昨夜遅く、撫子の中で響いていた鐘は、今度は明確に痛みとして主張し始めていた。

 寝不足か考えすぎか、朝食中も頭痛がして、撫子は仕方なく痛み止めを飲んだ。どの市場でも手に入る安価な材料で調合できるうえ、持っていても別段珍しい薬ではないのだが、アリスたちに隠れて飲んだのが逆にいけなかった。

 痛み止めには独特の匂いがある。その残滓をアリスは敏感に嗅ぎ取って、撫子がこっそり痛み止めを飲んだこと、どうやら頭痛がするらしいこと、そしてそれは昨晩の出来事が関係していることに思い至ったようだ。


 せっかく頭痛がおさまったと思ったところへアリスがすべて話せとしつこく迫ってきて、再発しなかったのがせめてもの救いかなどと考える。隠そうとした撫子が悪いし、そして隠しきれなかったのも悪い。結局洗いざらい吐かされた。

 アリスはすっかり撫子から聞き出して、にこにことご機嫌である。

「最初から全部話してくれればよかったのよ」

 何やら満足そうだが、撫子の話した昨晩の出来事は、決して喜べる類のものではない。突如として現れた有翼種の男が、ずっと自分たちを見ていて、しかも襲撃されるよう仕向け、自身も接触してきたのである。どう考えても胸の温まるどころか血の気も引くような話なのだが、アリスとしては有翼種が本当に存在したということの方が重要らしかった。

「私も見てみたかったわ」

 勘弁してくれ。撫子は額をおさえてため息をついた。何だかまた頭痛が始まったような気がした。





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