白銀の大地より・8
羊と弾丸
1 白銀の大地より・8
撫子はため息をついた。とんでもない逆恨みだと思った。
振り返ると、目くらましのために脱ぎ捨てたローブが雪まみれになって放置されていた。拾い上げてばさばさと雪を払い落とす。
「撫子」
ぽつ、と声がした。アリスがほろの中から顔を出す。
その顔は少し強ばっていた。あれだけ大騒ぎしたのだから、何が起きているのかさすがに察したのだろう。それでも、出ていかないことが最善だと判断して、今までほろの中に引っ込んでいたのだ。
馬たちが怯えて暴れ出さなかったのは非常に幸いだった。
撫子はもう大丈夫だと目で応えてから、ローブを羽織った。少し冷たい。
「…………子どもは」
「起きそうだったけれど」
疲労からすっかり寝入っていた子どもも騒動に瞼を震わせたが、アリスが耳を塞ぐように抱え込んでやると落ち着いたらしい。
「まだ早いから、寝ろ」
そう言うと、アリスは大人しくこくりと頷いて、またほろの中へと引っ込んだ。
◇◇◇
念の為たき火の様子を見に行くと、煙も見えなくなり、雪の中にただ黒い炭が残っているだけとなっていた。完全な木炭とまではいかないが、何かと使えるので拾い上げて袋に詰めた。
レルガノの家を出てからずっと緊張が解けない。解いてはいけないのだが、疲労は溜まる一方だ。
そろそろ自分も眠ろうと、たき火から離れた。
ずしり、と。
何か、音がしたような気がした。
たき火の向こう、森の中から。
木の上に積もった雪が、落ちた音だと思った。大男たちが乱入してくる前から、それは何度も聞こえていた。積雪の多いこの地域では、別段珍しくもなんともない、いつもの音のはずだった。
撫子は振り返った。
「誰だ」
腰を低くして音のした方向を睨みながら、撫子は短く尋ねた。
いる。先ほどの大男たちではない。
返答はすぐにあった。
「やぁ、こんばんは。いい夜だね」
黒く炭で塗りつぶされたような森の中から、影がするりと現れた。
青年だった。
美しい金髪は項のあたりでゆるくまとめられて、真っ直ぐ腰までのびている。翠玉の瞳は、甘い色をたたえていた。
撫子は、青年の姿を認めた瞬間、瞠目した。
「有翼種…………!」
青年の背中には、鳥のような純白の翼があった。
有翼種とは、言葉通り翼をもつ種族である。美しい容姿と声、たおやかな仕草。創造神に仕える不可侵の天上人と言われ、確認されている例はごく僅か。実在が疑われるほど、めったに人前に出てくることはない。そのせいか、彼らについてこれ以上の情報を持つ者はいない。
何故こんなところに。撫子は驚きながらも羽織ったばかりのローブを探ろうとした。ほとんど無意識だった。先ほどのナイフではなく、それを抜こうとしたのは。
有翼種の青年は、爽やかな笑みを浮かべた。
「やだなぁ、そんなに睨まないでよ」
ひらひらと手を振って、青年はそう言った。
「僕はジャナフ。ただの通りすがりだよ。一人で飛んでいたんだだけど、君たちの姿が見えたから、ちょっと気になってね」
女の子3人だけで旅なんて、珍しいなぁと思って。
撫子は、ジャナフと名乗った青年をぐっと睨みつけた。
「──ずっと、見ていたのか」
ずっと。
この男が今まさにここを飛んで過ぎようとしていたところで撫子たちを見かけたのならば、彼は子どもを見ていないはずである。子どもはずいぶん前から寝ていたのだ。馬車の中で。
しかしジャナフは、はっきり3人だけで、と言った。
ジャナフは、子どもが起きている時から見ていたことになる。
否、撫子たちが3人であることを確信しているということは、今この時間だけでなく、撫子たちが3人で行動していた時間──日中も見ていなければ、言い切ることはできない。
ある程度の長い時間、撫子たちを観察したうえで、ジャナフは3人だけでと言ったのだ。
撫子は、今度こそそれを抜いた。
冷たく光る青い鉄と、堅いニワトコの銃杷。
手首から肘ほどの長さの銃身は、これもずっしりとした木でできている。
銀の装飾が施された、美しいコック。
ジャナフはきょとんとした。
「市場であの男の嘘をバラしたのは、お前か」
「うん。そうだよ」
撫子の問いに、ジャナフはあっさり頷いた。
「何故そんな」
「何故?」
どうしてそんなことを尋ねるのかと言わんばかりに、ジャナフはこてんと首を傾げた。その幼さを感じる仕草には、どこかうそ寒いものがあった。
「皆にも教えてあげようと思って」
皆とは、あの場で大男の売り文句に集まっていた者たちのことだろう。大男の手口を、ジャナフは親切にも教えてまわったようだ。
「そうしたら周りのひとたちが皆怒りだしちゃってね。あのひとも怒ってたから、教えてあげたんだ。さっきの緑のローブのひとなら、馬車で向こうに行ったよって」
市場からここに来るまで、雪は降らなかった。雪の上に残された車輪の跡や馬の足跡をたどって撫子たちに追いつくのは、そこまで難しいことではないだろう。さほど離れていないとはいえ、決して楽ではない雪道で馬の脚に追いついたのだから、大した執念である。
撫子は銃口をジャナフに真っ直ぐ向けて、続けて尋ねた。
「何をしに来た」
引き金に指をかけた。ぐ、とわずかに絞る。
ジャナフは、それを見ても微笑んでいた。ゆったりとした、穏やかな微笑だった。
何だかどこかで見たことがあるような気がした。
次いでジャナフは、ほろ馬車の方を覗き込むようにして体を傾けた。
「後ろの子たちは、羊ちゃんでしょ?」
耳をつんざく破裂音。
ジャナフは怖がることも避けることもせず立ったままだった。笑ったままの頬に、すっと赤い線が走る。
また引き金の指先に力を込めながら、撫子は唇を噛んだ。まるで相手にされていないようだ。
しかしそこで、ジャナフは不意に破顔した。
「すごいね君! そんなの見たことない!」
「………………」
撫子は沈黙した。ジャナフの言葉の意味を考えようとした。
ジャナフはきらきらと目を輝かせている。
「火薬の匂いがしない。それなのに弾はとぶ。魔力で弾けさせているんだ!」
まるで子どものようにはしゃいでいる。
見抜かれている。撫子は更に引き金を絞った。
君は魔法が使えない魔法使いなんだね。