白銀の大地より・7
羊と弾丸
1 白銀の大地より・7
「お前だって俺の方がいいだろう!?」
だから俺に。
◇◇◇
振り下ろされた短剣を避けた。
わずかに遅れて、後方に回り込んだ男が棍棒を振りかぶる。
わざと大きな動きで勢いよく振り返ると、深緑のローブがばさりとはためいた。急に視界を奪われ混乱した男が、ローブをなぎ払おうと慌てて棍棒を振り回した。その隙だらけとなった脇腹へ、撫子が鋭い蹴りを叩き込む。何の防具も構えもないやわらかいそこへ強烈な一撃を受けた男は、呻き声をあげて膝をついた。
「……の、野郎!」
最初に剣をかわされてたたらを踏んでいた男が、顔を赤くして再び踏み込んできた。横に銀色の一閃。
撫子はナイフでそれを受けた。剣の男はそこで驚愕の表情を見せた。撫子はしっかりと雪を踏みしめ、少しもぐらつかなかった。剣とナイフでは圧倒的に剣の方が重いし丈夫だ。何故目の前の小柄な旅人のナイフが、剣を易々と受け止めきれているのかわからなかった。
わからないまま、押し切ろうとぐっと力を込める。不意に剣が沈むような感覚があり──男は悲鳴をあげて剣を取り落とした。何が起きたのか咄嗟に理解できなかった。手首がじんじんと熱い。切られたのだ。慌てて手首を押さえた。
脱落者の横から、大剣を持った男が突っ込んできた。大男よりは背が低いが、かなりの大柄である。剣を前に構え、斬るというより、剣を盾にして押し通るような前傾姿勢だった。どおっと雪をまき上げながら迫ってくる。あと少しで触れるというところまで引きつけてから、撫子は横に転がって避けた。
標的を直前で失った大剣の男は、勢いそのまま雪へ突っ込んだ。剣の重さに慣れていない。文字通り振り回されている。身体こそ大きく逞しいが、日頃から鍛えているわけではないのだろう。大柄なだけでは大剣は扱えない。雪にまみれながら慌てて剣を持ち上げようとしている男の後頭部、つむじより少し下のあたりを、撫子は冷静にナイフの柄で殴りつけた。大剣を持ち直すのに躍起になっていた男は無防備にそれを受けて、剣の柄を握ったまま雪へ沈んでいった。
大男はそれまで高みの見物とばかりにただにやにやと眺めていただけだったが、あっという間に3人の手勢が削られてさすがに色を失くした。
「何してやがる。とっとと終わらせねぇと、約束のカネはなしだぞ!」
雇い主たる大男の怒鳴り声に急かされて、同じく見物客のように待機していた男3人が、慌ててそれぞれ思い思いに撫子に襲いかかる。何の連携も作戦もなくただ乱暴に打ち込まれるそれらはほとんど空振りに終わり、撫子は的確に彼らの得物を払い落とした。
雪に潜ってしまったそれらを回収しようと目で追った瞬間、撫子によって自分たちも雪の中へ後を追うこととなった。
新たに発破をかけた連中が一瞬で沈黙し、とうとうただ一人となった大男はがなり声をあげた。
「この役立たずども!」
倒れ込み戦意喪失した手勢を蹴散らすような勢いで、大男は撫子の真正面に立った。
そして、信じられない速さで斧を振り下ろす!
「────!」
咆哮をあげ、一瞬の迷いもなく。
撫子の頭へ斧を叩き込んだ。
ぼっと、あたりの雪が舞い上がった。
誰もが──大男は勿論、脱落した周りの男たちも──撫子の頭が真っ二つに割れたと思った。まだ意識のあった男たちが、勝利を確信しておお、と顔を上げる。
雪煙が晴れていく。
唇を歪め笑っていた大男は、その表情のまま凍りついた。
撫子の整った顔が、大男の目の前にあった。
それは、肉薄する直前。
冷たく磨かれたような緋色の瞳が、真っ直ぐ大男を射抜く。
何故、頭を叩き割ったはずの旅人がすぐ目の前にいるのか、大男は理解できなかった。
ほぼ放心状態でゆるゆる視線を下げると、死ななかった旅人が、自分の腕を足場にしているのが見えた。振り下ろされた斧の柄を、まるで橋でも渡るかのように登ったのだ。
「ふ、ふざけ──」
一気に体が熱くなるような怒りがわき、大男は叫ぼうとした。息を吸って力の限り相手を怒鳴りつけてやろうとして、何故か首が、本当に熱くなった。
「────あ?」
大男は口をだらしなく開けたまま硬直した。
先程笑い飛ばしたナイフの切っ先が、大男の喉元にわずかに触れていた。撫子は、ナイフ自体は動かしていない。大男が声を発したことで上下した喉仏部分の表皮が、ナイフに引っかかったのだ。
このまま、ナイフを動かされたら。
「ひぃ…………!」
状況を理解して、これから起こるかもしれない未来が瞬時に頭の中を支配して、大男は声を引き攣らせた。
「このままこの首、掻き切られたくなかったら」
つつ、と切っ先が皮膚をなぞる。大男は思わず呼吸を止めた。
「こいつら連れて、帰れ」
ナイフを握る手に力が入ったように見えて、大男は悲鳴をあげて尻もちをついた。声をあげたせいでまた皮が切れたが、ちりちりとした痛みなどもう気にしていられなかった。あと少しでこの小さな刃が喉を切り裂いていたかもしれぬという考えが、大男の頭のてっぺんからつま先まで一瞬で走り抜け、もれなく肌を凍りつかせた。
ほぼ腰が抜けた状態になった大男が、わななきながら雪の中を這っていく。
その後を、同じく恐怖と焦燥で強ばった身体を何とか動かして、男たちが倒れた者を引きずって森の奥へと急ぐ。きちんと回収していくあたり、一応仲間だったらしい。
最初に現れた茂みの中に潜り込み、大男たちはすっかり立ち去った。