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羊と弾丸  作者: 哀雨 ザラメ
1 白銀の大地より
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白銀の大地より・5

羊と弾丸


1 白銀の大地より・5



 暖炉の中はまだわずかに熱を持っていた。薪を組み直して、火をつけた木の葉を差し入れる。その間にアリスが湯を沸かし始めた。


 長椅子を暖炉の前に運んで、子どもを寝かせた。子どもはぴくりとも動かない。

 冷たく濡れたローブを脱がせると、古くも厚手の服を纏っているのがわかった。ほつれを何度も縫い合わせた跡があり、どうやら大人の服を切って縫い直しているようだ。こちらはあまり濡れていなかったが、体温を保つ役割はとうにないだろう。念の為それも脱がして身体を軽く拭いてから、アリスの古着を着せた。寝台から運んできた毛布でぐるぐる巻きにして、アリスは子どものそばに跪いた。


 少しして薪に火がつき、ぱきぱきと音が聞こえ始めた。お湯で湿らせた布で、アリスが顔の汚れを拭ってやっている。

「顔もこんなに冷たい……大丈夫かしら」

「息はしている。とにかくあたためてやるしかない」

 アリスの呟きにすぐに応えた撫子だったが、その時初めて口の中がやけに乾いているのに気がついた。緊張しているのだ。指先が冷たいのは、雪のせいではなかった。




 ◇◇◇




 巻角は確かに、子どもの頭にあった。見間違いでも勘違いでもなく。

 角をもつ種族は他にもいるが、内側にくるりと美しい曲線を描く巻角は、羊族にしかない特徴である。

 幼い巻角は、大人のそれよりはるかに高く売れる。

 やわらかくて汚れも傷も少ないからだ。

 以前に習ったことを思い出して、撫子は思わず歯を食いしばった。どうしてそんなことを教わってしまったのだろう。考えても詮無いことで後悔した。


 羊族が稀少なのは、彼らが非常に脆弱で、子どもが生まれにくいということが理由として挙げられる。出産に耐えられない者も多かった。


 そして元々数が少なく増えにくいところへ、むしろその数を減らさんとする者たちがいる。

 羊族を乱獲する犯罪者──猟士(りょうし)である。

 食べるため素材のため、生きるために獣たちを狩る狩人とは異なる存在だった。

 羊族を殺し解体して、角やら骨やらを売れば、一生遊んで暮らしてゆける。物々交換が廃れ、鉱物を硬貨──カネとして流通させる時代が到来すると、そのカネに目が眩んだ者たちが、片端から羊族を襲うようになった。

 抗う術などまるで持たない羊族たちは、着実にその命を奪われていった。


 ちょうどその頃国としての体制を整え終えていたヴェスギアの王族は、この乱獲を憂えてある組織を立ち上げた。

 羊族を猟士から保護することを目的としたその組織は、協会(きょうかい)と呼ばれた。

 所属する全員が魔法使いで構成された協会は、王族より羊族保護の王命を正式に受けた唯一の組織となった。羊族一人に対し魔法使い一人を担当とし、一生を終えるまで猟士から守る。魔法使いは担当する羊族を守ることで、報酬を得るのである。


 協会所属の魔法使いは、皆黒のローブを身に纏う。




 ◇◇◇




 闇に溶け込む黒は、かつて深淵を覗くことで、ありとあらゆる魔法を得たとされる原初の魔法使いが纏っていた色だという。

 誇り高く最上の黒。しかし撫子は、そんな自身の黒のローブを床へ脱ぎ捨てて、暖炉の火を見たり子どもの顔色を見たりと忙しかった。

 少しずつではあるが、子どもの顔に色が戻ってきている。頬は丸くあどけない。10歳にもなっていないだろう。


「あっ」

 アリスが小さく声をあげた。

 その声に撫子は子どもを振り返った。

 子どもの透けそうに薄い瞼がわずかに震え、ふわりと若葉が開かれる。ひどくゆっくりと見えた。

 春の芽吹きそのもののような明るい緑色のそれは、ぼんやり何度か瞬きをして、しばらくしてようやく目の前の人物を認識した。


「──────!」


 くっと息を呑むような音がした。咄嗟に後ずさろうとしたのか、子どもの全身が軋むほどに力を入れたのがわかった。しかし毛布でがっちり包まれた上、背もたれのある長椅子に寝かされているせいで、少しも移動することなく、ただ揺れただけだった。

「あらあら、急に動いちゃ駄目よ。森で倒れていたんだから」

「──────」

 アリスはゆったりとした口調でそう言った。子どもがひどく緊張しているのがわかったのだ。

 それでも子どもは全身の力を少しも緩めようとはしなかった。弱って思考もままならないだろうに、自分が見知らぬ場所で、見知らぬ人物に接近を許し、しかも動けないという状況は瞬時に把握したようだ。せっかく血色を取り戻し始めた顔が、見る見るうちに白くなっていく。唇も真っ青になって震え始めた。


 そんな子どもを見て、アリスは跪いたまま長椅子から離れた。

 子どもはアリスの動きを少しも見逃すまいとしているのか、敏感に目で追っている。

 視線を真正面から受けながら、腕がもう届かないというところまで下がって、アリスは足を崩してぺたりと床へ座り込んだ。

「大丈夫よ。あなたを傷つけたりしないわ」

 ね、と小さく、決して押し付ける口調でなく、ただ伝えたい事実だけをぽんと置いていくような。ここに置いておくからねと、知らせるだけのような声音。


 アリスは、だから信じてほしい、などとは言わなかった。


「………………」

 子どもはやはり無言で、距離を取ったアリスを見つめていた。緊張は完全には解けていないようだが、浅くなっていた呼吸が少し落ち着きを取り戻し始めているのがわかった。

 そこでようやく子どもは、アリスが()()()姿()()()()()()()()を、認識するに至ったらしい。

 子どもの視線がアリスの頭部へ移り、やがて、子どもは戸惑ったようにはくはくと口を開けた。


 アリスは微笑んで、そっと髪をかきあげた。


「おそろいね」





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