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羊と弾丸  作者: 哀雨 ザラメ
4 君が海を知らずとも
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君が海を知らずとも・5

羊と弾丸


4 君が海を知らずとも・5



 少し冷めてしまった魚をパンと一緒に口へ入れると、淡白なパンにソースが染み込んで美味い。ようやく食事に感想が持てるようになって、撫子は思わず目を閉じた。先ほどまで味もわからなかったのである。

 スーリの前に置かれた器には、仔羊が食べやすいように小さくほぐされた魚がよそってある。その魚たちに隠れるようにしてわずかに見えるのは、ソースと一緒に煮込まれていた根菜である。気分が沈んでいても野菜を食べるようしっかり仕向けるあたり、アリスも落ち着いてきたのかもしれない。豆のスープが自分の前にあってよかったと、撫子はそっとスープの器を手元へ引き寄せた。


「お客さん、見ない顔だけど。新しい人?」

 遠巻きにされていた撫子たちの元へ、ひょいとやって来たのは看板娘である。空気が変わったのに気づいて、世話をすることにしたらしい。兎族最大の特徴である長い耳が、ぴこぴこと忙しなく揺れている。なるほどこの耳で周囲の音や気配を探っているのだ。

 撫子は頷いて答えた。

「王都からだ。調合薬を作っている」

 それだけ話せば、後は慣れたものらしく、看板娘はすぐに承知した。

「あぁ、王都じゃ売れないっていうもんね。多いの最近。門番もね、大変らしいよ。怪しいひとは通せないから、みーんな顔見なきゃならないんだーって」

「オレたちも見てもらった」

「……ふぅん。なら、お客さん怪しいひとじゃないのね」

 看板娘は冗談っぽくにやりと笑うと、はいこれ、と料理の盛られた器を卓へ乗せた。


「お魚だけじゃなくて、こっちもおすすめ。うちの主人はね、新しい()()()をおもてなしするのが大好きなの」

 どん、と卓の中央へ登場したそれは、小麦の薄皮が葉巻のようにくるくると巻かれた料理だった。端へ盛られた白いソースは、爽やかな香りがする。

「ナトヴァスでは大定番! ホウレン草のシガールだよ。ヨーグルトソースをたっぷりつけて召し上がれ!」

 看板娘が名乗りでもあげるように高らかにいうと、わっと周囲が盛り上がって拍手がおこった。隣の卓で酒を飲んでいたらしき農夫が立ち上がり、撫子の背中をばしばし叩いてデタラメな激励の歌を歌う。痛いし噎せる。

 にわかに騒がしくなって、撫子たちは顔を見合わせるしかなかったが、店と客が一体となって騒ぐのが、ここの()()()なのだろう。撫子はシガールを羊族たちに分けてやり、出来たてのそれを頬張った。パリパリに揚げられた薄皮の中には、ホウレン草とチーズが包まれている。塩味と油の匂いが美味い。おずおずと他の2人も手を伸ばして口へ運ぶと、客たちはまたどっと歓声をあげた。




 ◇◇◇




 看板娘はイスカと名乗り、他の卓にもまわりながら撫子たちを手厚く世話した。

「別れ話でもしてるのかと思ったわ、あたし。辛気臭いのはごめんだから、追い出してやろうかとも思ってたんだから」

 一気にそこまで喋ってから、イスカは首を傾げて撫子の顔をのぞきこんだ。

「浮気でもしたわけ、旦那さん」

「してない」

 撫子は思わず食い気味に答えた。何もかも間違っているのだが、いちいち注釈を加えながら否定するのも面倒だった。それに接客のためとはいえやたらと遠慮のないこの娘が、丁寧に説明したとて素直に納得してくれるとは思えなかった。


 案の定、イスカの不信そうに顰められた眉根は変わらない。

「してるひとはね、みんなそう答えんのよ」

 じゃあどうしろと。

 すると先ほどの農夫がイスカの隣に立ち、何故かうんうんと頷いている。

「ほぅだよ。誤魔化したって無駄だど。あんな、女の人っつぅのは勘がいいんだから。すーぐわかっと」

「アンタにいわれたくないのよ、おじさん」

「おめぇもバレたクチだもんなぁ!」

 またどっと笑い声が起きた。農夫も酒を片手に大笑いしている。


 もてなしの料理を食べるのに苦労していたスーリは、沸き起こった拍手に目を丸くしながらキョロキョロしている。その横でアリスが、シガールを小さく切り分けていた。自身よりも仔羊の器に多く盛っているあたりは相変わらずである。そんな2人の様子に何故か涙ぐみながら、農夫がまた噛み締めるように頷く。

「母親はよぅ、いつだって子どもがいーっぱい食えるようにしてぇんだよ。オレのかぁちゃんもよぅ」

「お母さんの分まで食べちゃったんでしょ。もう何回もきいたってば、その大きなお腹の話は」

 呆れたように手を振ったイスカをよそに、農夫は涙を拭って再び撫子へ向き直った。服からはみ出しそうな腹が波打つ。

「旦那、かぁちゃんと子供だけはな、飢えさせちゃなんねぇど。とにかく腹いっぱいにさせんだ。俺たちゃ木の根っこで十分だっぺな」


 そう力説する農夫の手にはなみなみと酒が注がれた木の杯が握られているわけだが、どうやら彼の意識が古く甘い過去に飛んでいるせいで見えていないらしい。更にいうなら、撫子たちがよそ者だということも忘れているようだった。

「ヘガメスじゃ、カミさんと子どもは丸々してる方がいいんだ。いっぱい食わせてるって証拠だ」

 そして肥えるくらいにいっぱい食わせているということは、すなわち夫の稼ぎがいい、ということの証左になる。組合の中で確実な立場を得るには、きちんと稼いでいるのだということを印象づけるのが一番の近道なのだ。


 撫子は連れの方を見やった。スーリはすっかりシガールに夢中だし、アリスはもはや我関せずといった様子でパンをちぎっている。この2人が真ん丸に肥えて、馬車にえっちらおっちら乗り込もうとする姿をつい想像してしまい、撫子はちょっとげんなりした。乗り物で移動しなければならないことを考えると、著しい体型の変化は避けてほしい。そんな撫子の心中など知る由もなく、農夫はイスカに料理の追加を注文し、奢りだからと次々と卓へ運ばせた。


 夜は少しずつ更けていった。




 ◇◇◇




 盛大な腹の音がして、男は半眼で後ろを振り返った。大男が情けない顔をして腹を押さえている。思い切り睨めつけて、無言のまま前へ向き直った。流石にその態度でわかったのか、大男は何もいわなかった。

 先頭を歩く小柄ローブもまた、無言である。というより、この同行人はそもそも多くを話す性質ではなかったらしく、道中余計なことは一言も発しなかった。ぐだぐだと余計なことしかいわぬ大男よりずっとマシだと、男はため息をついた。しかし隙を見せない小柄ローブに、若干のやりにくさを感じているのも事実だった。


 空気を変えようと、男は声をあげた。

「いいか、まずはヘガメス伯爵に協力を仰ぐ。ここに奴らが逃げ込んだのは間違いないんだからな」

 自分はこの捜索隊の頭役だ。冷静に確実に部下たちを導いて、素晴らしい成果をあげる。いつか夢想した出世の道が、目の前に続いている。我々は今、誰よりも何よりも逃亡犯に近い。必ず取り押さえて、手柄にするのだ。


 背後で腹の虫が、また不満を訴えた。




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