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羊と弾丸  作者: 哀雨 ザラメ
3 さすらう花弁
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さすらう花弁・12

羊と弾丸


3 さすらう花弁・12



 ほろの中では羊族たちが起き出したようで、小さく話し声がする。そろそろ朝食の準備をせねばなるまい。


 周囲は相変わらず緑が茂っている。つまりまだまだ山の中ということだ。漂う空気は少し冷たい。春が近づいているとはいえ、陽光が届きにくい山中は油断ならない寒冷地である。昼間でも薄暗い山道で、大きな馬車を操っていくのはかなりの負担だった。撫子は馬車に慣れていない。馬たちの状態を伺うのも予想以上に体力を削った。

 ここから先は領地が違う。なだらかな山と平野を有し、川沿いに発展してきた農業で、領内どころか国全体を支えるヘガメス領である。広さはヴェスギアで最大、歴史の古い公爵家が治めている。王都からかなり離れた場所にこの公爵が置かれたのも、王家の揺らがぬ信頼からくるものだ。


 当然ながらヘガメスにも協会支部がある。気候も安定していて過ごしやすいため、羊族が好んで多く暮らしている。それだけ所属の魔法使いも多い。

 撫子たちが行方をくらましたということがすでに広まっているとすると、ヘガメスは逃亡において最難関だといえる。広大な領地のほとんどを占めるのは平野である。何の目印も、身を隠せる場所もない。かといって平野を避けようとすると、切り立った崖と、その下で荒れ狂う海にも注意を払わなければならなくなる。

 それならば道があって通りやすく、途中に集落や市場がある平野を選んだ方がよい。


 そう考えて平野目指して山道を進んだが、さっぱり景色が変わらない。頼りになるのは太陽ばかりだ。他に通る者もおらず──中型の獣くらいならば、撫子たちの気配に驚いて向こうから逃げていくから、道中は穏やかだった。

 しかし道は悪く、時折、車輪に絡まりそうな草や蔦を切って進まなければならなかった。急な坂こそないものの、度々止まって時間を食うのはなかなか苛立つものだ。アリスたちならともかくも、馬たちが機嫌を損ねないかが、撫子は気がかりだった。そのせいで撫子はずっと眉間に皺を寄せて手綱を握る羽目になり、ほろの中の羊族も口数が減っていった──とはいえ喋るのは1人だけだが。


 やがて撫子は、道幅がだんだん広くなっていることに気がついた。周囲の木々や下草も減り、目の前が開けてきている。山の終わりが近い。

「撫子、あれは何かしら」

 退屈そうに撫子の横へ顔を出していたアリスが、ふと声をあげた。見れば、道端にぽつんと転がっているものがある。思わず2人して腰を浮かせた。疲労が溜まったのか、撫子はつい隣につられてしまったのだった。

「手袋みたいね」

 それは黒ずんでいるように見えた。ぼってりとした形で、どうやら分厚い革製の手袋のようだった。片方だけが、力なく道に蹲っている。


「落し物かしらねぇ」

 アリスは首を傾げてのんびり呟く。2人が何やら喋っているので気になったのか、スーリが控えめに顔を出した。

 革の手袋が地面から生えてくるわけがないので、当然あれは()()が落とした、ということになる。そしてそれは、ここを()()が通ったことを示す。とりあえずこの辺りまでは、ひとの行き来があるのだ。

 いよいよヘガメスに入る。気づくと撫子の拳の中で、手綱がぎちぎちと音を立てていた。その僅かな振動に一瞬、馬たちが首を振る。何でもないふうに手の力を緩めた。山を降りたら、一度長い休憩をとらねばなるまい。




 ◇◇◇




 ざくざくと茂みをかき分けて、黒いローブたちが山中を進んでいた。

 丸太のように太い腕を振る大柄な者もいれば、すいすいと歩く小柄な者もいる。もう1人は中肉中背で、大荷物を抱えて先頭に立っていた。

「これだから本部の連中は頭でっかちでかなわん。逃亡犯が真面目に道を通るものか。人目につかない道を選ぶに決まっている」

「しかしこりゃ随分とひどい道ですよ。いくら何でも馬車じゃあ進めんのじゃないですか」

「だからだ。誰もこんな悪路を馬車で逃げるなどと思わないだろう」

「はぁ。しかし車輪の跡も見えませんがねぇ」

 中肉中背は気づかれないように舌打ちした。この大男はすぐにぐちぐちと不満を漏らす。しかししかしと、その後に大した意見も出せぬくせにとりあえず否定してかかる。

「奴らは王都から遠ざかりたいはずだ。それならまず南へ行く。レルガノから南下するなら、この山を越えぬことには永遠に出られないのだからな」

「はぁ」


 するとそれまで黙っていた小柄な黒ローブが、ぴたりと足を止めた。少し進んでからそれに気づき、先頭のローブが振り返る。

「どうした」

「誰かいるようです」

 返ってきた答えに、黒ローブたちの纏う空気に一気に緊張が走った。

「馬車は? 馬車はいるか」

「いえ。そんな大きな物が通るような音ではありません。1人でしょう」

「それなら違いますよ。獣か何かでしょう」

 大男はすぐにそう決めつけた。それにまた苛立ちながら、中肉中背は小柄な偵察係を振り返る。

「匂いの方はどうだ?」

「匂いは……炭です。木を燃やしているような」

「炭? 奴ら、煮炊きでもしているんですかね」

「あちらの方です。確認してきましょうか」

 小柄ローブは迷いなく斜め前方を指さした。相変わらず惚けた顔で何の成果も生まなそうな大男は無視して、中肉中背は慎重に頷いた。戦力となるのはもはやこの偵察係しかいない。


 小柄ローブが偵察へ行ってしまうと、残された者たちは息を潜めているしかなかった。

 魔法使いと羊族逃亡の報せをきいて意気揚々と捜索へ乗り出したはいいものの──ただ仕事がなく暇だっただけなのだが──彼らは実戦の経験が豊富なわけでも、追跡に長けているわけでもない。あっという間に進行に迷い、よく知らない街で途方に暮れていたところ、妙に情報収集に慣れている小柄な同僚を見つけたのだ。協力を申し出ると意外にもすんなり同行してきて、中肉中背はこの一時的な部下を気に入っていた。

 上手くいけば、自分たちは出世間違いなしだ。中肉中背は期待で身体が熱くなるのを感じた。

 小柄ローブは思っていたより早く帰って来た。そのうえ何も持っていないし、何か戦闘を終えてきたという感じでもなかった。拍子抜けして、中肉中背は怪訝そうに首を伸ばした。

「おい、随分早いな」

「ただの炭焼きでした。春の中頃まではここにいるとか」

「炭焼きぃ?」

 背後の大男が呆れたように立ち上がった。その声音には、明らかな侮蔑が込められている。炭焼きなど見たこともないのだろう。この男は確か王都で生まれ育った坊ちゃんだったはずだ。

 愚かにも落胆し立ち去ろうとする大男を思い切り軽蔑してから、中肉中背は優秀な部下の報告を促した。

「そいつは何か見ていたか? ずっとここにいるんだろう」

「はい。少し前に──大きな馬車が通って行ったと。ローブを着込んだ、若者だったようです」

 中肉中背は喝采をあげそうになった。これこそ求めていた情報だった。小柄ローブは、何も詳しく指示せずともしっかり必要な情報を掴んできたのだ。


「やはり俺の予想は間違っていなかった。逃亡犯どもを見つけたぞ!」




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