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羊と弾丸  作者: 哀雨 ザラメ
3 さすらう花弁
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さすらう花弁・6

羊と弾丸


3 さすらう花弁・6



 すっかり綺麗にした鍋を外して、今度は小さな鍋を火にかけた。丸みを帯びた鍋は、ガラスでできた特別なものである。一気に高熱を加えることでできるガラスは、製法の難しさからそもそも出回る数が少ない。値が張る代わりに、薬などの調合に特に適していた。

 めったに給金を使わない撫子だったが、これだけは妥協しなかった。調合が苦手で──それには理由があるのだが──訓練学校でしょっちゅう鍋を焦がしていたことがそうさせた。透明なガラス鍋は、当然ながら中身の変化がよく見える。おかげで貴重な材料を無駄にするという悲劇がずいぶん減った。

 元から表情がやわらかいわけではないが、調合をしている時の撫子は特に険しい顔をしている。


 攪拌棒を握りしめ、まるで砂の上へ落ちた針でも探すように鍋を睨む撫子に話しかける者はいない。馬たちすら息をひそめているようだ。

 まず薬草の葉を、糊状になるまで細かく刻む。使う葉はより若いものを選ぶ。薬草は摘んでから時間が経つにつれ、どんどんその効能を失っていく。できるだけはやく加工しなければ、ただ苦いだけの葉になってしまうのだ。

 以前なら市場で買っていたが、雪のない地では自生しているものが見つかることがある。今鍋へ放り込んだ薬草も、道端で摘んできたものだった。


 刻んだ薬草を鍋で煮詰める。冷たく澄んだ水を加え、丁寧にかき混ぜながら魔力を込める。薬の質はここの段階でほとんど決まってしまう。

 撫子は訓練学校に通い始めたばかりの頃、魔力の調節が上手くいかず、よく補習を受けた。

 その補習というのが、簡単な薬の調合だった。自身の魔力を使って何かを変化させるというのは、火をおこす魔法よりも初歩的な、魔法すべてにおける基礎である。他の訓練生には嘲笑されたし、ほとんどの教師は真面目に教えようとしなかった。


 しかしその補習が、撫子の魔法使いとしての()を決めるきっかけになったのである。


 やがてコポコポと泡をたて始めたところで、撫子はゆっくり鍋の中身をかきまわした。魔力は指先から攪拌棒を伝い、鍋の中へと溶け込んでいく。焦らず混ぜると、黒ずんだような緑色がだんだんと透き通る。

 撫子はそこで手を止めた。これ以上熱が加わらないようにガラス鍋をおろす。中身が焦げ付いていないことを確認して、こっそりため息をついた。訓練学校で最終試験を合格した後も、実は調合の度にこうして緊張してしまうのである。


「いい匂いね。お茶にできたら素敵なのに」

 調理道具を静かに片付けていたアリスが、撫子の背中に声をかけた。薬草を魔力で煮詰めたそれは、最も簡単な傷薬である。確かに甘くていい香りがするが、たとえ砂糖や蜂蜜を加えても美味くはない。そもそも塗り薬なのだ。

 勿論アリスが本気でないことはわかっていたが、沈黙を強いていたのが少し心苦しかった撫子は、誤魔化したくてこう返した。

「酷い味だぞ。学校で飲まされたことがある」

「美味しそうだったの?」

「何事も経験だから確認のために飲んでみろと……まぁあのひとのことだから、半分はお巫山戯かもしれないが」

「あらあら」

 面白いお師匠さんよねぇ、とアリスはころころ笑った。撫子としてはあまり笑い話にならない。文字通り苦い思い出だったのだ。

「おかげで舌が薬草の味を覚えた」

「それなら安心ね。撫子がいれば、うっかり薬草をもぐもぐ食べてしまうなんてことがないでしょうから」

 それではただの毒味役である。否定はしないが。




 ◇◇◇




 薬が十分に冷えるのを待って、小瓶に詰めた。入り切らなかった分は綺麗な布に染み込ませれば、匂いはきついが貼り薬になる。アリスとぽつぽつ話しながら、薬作りを終わらせた。

 ぷしゅん、とスーリがくしゃみをした。薬の匂いにやられたのかもしれない。慣れないと魔法使いですらこうなるのだ。


 アリスに更にもう一枚布団をかけてもらったこの仔羊は、活発に何か()()()とはしなかった。(とし)をきくと首を傾げて答えない。自分の生まれも理解できていないかもしれない。

 今知ったばかりの本から文字を探して拾い上げていくのは大変な作業だろう。しかしようやく()()できたような気がして、撫子は安堵していた。もう永遠に、この仔羊のことはわからないかもしれないと、半ば諦めかけていたのだ。


 人目につかぬよう動いている身としては、あちこちきき回るわけにもいかない。街中(まちなか)でフードを外して、この羊族について知らないか、などときいたらどうなるかわからない。まず相手は驚愕するだろう。それからその人物が、ただの()()()()()()()()になるかどうかは、誰にも保証できない。

 目の前の相手が無力で無垢で、しかも特別珍しい存在だと知った時。あっという間に悪意に染まってしまうことは、珍しくないから。


 そして、何故スーリは文字を理解できるのか。撫子はずっとそれを考えている。

「学校にでも行っていたのか?」

 たずねてみても、スーリはきょとんとするばかりだ。

 はぐれ羊がどこかで他者から教育を受けるなど、きいたことがなかった。集団や組織から離れているから()()()と呼ぶのだ。そんな彼らが、学校や学院などで教育を受けることは難しい。よしんばどこかで受け入れてもらえたとしても、魔法使いに護衛されていない羊族など、襲ってくださいといっているようなものだ。それは周囲にも被害をもたらす。だからはぐれ羊は──否、はぐれ羊に限らずとも羊族は──歓迎されない。

 現に羊族の居住が許可されているのは、協会支部のある地域に限られる。


 初めにスーリを見つけた時、撫子は一瞬、報告を躊躇った。確かにあの場に親は見当たらなかったが、撫子たちを見て警戒し、出てこなかっただけかもしれない。もしそうなら、スーリを協会支部へ連れていくのは、親から引き離すことを意味する。大人ならまだしも、幼いスーリは当然ながらすぐに保護対象となるだろう。新しく登録されて、魔法使いがつく。そうなれば、親の元へ帰すのは困難だ。せっかく手元にやって来た新しい羊族を、協会がみすみす放すなど有り得ない。

 それはあまりに身勝手だ、と撫子は思った。彼らはすすんで独立して、自力で生きているのだ。子どもを連れ去り、突然保護してやるなどといってくる相手に対して、不信感を抱かぬわけがない。


 しかし、他に方法も思いつかなかった。護衛の魔法使いとはぐれてしまっただけ、という可能性だって──否定しきれない。はぐれてそのまま、あの森まで一人で歩いて来たのだ、ということだって、あるかもしれない。

 アリスの家で落ち着いたら、いろいろきき出そうと考えていたのだが、謎の仔羊は全く話そうとしなかった。


 というより、声が出ないようだった。





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